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修羅と鋼の魔法陣  作者: 桐生
三章
29/31

『狩り』

 窓の僅かな隙間から日光が差し込んでいた。

 そしてその隙間から小さな虫が屋内に入り込む。

 小さな虫の羽音が鋼焔たちの耳を打ち、目覚ましの代わりとなっていた。


 鋼焔たちが異世界に来てから初めての朝が訪れる。


(……御主人、右足の様子が)


(ああ、足先だけ痺れが酷くなってる、ただの麻痺じゃないのかもしれん)

 感覚を共有している二人はほぼ同時に目を覚ました。

 そして二人は同じように右足の違和感に気が付く。


 右足の痺れが変化していた。

 昨日は膝から下全体が痺れていたのだが、今は踝から先の感覚がほとんど無くなっている。

 手で足の指に触れてみると、冷え切っていた。

 歩行すること自体は昨日より楽になったかもしれないが、融合による更なる異常が起きている可能性が考えられる。


 そして二人が足の状態を確認していると、すでに起きていたのだろう、シンクが台所の方から顔を見せた。


『おはよう! もうすぐ朝御飯できるから座ってて』

 鋼焔がごそごそやっていたのに気が付いたシンクは、笑顔で元気よく朝の挨拶をする。

 朝から気持ちよくなるような清々しい挨拶だ。



 鋼焔も挨拶関係の会話なら何度も練習していたので、これ以上無闇に心配をかけたり、気を遣われないよう元気よく返すことにする。



『結婚しよう! シンク』

 何度も何度も練習した――いや、させられた挨拶の言葉を腹の底から声を出し、発音も完璧に発声した。


『え!? え、ええ? あ、朝からどうしたの? そ、それにダメだよ、ぼ、僕女の子だよ……女の子同士なんて不健全だよ! そ、それに僕たちまだ出会って一日しか経ってないよ……』

 シンクは途轍もなく困惑している。

 朝から、しかもどうみても女の子にしか見えない子供に結婚しよう、などと全力で言われればこうなるのも仕方は無い。


(御主人、シンク様の様子がおかしいですよ……言葉を間違えたのではないですか?)


(おかしいな、沙耶に朝の挨拶は徹底的に教えられたから、覚えてたはずなんだけど……)


 小さい頃の鋼焔は、沙耶が嘘を教えていたことに全く気が付いていなかった。


「コウさん、発音が違います! やり直しです」

「コウさん、気持ちが全然籠もってません! やり直しです」

 過去、沙耶先生による異様なほど熱の入った指導が繰り返されていた。


 沙耶は、鋼焔にありとあらゆるプロポーズの言葉を朝の挨拶と偽って叩き込んでいたのだ。

 鋼焔は朝の挨拶だけ数種類も覚えさせられている。

 しかも、全て発音は完璧に、言い方はかっこよくだ。

 そのため、挨拶の練習をするたびに沙耶は無上の喜びに酔いしれていた。




 鋼焔はテーブルに向かって、感覚の無い右足で歩けるかどうか試すように歩く。

 なんとか他人が見ても異常が見られない程度には歩けるようだった。

 そして、そのまま朝食の席に着く。


『ごめんね、朝も昨日の魚の残りで……』

 昨日とは違い、今朝は焼き魚だった。

 毎日この魚が食べられるなら言うことは無いと鋼焔は思うのだが、シンクはとても申し訳無さそうにしている。

 そして、鋼焔の皿には切れ身が二つ、シンクは一つ、とまた気を遣われていた。


『いただきます』

 鋼焔は魚とシンクに感謝の意味を籠めて手を合わせた。

 

『足の調子はどう?』

 

『大丈夫』

 鋼焔は本当のことを言う必要は無い、と誤魔化す。

 騙し通せるなら、余計な心配をかけるわけにはいかない。


『じゃあ、午前中は村を案内してあげるね!』

 鋼焔の返答に、シンクは自分のことのように喜び。

 屋外に出る扉を指差しながらそう言った。


『お願いします』

 そして、彼女は鋼焔が言葉に未熟なことに薄々気が付いてきたようで、会話しながら身振り手振りを加えて説明してくれている。


 鋼焔は異世界で彼女のような人に出会えたことは、これ以上無い幸運だと思えた。




 二人で朝食の後片付けを終わらせ、鋼焔は初めて家の外に出た。


 そしてその瞬間、鋼焔の常識は覆されることになる。


 視界の斜め上方向に途方も無く巨大な何かが浮かんでいるのが見えたのだ。


(京、大変だ、……島が浮いてるぞ)


(は、はい、驚きました、ということは京たちがいるこの大陸も浮いているのでしょうか!?)

