〈幕間〉ある公爵令嬢の思惑 2〈別視点〉
アカデミーに入学してからも、彼女の生活はほとんど変わりはなかった。
いつも多くの人に囲まれ、ごく自然に学び、期待された以上の結果を出した。
実技は“心”以外はあまり使った経験がなかったが、学科の基礎ができていたため半年もしないうちに難なく扱えるようになった。
退屈さえ感じるほどの日々は六年目を迎えようとしていた。来年の今頃には、無事アカデミーを卒業し星持ちとして認められるだろうと、周囲も彼女自身も確信を持っていた。
「あら、見て。エディラード様よ。いつお見かけしても本当に素敵」
彼女の取り巻きの令嬢が頬を染めた。
彼女と同時期に入学してきた第二王子は、第一王子ほどではないものの優秀な成績を修めているようだ。
未来の王もしくは王弟殿下ということで、すり寄っていく者も多いようだが、エディラードは特定の人とは特に親しくしていないようだ。
賢い選択だ、と彼女は思う。
親しくする者がいれば、隙が必ずできる。
そこを狙われるだけの身分を彼はもっているのだ。
すっかりその気になった両親の後押しで、彼女は王太子妃候補に名を連ねることができた。家柄や彼女自身の才を考えれば当然のことだと思う。
自分の持った素晴らしさを余すことなく発揮できるのは、王太子妃ひいては王妃の座しかない。
出会った日に自分のことばを信じダンスを踊ったアルドヘルムは、人を疑うことを知らないようだった。まさか足を痛めたプレデビューの令嬢が、衆目を集めることを目的にダンスに誘ったとは思いもしなかったようだ。いい思い出ができたと礼を言えば、足を大事に、と返してきた。
随分と御しやすそうな男だ。彼を王に据え、自分が王妃となればどんなに愉快な生活が待っていることか。
一方、エディラードはどうも食えない男だ。
表面は人好きのする笑顔を浮かべておきながら、腹の底では何手か先をすでに読んでいる。読みの浅い人間には『愛想の良い天使のような第二王子』に見えるらしいが、彼女には彼の本性が透けて見えた。
彼は、自分と同じ類の人間だ。人の闇を知り、自分の闇を知り、それを利用する。
何度か彼女も接触したが、うまくいなされて終わってしまった。
もう少し交友を深めておきたいが、と思ううちに彼はアカデミーを卒業していった。兄ほどではないが、六年足らずで卒業していき二等の星持ちとして認められたそうだ。
まあ、このままいけばアルドヘルムが王となるだろう。
年齢的にもそろそろ継承してもいいはずだ。
その頃に彼の隣に立つのが自分であるように。
できることを、精一杯やっておかなくては。
アカデミーに現在いる王太子妃候補は黒翼派の自分とディルス公爵令嬢、白翼派のハノーヴァー公爵令嬢。かつては黒翼、白翼あわせて五名いた。
一人は執事との恋に走り出奔。もう一人であるバーロウ侯爵令嬢は成績がふるわず、候補から外れた。
どちらも、心に秘めていた恋心や不満を少し煽ってやっただけだ。
ハノーヴァー公爵令嬢は、身分こそ高いもののいかにも頭が足りなさそうな令嬢だったので敵ではないだろうと放っておくことにした。容姿もそれほどのものではない。髪色も目立たないし、瞳も錆のような色だ。
どれも大したことがない令嬢だった。柔らかく傷つきやすい心の隙間をぬって闇を流し込むだけだ。精神に異常をきたすほどの“心”ではないので、誰にも気づかれない。
そもそも、元々は本人たちが持っていた思いなのだ。それに自分は少し手を加えただけ。
気に入らないのは、ディルス公爵令嬢だ。
自分より二年遅れて入学してきたライラ・ディルスはすぐに頭角を現した。実技でも、学科でも、飄々とした様子で優秀な成績を修めた。
本人もディルス公爵も、王太子妃候補には挙がっていても乗り気ではないらしい。だが、とても目障りだ。
褒めそやされるのは、自分だけでいい。
直接手を出すのは露見した時にまずいので、取り巻きの令嬢を使うことにした。
ライラ・ディルスは多くの令嬢によく思われていなかったため、使うのはどれでもよかったが、落ちこぼれた挙げ句に王太子妃候補から外れたナージェ・バーロウに決めた。
せいぜい使ってやらないと、あまりに浮かばれないだろう。
食べ物や皮膚接触などから、彼女の持つ闇に“心”を注ぎ込んでやった。
怒り、憎しみ、妬み。
やりすぎると、勘の良い人間に悟られる恐れがあるので、少しずつ加減をしながら。
そんなある日、父から手紙が届いた。
手紙には、近々アカデミーに入学するリリア・ブリットという女性を見張れ、とあった。
父によれば、リリア・ブリットは貴族の令嬢でもなく、特に目立った才能があるわけでもないらしい。学科専攻で入学することになるため、星持ちになるわけでもないようだ。
問題なのは、リリア・ブリットの身元保証人がアルドヘルムだということだった。
一度目を通しただけでは信じられなかった。
アルドヘルムは真っ直ぐで責任感が強く、人が良すぎるとさえ思えるような男だったが、王族たる自覚は十分に持っている。おいそれと一般市民の身元保証などするはずがなかった。
一体、なぜ。
父は、まさか王太子妃候補には入らないとは思うが、第二王子とも交友があるようなので十分注意するように、と締めくくっていた。
エディラードとも?
あの男が特定の人物と交友?
胸に真っ黒な闇が広がる。
私の物になるべきの王太子妃の座。王妃の座。
そのためには、邪魔なものを片付けておかないと。
チャンスは、意外に早く巡ってきた。
「このようなところで、何をなさっておられるの」
魔力を纏ったナージェ・バーロウの腕をねじりあげたのは、黒髪にこげ茶の瞳の地味な娘。
背も小さく、胸や尻も申し訳程度。
これが、リリア・ブリットか。
遠目では姿を確認していたが、目の前で見るのは初めてだ。
なぜ、こんな薄汚い小娘が、アルドヘルムの身元保証を受けている。
冷たい炎が胸で燃え盛る。
ふとそのとき、リリア・ブリットの手から、ナージェ・バーロウの腕へごくわずかな“心”が送り込まれるのを感じた。
“心”?こいつも使えるのか?
まさか、と目を疑う間もなく、ナージェ・バーロウが悲鳴を上げ、こちらへと逃げてきた。
リリア・ブリットは何事かと口を開け、ぽかんとしている。
足元でがくがくと震えるナージェ・バーロウに手を触れると、ボロボロと精神が崩壊する音がきこえるようだった。
ああ、かわいそうに。壊れてしまいましたわ。
壊したのは、わたくしではないけれど。
高く笑い出しそうな気持ちを、何とか抑えてリリア・ブリットへ言う。
彼女の場合、未遂だったということで許してもらえないか、と。
お前は“心”で害を加えたのだから、完遂だが。
こちらの思惑には気づくこともせず、愚かな娘は頷いたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次も別視点で、そのあと本編へ戻る予定です。
人物が増え、ややこしいという意見もいただきましたので、出揃ったら簡単な人物紹介も出したいと思います。