星持ち様、お迎えにいらっしゃる。
「さあ!リリアちゃん。準備しましょうか」
うきうき、といった表現がぴったりな公爵夫人が櫛を持って近づいてきた。
味のわからない朝食をとったあと、公爵夫人のお部屋へ案内されたのだ。
夫人の部屋は意外にも小ぢんまりしている。調度品も落ち着いていて、センスが光るお部屋だ。
「あらまあ。ライラにやられちゃった感じかしら?」
浮かない顔の私に気づいて夫人が苦笑する。
「いやもう…。好きな人がいるっていうのはきいてましたけど、後夜祭デートなんて…。しかもアルドさんと二人きりになっちゃうし」
「あら、いいじゃないの。ライラも頑張るって言ってたし、リリアちゃんもね」
うふふ、と夫人は楽しげだ。
一番気にかかるのは、迎えにきたアルドさんが、ライラはいないのかと落胆することだ。
久しぶりにライラとゆっくり話せると言ってたのに、お前しかいないのかよと思われたら。
そもそも、一般市民の私が王子様と二人きり。ライラがいれば王太子妃候補者とその付き添いくらいで許されるかもしれないが、二人きりなんて身分違いも甚だしいのでは。
不安を言うと、夫人は首を振った。
「いくらにぶちんの殿下でもそんなことはしないと思うわよ。それに身分違いだなんて、そもそも誘ってきたのはあっちなんだから」
にぶちん…。一国の王子を捕まえてにぶちん。
私の髪を梳りながら夫人が懐かしそうに言う。
「身分っていえばね、私はもとは子爵家の娘なのよ。この家に嫁ぐときも嫁いだ後も、随分言われたい放題だったわ」
「言われたい放題…」
「ええ。何度もあきらめようと思ったけど、どうしてもあの人を他の人には渡したくなかったの」
ふふ、と微笑む夫人はとてもかわいい。今でも宰相閣下のことが大好きなんだろうな。
「身分の壁を越えたと思ったら、今度は跡継ぎ問題があって。男の子を産めないなら離縁した方が良いっていまだに言われるのよ」
貴族の間ではよくある話だというのはきいたことがある。カティーラでは女子が跡を継ぐこともないわけではないが、やはり男子が継ぐのが普通だ。特に名門の貴族になると、跡継ぎの男子が強く望まれるらしい。
でも、結婚して二十年近く経っても、まだそんな話が?
「そうしたらね、ライラがアカデミーに入るときに、『優秀な婿を捕まえてきて、私が家を継ぐから何も気にしなくていい』って言ってくれたの」
夫人の細い指で、私の癖毛がゆるく複雑に編まれていく。強く引っ張られると頭痛がするので、ありがたい。
「ライラから好きな人がいるってきかされたとき驚いたけど…。あの子なら身分もしがらみも乗り越えて、やりきるんじゃないかしら」
あ、ちなみにパパは知らないから黙っていてねと夫人はにっこり。
「リリアちゃんも、味方はたくさんいるんだから、正直に欲しがってもいいのよ。あなたが望むなら、ライラも私たちも全力で補佐するわ」
正直に欲しがる。
ただそれだけが、私にとってとても難しい。
この世界で生きていくことだけで、私にとっては精一杯なのだ。
国の補助がなければ、私はここで生きていくことさえ困難だ。生かされている、といつも思うのに、さらに欲しがってもいいのか。
星に導かれるこの世界の人たち。星には決して導いてはもらえない私。
どれだけ馴染んだように思えても、最後のラインはここで分かたれる。
「正直に…ってとても難しいですね」
諦めたように笑うことしか、私にはできなかった。
公爵夫人に髪を結ってもらい、薄化粧もし、ドレスも貸してもらった。
ちなみにドレスは、レースをたっぷり使ったボリュームあるものを勧められたので全力で辞退。交渉の結果、ごく控えめなドレスで許してもらうことができた。
「よく似合ってるわ。ライラは撫で肩だからこれは着こなせなかったのだけど、あなたは肩も綺麗だからとてもいいわ」
上から下まで念入りにチェックして公爵夫人が頷いた。
ドレスの色はサーモンピンク。レースは襟と袖に控えめに縫いつけられていて、露出もごくわずか。スカートの膨らみもささやかで、動きやすそうだ。
