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星持ちと弁当屋  作者: 久吉
第三章 王家と弁当屋
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星持ちと弁当屋。

「ありがとうございます。またどうぞ」


 本日のおすすめ弁当を買ってくれたお客さんを見送りながら、礼を言う。

 昔、バイトしてたときに、ありがとうございましたと過去形にしないこと、と教わったことがある。

 相手との関係が続くように過去形にしない、という意味があるらしい。

 それがサービス業界の真実だったのか、単に教えてくれた人の信念だったのか、もう確かめる術はないけれど、何となく気に入って、過去形にはしないでお客さんに礼を言うことにしている。



「よし、今日も煮物は順調だね」


 ジオに八つ当たりをしたあの日から、煮干しづくりに励み、ついでに干し茸にも挑戦し、ようやくそれらしいものができた。煮加減や乾燥の速度がまだつかめず、妙に生臭いものもできてしまうが、素人としては及第だろう。


 心配そうに交互に顔を出すジオとダリアには感謝してもしきれない。

 特にジオには理不尽に当たり散らした上、励まされるという非常に情けない事態をさらしてしまった。我に返ってから必死に謝ったが、リリアが元気ならいいよ、と言われてしまえばさらに申し訳ない。あー、合わせる顔がない。


 ―――そもそも、私が煮干しを作ろうと思ったのは、常々感じていた“うまみ”不足のせいだ。

 出汁といえば動物の骨でとるのが主流であるカティーラでは、調理の要は調味料。ぶっちゃけ、出汁が出てなくても濃い味つけをしてしまえばわからないじゃん、という文化だ。

 さすがに料理人がいるようなお屋敷では、そこまで雑ではないが、多くの人はパンチのあるお味に慣れ親しんでいる。


 弁当屋を始めた当初も、出汁をとる方法を考えなかった訳ではないが、何せ製法に自信がなかったのと、うまくいくかわからないことに魔石を使うのはいけない気がして手が出せなかったのだ。

 弁当は売れるし、お客さんは喜んでくれているから、いいか、と軽く考えていたのもあった。


 だが、“心”を込めていない弁当を売りはじめてから、驚くほどお客さんは減った。


 “心”の存在にはそもそも気づいていない人ばかりだと思っていたが、そうではなかったのだ。

 感じ方に個人差はかなりあるようだが、皆一様に『物足りない』、『味が変わった』と言った。手抜きして作っているのか、腕がなまったんじゃないかとひどい言われ方もした。


 原因は一つしかない。でも、どうしろと言うのだ、と躊躇っているうちに客単価が下がり、来店回数が減り、あっという間に暇な時間ができてしまったのだ。


 ―――きっと“心”を込めれば、お客さんは戻ってくる。


 でも、法整備が終わらない以上は、勝手に動くことはできない。バレなければいいじゃないか、と邪な考えも浮かんだが、必死に動いてくれているディルス公爵に申し訳ない。


 思いがけない障害に、正直私はいじけていたのだと思う。

 味が変わったって簡単に言うけど、国で禁止されてるんです!なんて布団の中で泣きながらわあわあ喚いたものだ。


 でも、いじけていても現状は変わらない。

 今ある環境でできることを考えて、やるしかない。そうジオに発破をかけられてから、“心”を込められないなら、今の自分に何ができるのかを必死に考えた。


 粉は目の細かい篩で二度ふるう、パンはしっかり発酵させる、野菜は面取りをして隠し包丁を入れる…。

 煮干しに加えて、基礎から料理を見直した。ほんのひと手間が味を左右するということを、今まで以上に意識した。


 そうして基礎から見直した弁当を売り始めてもう一月ほどが経つ。

 最近では、常連さんがちらほら戻ってきてくれた。もちろん、無意識に“心”を込めて弁当を売っていたときとの差はまだ埋められないけれど。


「はぁ…」


 お客さんは戻りつつあるが、私の見通しはまだ真っ暗だ。


 料理の基本の見直しはともかく、煮干しや干し茸を作るのはコストも手間もばかにならない。真夏なら天日干しができるが、冬の弱い日差しでは乾燥の速度が遅いためうまくできないのだ。


 理想は、製法を誰かに買ってもらって、代わりにつくってもらいたい。

 マージンをよこせとは言わないので、格安で煮干しを売ってくれ。


 だけど、こういうのって一体誰が買ってくれるんだろう?カティーラには特許庁とかないもんね。煮干しでとった出汁をポットに入れて、美味しさを説いてまわるとか?


