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星持ちと弁当屋  作者: 久吉
第三章 王家と弁当屋
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〈現在〉師弟で繋ぐものは〈別視点〉

 肩書きなんてクソ食らえだ、といつも彼は思う。


 随分前に無理矢理押しつけられた、アカデミーの医療部を束ねる医療師長という役職。

 名前だけきけば華々しいが、実際はただの何でも屋だ。


 朝も夜もなく、急患が運ばれれば治療にあたる。時間があるときには、できる限り自分より年若い者に技術を伝えるため処置に同席したりケース検討の会議を行う。そして、年に数回は各地にいる患者のもとへ回診に行く。


 アカデミーの医療師は、治療と研究を行う傍ら、国中を回診している。各地から戻った医療師の話をきき、ケースをまとめるのも彼の役目。


 要は雑務が多すぎるのだと思う。


 気づけば、同年代の友人は早い者では子どもが巣立つらしい。彼は、といえば一時期は殺意を覚えるほど運び込まれていた縁談も、ここ数年は全く見なくなった。


 今まで、将来を共にしたい、と思えた女性がいなかったわけではない。

 どの女性とも誠実に付き合っていたつもりだったが、遅かれ早かれ言われるのだ。


 私と仕事どちらが大切なの、と。


 あるときは、ベッドの中で。あるときは玄関先で。あるときは街中で買い物をしているとき。


 四六時中呼び出しの通信機が鳴ることに、女たちは神経を尖らせていた。


 いつも彼は誠実に答えた。


 命がかかっている方が大切だ、と。


 いくら愛しい恋人が待っていても、目の前に命がかかっている患者がいれば優先する。

 それができなくなれば、医療師失格だ。

 命を扱う仕事なのだから、命をおろそかにはできない。


 ある恋人は泣き崩れ、ある恋人は喚き、ある恋人は何も言わずに立ち去った。


 はじめこそ怒りや絶望にとらわれたが、繰り返すたび心は摩耗していった。


 大切な存在など、作らない方がいいのかもしれない。


 自分の大切な人が軽傷、見知らぬ人が重傷だとしたら、エリクは見知らぬ人を選ぶ。

 そこに迷いがないと言ったら嘘だ。

 だが、迷っても彼は選ばなければならない。それも、できる限り迅速に。


 その選択がひどく残酷だということも彼はよくわかっていた。


 ――だから、もういらない。


 決めてしまえば楽だった。




 妙に感傷的になるのは、雪が降っているせいか。


 早朝から運び込まれた患者、容体が急変した入院患者…。目まぐるしく治療にあたり、ようやく自室に戻ったのは夜も更けた頃だった。


 カーテンの隙間からは、こんこんと降り積もる雪が見えた。

 しっかりと窓は閉まっているが、冷たい風が差し込んでくるようだ。


 生きるということは諦めることだ、と言ったのは誰だったか。

 諦め、手離し、忘れて、ここまで歩いてきた。


 深く、息をつく。

 いつも眠る時間より随分早いが、今日は飲んで寝てしまおうか。

 入院患者の容体は安定しているし、彼の次席と言えなくもない医療師次長も今夜は医療棟につめている。

 やや頼りない男ではあるが、酒が抜けるまでくらいは一人で何とかできるだろう。


 琥珀色の瓶とグラスを持って、デスクに戻ったときに通信機が鳴った。


 俺を殺す気か、この職場は。


 自分の仕事に誇りは持っているが、忌々しいタイミングに舌打ちが出た。


『あ、リリア・ブリットです。…今お時間よろしいですか?』

 舌打ちがきこえたのだろう。名乗ったあと、しばらく躊躇う間があった。


「…ああ、構わない。急患かと思っただけだ」

『そうですか…。あの、おききしたいことがあるのですが、近々お時間いただけませんか?』



 リリア・ブリットの用件は、簡潔だった。

 王妃殿下を目覚めさせるため、必要な情報ができるだけ多く欲しい、ということだ。


 そもそも知っていたなら王妃様だと早く教えてほしかった、とブツブツ言っていたが、正確には彼女は元王妃だし、何者かなどとはきかれはしなかったから、文句を言われる筋合いではない。



