〈幕間〉ある従者の胃が痛い仕事〈別視点〉
※本日、二話更新(二話目)
なんでこんなことになった、と本日何度目かわからないため息をピーターはついた。
ピーターの仕える主人はとても気が強く、我が強く、言い出したら絶対に退かない。
だから、彼女が自分にお願いという名の命令を下した時点で逃げ場はどこにもなかったのだが。
「話とは、なんだ」
凍てつくような灰色の瞳がピーターを貫く。
少しの間、黒髪の女性からアルドヘルム殿下を引き離すこと。
ただそれだけだが、こんなにも難しい。ピーターの虚弱な胃はすでに捩れるほど痛い。
「あー…。えっとですねぇ」
真冬だというのにだらだらと汗をかいているピーターを、アルドヘルムは不審そうに見る。
「何もないなら、失礼する。連れを待たせている」
「うぁあ!待って、待ってください!あの、その連れの女性に新年祭の贈り物はされたんですか?!」
苦し紛れのピーターの叫びに、アルドヘルムが足を止めた。
今戻らせたら、自分の命はない!城壁かどこかから裸で逆さづりくらい、やられかねない!
「…まだだが」
「でしたら!今!お待たせしている間に、ご用意なされては?きっと喜ばれますよ」
言いながら、手近な屋台へアルドヘルムを誘う。
アルドヘルムはやや逡巡していたが、後夜祭を一緒に見て贈り物がないなんて女性はがっかりするだろう、と言うと、屋台へようやく目を向けてくれた。
「お!なんだい、兄さん。コレに贈り物かい?」
話をきいていたらしい店主が、小指を立てながら声をかけてきた。
庶民の間ではよく使われるその仕草は、残念ながら育ちの良い第一王子には伝わらなかったが。
「連れの女性に贈りたいのだが」
売り物を眺めながら、店主に告げる。
「じゃあ、これなんかどうだい!」
店主が出してきたのは花を象った大粒の宝石を散らした髪飾りだった。アルドヘルムとピーターの身なりがいいことを見て、高いものを薦めてきたらしい。
「…いや、できれば花より結晶がいい」
すげなく断られ、店主は奥からいくつかの品を出してきた。
「こいつらは一点ものなんでね、売らずにしまっとこうと思ったんですが、兄さんになら売ってもいいですぜ」
確かに、すでに屋台に並んでいる品物とは比べ物にならないほど、精巧で美しい造形だった。六角形の結晶、十二角形のもの、どれも金属で細かく編まれ、細かい宝石が散らしてある。
「では、これを」
「まいどありい!」
アルドヘルムが選んだものを、店主が箱に入れている間、再度灰色の瞳かピーターに向けられた。
「贈り物を用意させることが目的ではないのだろう」
「うぇっ、あぁ~…」
ピーターは痛む胃を抱えて、地に視線をずらした。
もういいか。だいぶ時間は稼いだはずだ。バレたらひどく罵倒されるだろうが、ピーターにとってはアルドヘルムに静かに怒られる方がよっぽど胃にくる。
「もう、想像はついていると思いますけれど。イヴェンヌ様があの女性と話がしたいと言われたんですよ」
「お前が出てきた時点で、イヴが関わっていることはわかったが…。なぜ、イヴがリリアと話をしたがる?」
ピーターがあの女性と言ったところで、アルドヘルムの周りの空気が冷え込んだような気がする。
喉元を冷たい手で締め上げられるような、息苦しさ。
ピーターはごくりと息をのんだ。
「…イヴェンヌ様もですが、あの女性は今多くの人から関心を持たれています。“心”を使えることももちろん、殿下と親しくしていることが最大の理由ですよ」
アルドヘルムは苦々しい顔をしたものの、何も言わない。
「過激派の中には、彼女を取り込んで殿下を思い通りにしようとか、これ以上親しくなる前に害してしまおうとか、そういう意見もあるら…」
そこまで言ってしまってから、ピーターは激しく後悔した。
「いやいやいや!!自分はそんなことこれっぽっちも思ってないですって!!」
怖い、なんてもんじゃない。穢れなき王子、清廉潔白な王子はどこにいった。
ピーターは慌てて弁解するが、アルドヘルムの眼差しは変わらない。
「…そろそろ、決めなきゃいけないんだと思いますよ。あと一年しかないんですし。三派とも必死になってくる中に、あの女性はもう巻き込まれてるんですから」
今すぐ、リリアを切り捨てたとしても、間に合わないだろう。
利用されないように、どこかへ隠しておくくらいがせいぜいか。
ピーターのことばに、アルドヘルムは答えなかった。
ただ、確かにその瞳には迷いと熱が揺らめいていた。