星持ち様、服務中は別の顔。
『やったじゃない。随分早く卒業が決まったわね!』
無事口頭試問に通ったことをイヴに報告したところ、思った以上に喜んでくれた。通信機ごしにも、イヴの高揚が伝わってくる。
私自身、合格の報せを受けたときはライラに抱きついて泣いたものだ。
もちろん、ライラは近年まれに見る高得点を叩き出し、卒業を決めた。私のことではないが、ドヤ顔でアカデミーを練り歩きたいくらい嬉しく誇らしかった。
私の成績は誇らしいものではなかったものの、卒業は卒業だ。これでようやくブリットの姓を借りて、アルドさんに身元を保証してもらっていた肩の荷が下ろせる。
シャロンには手紙で知らせたが、アルドさんは忙しいらしくまだ報告ができていない。イヴに言ったことで伝わるかもしれないけど、やっぱり直接言いたいな。
「ありがとうございます。でも、卒業後どうするかは星見台の決定を待つことになってて」
“心”の使い手は少ない。私に魔学を学ばせたのは私を有効活用するためだということは、よくわかっている。
卒業したらハイご自由に、なんてことにはなるわけがない。もちろん、弁当屋の再開も未定だ。
『そうね…。星見台から通達がくるまでに少し時間がかかると思うわ。その前にリリアには王宮に来てほしいのよ』
「……なんでですか」
相変わらず何でもないことのように、仰天することをおっしゃいますな。
…いや、騙し討ちで王妃様に会わせたり王宮に連れて行ったりするより随分マシなのかもしれないけど。
『今回、アナスタシア様の件にリリアが関わっていたことは内密だったんだけど、どこかから漏れてしまったのよね。今までアナスタシア様が亡くなったと思い込んでいた人たちにも』
どうなっているのだ、と蚊帳の外だった貴族たちは不満を募らせているそうだ。
『別に大した説明は必要ないわ。要は王家としてリリアにアナスタシア様の治療を依頼して、それをリリアが果たしたってことを明らかにできれば』
勝手にしゃしゃり出たのではない、あくまでも王家からの依頼。そして医療師長からの紹介ということで、貴族のうるさい口を黙らせたいのだそうだ。
「…とっても嫌ですけど、拒否権はないですよね」
きっと会議のような場で説明しなければならないのだろう。大まかなところは他の人がするだろうが、気が重い。重すぎる。
『大丈夫よ。誰かがあなたを攻撃するようなことがあれば、絶対に私が守るから』
ことばだけきけば、キュンとなってもいいような殺し文句だが、発端は誰のせいだと…。いや、もういい。なにも言うまい。
普段着で構わない、とイヴには言われていたが、不意打ちだった前回はともかく、予告を受けていて普段着でのこのこ王宮に上がるほど私は図太くない。
ドレスも身のこなしも、自分を守る鎧だと思えとミンティ先生がよく言っていたことを思い出す。あの当時はピンときていなかったが、普段着で王宮に連れて行かれたときに嫌というほど意味がわかった。
ライラにそれを相談したら、ドレスを貸してくれることになった。
「今回は公に招かれているとはいえ、大きな会議ではないだろうから訪問用で構わない」
訪問用のドレスは装飾は簡素なもので、と決まっているそうたが、色合いは何でもいいらしい。
ライラが貸してくれたのは、薄青のドレス。寒色だが、ところどころレースでグラデーションを入れてあって柔らかい印象になっている。左胸から腰の右側へ立体的に花の刺繍が入っているのがかわいい。
もちろん、スカートのふくらみも控えめ。コルセットも必要ないそうで、一安心だ。
ライラに見送られて乗り込んだ馬車は、いつもイヴに用意される馬車とは違った。
絹のような布が張られた座席も、据え付けられた調度品も、セレブ感満載だ。
「あの、これって私が乗って良い馬車じゃないですよね」
すっかり顔馴染みになった御者さんに手を借りながらきくと、苦笑が返ってきた。
「今回は公に王家に招かれていますからね。落ち着かないとは思いますが我慢して下さいよ」
はあ、と微妙な返事をしながら、ふかふかの座席にそっと腰かけた。ドレスがシワになったら困るので、あくまでも浅く。
アカデミーから王宮まではさほど距離はないとはいえ、退屈だ。
ライラの手によりしっかり髪も結われているので、うっかり眠ることもできない。崩れたら直しようがないし。
そっと後頭部に手をやると、冷たい髪飾りの感触がした。
王宮に行ったら会えるだろうか。
遠目でもいいから、姿くらい見たいな。
アカデミーの卒業が決まったことを言ったら、喜んでくれるだろうか?
