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星持ちと弁当屋  作者: 久吉
第三章 王家と弁当屋
78/94

星持ち様、囲い込みの最後に。

ブックマーク5000件&500万PV御礼のリクエスト小話です。

たくさんのご愛顧、ありがとうございます!


時系列的には次の章よりあとの話になります。



 にぎやかな歓声、がなりたてる男たち。食器が合わさる音に混ざって、吟遊詩人(バード)の奏でる弦楽器の音色が響いた。


 夏の始まり、王都にほど近い町の酒場は満席だった。


 音楽を楽しむつもりのない者は引き続き料理とおしゃべりに興じているが、少なくない耳が吟遊詩人へ向けられた。


 温かな皺を頬に刻んだ吟遊詩人は甘い声で、周囲の客に何の歌がいいかと問いかける。


「じゃあ、恋の歌がいいわ!」


 燃えるような赤毛を結い上げた、まだ若い娘が手を挙げた。娘の連れがからかうように肘で小突く。


「恋の歌って、いっぱいあるじゃない」

「それがね、王都で働いてる友達がすごく素敵な歌があるって教えてくれたのよ」


 赤毛の娘のことばに、吟遊詩人がいたずらっぽく瞳をきらめかせた。


「ああ、パン屋の恋だね?」

「そう! それ」


 娘に頷き返した吟遊詩人は弦楽器を抱え直した。


 男のしなやかな指が弦の上を躍る。

 軽やかな調べと共に、男が謡い出した。



『あるところに慎ましく暮らすパン屋の娘がいた。

 身寄りを亡くし、たった一人で直向きに店を切り盛りしていた。


 あるとき娘は店を訪れた青年と恋に落ちた。

 宝石のような瞳をもつ青年だった。


 ところがある日、娘は知ってしまう。青年がこの国の王子であることを。

 泣く泣く娘は身を引こうとするが、青年は譲らない。

 だが、娘も譲らない』


 吟遊詩人が高らかに娘の心情を歌い上げる。


「私は私であることをやめられない。あなたが王子であることもやめさせるわけにはいかない。あなたと私は同じ道を歩けない」


「げほっ」


 そのとき、最大の山場を打ち破る大きな咳が響いた。

 吟遊詩人の歌声に聞き入っていた数人が、音の出所を睨む。


 食べ物か飲み物が気道に入ったのだろう。顔を真っ赤にして恥じ入るようにした女性が下を向いていた。

 口をおさえて目を白黒させているのを、隣の男性が背をさすってやっている。


 観客の気は多少逸れたが、咳くらいでは吟遊詩人は動揺もなく謡いつづける。


「だが娘を愛する青年は諦めなかった。父である王に掛け合い、娘が自分の横に立つに相応しい功績を成せば、二人の仲を認めると約束を取り付けた」


 それから二人はさまざまなパンを作った。悲しみを癒すパン、優しくなれるパン、怒りを治めるパン。


 いつしかそれらは国境を越え、国々をつなぐ架け橋となった。


 そして二人は国中の人々に祝福され、結ばれた。

 王子は王子であることを誇りに、娘はパン屋であることを誇りに。

 二人の道がひとつになった。





 惜しみ無い拍手が送られる中、吟遊詩人は恭しく頭を下げた。



 音楽がやみ、再び喧騒が戻ってきた店内で、先ほど大きく咳き込んだ女性が隣の男性を睨んだ。


「…っ、なんなんですか、あれ!」

「よくできた恋物語だった。王都で人気らしい」

 小声で言う女性に、隣に座った男性が涼やかに微笑んだ。


「なんで、てか、どうして」

「現実が噂のあとからついてくることもあるだろう」


 明らかに女性は怒っているのに、男性はそんな女性を見ているのも楽しいらしい。形の良い唇を綻ばせた。

 そして、ポケットから二つの箱を取り出す。


「どちらか、好きな方を選んでほしい。もちろん、両方でも構わないが」


 一つは手のひらに載る程度の小さな布張りの箱。もう一つはそれよりも大きい金属製の箱だった。


 女性は躊躇う素振りを見せたが、どちらも受け取らないという選択肢が許されないことはよくわかっているようで、やがて小さな箱を手に取った。


 男性の視線に促されて、女性が箱を開ける。

 そこには小さな青銀の石をおさめた指輪が入っていた。


「……これ」

「リリア、どうか俺の妻になってほしい」


 びくりと震えた女性が口を開けて固まると、周囲のテーブルから小さな悲鳴やら食器が落ちる音やらが一斉に響いた。

 酒場兼食堂で求婚(プロポーズ)とは、いささかムードに欠けるのでは、という視線が二割、あとの八割はこれから始まることを見逃すまいと向けられているようだった。


「なっ…えっ…」

「リリアの故郷では求婚の際に指輪を贈るのが一般的とライラから聞いたのだが」


 確かに、とか、でも、とかもぐもぐと女性が言うのをいとおしそうに男性が見つめる。


「そして、これがカティーラで一般的なやり方だ」


 お世辞にも美しいとは言えない酒場の床に恭しく膝をつき、男性は女性を見上げた。


 手には大きい方の箱。中身は婚姻の腕輪がおさめられていることは、カティーラの民なら開けずともわかった。