 鋼焔は首を動かして周りの空を見渡してみた。すると、かなりの数の大陸が浮いているのが見える。

 大小様々な大地が空を浮遊していた。

 そして、その中でも巨大な山だけしか見えていない、高度の低そうな大陸がなぜか気になった。

 また何か奇妙な感覚に襲われた気がした。


『シンク、あれは?』

 鋼焔は気になったので、北西に見えている巨大な山を指差して訊ねた。


『んとね、あそこはセントラルっていう大陸で、人と魔物がたくさんいるところだよ』

 

『セン、トラル』

 ぼんやりと鋼焔は巨大な山を見ながら呟いた。


(ご、御主人、それよりも今の聞きましたか!? シンク様が魔物って言いましたよ)


(……魔物、ってなんだろうな、この世界、映画とかに出てくる怪物みたいな生物でもいるのか)


(分かりません……火蔵様がいれば何か分かったかもしれませんね)

 明人は、映画、小説、漫画など幅広く手をつけているため変わった知識も豊富だった。

 天城家ではそういった娯楽は、悠が少し所持しているぐらいで他の人間は非常に疎い。



 今は考えても仕方が無いと思い、視線を地上に移した。


 そして外には、シンクの家と同じように石を繋ぎ合わせて造られた建物がいくつも建っていた。

 かなり大きな建物もある、村長の家か、倉庫なのかもしれない。


 そして、村の住民の姿も何人か見えた。

 朝早くから外に出て洗濯物を干している人や、遊んでいる子供、話し込んでいる女性と男性が数人いる。

 その誰もが、シンクと同じように角が生えていた。

 しかし、一本の人もいれば二本の人もいる、果てには四本生えている男性もいた。

 肌の色はそれぞれ違うようで、赤い人、真っ青な人、緑、黒と様々なようだ。


 そして鋼焔の姿に気が付いた女性が、近づいて声をかけてきた。


『お、この子がシンクのとこで預かってるって人間かい、えらいべっぴんさんだねぇ』


『よろしくお願いします』

 鋼焔は女性の言っている意味はよく分からなかったが、丁寧に頭を下げておく。

 

『こっちこそよろしくね』

 どうやら初対面の挨拶は間違いなかったようで、女性の方も笑顔で同じ言葉を返してくれた。

 ただ、その女性もシンクと同じように少し痩せて見えた。



 その後シンクに連れられて、鋼焔と見た目だけは同年代に見えそうな子供たちのところに近づいていく。


『人間だー、めずらしー』

『ほんとだ、人間だ』

『初めて見た!』

 よほど、鋼焔の姿が珍しいのか、子供たちは目をキラキラさせながら集まってきた。


『よろしくお願いします』


『おー、よろしくなー』

 子供たちは皆元気だった。

 しかし鋼焔は、子供たちがどうして家の前で遊んでいるのか疑問に思った。

 昨日見えた森なんかは格好の遊び場だと思えたのだが、もしかして治安が悪いのだろうか。




 そして子供たちと別れて、村の端の方にある倉庫と思しき建物の近くまでやって来た時、広大な田畑と半壊している何件かの家が視界に入った。


 田畑は無残にも荒らされていた。

 収穫前だったのか、野菜などの穀物がグチャグチャにされている。

 野菜だけでなく土も荒らされており、巨大な動物の爪跡のようなものが見えた。


 さらに爪跡は破壊されている家の方にもあった。

 硬そうな石で造られているにも関わらず、鋭い爪跡がハッキリと残されている。


『シンク、あれは、どうして?』

 鋼焔はその鋭い爪跡を指差して訊ねる。


『あれはね、人狼っていう種類の魔物にやられたの、最近なんだか龍の魔力が強くなってて数も増えて力も強くなってるんだよ』


(京、今の分かったか?)