ああでもない、こうでもないと妄想をしているうち、馬車は王宮に滑り込んだらしい。控えめなノックののち、馬車の扉が開かれた。
「到着しましたよ。…おや。あまり緊張されていないようですね」
御者さんが手を差し出しながら、少し目を見張ったあと、微笑んだ。
「あっ…いえ。その」
…しまった。アルドさんのことを考えてニヤニヤしてたのを見られた。
高貴な方々に気味の悪い奴だと思われるのも切ないし、気を付けないと。
べちり、と頬を叩いて顔を上げると、イヴが満面の笑みで待っていた。
「リリア、久しぶりね!」
深緑のドレスを纏って悠然と微笑む姿は、まさに王女様。一分の隙もなく結われた髪の先から爪先までキラキラしている。
あまりに眩しくて、いたたまれない気分になる。
「…お招きありがとうございます」
私の心にもない台詞に、イヴが苦笑する。
「ごめんなさい。来たくなかったでしょうけど、少しだけ辛抱して。あとでアルと話す時間を必ず作るから」
申し訳なさそうなイヴの顔を見たら、来たくないと態度に出してしまったことが急に恥ずかしくなった。
「すみません。王宮に来たくなかったのは本当ですけど…。イヴさんやアルドさんには会いたかったです」
早口で詫びると、私も会いたかったわ、とイヴが花のように微笑んでくれた。
私が通されたのは、予想していた通り会議を行う部屋だった。
すでにたくさんの人たちが席についていて、こちらに視線を向けている。
面白がるようなもの、懐疑的なもの、侮蔑や嘲笑を含んだもの。
当然ながらあまりいいものはなかったが、ぐるりと見回すうちアルドさんとエディくんを見つけた。国王陛下の横には、ディルス公爵もいる。
私の視線に気づくと、エディくんは少しだけ口角を上げ、アルドさんは小さく頷いてくれた。
二人とも正装で、神々しいばかりの高貴さと美貌に畏れ多くてひれ伏しそうだが、睨まれたりしないだけで今はだいぶ救われる。
「リリア・ブリットさんをお連れしました」
イヴがそっと私の背を押しながら、紹介してくれる。
微笑みを絶やさず!と散々ミンティ先生に言われたことばを思い出しながら、腰を落として頭を下げた。
…だめだ。絶対、変な顔になってる。
「リリア・ブリットと申します」
「よく来てくれた。そこへかけてくれ」
国王陛下がイヴと私に手前の席を指し示した。
先日会ったときはラフな格好だったが、今日はかっちりとした詰襟に高そうなマントを羽織っている。うっすら光る髭といい目尻のシワといい、いぶし銀の色気が半端ない。
私とイヴが席についたのを見計らって、ディルス公爵が口を開いた。
「では、今回の議題、アナスタシア様の治療にどのようにしてリリア・ブリット殿が関わることになったのかについて、イヴェンヌ殿下からご説明を」
ライラの前では子煩悩なパパという印象しかなかったディルス公爵だが、かなりやり手の宰相というのも本当らしい。ざわついていた場の空気があっという間にピリッとした。すごい。
軽く頷いて、イヴが口を開いた。
「アナスタシア様はおよそ三十年前、原因不明の病におかされ、それ以来ずっと眠りについておられました」
アルトのしっとりとした声が、部屋に響く。
「“心”の影響によるものだということはすぐに判明したものの、国中の“心”の使い手が治療にあたっても結果は出ませんでした。現在の医療師長も治療にあたりましたが、同様でした」
イヴはゆっくりと見回しながら続ける。
