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星持ちと弁当屋  作者: 久吉
第二章 アカデミーと弁当屋
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〈幕間〉ある公爵令嬢の思惑 1〈別視点〉

 幼い頃から、褒めそやす声や眼差しに囲まれて生きてきた。

 月光を具現化したような銀の髪、とろりと艶を含んだ琥珀の瞳。肌はしっかりと磨きこまれ、真珠の輝きを宿している。


 貴族の令嬢として必要な教育も、魔学も、呼吸をするようにごく自然に身についた。


 カティーラでは貴族の子息や令嬢はアカデミーに積極的に入学したがるものだ。

 例え星持ちに足ると認められなくても、アカデミーで魔学を修めたいう経歴がある種のステイタスになるからだ。


 彼女自身も、当然そう考えていた。しかし、彼女を溺愛する両親がなかなか彼女を手放したがらなかった。

 何とか両親を説得して彼女のアカデミー入学が決定したのは十二のとき。


 それと時を同じくして、彼女の社交界デビューが決まった。

 正確にはデビューではない。貴族の社交界デビューは十六に行うのが正式な形だが、アカデミーに入学してしまうと当然社交界には簡単には出てこられない。そのため、プレデビューとして入学前に簡単にお披露目をするのが慣例になっているのだ。

 今回のパーティーでは彼女より二つ下の第二王子もプレデビューするそうだ。王女殿下はもちろんのこと、すでに王宮を離れて星持ちとして第一線で活躍する第一王子も祝いに駆けつけるとのことで、令嬢たちは色めき立っている。



 淡い紫の薄絹を何枚も重ねたドレスを纏った彼女は妖精のようだと口々に讃えられた。

 プレデビューとは思えない堂々とした物腰や気品には王者の素質があるのではないかと囁く者さえいた。

 彼女自身は褒められ慣れていたので、今更それらに心を動かされることはなかったが、周囲に傅かれて当然である自分を誇らしく思っていた。

 とっておきの笑みを浮かべ、時に謙虚に、時に優雅に周囲をあしらった。


 パーティーが中盤に差し掛かった頃、彼女はそっと会場を離れ、庭園に出られるテラスへ行った。


 手頃な椅子を見つけ、腰を下ろす。

 周囲に誰もいないことを確認してから、そっと右足を華奢な靴から引き抜いた。


 想像していた通り、踵が赤く腫れ上がってしまっている。同じ痛みが左足にもあるので、同じことになっているのだろう。

 美しく見せるため、と普段より踵が高い靴を履いたせいだ。

 靴ごときに負けた自分が何より悔しいが、このままではこれから始まるダンスには出られない。

 もうすぐ王子殿下や王女殿下がいらっしゃるというのに。


 何とか痛みを逃がせないものか、腫れに手を当てるとじくじくと痛みが増した。


 せめて何か冷やすものでもあればいいのだが。

 はしたないとは思いつつ、そっと足を地に下ろし、ため息をつく。


 そのときだった。


「…誰かいるのか」

 薄暗い中、低いがよく響く男性の声がして、慌てて靴に足をねじこんだ。

 途端に鋭い痛みが両足を襲う。



「…っ」

 思わず痛みに顔をしかめてしまう。


 なんて失態を。顔から火が出るほど恥ずかしい。

 いつも微笑みを絶やさず、何事にも動じない悠然とした姿が理想の淑女なのに。


 声をかけられたのだから、目の前の男性に挨拶をしなければと思うのだが、顔をなかなか上げられない。


 ふと、男性が近づいてくる気配がした。

 ハッと視線を上げると、自分の足元に男性が跪いている。

「…っ!なにを…」

 無礼な、と叫ぼうとして、男性の姿に見覚えがあることに気づく。

 黒い詰襟の上着、濡れたように艶のある黒髪に、星を閉じ込めたように輝く灰色の瞳。整った鼻梁の下には薄い唇。


 なぜこんなところに、と絶句してしまう。


 プレデビューの自分にだって、彼がこんなところにいるべき人ではないことくらいわかる。

 何をやっているのだ。


 訝しげな彼女の視線には気づかないのか、男性は静かな声できいてくる。

「足を痛めたのか」

「……はい。お恥ずかしいことですわ」

 再びうつむいた彼女は、次にきこえたことばに耳を疑った。


「簡単な傷なら治せるが。足を出せるか」

 ――何を言うのだ。

 いくら正式なデビュー前とはいえ、足を出せるかだと?

