星持ち様(仮)、密談をする。
医療棟を出て寮へ向かう途中、ライラが小走りに駆けてくるのが見えた。
「時間になっても来ないから…。探した」
白い頬が寒気に赤く染まっており、わずかだが、瞳には安堵の色が浮かんでいる。他の人から見たら無表情にしか見えない程度の変化。
心配してくれたのか、と思うと胸がきゅんとした。だがここで調子にのってはいけない。せっかく心を開きかけてくれたのだから、大事に大事に。
「……あなたは」
ルーベントさんの姿をみとめたライラが目を見開く。
しばし沈黙したのち、そのまま一歩下がり淑女の礼、それもなぜか最高礼をとった。
最高礼は式典のときも最初と最後にしかしない、特別な礼だと習った気がするが…。
「やだなぁ。そんなのいらないよ。僕はここではただの研究者だよ~」
ルーベントさんはへらへら笑っている。
「緋翼の君であらせられることには変わりはありません」
礼を崩さずに、小さくライラが言う。
下を向いたまま小さな声だったので私にはきき取れなかったが、ルーベントさんの耳には届いたらしい。
「キミは賢いねぇ。アカデミー生でおいとくのがもったいないよ」
謳うように言いながら、うつむいたままのライラの金の髪を一房手に取る。
びくり、と震えたライラはひとつ息を吸ってから、静かに顔を上げた。
ルーベントさんの手から、金糸がさらさらとこぼれ落ちる。
「……これ以上遅れますと寮監から咎められますゆえ、ご無礼をお許しください」
さらにもう一歩下がり淑女の礼をしたライラは、返事を待たずに私の腕をつかみ、脱兎のごとく駆け出した。
「えっ、ちょっ!何?!」
「いいから、走る!」
初めてきくライラの鋭い声に一瞬唖然とするが、そんな場合ではなさそうだ。前のめりに転びそうになるのを何とか踏ん張って、必死にライラについて走った。
一気に寮まで駆け戻ったときには、私は息も絶え絶え、脇腹には激痛が走り、息を吸った途端に盛大に咳き込んでしまった。対照的にライラはやや息が乱れている程度。
これはやっぱり若さか?単に体力の問題?
確かに普段から運動不足なのは否めないけど、一回り年が違うのだから、仕方ない部分もあろう。たぶん。
「私は先に部屋でやることがあるから。食堂で食べるものもらってきて」
膝に手をついて息を整えていると、ライラが有無を言わせぬ口調で頼んできた。
声を出すとさらに咳き込みそうだったので、こくこくと首だけで頷く。ライラは軽く頷いて、足早に階段を上がっていった。
食堂には遅い夕食をとる生徒がまばらにいた。奥のカウンターをのぞくと、食堂のおばちゃんたちが今日の片付けと明日の仕込みでせわしなく動いていた。
寮には百名を超すアカデミー生がいるため、食事の量も半端ない。おばちゃんたちはいつも汗だくで怒号を飛ばしている。まさに戦場。
「あの、部屋で食べられるものをいただきたいのですが」
厨房に向かって何とか声をかけると、私の片腕ほどもあるバケットを顎で示された。
「明日の朝食用だから、欲しいだけ取ってあとは置いてってちょうだい」
こっちも持っていきな、と容器に入れられた野菜の酢漬けやハム、小さなチーズまで分けてもらったので、立派な夕食になりそうだ。
忙しいところ申し訳ありません。ありがとうございます。
厨房の片隅を借りて手早くバケットを二人分切り分けて、自室へ戻った。
扉を開くと、部屋の四隅に魔石を置き、ライラが魔力を送り込んでいた。
白っぽい彼女の魔力が靄のように部屋の縁を覆っていく。
「これ、なに? 風石?」
恥ずかしながら、私には水石と風石の区別がどうしてもわからない。
基本は水は青、風は緑なのだが、エメラルドグリーン色の水石や濃いターコイズブルーの風石があったりするので、ちんぷんかんぷんだ。買った時に置き場所を分けておけば問題はないが、混ざってしまったものは実際使ってみないと私には分類できない。
星を持っている人なら触れれば魔力が感じられるので使わなくてもわかるらしい。熟練した星持ち様になると、触れなくても魔力の流れや質がわかるようになるそうだ。すごいね。
「話をきかれないように、部屋を風で覆った」
音は空気の振動だから、風で別の振動を加えることで音が他へきこえるのを防ぐらしい。そんな使い方があるとは知らなかった。
ミニテーブルを引っ張ってきて、食堂でもらったものを並べていると、ライラが紅茶を淹れてくれた。
「えーと、話をきかれないようにって、なんの話をするの?」
バケットにチーズをのせながらきくと、ライラは軽く息を吐いた。
「たくさんあるけど。この場も長くは持たないから」
魔石を使っているとはいえ、わりと大がかりかつ精巧なものらしい。維持し続けるのは難しいそうだ。
「リリアは、あの人のことを知ってるの」
「あの人って、ルーベントさん?」
こくり、と頷くライラ。
「ルーベントって名前と、塔に住んでるっていうのと、だいぶおかしい感じってことくらいしか…」
「…あの人は、ルーベント・グレオール・フォン・カティーラ。現カティーラ国王の弟」
長ったらしい名前がツルツルと耳を滑っていった。国王の弟?