 鋼焔には余り意味が分からない言葉ばかりが並んでいた。


(うー、狼、魔物、魔力、そして龍という言葉だけは分かりましたが……)


(この爪跡が狼によるもので、それで狼は龍の配下、ってとこか)

 鋼焔は龍、という言葉を口にすると、自分がこの世界に来たことになった原因を思い出す。

 村の状況を見ると、やはり龍の研究は阻止されるべきものだったのだと。


(御主人、それにしてもこれでは、この村は……)

 京は悲しそうな顔をしている。

 魚や他の肉料理などの量の少なさを考えると、穀物類が壊滅的なのは死活問題と言えた。

 もし、猟に出て十分な食料が獲れなければ、この村の住民は確実に追い込まれていくことになる。


『そうだ、お昼食べたら釣りに行くんだけど、一緒に行ってみる?』

 村の傷跡を見ている鋼焔の顔を覗き込むようにして、シンクは声をかける。

 鋼焔のために釣竿を引っ張りあげるようなジェスチャーをしてくれていた。


『はい、行く』

 彼女には恩がある。

 鋼焔は、何か少しでも手伝えることが無いだろうかと即答する。


『うん! じゃあ、すぐにお昼の支度するね』

 シンクは笑顔になり、鋼焔の手を引いて急ぎ足で自宅に戻った。



 昼食は朝に続いて、焼き魚とパンだった。

 鋼焔は村の状況と、目の前の料理をじっと見据える。

 もう、料理に手を付けることはできない。

 昨日の内に、この村の状況を把握して置くべきだったと後悔している。


『コウエンちゃん、食べないの?』


『どうぞ』

 鋼焔はシンクに自分の料理を皿ごと差し出した。

 一応、一流の魔術師は空腹さえ我慢すれば、魔力だけで全てのエネルギーを賄える。

 餓死することは無い―――空腹で気が狂って死ぬことはあるらしいが。

 融合して変化した鋼焔の体が餓死しないかどうかは不明だが。

 少なくともこの料理はシンクが食べるべきだと思った。


『もしかして、僕の料理おいしくなかった?』

 差し出された皿を見て、シンクは悲しそうな表情になる。


『おいしい』

 鋼焔は首を左右に振りながらハッキリと言った。


『じゃあ、これは君が食べて、その方が僕は嬉しいから』

 シンクは鋼焔が何を考えているのか分かったのだろう、だからこそ彼女はとても嬉しそうな笑顔で料理を元の位置に戻した。



『半分に、しよう』

 村の現状を知った今、鋼焔にはもう彼女の真心をそのまま素直に受け取ることはできない。

 この料理を口にすることは、彼女の命を分けてもらうことと同じだ。


『コウエンちゃん、ありがと』

 シンクはくすっと笑った後、鋼焔が分けた魚を口にした。


 鋼焔は一口、一口、噛み締めるように味わった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 鋼焔のいる村から、北西に50kmほど離れた小さな村。

 その村に魔の手が忍び寄っていた。


 村の外の見張り台の上で森を監視していた黒い肌に二本の角を生やした男は、500メートル離れた付近に数匹の人狼を発見した。


 彼は見張り台に備え付けられている警鐘の鐘を鳴らしながら、森を警戒している仲間に声をかける。


『人狼が来たぞぉ!! 人狼が来――』

 叫び声を上げた直後。

 遠くの木から見張り台に飛び乗ってきた何者かの手によって彼の首は切断された。

 そして切断された彼の首の表面は凍りつき血が吹き出ることは無かった。


 見張り台の周りに木は無い。

 遠く、しかも低い木から、いきなり魔物跳びかかってくるなど、死んだ彼は想像できなかった、敵の魔力を感知することも無く絶命した。


 彼を殺した者は、平均2メートルほどの人狼よりさらに2メートルほど大きい体躯で、全身が白い毛に覆われている狼。


 

『静かになったね』

 雪のように白く、長く鋭い刀のような五本の爪が死んだ男の血で赤く染まっている。

 長く赤い舌がその鮮血を舐めあげる。

 

『それじゃみんな、あまり無理せず、いつも通りに動けよ』


『了解しました』

 先行していた殺戮者は見張り台の上から、遅れて集まってきた五匹の人狼たちに命令を下す。


 ―――人狼だけではこの大陸の住民――雷天の精霊にまともに太刀打ちできないが、彼の統率力と別格の戦闘能力がこの大陸での力関係を覆していた。



 狩りが始まる。



『なん、だこいつ、人狼じゃないのか……まさかこいつが氷狼ッ』

 警鐘が途絶えたことで、警戒に当たっていた十人が見張り台の近くに集まってきた。

 そして頭上に今まで見たことも無い、巨大な白い人狼のような魔物を見て息を呑む。


 彼はセントラルからやってきた、ホワイトクローという名を持つ氷狼。

 名前は彼を恐れた人々が、その特徴から名付けた。

 

