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星持ちと弁当屋  作者: 久吉
第四章 番外編
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〈番外編〉ミランダの初恋②

予想外に長くなったので、二話に分けました。

 “心”なんて言われたって、大したことない。湯を沸かせるわけでもなければ、洗濯物を乾かせるわけでもない。所詮は気休めのようなものでしょう、とミランダは思っていた。


 そう、ほんのつい先程までは。


「お嬢ちゃん、これ昨日のサラダと何が違うんだい? 今日の方が断然うまいな」


 今夜何度目かわからないことばをかけられて、ミランダは内心お前もかよと毒づいた。しかし接客業を担う者として、ストレートに感情を表すわけにはいかない。ひきつる頬を無理矢理笑みの形で固定して、客へ説明した。


「昨日のサラダとは材料も作り方も変えていません。ただ“心”の魔力が入っているんです」

「“心”? なんだ、そりゃ」


 サラダの葉を咀嚼しながら武骨な客が首をかしげる。

 なんだそりゃ、は私の台詞ですよお客さん、と内心つぶやいたミランダは肩をすくめた。


「私も詳しくは知らないのですが。国をあげて“心”の教育をするということで、近々星見台で特別に講座を開くそうです。無料だそうですよ」


 星見台では、アカデミー入学前の子どもたちを集めて講座を開いている。

 貴族の子息らは家庭教師を招き入学に必要な知識を身につけるのが主流だが、その資金がない一般家庭からも星持ちを輩出できるように、一般の学校と変わらない授業料で講座を受講できるようになっているのだ。

 その講座の一つで、“心”の理論を説き、実際の体験をするらしい。

 教育を行うことも目的だが、“心”を扱う素養のある者を探すことも目的の一つだ、とリリアは言っていた。


「へぇ。じゃあ俺も行ってみるかな」


 いかにも頭の中まで筋肉がつまっていそうな客だが、意外に柔軟な考え方をするらしい。


「そうしてみたらいいんじゃないですか。もしかしたら“心”の適正が見つかるかも知れませんし」


 辟易しながら、ミランダはなげやりにならない程度に応えた。

 ディナーの時間になってから、このやり取りをもう何回繰り返しただろう。

 今さら文句を言っても仕方がないが、なぜ自分が国の計画の片棒を担がなければならないのか。手間賃が出るわけでもないのに、本来の仕事が滞ってしょうがない。


 ここ最近の仕事の能率の悪さは棚にあげて、ミランダは嘆息した。


 ◇◇◇◇◇


『今夜のディナーセットにつけるサラダの盛りつけを私にやらせてもらえませんか? “心”を込めたいんです』

『そんなことをしてどうするつもり?』

『もし、昨日と味が違う、と言われたら“心”の話をして下さい。それだけで構いません』


 お茶の味を変えてみせたリリアは、お願いがある、と言い出した。

 昨日のものと同じサラダに“心”を込めて客に提供したいと言うのだ。客が味の変化に気づかなければそれでいい、もし気づいたら“心”の話をし、星見台で開かれる講座の存在を教えてほしいと。


 リリアの申し出に、面白そうね! とラナは目を輝かせたが、ミランダは鼻で笑いそうになるのを堪えるので必死だった。


 夜に食事をする客は酔っぱらいも多く、腹さえ膨れるなら味は二の次、というむさい男どもがほとんどなのだ。サラダにいくら“心”を込めようが、そんな些細な変化に気づくわけがない。


『いいわよ、そのくらい。いくらでも説明してあげる』


 どうせ誰も気づかないわ。

 そうやって見くびり、安請け合いしたことをミランダが激しく後悔するまでさほど時間はかからなかった。




「ディナーセットを」


 かけられた声に思考の海から引き戻される。慌てて振り返れば、ミランダの想い人がいた。


 いつも着ている黒いローブは部屋に置いてきたらしく、ゆったりとした白いシャツを着ていた。襟元からちらりと見えたのは、強く煌めく碧い星。

 今まで見たことがないほど、光輝く綺麗な星だった。


「っ、はい。か、かしこまりました…」


 星持ち様だったんですね。すごい!

 お名前を教えていただけませんか。私はミランダと申します。


 ぐるぐるといくつかのことばが頭の中で渦巻くが、実際ミランダが取った行動といえば、顔を赤らめ俯いて、キッチンに逃げることだけだった。

 頭の中のことばは、一文字も口から出てくることはなかったのだ。


 注文を通したミランダは、母とリリアがてきぱきと盛りつけを行うのを、赤い頬でぼんやりと見る。

 野菜の残りがもうないので、これが今日の最後のサラダになるようだ。


 リリアが故郷の村で弁当屋をやっているというのは本当らしく、手際が良く無駄のない動きだった。


「明日の朝の時間も手伝ってほしいくらいだわ!」

「私でよければお手伝いしますよ」


 ラナは誰にでも人当たりがいいが、実は好き嫌いが激しい。本気でリリアに手伝ってほしいと思っている様子なので、どうやら彼女は気に入られたらしい。



 ―――あの人は、おいしいって言ってくれるだろうか。

 もしかしたら、すごく味を気に入って、ホールにいるミランダを呼ぶかもしれない。



『どうか私のために毎日食事を作ってもらえないだろうか』

『えっ、それはどういう…』

『妻になってほしいということだ』



「ひぁあぁ…!」

 想像するのは自由だが、我ながらあまりに恥ずかしい想像をしてしまいミランダは悶えた。


「ミランダ、料理が冷める。早く持って行きなさい」

 またいつもの病気が始まった、とラナは冷たい。ミランダは働き者の素直な娘だが、夢見がちなところがあり、暇さえあれば物語の姫様やら女王様やらに自分を重ねて旅に出てしまう。