 あまりにも屈辱的ではないか。

 貴族の女性にとっては、足をさらすのは非常に恥だと言われている。


 今の彼女は素足でこそないが、ごく薄い肌の色と馴染む絹の靴下しか履いていない。

 答えようのない彼女に、男性は続ける。


「このままでは会場に戻るのもつらいだろう」

 灰色の瞳には、気遣う色が見える。

 女性に恥をかかせるというよりは、プレデビューの子どもが困っている程度の認識しかないのだろう。完全に見くびられている。


 悔しい。


 しばし唇を引き結んでいた彼女だが、やがて顔を上げた。


「…では申し訳ありませんが、腫れを少しとっていただけますか」

 きちんとした治療をするためには、素足をさらさなければならない。絹を間に挟んだ治療では、腫れをとるくらいが精一杯だろう。素足をさらすのは、彼女の矜持がどうしても許さなかった。


 男性は頷き、一言断ってから彼女の足を手に取った。

 羞恥に頬が熱くなるが、男性は全く気にしていないようで、すぐに水と風の魔力を患部に送り始めた。

 痛みがやわらぐとともに、男性の襟元でエメラルドとターコイズを混ぜ合わせたような星が燦然と輝く。

 こんなにも美しい星は初めて見た。

 彼女の星の輝きも見惚れるほど美しい、と周囲にはよく言われていたが、男性の輝きには遠く及ばない。


 美しい。これが手に入ったらどんなに気分がいいか。


 男性の手が触れていたのは、時間にしたらほんのわずかだった。

 そっと手が離れていくので、なるべく優雅に見えるように靴へ足を戻した。


「立てるか」

 先に立ち上がった男性が手を差し出しながらきいてくる。

 一瞬迷ったが、頷いて男性の手を取った。

 立ち上がると、やはり足に痛みがある。だが、歩けないほどではない。


「つかまるといい」

 足の具合を確かめる彼女に差し出されたのは男性の腕。

 この腕を取ることにどんな意味があるのかを、プレデビューの彼女でもよく知っていた。


 だからこそ、これはチャンスだと思ったのだ。


 今から自分が男性と会場に戻れば、皆は注目し彼女の価値は高まるだろう。場合によっては王や王妃の目にとまるかもしれない。

 一曲踊ってもらうことができれば、それは盤石のものになろう。


 自分の思惑を隠した、狙い通りの表情を彼女は浮かべた。

 心細いような、落胆を隠せないような、哀願の表情。


「…ありがとうございます。あの、もしよろしければ一曲踊っていただけませんか。プレデビューで踊るのが夢だったのですが、このような足では…」

 踊ってもらう際に、まず足の怪我を伝えなくてはならない。それは自分にとって恥ずかしいことだと言えば、男性は少し迷ったのち頷いてくれた。


 第一王子と腕を組み会場に戻った娘を見て、両親は涙せんばかりに喜んだ。


「サリー、お前はなんて素晴らしい娘なんだ。アルドヘルム様に目をかけていただけるとは」

「そうね。年齢的にはエディラード様の方がサリーにはちょうど良いけれど、アルドヘルム様は人柄もよくお優しい方だときいているし、次期国王の呼び声も高いわ。アルドヘルム様に見初められれば、ゆくゆくは王妃になれるかもしれないのよ」


 第一王子であるアルドヘルムは今年二十二になる。カティーラでは一般的に男性でも二十五くらいには結婚するものだから、彼女が成人する頃にはやや適齢期を過ぎてしまう。だが、それでも第一王子だ。いまだ現役の王は第一王子に王位を譲る意向らしいし、黒翼派と言われるアルドヘルムを時期王にと考える派閥も大きな勢力を持っている。白翼派も決して勢力が弱いわけではないが、エディラード本人が王位継承に積極的でないことと、年齢もまだ十と幼いことからどうしても劣勢らしい。もう一人緋翼派に推されているルーベントはアカデミーに軟禁されているということなので、事実上は王位継承争いには参加していない。


「わたくしが、アルドヘルム様に目をかけていただけるなんて」

 当然のことでしょう、と心でつぶやく。

 そんなつぶやきはおくびにも出さず、父の手をとり、そっと“心”を送り込んだ。


「でも、わたくしがアルドヘルム様の伴侶になれるのでしたら、こんな喜びはありません。お父様もそう思われるでしょう?」

 父の中にある、娘を王太子妃、ゆくゆくは王妃に、という思いにゆっくりと魔力を注ぎ込む。

 “心”は目に見えない。気配に敏い熟練した星持ちなら送り込まれた“心”に気づくかもしれないが、両親程度の能力では無理だ。

 父の瞳にありありと欲望と自信が浮かんだ。


「そうだな。王妃にふさわしいのはサリーだ。婚約者候補に加えて頂けるよう進言しよう」

 まあ、嬉しいと口元を隠す。にんまりと口角を上げたのを見られないためにだ。

 父は要職を賜っている。その娘である自分が婚約者候補に加わることは、至極当然のことだ。

 そうなると、他の候補が邪魔だ。


 幸い、現在名が挙がっている婚約者候補は、ほとんどがアカデミーに在籍している。

 入学すれば、近づくのはたやすいだろう。


 人は、とても繊細だ。


 少し手を加えて揺さぶってやれば心はあっという間に燃え上がったり、輝きを失ったりする。


 彼女には手に取るように人の闇がわかった。



 それは、彼女自身が大きな闇を持っていることに他ならないということを、誰より彼女自身が知っていた。



次の話も、別視点です。


…親切が仇になる、かわいそうな人w

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