魔法陣
2週間後に連盟演習会を控えたある日の、午前最後の授業開始の鐘が鳴った。
「ちょっと皆、静かにしなさいよ、もうすぐ先生来るんだから」
魔法陣クラスの真面目な委員長、宇佐美絵里香が教室の緩んだ空気を嗜める。
数分後、扉が開き、軍服を着た講師が入ってくる。魔術学校は特に実技以外は制服の指定をしておらず、生徒の多くは私服で登校している。
それだけに、軍服の講師、名前は篠山信、62歳で元傭兵の魔陣使い、教師生活二十年目のベテランの格好はかなり浮いていた。
「よし、さっそく授業始めるぞー、今日は昨年の復習だ。今年度からAクラスに上がってきたやつのためにおさらいするぞ、元からAクラスのやつにガンガン質問していくからちゃんと答えろよ」
武鋼魔術軍事学校では、どの術課も定期的に行われる能力試験によってA、B、C、Dクラスと分けられる。Aクラスが一番人数は少なく二十名ほどであった。
「んでは、魔術教本から机の上に出しておけ。――じゃあ、宇佐美、魔術戦闘で一番大事なことはなんだ」
篠山は、基本的で一番重要な説明が求められる質問を、的確に答えてくれるであろうと模範的で成績優秀な生徒の宇佐美を指名した。
「はい、対敵への迅速で的確な詠唱妨害です。これができれば生存率が大きく上昇します」
指名された宇佐美は立ち上がり、眼鏡の位置を調整してから、教室中に届く声で簡潔に答えた。
「そうだ、なによりも死なないことが重要だ。詠唱妨害は、妨害専用のクラス1の魔術でも可能だが、攻撃的魔術さえ命中すれば衝撃で大抵の人間は集中を乱す。他にも、精神的動揺があれば詠唱は成功しないし、激しい動きをしても集中が乱れて失敗する、絶対に忘れるな、まぁ基本的なことだ、だからこそ怠るなよ」
講師は、これだけは肝に命じておけと念を押していた。
「次の質問だ、じゃあ、火蔵」
鋼焔の親友、火蔵明人が指名された。明人も鋼焔と同じ魔法陣課でAクラスの魔陣使いである。
「魔法陣の形と大きさ、陣の表面に描かれている文字、陣の色、魔法陣領域内の有効射程範囲と最大火力範囲を答えろ」
少し焦りながら明人は姿勢を正して腹から声を出す。
「はい、形は術者を中心とした球状、大きさは最小で半径約30m、最大で半径約100kmのものが確認されています、表面の文字は古代魔術文字、陣の色は術者の精神状態、または性格によって変化すると言われています。魔陣領域内の有効射程範囲は魔法陣の大きさと同じです。最大火力範囲は半径14mから15mです」
意外に優秀だった明人が完璧な答えを口にした。
「よし、そうだな、皆が普通に魔陣領域を展開すれば、だいたい半径30mになるだろう、基本的に、この大きさが一番戦闘しやすい、たとえ半径何kmに拡張したところで、魔術は術者から離れれば離れるほど威力が落ちて意味が無い、だいたいが魔術の威力が有効な範囲は30mだ、あと、魔術の命中精度も極端に下がる。逆に、近すぎても魔術の威力は落ちる、自分で近くに発生させた魔術に巻き込まれる危険性を無意識に恐れているからだ、だから約半分の14mから15mという距離が最高火力範囲になる」
「誰にしようかな、えーっと、古賀」
次に、指名された生徒は魔法陣課のなかでも最高齢の34歳既婚の古賀源一郎、今年で8歳になる娘がいる、普段はSPの仕事をしており、学校への出席率は低め、愛称はゲンさんもしくは長老である。本人は謙遜するところがあるが、実戦経験豊富で老獪な戦術に定評のある頼もしい魔術師だった。
「はい、ぼくの番か…」
「魔陣領域を展開した魔術師と、魔陣領域を展開していない状態の魔術師&他の術士の違いはなんだ」
古賀は少し面倒くさそうにしながらゆっくりと立ち上がった。
「…そうですねぇ、まず魔術の威力が違いますね、なによりも魔術の命中精度がほぼ100%なことが嬉しいですわ、あと、物理的、魔術的攻撃に対する防御力が格段に上がります、魔陣領域外部からの攻撃は魔法陣が全てシャットアウト、魔陣領域内部での攻撃に対しては微量の痛みと衝撃だけを残して、ダメージは全て魔法陣が引き受けてくれる、魔法陣が破壊されるまでは、ぼくらもご機嫌さんです」
「さすがだな…まぁ、命中精度が100%ってところは該当する人間は少ないだろう」
篠山は、ベテランの簡潔な回答を賞賛した、古賀は、いえいえ…と言いながら手を横に振り着席した。
「魔法陣が破壊されれば術者は意識を失う可能性が高い、気絶して倒れてしまえば子供にでも殺されてしまう、そうなる前に魔陣領域展開を中断する、ということも視野にいれておくように。ただし、相手も魔陣領域を展開している場合は絶対に中断するな、相手の領域外に出る前に殺される可能性が高い、展開したまま死ぬ気で戦え。そして、決して魔法陣を過信するな、無敵な人間など存在しない」
篠山もそうだったのだろう、魔陣使いに共通する心理を諌めた。魔陣使いは最強だが、不死身ではない。
「じゃあ、最後に天城、なぜ魔陣領域内部では魔術の命中精度が古賀の言ったように格段に上昇するか説明できるか」
質問された鋼焔は、あ、あれ?おれだけなんか難しくない?と思ったが少し緊張しながら回答しはじめる。