……フォン、というミドルネームをどこかで聞いた覚えがあるような……。
「あっ!! フォンてついてるってことは、王位継承権があるってこと!?」
ミンティ先生の授業で、王政についても少し習った。ここカティーラでも周辺国でも、王族の男系の継承権をもつ男子はフォンという“国の者”というミドルネームがつく。男系男子がいない場合は女系男子へ継承権がうつるが、その場合はエフォンというミドルネームになる。
「そう。現在の国王には王子が二人、王女が一人。二人の王子と王弟殿下だけがカティーラの王位継承権を持っている」
開いた口がふさがらない、というのはこのことか。あのへらへら笑いとシュールな物言いが頭をよぎり、何も言えない。
王弟殿下。あのぎりぎりアウトなヤバい人が。この国の行く末は大丈夫か。そもそもなんでそんな偉い人がアカデミーの塔に住んでいるのだろう。
「王位継承権がある三人は貴色を持っていて、王弟殿下は緋翼の君と呼ばれている。その緋は、血の色だと言われるほど、血なまぐさい噂のある人。そのせいで、アカデミーの塔に軟禁されてるときいたことがある」
確かにあの人なら、人が血まみれで倒れていようがへらへら笑いながら踏んでいきそうな気がする。
「で、でも。私の身元保証人がルーベントさんを頼れって言ってたんだけど」
私のことばにライラが眉を寄せる。
「…意味がわからない。ある程度以上の星持ちなら、王弟殿下に近づこうなんて思わない」
アカデミー生でありながらその辺りの事情に詳しいのは、ライラの父親が国政に関わった仕事をしているかららしい。噂を全て信じてはいないが、王弟殿下には近づかない方がいいと言われていたそうだ。
「アルドヘルムさんていう一等の星持ちなんだけど…」
贔屓目を差し引いても、アルドさんはある程度以上の星持ち様なことは間違いないだろう。特に私にとっては燦然と輝く憧れの星、無条件に信じられる人なのだ。
ところが、頼れと勧められたのは、アレ。血まみれの王弟殿下。
疑いたくはないけど、これはどう考えたらいいのだろうか。
「アルドヘルム?」
ぽかん、と口を開けたライラは、まじまじと私の顔を見てくる。何度か口を開け閉めしてから、きいてきた。
「……リリアって、なに?」
「え…。しがない弁当屋です。無期限営業停止中だけど」
私の答えに、そうじゃなくて、と首を振るライラ。
「ともかく、身元保証人がなぜ王弟殿下を頼るよう言ったのか、確認をとった方がいい」
「確認…ってどうやって?」
アカデミーに一度入学したら、基本的に外出は許されない。身内に不幸があったときなどはさすがに許されるらしいが、それ以外で堂々と外出できるのは収穫祭や新年祭くらいだ。
手紙や伝書鳥などを使った外部への連絡は許されているけど、前者は時間がかかりすぎるし、後者はおいそれと手に入れられない。
「時間はかかるけど手紙か…、通信機があれば早いのだけど」
「あ! 私持ってる」
ハッと思い出し、ポケットに突っ込んであった通信機を取り出す。勝手に私用に使っていいかはわからないが、エリクさんは“何かあったら使え”としか言わなかったはずだ。
ライラは通信機と私を見比べて、深いため息をついた。
なぜ持っているのかきかれたので、エリクさんに渡されたと言うと、呆れたような顔をされる。
「通信機、これ一つで大金貨二百枚はする。アカデミーの中にも五つしかない」
「えっ!?」
大金貨二百枚といえば、四人家族が半年は遊んで暮らせる。大金なんてものじゃない。
その高価さにも恐れおののくが、それを投げて寄越すエリクさんにぞっとした。
「少し貸して」
差し出された手にそっと通信機をのせると、ライラは目を閉じて魔力を送り込み始めた。
ゆっくりと一定のスピードで回転していた魔石が、緩急をつけて回り始める。
夜店で見かける子ども向けの光る玩具のようだな、とぼんやり思う。
やがてどこかからリーン、リーンと鈴のような音が鳴り、ひときわ強い光が魔石から放たれた。