「ちょっ、膝なんてついたら…っ」

「今だけは許される。…どうか、俺の妻になってほしい」


 酒場はいつの間にか水を打ったように静まり返っていた。

 振り向いたり、あからさまに視線を向けたりこそしないが、ほとんどの客が固唾を飲んで事を見守っている。


「エディくんも…あとを継いだばかりだし、こんなこと…」

「父とエディの了解は得てある。ブリット夫人にももちろん。そして、断るのならどうか俺を理由に」


 困惑を強く宿した女性の瞳が揺れた。

 たとえ一瞬であろうとも、その揺らぎを見逃すまいと男性の灰色の眼差しはひたと据えられている。


「懸念を取り除くために尽力してきた。十分ではないと思うが、それを理由に断られるのはあきらめがつかない。だから、断るなら俺自身を理由にしてほしい。…俺が嫌いだと。同じ道は歩けないと、顔も見たくないと」


「そんな……、わけないじゃないですか」

 くしゃりと顔を歪めた女性が掌で顔を覆った。

 そんな言い方はずるい、と顔を覆う指の間からつぶやきが落ちる。


「リリア」

 男性の声は温かで、聞かずとも女性の返事をわかっているようだった。

 そして女性も、応えずにはいられないことをわかっているようだった。


 やがてゆっくりと顔を上げた女性は、どこか観念したような、少し照れたように口をとがらせる。


「……この(カティーラ)の、返事の仕方を知りません」

「断るなら席を立てばいい。受けてくれるなら、キスを」


 羞恥に頬を染め目を見開いた女性は気づかなかった。

 周囲で耳をそばだてる人たちが一斉に突っ込みを入れたことに。


 求婚の答え方はノーなら離席、イエスなら手を取って相手を立たせればいい。

 キスはあくまでも付属で、返事の代わりにするなんて聞いたこともない。


 たが、幸か不幸か、異国出身らしい女性がそれに気づくわけもない。

 うー、とか、あー、とか呻いたあと、勢いをつけて男性へ屈んだ。


「きゃあ!」

「おっ!」


 きっと頬へキスを落とすつもりだった女性と、それを見越して唇で受け止めた男性に、たくさんの歓声と祝福の拍手が浴びせられた。



 ◇◇◇◇


「うまくいって、よかったですね」


 女性の気が変わらないうちに、と星見台へ向かったカップルを見送ってから、赤毛の娘が口を開いた。


 本当に、と答えながら帽子をとった吟遊詩人は安堵のため息をついた。


「それにしても、ラシード様が吟遊詩人の真似事をなさるなんて、思いもしませんでした」

「お前の演技もなかなかだった。侍女より舞台女優が向いているのではないか」


 冷やかすような娘に、ラシードが言い返す。

 店内を見れば、同様に胸を撫で下ろした様子の客が少なからずいた。


「衆人環視でプロポーズして、断りにくくするなんて、殿下もなかなかですよね」


 それだけではない。

 自分たちのことが吟遊詩人の口に上るほど知られていると思わせたこと、断るのなら直接引導を渡せと追いつめたこと―――すべてがアルドヘルムの用意した台本通りだった。


 計画を知った少なくない支援者がここへ集まってしまったのはやや計算違いだったが、皆名優ぶりを発揮したので良しとしよう。


「ここに至るまでに随分奔走されていたからな。ようやく報われた」


 リリアが伝道役に任命されてから、アルドヘルムは新王(エディラード)夫妻の協力も受けながら、黒翼派と白翼派の解体を行い、貴族との癒着を少しずつ剥がしていった。

 長きに渡って続けられてきたそれらは未だ消えはしない。それでもリリアを守れるだけの地盤をようやく築くことができたのだ。


 ラシードも主人の思いを遂げさせることだけを考えてともに走ってきた。もちろん、リリアがアルドヘルムに王子位を捨てさせたり、安易に王兄妃になろうとするような女性なら協力はしなかっただろう。


 伝道役になってからも、リリアは悩み続けていた。想う人に想われる幸せを享受できず、責任と向き合い、自分の足で一歩ずつ歩き続けてきた。直接顔を合わせることはなかったが、そういう彼女の姿を知っていたからこそ、今回少なくない支援者が集まったのだろう。


「明日は隣国との会談でしたよね」

「ああ。それに先駆けて婚姻誓約書を出す」


 星持ちの婚姻は星見台に管理される。星見台が婚姻誓約書を受理すれば、晴れて夫婦となるのだ。


「隣国との会談を公爵夫妻として行えば、ひっくり返すことなんてもうできませんものね」


 赤毛の娘が微笑むのに頷きながら、ラシードは強く願った。


 どうか、この計画にリリアが気づきませんように、気づくとしても一日も遅いものでありますように、と。


 きっと、リリアは気づけば顔を真っ赤にして怒るだろう。

 アルドヘルムはそれを微笑みながら受け止める。

 その顔を見てしまえば、リリアも引くしかないのだろうが。



 見上げた窓からは、満天の星空が見えた。


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