「アナスタシア様が目を覚ますことは、王太子を決めるにあたってどうしても必要でした。…ここにおられる方々は、なぜなのかよくご存知でしょう」
どこか尖ったイヴの声に、何人かの視線が下がる。
アルドさんが不義の子だと主張していた人たちだろうか。
「そこで私は、医療師長に相談いたしました。そして、こちらにいるリリア・ブリットさんに治療をしてもらうことにしたのです」
「発言をお許しいただきたい」
イヴの斜め向かいに座ったチョビひげの男性が、険しい顔で手を挙げた。それを認め、ディルス公爵が頷いた。
「お言葉ですが、そのような得体の知れない者を、元とはいえ王妃殿下の側近くに上げるとはいささか軽率な行為ではありませぬか」
そう、そうですよね。それは私も思います。私自身、“心”の扱いには自信がなかったから、もしアナスタシアさんが元王妃様だと知っていたら、もっと強く抵抗したと思う。
イヴはチョビひげ男性のことばに、凄絶な微笑みを浮かべた。
「彼女は、アルドヘルム兄上が身元保証人となってアカデミーに通っています。そしてアカデミーでは医療師長に師事しています。ハノーヴァー公爵は……この二人の保証や推挙程度では、まだ彼女を信用するには足りないと?」
見るからに男性が怯み、もごもごと口をつぐんだ。ハノーヴァーってどこかできいたことがある気がしたけど、どこでだったっけ?
イヴのことばに、ざわざわとあちこちで囁きが漏れ始める。
「お静かに。発言をする場合は挙手を。殿下、つづけて頂けますか」
ポン、とディルス公爵が手を打つと、再度場が静まり返った。
ライラたん、と娘に飛びついていた男性は私の見た幻なのだろうか。
「あまり知られてはいませんが、“心”には二種類あります。一つは相手の精神に作用するもの。もう一つは使い手の思いや記憶を送るもの」
アカデミーでは“心”についてほとんど教えないため、この場にいる人の中にも、知らなかった人がいたようだ。
「精神に作用する方は熟練の技術を必要とし、医療師が主に使う“心”です。こちらの力が功を奏さないのであれば、もう一方を使うことにしたのです」
イヴが私の方を見てにっこりする。
「使い手の思いや記憶を送るには、アナスタシア様への気負いや畏怖があってはうまくいかないと思ったのです。なるべく、ありのままの“心”を送ってもらうため、彼女にはアナスタシア様が誰であるかはずっと知らせませんでした」
ええ。ずっと知りませんでしたね。
確かに知っていたら、ご飯おいしかったなーとか、アルドさんの結晶綺麗だったわーとか、送っていたとは思えない。
「彼女に治療してもらうことを打診したのは私です。アナスタシア様のことを隠していたのも私です。彼女は私に招かれて、目の前の女性に“心”を送っただけです」
私からは以上です、と締めくくったイヴは音もなく優雅に腰かけた。
発言を、とディルス公爵の隣に座った男性が手を挙げた。
「ブリット殿に依頼をした経緯はわかりました。ですが、今まで効果がなかったことを、なぜ星持ちですらない者ができたというのですか」
そうだそうだ、と同意を示す声が上がる。
私もそれは思う。そもそもルーベントさんが治療にあたったら数日で目覚めたということだから、私がいなくても良かったのでは。
「それについては、私から説明しよう」
ざわついていた場が、ディルス公爵のときとは違う雰囲気で静まり返った。
今まで黙って目を閉じてきいていた国王陛下が、おもむろに口を開いたのだ。