「えーっと、少し自信はありませんが、魔陣領域内に新しい感覚が生まれるからだと思います。五感とは違うもう一つの感覚、自分の部屋にいるように、何がどこにあるかが目を閉じていても分かっているような、そんな感覚です」
鋼焔はやばい、微妙な回答をしてしまったかもしれないと思ったが。
「自分の部屋か、その考え方もありだろう、おれも皆もそうだろうが、他人の魔陣領域内に入ったとき、他人の家に入ったような感覚になる。校内でも無闇に魔法陣展開を禁じているのも他の生徒がその違和感に不快感を示すことがあるからだ、一人の人間だけならまだしも、この教室いるやつ全員が展開すれば違和感は相当なものになるからな」
などと、適当なところに話しがまとまったので安堵した。
「よし、話しはこんなところにして、今日はこんなものを用意した」
篠山はそういいながら、教壇の後ろから一本の蝋燭を取り出した。
「今日は教室での魔法陣展開を許可して、この蝋燭に灯の魔術をつかって火をおこしてもらう、時間もないから一人だけな」
最後の一人だけな、というところで数人は不満に思ったが、それを口に出すものはいない。
「えーっと、じゃあ宇佐美にやってもらおうか」
「はい」
宇佐美は席を立って教壇のほうに歩いていった。
「宇佐美、まずは魔陣領域を展開させずにチャレンジしてみろ、場所は教室の一番後ろからだ」
「了解しました」
わざわざ教壇まで行ったのに…と教室の全員が思いながら宇佐美は一番後ろに立った、教壇までの距離は20mほどあるだろう。
「よし、3回はずしたら終了だ、はじめ!」
宇佐美は教壇の上に置いてある蝋燭の先端に狙いを定めて、精神を集中しクラス1の灯の魔術を詠唱する。
「【Ark Fir Lgs】」
宇佐美の滑らかな詠唱は当たり前に成功し、灯の魔術が発動した。
しかし、小さな灯火は蝋燭の2m左の辺りで高さも少し足りない場所でボッっと音を立てた後消える。
2度目も、宇佐美は同じように狙いを定めて詠唱するが、同じようにはずれる。
3度目は、蝋燭に少し近づいたがまだ1m以上離れていた。
「まぁ、無理とわかっていてやらせてみた、次は、魔陣領域を展開して狙ってみろ」
「了解しました」
「展開」
宇佐美の魔陣領域が展開される、窓の外に広がっている陣の色は白色だった。展開されたと同時に教室にいた全員が微妙な違和感を覚える。
今度こそは、と宇佐美は蝋燭の先端に狙いを定めて詠唱する。
「【Ark Fir Lgs】」
さっきと打って変わって、宇佐美の灯火は蝋燭の先端に着弾した…が点火するには至らなかった、先端に当たっていたものの5mmほど上に発動したため、火の温度が弱い部分が先端に当たっていた。
「宇佐美、もう一度だ」
篠山の言葉を受け、宇佐美は集中力が高まっていたのだろう、間髪入れずに再詠唱した。
「【Ark Fir Lgs】」
今度こそ間違いなく、蝋燭に灯が点灯した。
「うむ、上出来だな、2回で成功するとは思わなかった、今の距離を2回で成功できるなら十分一人前だ」
篠山と他の生徒が宇佐美の成功に拍手する。
講師とクラスメイトに称えられ、宇佐美は教室の後ろでエヘヘと照れくさそうにしていた。
「宇佐美、魔法陣を消しておけ」
そういった篠山も蝋燭の火を消した。
「あ、はい、了解しました」
「終了」
キーワード共に宇佐美の魔陣領域は消失した。
「よーし、今日の講義はここまでだ、来週は1日かけて連盟会演習の別枠に出場するやつを選抜するから覚悟しておくように」
そう言い残して、軍服の教師は腹がすいているのだろう、さっさと出て行ってしまった。
「ぬぁー、コウ聞いたか、来週面白そうだな」
明人は子供のように目をキラキラさせながら鋼焔の席にやってきた、明人はこういった催しが大好きだった。
「おう、古賀さんとおれと委員長の頂上対決がはじまろうとしているな」
鋼焔も嬉しそうに目を輝かせ、古賀に話しを振る。
「いやー、ぼくなぁ、来週仕事かもしれへんわ、大丈夫やったらええんやけどなぁ」
古賀は少し残念そうにしていた。鋼焔も明人も、えー、と残念だ!と顔に出す。
「まぁなんとか嫁さん説得して、仕事休めるように頑張ってみるわ」
そういって古賀は鞄から愛妻弁当を取り出し、教室を出て行った。
話しこんでいるうちに、他の生徒もいなくなり、教室には鋼焔と明人しか残っていなかった。
「んじゃ、そろそろ飯食いに行くか、明人」
「おう」
二人が揃って教室から出ようとしたとき、教壇の上に忘れられている灯の消えた蝋燭を鋼焔は見つけた。
「篠山先生、よっぽどお腹すいていたのか」
「…だな」
と明人は同意した後、あの人ほんとハラペコだよな、とぼやいた。
二人で食堂と屋上を目指している途中、教室から50mほど離れたところで不意に、鋼焔は呟いた。
「【 】」
「ん、コウなんか言ったか?」
「いや、なんでもない、お腹すいたわ」
「うむ、先を急ごうぞ」
異常な速さで昼食をとった篠山は忘れ物を回収するために教室に戻る道を辿っていた。
「いかんいかん、午後の授業でBクラスでも使おうと思っていたのに蝋燭わすれるなんてな」
苦笑しながら教室の前まで戻ってきた篠山は扉を開く。
「む…誰か蝋燭で遊んでやがったな」
――誰もいなくなった教室で、蝋燭の炎だけが、メラメラと燃えていた。