 こんな調子で嫁の貰い手はあるだろうか、というのがラナの最近の悩みだ。


 母に手で追い払われたミランダは、なるべく上品に見えるようにディナーセットを運んだ。


「…お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」


 微かに震える手でディナーセットを差し出すと、想い人の男性は少しだけ微笑んでくれた。


 ほんの少し目尻が下がっただけなのに、ミランダの心臓ははち切れんばかりに高鳴っている。ふと周囲を見れば、頬を赤くしてひそひそと囁きあう若い娘が数人いた。宿泊客ではなさそうなので、彼を目的に食事をとりにきたのかもしれない。


「ミランダさん、ご協力ありがとうございます。今日の分はこれで終わりました」

「リリアさん」


 ミランダが振り返ると、両手にカップを持ったリリアがいた。エプロンを外し、髪も下ろしていて、随分雰囲気が変わっていた。


「ワイン、飲みますか?」

「え? ワイン?」

 一瞬、そのことばはミランダに向けられたものかと思った。

 あなたは終わったかもしれないけど私はまだ仕事中なのに、と反論しようとした矢先だ。


「ああ、もらう。リリアも一緒に食べないか」


 信じられないほど優しい声に、嬉しそうに細められた瞳に、ミランダは息を飲んだ。

 離れたテーブルで悲鳴がいくつか上がったので、ミランダ同様、衝撃を受けた娘がいるらしい。


 だが、言われた当人はどこか苦い顔をしながら、首を振る。


「…ええと。まかないをいただいてきたので、私はいいです。アルドさん、どうぞ」


 あんなに知りたかった名前が、リリアの口から出てきたことに、ミランダの胸が一気に冷えた。

 この人の名前はアルドさん。愛称だろうか、正式な名前だろうか。


「…あ、の…。お二人はお知り合い、ですか」


 アルドの前では緊張し、ことばが上手く出ないミランダだったが、怒りとショックが緊張と羞恥心を抑え込んだ。


 どうして。

 なんでリリアさんが。

 母さんのように美しくもない、こんな普通の人が。


「ああ。中枢計画でともに動いている」

「要は監視ですけどねー」


 アルドが頷くのに、リリアはカップを傾けながら投げやりに続けた。

 同じくカップを傾けたアルドは、そっと微笑む。


「それでも、ともに過ごせることが俺は幸せだが」

「…………」


 今日はいい天気だ、とでもいうような、自然にこぼれたような口調だったが、内容にミランダは目をむいた。

 リリアは、と見れば、こちらもさすがに固まっている。


 それはそうだろう。まさかこんな自然にクサい台詞が出てくるなんて。


 しかしアルドは茫然とする二人の様子には気づかないようで、軽く食前の挨拶をして食具を手に取った。そして、焼き立てのパンよりも、熱々のシチューよりも、真っ先にサラダを口に入れてリリアをじっと見る。


「リリア、“心”の込め方が上達したな」

「…ありがとう、ございます」


 心なしか、ほんのり頬を染めたリリアが顔を背けた。


 お二人は忘れているようだが、ここは町一番の繁盛宿の食堂である。

 突然の桃色な雰囲気に、客がこぞって聞き耳を立てているのがわかる。酒の肴にはもってこいの話なのだろう。


「だが、これを他の者も食べたかと思うと、妬けるな」

「…………」


 やける。

 肉や魚を焼くわけじゃないだろう。


 あまりの衝撃に思考があらぬところで停止したミランダだったが、続く衝撃には卒倒しそうになった。


「本当にワインだけでいいのか。ハージェの実、好きだろう」

 フォークに刺さったハージェの実は、酢漬けにされて焼き魚に添えられていたものだ。


 それが、リリアの目の前―――それも口元に差し出されている。


「……な、にを」

「口を開けないのか?」


 とうとう真っ赤になったリリアに対して、アルドは心底不思議そうに首を傾げた。

 しばし躊躇したリリアは、きゅっと口を引き結ぶ。


「……マナーとして、不適切だと思います。ミンティ先生なら手を叩かれてます」

「恋人同士や夫婦ではこのような食事の取り方が一般的だと聞いたが」


 誰だよ、そんなこと教えたのは、と遠くで囁きが聞こえた。


「こっ、こい…! そんなものになった覚えはないです!」

「そうなのか? 俺はリリアを誰より愛しいと思っているし、リリアは、俺を思っていてくれるのではないのか?」


 不思議を通り越して、やや怪訝そうなアルドに、今度こそリリアが絶句した。

 ぱくぱくと口を開け閉めしてから、くしゃくしゃと癖毛をかきまわし、いきなりワインを煽った。


 コン、と木のカップが小気味の良い音を立てる。


「私! 先に休ませていただきます! おやすみなさい!」

「そうか。残念だ。よい夢を」


 艶然と微笑む姿に、さらに遠くの方で悲鳴があがった。





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