星持ち様、来たりて審判を下す。
冬の夜風に混じる煮炊きの匂い、暖かい家の灯り。ようやく帰ってこられた、と気が抜けるのがわかる。
帰ってきた、と感じられる場所があることにホッとする反面、ここが私の生まれ育ったところではない寂しさはどうしても消せないのだが。
「色々ありがとうございます」
礼を言うとアルドさんは首を振る。
「礼はいらない。もとはと言えば、私がここに通いつめたせいでエディに目をつけられ巻き込まれることになってしまった。済まない」
あぁ、そういや言ってたな。アルドさんが通ってる弁当屋を探してるって。
「エディが来たことを知り、すぐ村を離れたが…それが裏目に出てしまった」
「それで、なにも言わずに出ていったんですか!」
思わず声が大きくなる。
あの悲しみはあの腹黒のせいだったのか!
「不義理をして申し訳ない」
自分としても世話になった村の人たちへまともに挨拶できないのは心苦しかった、と目を伏せるアルドさん。
あと少しで、私の家。
依頼が終わってしまうのに、もう会えないかもしれないのに謝られるばかりは嫌だな。
「アルドさん」
呼び掛けると、灰色の眼差しが私を見た。
嵐の夜のような色。不安になるような、でもどこか高揚するような色。
心臓が意思を持ったようにばくばくと暴れだし、口の中はカラカラで、ひどく身体が熱い。
言えるか、言えないか。できるか、できないか。
一瞬の間にめまぐるしく頭が空転する。
ふと脳裏を過ったのはいつも言われていたダリアの一言。
『あんたに必要なのは、考えるより行動!』
考えるより、行動。
できるかな、じゃなくて、やるんだよね。
意を決して、どこかの腹黒を真似てサッとアルドさんの手をとった。
乾燥しているためか、パチッと静電気が走るが、がまん。ここで手を引いたら台無しだ。
なにを、と言いたげなアルドさんがそっと手を引き抜こうとするのを強くおさえる。
「アルドさん、私、謝罪は受け入れますけど、過ぎたことは仕方ないと思っているんです」
厚く乾いた、滑らかな手。
「大した特技もない私だけど、前を向いていたいと思うから。どうせなら過ぎたことより先のことを考えたい」
アルドさんは最初の抵抗だけで、私のしたいようにさせてくれる。
「だから、もし申し訳ないと思って下さるなら、またお弁当を買いに来てください」
毎日来てもらえて、嬉しかったんです。
アルドさんの好きなものを見つけるのが楽しかったんです。
星持ち様として、誇りを持っているあなたが羨ましかったんです。
これでお別れは、嫌なんです。
次々と浮かぶ言葉は、口からは出せない。
不可視の魔力が本当に私にあるのなら、一つくらい、伝わらないかな。
ギュッと握りしめたせいか、アルドさんが身じろぎした。
「…ごめんなさい。初めてお会いしたときも静電気で痛い思いさせちゃいましたよね」
そっと手を離し、詫びた。
そんなに前のことではないのに、なんだか懐かしいな。
あのときはこんな気持ちになるなんて思ってもなかったしね。
だが、私のことばにゆるゆると首を振るアルドさん。
「これは静電気ではない。種類の異なる魔力が触れたときに起こる反発だ」
え?乾燥してるからのパチッじゃないんですか?
