星持ち様、見舞いに来てくださる。
再び目を覚ました時に見えたのは、白い天井。
見慣れない景色に、頭を動かそうとするとうまく身体が動かせない。手足の先まで水袋にでもなったかのように重い。
頭をわずかに動かしたせいか、ぐるぐると天井が回り始める。
「…っ」
思わず呻くと、近くで人の気配が動いた。
「気づかれましたか。ここは医療棟ですよ」
私をのぞきこんできたのは、医療師の白い制服を着た、年嵩の女性だった。
あまり欲しくはないかもしれないが、と私の手に水差しを渡した女性は、枕元の通信機に魔力を送り込み、誰かと話し始めた。
やっとの思いで水を一口、二口飲み終わる頃、エリクさんが部屋に入ってきた。
「…よく頑張ったな」
私の姿を見て、凄まじい色気の微笑みを浮かべる医療師長様。
…なんだろう、この心的ダメージは。目覚めたばかりに、刺激が強すぎる。
エリクさんの説明では、私は大浴場を出たところで何者かに襲われたらしい。
腹部の傷が特に大きかったが、背中の傷の一ヶ所は肺まで達する深いものだったそうだ。
恐る恐る身体のあちこちを触ってみるが、痛みはない。何となく、麻酔が効いているときのような腫れぼったい感じが腹部と背中にあるので、そこが怪我したところなのだろう。
「ライラ・ディルスがいなかったら、間に合ったかどうかわからない」
私が帰ってこないことを不審に思ったライラが、廊下で倒れた私を見つけ応急処置をしてくれたそうだ。
一瞬、パッとあのときの情景が蘇った。
そうだ。あのとき、確かに、私は見た。
灼ける熱さ、赤い色、そして紫。
「あの…っう…」
私を害したのは誰なのか、私が見たと思ったものは正しかったのか、その人は捕まったのか。
きこうとしたのだが、息を吸うと締めつけるように胸が痛んでうまく話せない。
「肺の傷はふさがっているが、しばらくは呼吸がしづらいだろう。無理をして声を出すな。少なくとも明後日までは入院してもらう」
明後日?でも、のんびり寝ていていいの?
寝てる間に、また襲われたら?
殺したいと思うほど私は憎まれてるのに?
叫び、どこかへ逃げたいような気持になる。
目を閉じたら、もう開けることはできなくなるかもしれない。
すぐに気を失って痛い思いこそしなかったが、灼けるような熱さも、憎しみを向けられた恐怖も、脳裏に焼きついて離れない。
声を出すなと言われたので、ただじっと見つめていただけだが、エリクさんはしっかり読み取ってくれたようだ。
「ここにいる限り、必ず守る。もう二度とあんな目にはあわせない。…犯人も、見つけ出す」
だから休め、とエリクさんが私の目元をそっと覆う。
瞼に置かれた温かい掌から、優しい気持ちが流れてくる。
何も心配はいらない。
エリクさんが守ってくれるから。
そんな安心感に包まれて、あっという間に私は心地いい眠りに落ちていった。
寝たり起きたりを繰り返し、離乳食のような昼食をとってうとうととしていた頃、小さな花束を手に、ライラが来てくれた。
「リリア…」
私の顔を見てそう言ったきり、黙ってしまうライラ。
私は、筆談できるようにと医療師さんに用意してもらったノートとペンを出した。
『ライラ、助けてくれてありがとう。
ライラがいなかったら、間に合わなかったかもって言われたよ。
さすが首席!』
最後にニッコリ笑ったマークもつける。
こういうのは、万国共通だよね。
懐かしいな。授業中に手紙をよくまわしたっけ。
ライラはノートに目を走らせ、強く首を振った。
噛みしめた唇が痛々しいくらい赤くなっている。よく見ればあまり眠っていないのか、目元にはうっすらと疲労が見えた。
顔を上げず、何も言わないライラの手に自分の手を添える。
声がうまくだせないなら、これで伝えればいいよね?
多少はできるよね?
華奢な手をぎゅっと握ると、ライラがそっと顔をあげた。
白い頬を滴が音もなく滑り落ちていく。
ああ、ライラが泣くところなんて初めて見た。
きっとすごく心配してくれたんだろうな。
血まみれの私を見て動揺しただろうに、毅然と治療にあたっていたとエリクさんも褒めていた。
私のために手を尽くしてくれたライラ。
見つけてくれてありがとう。来てくれてありがとう。
祈るようにライラの手を握り、もう一方の手で涙を拭う。
「……伝わった……。ありがとう」
かすかな声で、ライラが答えてくれた。
また明日来る、とライラが出て行ってすぐ、扉をノックする音がきこえた。
あれ、何か忘れ物でもしたかな?