上品なドレスを纏い薄化粧を施された私は、どこぞのお嬢様と言えなくもない(かもしれない)。
「奥様、アルドヘルム殿下がいらっしゃいました」
使用人の方が声をかけてきた。
ひぇっ、と心臓が飛び上がる。
アルドさんが来てしまった。どうしよう。心の準備が全くできてない。
公爵夫人に送り出され、あわあわと覚束ない足取りで客間へ行くと、アルドさんがお茶を飲んでいた。
「あ、あの。お待たせいたしました」
スカートの裾をつまんで淑女の礼。しゃべり方も仕草も、かしこまってないと恥ずかしくていたたまれない。
「いや。気が逸って、予定より早く来てしまった。…よく似合っている」
お世辞だと十分わかっているが、ストレートに誉められて顔が熱くなる。
「あ、りがとうございます。あの、昨日の聖祭事、とても素晴らしかったです」
今でも思い返すとドキドキする。陽光に舞い散る氷の粒。その向こうにいるアルドさん。
「そういえば、随分熱心に眺めていたな」
ふっ、とアルドさんが微笑むので、あらぬ解釈をしそうになる。
いかんいかん。この人は、皆に優しい王子様。
「後夜祭が始まるまでは少し間がある。気に入ったのなら水場で見せよう」
「えっ!いいんですか?」
間近でダイヤモンドダストが見られることと、後夜祭の前に二人で出かけられることの両方が驚きだ。
ちなみにライラがいないことは、アルドさんも手紙をもらっていて事前に知っていたそうだ。
昔から言い出したら退かないからな、と苦笑していた。
街の外れにちょうど手頃な池があるということで、そこでダイヤモンドダストを作ってもらうことになった。
馬車を使ったので、さほど時間はかからず目的の池に到着した。
「大きい!」
池、ときいていたので溜め池みたいなものを想像していたのだが、池というよりは湖に近い。
澄んだ水面には、たくさんの魚の背がキラキラと輝いている。手を浸してみると、とても冷たい。
魚を捕まえられないものかと身を乗り出していると、そっと肩をつかまれた。
「あまり乗り出すと危ない。せっかくのドレスも濡れてしまう」
ごもっとも、と手と身体を引っ込める。
いい年して池ごときではしゃぐなんて…!と羞恥が襲うが、アルドさんは気にしていないようだ。
周りに人影がないことを確認してから、ぐるりと池を囲むように、水のカーテンを作った。
「これ、どうやってやるんですか?」
「水を集めて風で支えただけだ。風で支えないと、物は下に落ちてしまう」
重力がありますからね。無重力状態にしてるようなもんかな?
「魔力を加えて、液体を固体に変える」
一際アルドさんの星が光り、サァッと水のカーテンが細かい氷の粒に変わった。
「あとは、風で流すだけだ」
緩やかに腕を払うと、ダイヤモンドダストが降り注いできた。
魔学の基礎は学んだので、アルドさんが今説明してくれたことがそんなに難しいことだとは思わない。
だが、それと目の前の光景とが結びつかないのだ。
「アルドさん、すごいですね。理論はわかっても、私にはこんな綺麗なものは作れません」
どんなに勉強しても、無理なのだ。せっかくアカデミーに入れてもらったのに、できることはごくわずかで。
羨ましいな。アルドさんが簡単にそれを手に入れたとは思わないけど、やっぱり羨ましい。
「リリアには、リリアにしかできないことがある。同じである必要はないだろう」
アルドさんのことばに、ひやりと腹の底が冷えた。
違いがあってもいいよと、綺麗事ではよく言う。だが、皆の羽根は白なのに、自分だけグレーだったらそれが言えるか?
この世界にきてから、ずっと抱いてきた劣等感。
「…私にしかできないことって、何でしょうかね」
美人な訳でもない、際立って賢いわけでもない。魔力に関しては、大した効果は期待できない“心”しか使えない。
生きる意味を探すほど青くはないけれど、迷ってしまうほどには未熟者なんだろう。
いつの間にか固く握った私の手に、アルドさんの手が触れた。