星持ち様、魔法の手。
血が出ます。
「ナージェが退院したって」
夕食を終えて自室に帰ると、ライラが教えてくれた。サリエラの取り巻きが話しているのをきいたらしい。
部屋着に着替えながら、よかったと内心胸をなでおろす。私がやったわけじゃないと思うし、ルーベントさんもライラも違うと言ってくれたが、どうにも気になっていたのだ。
「しばらくは講義も出ないらしいから、会うことはないと思うけど」
会ってしまったら、サリエラと取り巻きがうるさそうだ。真偽はまだ明らかになっていないが、サリエラは私がナージェを害したと思っているのだから、加害者が何をのこのこ出てきている!となるだろう。
「会わないことを祈るばかりだね。早いとこ真犯人がわかるといいんだけど」
「何かわかれば、医療師長から連絡が入ると思う」
そのために通信機を渡したのだと思う、とライラ。
「私、お風呂に行くけどリリアは」
「あとにする。おなかいっぱいだし」
ぽんぽん、とおなかを叩いてみせると、少しだけライラが口元を緩めた。
ライラが戻ってきてから入れ替わりに、お風呂セットを持って浴場に行った。
ここのお風呂は二種類あり、一つは私にとっては馴染みのある大浴場。洗い場が十ほどあり、タイルでできた大きな浴槽にたっぷりのお湯がいつも注がれている。
もう一つは、個人向け浴場。貴族のお嬢様やお坊ちゃまが通うことが多いアカデミーでは個室のお風呂がいくつか用意されているのだ。一度使うたび清掃が入るため、完全予約制らしく、別途利用料もかかる。
当然、私が利用するのは大浴場だ。
大体いつも空いていて、のんびりと足を伸ばして湯船に浸かれるのが良い。
カティーラの公衆浴場はあまり衛生的ではないことが多いらしいが、ここはさすがに天下のアカデミー。カビも水垢も一切見当たらない。いつも新品同様にピカピカだ。
手早く身体と髪を洗ってから、そっと湯船に浸かる。
今日はバラの花びらが布袋に入れられ浮かんでいる。ほんのりと甘い香りが鼻をくすぐっていった。
ほう、と息を吐くと、張りつめた気持ちがゆるゆるとほどけていくのがわかる。
「アルドさん、連絡くれるかなあ」
誰もいない浴場に、思ったよりも声が響く。
忙しいのは十分承知しているけど、そんな中どのくらい私のことを気にかけてくれているのか?身元保証人にはなってくれたけど、あくまでも形だけということなら連絡はくれないかも?
アルドさんから連絡がなかったら、どうすればいいのだろう。
言われた通り、ルーベントさんを頼ればいいのだろうか。
確か、困ったことがあったり連絡が取りたくなったらルーベントさんを頼れと言われた気がする。それはつまり、ルーベントさん経由なら連絡がとれるということだろうか。
でもな。あの人なんかヤバい気がするんだよね。
何というか…、病んでる感じがするというか…。オーバードーズというか…。
血なまぐさい噂も気になるし、王弟殿下という身分もある。できれば関わりたくない。
どうしたもんだか。
談笑しながら数人の女の子たちが洗い場へ入ってきたので、考え事を切り上げて、あがることにする。
誰もいない脱衣室で、身体を拭いて下着と部屋着を身に付ける。公衆浴場に慣れているとはいえ、脱ぎ着しているところを見られるのはできるだけ避けたい。お見せできるような身体でもありませんしね。
脱衣室に忘れ物がないかを再度確認して、大浴場をあとにした。
ちょっと長湯しすぎたかな。頭がふわふわする。
窓辺に寄って歩くと、冬の冷気が火照った頬を冷ましてくれる。
身体はぽかぽかしているけど、頬は冷たくて気持ちいい。
ふわふわと夢見心地で角を曲がったところで、急に誰かが飛び出してきた。
「わっ…」
肩が当たりよろけたところを、背後からもう一度ドン、と押された。
何が、と振り仰ぐと、昏い紫の瞳が輝いているのが見えた。
「なっ…!」
叫ぼうとすると、今度は腹部に衝撃がきた。
あつい。
パッと赤い飛沫が床を汚す。
腹部の熱に手を触れると、ぬるりとした温かみがあった。
あつい。
やけつくように、あつい。
「…っ!」
あか。
喜色をたたえた、むらさき。
身体が熱い。
覚えていられたのは、そこまでだった。
◇◇◇◇◇◇◇
「……ろ!……い!…リリア・ブリット!」
強く名前を呼ばれて、うっすら目を開けた。瞼がうまく開かず、何度か瞬いて、ようやくピントが合う。
あたたかい金色の光が私の身体に灯っている。
「師長、意識が!」
泣き出しそうな男の人の声がした。
「……気づいたか。リリア・ブリット、俺がわかるか」
続いて私をのぞきこんだのは、短い金色の髪、濃い金色の瞳の男性。
強い焦りと疲労、ほんの少しの安堵が瞳にちらついた。
「…エ、リクさん…」
自分のものと思えないほどしわがれた声が出た。
私の答えをきき、深く深くエリクさんが息をついた。
「…よくやった。今は少し休め」
大きな掌で額を撫でられる。気恥ずかしい思いが過るが、ずっと撫でていてほしいほど心地いい。
これが医療師の手なのかな。
あたたかい、お母さんに撫でられてるみたい。
目尻からこぼれた涙を、あたたかい指が拭ってくれる。
程なくとろりとした眠りに包まれるように、私は意識を手放した。