 翌日早朝に会う約束をして、通信機を止めた。





「師長、顔色悪いですね」

「…人のことを言えるような顔か」

 開口一番、こちらを怪訝そうにうかがうリリア・ブリット。

 こちらの顔色が悪いと言うが、まともに寝ていないのは同じなのだろう。いつもより青白く、瞼も腫れぼったい。


「あぁ~…。わりと図太い方ですけど。さすがにあんな話をきいたら寝られませんよ」


 昨日、私的に王宮に招かれたリリアは、国王に会ったらしい。

 そこでアナスタシアが王妃であることを知り、アルドヘルムの出生時の話もきいたそうだ。


「お前が知りたいことを、俺が知っていればいいが」

 神経を鎮め、痛みを取るハーブでゆっくりとお茶を淹れる。

 労りの“心”、宥める“心”を込める。


 頑固で保守的なくせに、走り出したらそれこそ車輪が取れても止まらない阿呆な弟子だ。少しでもブレーキをかけておきたい。


「……ありがとうございます」

 一口、カップに口をつけて、リリアが微笑んだ。しっかりと“心”を読みとったようだ。先程よりも焦った様子はなくなった。



 アナスタシアが眠りについた当時のことは、エリクはあまり詳しくない。

 彼女は十八で嫁いだ。盛大に二人の結婚式が行われた頃、エリクはアカデミーにもまだ入学していない、星持ちを目指すただの貧乏貴族の次男だった。


「俺がアカデミーに入学する頃、王妃が亡くなったと発表があった。同時期に、王妃を弑した王弟が東塔に軟禁されたと囁かれるようになった」

「…血まみれ、の噂ですね」


 軽く頷きながら、また一口、お茶を飲むリリア。身体が温まってきたからか、顔色も少しずつましになってきた。


「その頃俺は根拠のない自信にあふれた、生意気なガキでな。血まみれの噂を確かめてやろうと数人の友人と東塔に忍び込んだ」


 半ば、肝試し。半ば、正義の鉄槌を下すという傲り。幼い子どもにありがちな、無謀で無茶な行動だ。


「そこで初めてルーベントと会った」


 初めて見たルーベントは、間違いなく微笑んでいたはずなのにエリクには幽鬼が佇んでいるように見えた。あとから友人にきけば、同じ感想だった。

 ぞくぞくと背筋を這い上がってくるのは、喰われる恐怖。

明らかに、踏み入れてはならないところへ、来てしまった。


 その日は友人とともに転がるように逃げ帰った。


 後から思えば、生意気なガキにはいい薬だった。思い上がったエリクの鼻っ柱はしっかりとへし折られたのだから。


「絶対に、もう二度と塔には近づかないと誓ったが、ある理由があって俺は塔に通うはめになった」


 当時、受けていた講義の一つで、エリクが“心”を扱うことに長けているということが判明したからだ。


「散々抵抗したがな。あの当時から、“心”の扱い方は公には教えられていなかった。だが、教えずに放っておくには俺の力は大きすぎたらしい。星見台と王家、アカデミーで話し合った結果、俺をルーベントに任せることになった」


ルーベントは、師として適任とは言い難かった。

そもそも、人の面倒を見ることに向いていない。放置、放任だった。


感覚でつかめ、と強引に“心”を流し込まれ、昏倒したこともある。


今思い出してもぞっとする。

よく生きていたと思う。


それでも、ルーベントはもう来るなとは言わなかった。


だからエリクは必死にかじりついた。

飲み込まれてたまるものかという気持ちもあった。“心”を扱えるというだけで、厄介払いのようにルーベントに押しつけられたことにも腹が立っていた。


絶対に、見返してやる。

いつか、認めさせてやる。


へらへら笑ってるくせに、冷めた目で俺を見るルーベントを。

腫れ物に触るように接するアカデミーの教師たちを。



奇妙な師弟関係は、少しずつ垣根のないものになり、エリクはルーベントを恐れなくなった。ルーベントはエリクにいくつかの感情を見せるようになった。

年の差はあったが、悪友と呼び合える繋がりが少しずつできていったのだ。


アカデミーをいよいよエリクが卒業するとき、答えてもらえないだろうと知りながら、ルーベントに訊ねてみた。


王妃を弑したというのは本当なのか、と。


ルーベントを知っていくほど、信じられなかったのだ。確かに彼は刹那的で、人を傷つけることを躊躇わない残酷さも持っている。


だが、一時の激情に惑わされて行動する浅慮さは彼にはなかった。

彼ならば、王妃を弑そうと決めたなら、誰にも気づかれずひっそりと行うことができるだろう。それだけの才能が彼にはある。


もしくはもっと大っぴらに行い、王家共々、跡形もなく滅ぶ道を選ぶだろう。


エリクの疑問に、ルーベントはうっそりと笑った。


「これは、僕の罪なんだ」



それきり、ルーベントは口を閉ざしてしまった。



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