 少し想像して、ないわ、と首を振る。


「…店を開けながらじゃムリだ」


 手詰まりなのは、日々感じている。

 このまま続けていけば、経営は危うい。味を落としたとしても優しい村の人たちは同情で弁当を買ってくれるだろうが、それは私の望むところではない。


 暗い考えを、頭を振って追い払う。

 ―――余計なことを考えるな。今できることを精一杯やって、前を向け。


 強めに打った頬をさすって、昼の仕込みに取りかかることにした。


 ◇◇◇◇◇


 昼の鐘が鳴ってから、随分陽が傾いた。今日は鉱山も暇だとおじさんたちが言っていたので、夕方のピークまでしばらく暇になりそうだった。


 昼の売れ残りでごはんにして。コーヒーでも淹れようかな。鶏そぼろを卵でとじて親子オムレツ?しっかり焼いてサンドイッチの中身にしてもいいな。


 お腹すいた、と息を吐くと白く濁った。

 カティーラの冬は、日によって寒暖差が激しい。昨日はコートもいらないくらいだったのに、今日は明け方から随分冷えた。夜半には雪でも降るかもしれない。


 こういう日は、カップをしっかり温めてあつあつのコーヒーを啜ろう。


 よし、と決めて貯蔵庫を覗いたところ、ザクリ、と店先の砂利を踏む音とともに人の気配がした。

 お。お客さんだね。


「はい!いらっしゃいま…」

 カウンターから顔を出した瞬間、目に飛び込んできたものが信じられず私は息を止めた。



 どうして。


 あっという間に干上がった口腔内に舌がはりつき、ことばが音を結ばない。


「久しぶりだな」

 冬の柔らかな陽光に輝く、艶のある漆黒の髪。美しい線を描く鼻梁、薄い唇は笑みを形作っている。


 ―――何度も、何度も夢に見た、灰色の星。


「…アルドさん…」

 呆然とつぶやいた私に、壮絶な色気で星持ち様は微笑んだ。





「今日は、王家の者として伝言を預かってきた」

 店をとりあえず閉めて、居住スペースへ入ってもらったが、我が家のリビングにアルドさんが座っていることに激しい違和感を感じる。

 インコ用の鳥かごに孔雀を突っ込んだような申し訳なさを感じる。あ、もしやこれが掃き溜めに鶴?


 あぁ、いつも私が使っているカップをアルドさんが使ってる…。

 お客さん用がうちになくて良かったと喜ぶべきか悲しむべきか。とりあえず、あのカップは洗わずに箱にでも入れて保存しようか。家宝として大事にしよう。


 そんな阿呆なことを考えていたので、反応が遅れた。


「は…え?王家の者として…ですか?」

「ああ。リリアが願ったのは弁当屋の再開と、“心”の正しい知識の普及だっただろう」


 アルドさんのことばに、こくりと頷く。

 ディルス公爵からは、法の整備には時間がかかるので待ってほしいと言われていたから、ジリ貧になっても気長に待つつもりだったんだけど。


「じゃあ、法整備が終わったんですね」

「ああ。大急ぎでまとめたから、まだ細かいところは未定だが。まずは、アカデミーで医療師長が中心になり“心”の教育を行うことになった」


 まぁ、適任だろうな。血まみれの噂が真実ではないことが明らかになったとはいえ、その事実はまだ公にはされていない。さすがにルーベントさんが教壇に立つわけにはいかないだろう。


「また、星見台を中心に講座を開いて“心”の魔力の扱い方を一般市民へ伝えていくことになった。その際に、“心”を扱える星持ちや、耐性がある星持ちが伝道役になる」


 …なんか、嫌な予感がしてきた。


「…ええっと。“心”が使えるただの弁当屋は伝道役にはならないですよね?」

 私の顔を見たアルドさんは、少し困ったように眉を寄せ、やや重たい口を開く。

 困った顔も色気があるとか、なんなんだこのイケメンめ。


「そこが、意見が分かれたところだ。リリアは星を持たないが、“心”の使い手としては医療師長に師事し、制御もできている。…伝道役にどうしても欠かせないだろうという意見の方が強かった」

「……そうですか……」


 自分の思惑とは違うところで物事が動く。

 そんなことには随分慣れたはずだったのに、言い様のない脱力感がある。


 アルドさんの喉が、静かにコーヒーを通していく。


「ただ、一方で、星を持たないイレギュラーな存在が伝道役として用いられることを不安視する声もあった」


 さもありなん。私だって不安だ。人から見たら、もっと不安だろうよ。

 てか、その不安視してる人たちが頑張れば、私伝道役にならなくて済むんじゃ?


「そこで、監視…というほどではないが、目付けとして星持ちをつけることが決まった」

「星持ち様が目付け?」


 どういうことだ。

 私が伝道役として動くのに、星持ち様がついてまわるってこと?