首を振るアルドさん。
魔力には相性があるそうだ。一緒には使えないもの、反発し合うもの、互いを高めるもの。一般人が使うような魔力の量や質では特に意識せずとも問題ないが、星持ち様が扱う魔力では気を付けないと大惨事になるらしい。
「えっ、じゃあ私はアルドさんに触るたびパチッとなるんですか?」
いえ、お触りを狙っているわけではなくてですね、純粋な知的好奇心です、多分。
「いや、予期せぬ接触時だけだ」
ほら、と言わんばかりに私の手を握る。
温かい手のひらの感触と、アルドさんから手を繋いできたという事実に、かあっと顔が熱くなる。
て、手が、いや私が先に握ったんだけど、でもまさか…
ぱくぱくと金魚のように息をする私に気づかないアルドさんは離してくれない。いや、離してほしくないんだけど、いやでもこれは心臓がもたないかもしれない。
「次に釣りを受けとるときは気を付けよう」
私の手を解放しながらそう微笑んだアルドさんは、一週間はたっぷり悶えられるくらい魅力的だった。
鼻血を出さなかったのを誰かほめてほしい。
それから数日は、泣きじゃくるダリアを宥めたり、しょぼくれるジオに発破をかけたり、復帰祝いだとぞくぞく訪れるお客さんの応対をするうち、あっという間に過ぎていった。
どうも私に魔力があるらしい、という話はダリアとジオにはした。そのことについて星見台で検討してもらっていることも。
二人とも、私がエディくんに連れていかれたのはそのせいだと思ってくれたようだ。
人様のおうちの事情を勝手に話す訳にはいかないので、誤解はとかずにおいた。
少しずつ、日常が戻ってくるたびにアルドさんが遠くなっていくことが寂しい。
でも、所詮は星持ち様としがない弁当屋。
あんなに一緒に過ごせたことがラッキーだと思うべきだろう。
またお弁当を買いにきてくれるとは言ったが、いつかもわからない。リップサービスかもしれない。
過度に期待はしないこと。
自分に言いきかせながら弁当を売っていたある日の午後。
望まない来客があった。
「やあ。その節はどうも」
きらきらした金髪と新緑の瞳。金糸で刺繍がされた白を基調とした服。
思わず、はめていた鍋つかみをむしりとって投げつけたのも致し方なし。
「僕、鍋つかみ投げられたのなんて初めてだよ」
落ちた鍋つかみを拾いながらニコニコと笑う腹黒。
奇遇ですね、私も投げたのは初めてです。
「それで、何の用ですか?」
星持ち様は星持ち様でも、会いたくない方の筆頭だ。いくら血縁だとはいえ、アルドさんと比べるのももったいない。兄と代わってくれ、今すぐ。
「大した用じゃないんだけどね。君の処遇が決まったって小耳にはさんだから」
さらりと告げられた内容にぎょっとして、袖に皿を引っかけそうになった。
大したことない、じゃないだろう。
「伝書鳥より早く教えてあげようと思って駆けつけたんだよ」
宝物を見せに来た子どものように得意気なエディくん。
ドヤ顔って感じ悪く見えることもあるけど、美少年がやると無邪気な子どものように見える。
中身が腹黒でも見た目がいいと得ってことですね。
早く言えよ、と目線で促すと、びっくりするよともったいつける腹黒。
「えっとねー。とりあえず、弁当屋は無期限営業停止」
…は?
「そして君の身柄は星見台が預かることになって、来月からなんと…」
新緑の瞳をキラキラと輝かせる王子様。
「アカデミーに入学することが決まりました~!」
パチパチパチ、と手を叩くが私は反応できない。
人間、驚きすぎると声も出ないらしい。
「無期限営業停止って…なんで…」
「だって、君のお弁当には不可視の魔力が入ってるんだよ?今のところ被害は出てないみたいだけど、これからの保証はないもんね」
あんなに毎日食べても平気なのは兄上くらいだよ、とエディくん。
「君の魔力は、人の精神に影響するんだ。使い方を誤れば廃人ができるし、うまく使えば君の熱心な下僕ができる。君は意識して使うことができないから、うっかり廃人ができちゃうかもしれないよね」
何それ怖すぎる。
「ってことでー。扱いの大変そうな君をアカデミーに突っ込んで、監視兼教育して、ゆくゆくは星見台の犬として使おうってわけ」
だめだ、何一つ希望がもてない。ときめくポイントがどこにもなかった。
どうやって逃げたらいい?シャロンに助けを求めればいいのか?いっそすべてを捨てて国外へ…
「あ、ちなみに、アカデミーに入る際の身元保証人は兄上がなるって。君が何かしたら、兄上が責任とってくれるから」
脅し紛いのセリフを吐くエディくん。
誰だよその人選をした奴は。
アルドさんつけとけば私が言うこときくと思ってるのか?
いや、きくかもしれないけどさ。迷惑がかかるのも嫌だし…。
目の前の奴が身元保証人ならば、さっさと逃げさせていただくのに。
本当につくづくろくでもないことに巻き込んでくれる。
憎々しく睨み付ける私にニッコリ微笑んで、詳しくは公式文書をよく読んでね、と言い残し望まない客は帰っていった。
麺棒が手元になくて良かった。包丁もしまってあって良かった。
いや、むしろ殺ってしまった方が良かったのか?
不毛なことを考えながら、ずるずると床に座り込む。
泣けてくるのは、自分ではどうにもならないやるせなさか。必死でやってきた弁当屋をたかが数日の検討で営業停止にされた虚しさか。
こうして、私の弁当屋生活は予期せぬ終わりを迎えることになった――。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
二章の準備に入りますので、続きは少しお待ちください。
詳しくは活動報告で…。