なんとか、「はい」とかすれる声で返事をすると、そっと扉が開かれた。
「……!」
見えたあり得ない姿に驚き、思わず身体を起こそうとしてそのままベッドから落ちそうになる。
床の感触を覚悟したが、いつまで経っても衝撃は来ない。
恐る恐る目を開けると、私の上半身を支えてくれる黒いローブから伸びた腕。
見上げれば、穏やかな灰色の瞳があった。
「…大丈夫か」
最後に会ってから、そんなに時間はあいていないはずなのに。
いろいろありすぎて、すごく遠かった。
「アルドさん…」
かすかな声で小さく呼ぶと、アルドさんはほんの少しだけ目元をゆるめてくれた。
アルドさんは、ラトーヤの星見台からの伝言を受け取り、私と連絡をとろうとしてくれたそうだ。そこで、ライラに私の状況をきいたらしい。
「…すまなかった」
アルドさんは言うなり、深々と頭を下げた。
え?なんでなんで。あ、アルドさんてばつむじもかわいい。
…じゃなかった。なんで謝られてるんだ?
私が声もなくうろたえるのを感じたのか、ゆっくりとアルドさんは頭を上げた。
「元々、ここへ来ることになったのは俺の責任でもある。せめて身元保証をと思ったが、それが裏目に出た」
へ?どういうこと?
首を傾げると、アルドさんが説明してくれる。
ナージェは元々、侯爵家の娘で、その才能を幼いころから認められアカデミーに入学した。
しかし五年経ち、十年経っても卒業するための要件は満たせなかった。このままでは、ナージェは卒業できたとしても星持ちとして認められない可能性が高い。
次第に両親からは叱責する内容の手紙が届くようになり、それもやがて来なくなった。
両親は、彼女を見限ったのだ。
ナージェは己を憎み、両親を憎み、周囲を憎むようになる。
その精神のバランスを崩したところを狙われたらしい。
「バーロウ侯爵もエイリー公爵も令嬢を王太子妃に推していた。そのためディルス公爵令嬢が邪魔だった。エイリー公爵令嬢は“心”の魔力を使えることを隠し、同じ思いを持ったバーロウ侯爵令嬢に近づいたようだ」
王太子妃!それはゆくゆくは王妃ってことですよね。
ちょっと想像してみたが、どっちの王妃も嫌だな…。
でも、その話にライラがどう関係?
「ディルス公爵は、現在宰相職を務めている。本人は中枢との結びつきが強くなりすぎると積極的ではないが、ディルス公爵令嬢を王太子妃にという声も強い」
えーと。おかしいな。ライラは『父は国政に携わっているが、雑用係のようなものだ』と言っていたはずなんだけどな。
宰相って、かなり偉い人だと思うんだけど。
しかもさ、育ちがあまりよくないとか言ってなかった?公爵令嬢って貴族の中でもかなりな身分だと思うんだけど。
それはさておき、ライラを王太子妃にというのはわかる。
容姿も文句なし、成績も優秀、気配りもできる。ないのは愛想くらいだが、そんなものはあとからどうとでもなるだろう。
「ディルス公爵令嬢を邪魔だ、害したい、と思っていたバーロウ侯爵令嬢は、その気持ちをエイリー公爵令嬢に利用された」
“心”の魔力には、大きく分けて二つの効果がある。
一つは、使い手の感情を伝播させるもの。
もう一つは、相手が持っている感情や思考を増幅させたり減退させたりするもの。
前者は私が無意識に使っていたもの。
それ自体にはあまり効果はなく、せいぜいが強い感情をぶつけて相手を怯ませることくらいしかできない。エリクさんが私を落ち着けるために使ったのも、こちらの力だそうだ。
後者はサリエラが使ったもの。
元々ライラを害したいという気持ちを持っていたナージェの感情をゆさぶり、憎悪を増幅した。
それでもナージェはぎりぎりのバランスで、何とか自分を保っていたようだが、あのとき私から怒りの“心”を向けられたことでそれが崩れてしまった。
エリクさんが“心”を使い、憎悪を取り除いたが、一度壊れてしまったものはたやすく元通りにはならない。
まして、本人がそうなりたいと思っていなければ、どんな優秀な医療師であろうと治すことはできない。
「バーロウ侯爵令嬢はディルス公爵令嬢を害したかった。だが、同時に俺に身元を保証されている君のことも邪魔だった」
だから刃物を使って私を襲った。
アルドさんはそこで一度口をつぐむ。
頭の中できいた話を整理する。情報が多くて、ちょっと混乱気味だ。
ナージェもサリエラも、王太子妃になるためにライラが邪魔だった。
だから、庭園でつるし上げをして怪我をさせようとしていた。
では私は?
アルドさんに身元を保証されているということが、なぜ狙われる理由になる?
何か、大切なことをききそびれている気がする。
そして、アルドさん自身、それを知っている気がする。
アルドさんに身元を保証されていると言ったら、驚いたライラ。
それは、優秀な星持ち様だからという理由?
王弟殿下を気安く紹介できるアルドさん。
たまたま知り合いだったという理由?不敬にはあたらないの?
ノートとペンを手元に引き寄せ、ゆっくりと書く。
『アルドさんはアルドヘルムというお名前だとききました』
灰色の瞳が、わずかに揺れる。
きいてはいけないことに、私は触れようとしているのかもしれない。
でも、嫌な予感を、どうか否定してほしかった。
『家名を教えてもらえませんか』