「それは…何て言うか、ひどい扱いですね?」

 労働力は提供しろ、でも信用できないから監視はつける、なんて人を何だと思っているんだ。私は茸を探す豚でも、喉を縛られた水鳥でもない!


「…そうだな。だが、俺としてはリリアに受け入れてほしいと思っている」


 “心”を扱うことができると確認されている人は、国内でも数えるほどしかいない。人手不足なのはわかるけど、わかりたくないのが正直なところだ。


 微かな音をたて、アルドさんがきれいな所作でカップをテーブルに戻した。そしてなぜか、その手は私の手をすくっていく。


「リリア」

「……っ、はい」

 まずい、やばい。急に手なんか握られたら気持ちが駄々漏れる。

 平常心、平常心。鼻から息を吸ってー、口からゆっくり吐くー。


「俺は、リリアと同じ道を歩きたい。だが、俺は王子として生まれたことを、なかったことにしたいとは思わない。そして、リリアの思いや生活を奪って無理矢理そばに置くこともしたくはない」


 ことばははじめ耳を滑り、時間をかけてゆっくりと落ちてきた。


 ―――同じ道って、それはどういう意味。

 そばに置けないって、どういうこと。


 強く握られた手に、顔に、一斉に熱が集まってぐらぐらと頭が揺れる。耳鳴りがする。


「どうか、気持ちをきかせてほしい」

 握られたままの手に、アルドさんの唇が落とされた。

 声にならない悲鳴をあげ手を引き抜こうとして、強く射抜かれるように向けられた瞳に息を飲む。


「俺は、リリアとともに生きていきたい。これからリリアが出会う喜びも悲しみもともに分かち合いたい。…リリアを誰よりも愛しいと思う」

「……うそ、です」


 口をついたのは猜疑のことばだったが、同時にやり場のない怒りがわいてきた。


 どうして?

 なぜ今、それを言うの?

 私の気持ちなんて知ってるくせに、同じ道を歩けないってわかってるくせに、なんで期待させるようなことを言うの?


「俺が今こうしてリリアの思いを感じているように、この気持ちも伝わったら、信じてもらえるのだろうか」


 アルドさんの瞳には、見間違えようもない、熱がこもっていた。

 どこか痛むような、乞い願うような、強い光。



 ―――ずっと、ずっと好きだった。

 遠い人だと知ってからも、どんどん良いところを見せられて、もっと好きになった。


 その人が、私を想ってくれている?


「…信じて、も、私とアルドさんが、一緒に歩ける道は、ないです」


 弁当屋を捨てられない私、生まれもった責任を捨てられないアルドさん。道はどうやったって重ならない。互いの幸せのためには、この手は離さなきゃならない。


 声が震えないよう慎重に言うと、アルドさんが左手で私の頬を拭って微笑んだ。


「だからこその、伝道役なのだ」

「……?どういうことですか」

 右手は私の手を包んだまま、左手は私の頬に添えられている。親指がゆるゆると目尻を拭っていく。


「今回の法整備は、国をあげての大々的なものになった。数年先になるとは思うが、カティーラだけでなく近隣諸国にも“心”の教育を広めていくことになるだろう」


 今まで“心”を禁忌としてきたのは、カティーラだけではない。慎重に理解を求めていかなければ、余計な火種になりかねない。

 何十年も続いてきた伝統と偏見を払拭するのは簡単なことではない。それでも、必要なことだと判断した結果らしい。


「そのときに、国で実績をつんだ伝道役は国同士の架け橋になる。名実ともに国を背負った使者だ。俺は“心”を扱える訳ではないが、王子という身分がある。リリアには身分はないが、“心”を扱える能力がある」


 ことばを切ったアルドさんが、じっと私の目をのぞく。


「二人なら、できることだと思わないか」

「………」


 私が、私のできることを続けていけば、そこにアルドさんと歩ける道がある?

 誰かに、手の中に落としてもらった身分じゃなく。誰かのためじゃなく、私のために、私自身の手で掴みにいける未来がある?


 新しくこぼれた涙を、温かい指が拭う。

 頷くことも、首を振ることもできない。


 ―――願ってもいいのか。

 本当に私の欲しいものを?


 ―――好きな人に、好きだと言ってもいいのか。

 身の程知らずに、思い思われたいと願っても?



 私の“心”を読み取ったであろうアルドさんが、一層笑みを深めた。

 いつも励まされ、癒されてきた、優しい灰色の光。


「どうか、ことばでもきかせてくれないか。伝え足りずにすれ違う時間は、勿体ないからな」


 乞うような熱をはらんだ声におされて、ゆっくりと口を開く。

 降り注ぐ星の光は優しく、伝わってくるはずもない“心”が胸を温かくする。


「私は…」


 続くことばは、落ちることなく愛しい人の唇へ吸い込まれていった。




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