星持ち様、ご自宅訪問。
昨夜から降りだした雪が、膝のあたりまで積もっていた。
私のいた村では、雪が降ることはあってもここまで積もることはなかったので、ちょっとうきうきしてしまう。人目がなかったら、かまくらでも作りたいところだ。
こういうときは馬車はどうするのだろうと思っていたが、何のことはない。魔石や星による魔力で雪をかきながら進むそうだ。
今日迎えにきてくれた御者さんは、袋に詰めた魔石を見せてくれた。
「私はあまり魔力の扱いが得意ではないのでね。魔石を使わせてもらってます」
あ、なんか親近感。最近ばりばり魔力使う人しか周りにいなかったので、すごく嬉しいです。
御者さんに手を引いてもらい馬車に乗り込むと、そこにはイヴが乗っていた。
「こんばんは」
「えっ?どうしたんですか?」
イヴは今日は深紅のドレスを着ていた。ふんわりと広がるスカートには控えめだが繊細な刺繍がされ、ところどころ宝石らしき輝きも縫い止められている。
いつも下ろしている髪も上半分を結い上げ、後ろ髪は緩く巻かれている。
普段は大食いの大酒飲みなのに、こういう格好をしていると、ちゃんと王女様に見えるから不思議だ。
「今日は少し出かけたいところがあって。ついてきてくれる?」
「…はい」
どうせ拒否権なんてないくせに、と喉まで出かかったことばをぐっと飲んだ。
相手は王族。王女様。親しく話してもらってるけど、いつ不敬だと罰されても仕方がない相手。
「いやね、そんな顔しないでよ。ちょっと会ってほしい人がいるだけだから」
私の渋い顔を見て、イヴが苦笑する。
この人たちの、ちょっと…だけ、は信じちゃいけないってことを痛いほど知るのは体感で一時間ほど経ったあとだった。
「あの…。ここって…」
目の前にそびえ立つのは、白亜の豪邸、なんてレベルじゃない。どっからどう見ても、口の回り始めた子どもだってわかる。
「お城……ですよね?」
跳ね橋を渡ると見上げるほどに巨大な門。奥には高さの違う円錐の屋根をのせた塔がいくつも立ち、渡り廊下で結ばれている。
ヨーロッパ調の、歴史を感じる建物だ。
鎧を着た人たちがあちこちに立っているのは、騎士の人だろうか?
思わず、何もしてませんと言いたくなるのは、パトカーを見るとドキッとするのと同じだろうか。
「ええ。来たのは初めて?」
さらりと答えたイヴに、当たり前だろう、と反射で叫びそうになり、ぐっと堪える。
一般人は王宮なんて一生縁はない。国王陛下が何かの行事で一般人に顔を見せるときだって、バルコニーの下から門までは貴族がひしめいていて、一般人はその後ろからよくて豆、もしくはゴマのような王様しか見られないらしい。
…あぁ、踏み入れちゃいけない一歩を、今まさに踏み出した気がする。
流されないようにと決意したのに、どんぶらこっこ流れてきてる!
苦々しい思いでいるうちに、馬車が入り口らしきところで停まった。
馬車が停まるとまずイヴが先に降りた。
エスコートを待たず、サッサと優雅に降りていくところが彼女らしい。
では私も、と降りようとしたところ誰かの手が差し出された。
「あ、大丈…」
断ろうと口にしかけ、顔をあげたところ、喜色を浮かべた灰色の瞳とぶつかった。
「手を」
「…は、い」
おそるおそる手を差し出しながら、そのまま顔を覆ってしまいたい羞恥に襲われた。
最後に会ったのは新年祭だから、かれこれ一月はあいている。
激しく動揺する気持ちを漏らさないよう、必死にコントロールする。
「…お久しぶりです」
「ああ、新年祭以来だな」
してやったり、といった風にアルドさんが微笑む。
ええ、ええ。びっくりしましたとも。
王宮には王子様がいるものでしょうけどもね。王宮に来ると知ったのもついさっきなんでね。
「…やだわぁ。大げさな話じゃなかったのね」
先を行くイヴが、こちらを振り返り渋い顔をした。
何が、ときこうとしたところ、アルドさんに軽く手を引かれる。
「身体が冷える。部屋へ行こう」
何か、ごまかされたような気もしながら、引かれるまま客間の一つへ案内された。
客間、と言っても四人家族が生活したって余りある広さだ。しかも、出口ではない扉がいくつかあるので、どうせ寝室と浴室が別でついているんだろう。
落ち着いた赤茶のカーペットはフカフカだし、テーブルや椅子も磨きこまれ、汚れひとつ見当たらない。さすが王宮。手もお金もかかってる。
「ありがとう。あとは自分たちでやるから下がっていいわ」
侍女らしき人が茶器と酒器、それに茶菓子や果物を持ってきてくれた。そのまま支度しようとするのを、イヴがとどめる。
彼女の屋敷でもそうだったが、あまり人に給仕されるのを好まないらしい。
私としても、気楽で有り難い。
…いや、よく考えたら王子様と王女様と部屋に残されることの何が気楽だって話だが。
深く考えたら負けだ。考えるな。
「さて、アルは何を飲む?」
言いながら、イヴはゴブレットを二つ出し、ワインをたっぷり注ぐ。
年代物の赤ワインらしく、注がれるそばから豊かな薫りが鼻をくすぐっていく。
「はい、リリア」
私はお茶をと言う前にゴブレットが目の前に置かれる。もう一つは当然イヴの前だ。
アルドさんはちょっと目を見開いて、私のゴブレットとイヴのものを見ていた。
「もう、飲むのか」
「ええ。だっていつ終わるかわからないし。リリア、結構イケる口なのよ」
いやぁあぁ!やめて!!
村にいるときはおじさん連中に混じってどんちゃんやっていたものだが、身近に好きな人がいたらもっと自制してた。
少量飲んで、酔っちゃった…なんて頬を染めるのが女子だろう!
あっちのワインがおいしかった、このおつまみとの組み合わせが抜群だ、と蘊蓄をたれながらボトルを空けていくのなんて、全然、ちっともかわいくない!!
なんと言い訳しようか内心のたうちまわっていたところ、アルドさんがふと微笑んだ。
「では、俺も同じものを」
そしてなぜかゴブレットを私に差し出してきた。
テーブルの上のボトルはイヴの目の前にある。私からも届かない訳ではないが、なぜ?
「あー、はいはい。リリアついであげなさいよ」
うんざりした様子のイヴにボトルを渡される。
戸惑いつつも、アルドさんのゴブレットに向けてボトルを傾けた。瓶越しでも“心”が入ってしまうだろうか?
今この動揺した状態で、無心は絶対無理だ。良くないものを盛ってしまう。呼吸をしてなんとか込める“心”を整えた。
今朝雪を見たときに感じた気持ち、手袋にのった雪の結晶を見たときの気持ち。
“心”を含んだであろうワインが、静かに注がれていった。
「じゃあ、この夜に」
イヴが満足げに微笑みゴブレットをかかげる。
合わさる三つの陶器が、涼やかな音を立てた。