『へぇ、俺のこと知ってる奴がいるんだ? この大陸でも結構名前が売れてきたもんだね、嬉しいな』

 見張り台の上からでも彼らの小さな呟きを、氷狼の大きな耳は聞き逃さない。


『でも邪魔だからどいてもらうよ』

 そして30メートル近くある見張り台の上から地上に降り立った。



『お、臆するな、かかれッ!!』

 4メートルを超える迫力あるその姿に畏怖するが、十人の戦士たちはそれぞれの武器を手に襲い掛かっていく。

 五人が氷狼に、五人が人狼たちに。


 人狼たちは一対一で絶対に敵と戦ってはいけないと、氷狼に徹底的に教え込まれている。

 全員が森の奥に下がっていく。


 しかし、単に逃げるわけではない。

 襲いかかって来た相手を森の中に誘い込むように、ゆっくりと後退していく。

 五人と五匹が森の中に散っていく。



 氷狼は仁王立ちして五人の敵を迎え撃つ。

 銀の剣で切りかかってきた男に白い爪を振るう、凄まじい速さの攻撃は相手に『能力』を使わせる暇すら与えない。

 その爪は剣ごと男の胴体を切断し、六つに分割した。

 血は流れない、切断面が凍りついている。


 そして、残り四人が絶叫しながら同時に氷狼に襲い掛かる。


 次の瞬間、氷狼は逆立ちした。

 そして足を大きく開き、足の指から手と同様の白い爪を生やす。

 氷狼は逆立ちをしたまま、手を軸に体をもの凄い速度で回転させた。

 竜巻のような旋回が四人を何度も斬りつける、一瞬にして残り四人をばらばらの肉の氷に変化させた。



 一方、森の中を逃げていた人狼の一匹が、タイミングを見計らい雄叫びを上げた。

 すると、他に逃げていた四匹が雄叫びを上げた人狼のところにやってくる。


 瞬く間に形勢逆転、森の中に誘い出すことで敵を分断し、木を使った俊敏な移動で彼らは各個撃破していく。

 一人の相手を殺害したところで、遅れて他の人間が集まってくる。

 人狼たちは再び、付かず離れずの逃げ方で四方八方に散っていく。


 これを二度ほど繰り返し、彼らはあっさりと勝利を収めた。

 そして村に先行しているだろう氷狼の後を追って、彼らも餌場に急いでいく。



 人狼たちが村に着く頃には、ほとんど全てが終わっていた。



『クロー様、制圧完了しました』

 そして遅れてやってきた人狼たちは、家の隅々まで隠れている村民がいないか確認していた。


『ああ、ごくろうさま、それじゃ、昼御飯にしようか』


『しかしこの村、手応えの無いやつしかいなかったね、しかもみんなあんまり美味しく無さそうな顔してるし』

 村の住民は全て家の外に引きずりだされ、中央に集められた。

 村民の四肢は全て氷狼によって凍結させられ、身動きを封じ込められていた。


 そして 氷狼は村民一人一人の顔を眺めながら物色している。



『おっ、なんだ美味しそうな子もいるじゃん、ついてるね』

 彼は一本の角を生やした青白い肌の少年に目をつけた。


『や、やめろ、子供には手をださないでくれ!』

 その少年の父親が凍った四肢を引き摺りながら、イモ虫のように氷狼の前に出て懇願する。



『そうそう、それだよ』

 氷狼は酷く楽しそうな笑顔を浮かべながら頷いている。


『……お願いします、どうか子供だけは逃がしてやってくれ……』

 氷狼は目の前で頭を下げている父親を見て、よだれをだらだら垂れ流し始めた。


『ホントおまえたちは最高だね、鳥や魚は喋らないからな。俺がお前たちの頭も体も残しているのはね、この最高の瞬間を味わうためなんだよ。食べる瞬間まで『餌』と話すと腹の虫が凄く鳴いてね』


 氷狼がそう説明した直後、その父親の首を切断し、拾い上げ口の中に放り込んだ。



『おッ? 美味そうなガキがいるじゃないですか』


『その子は俺が食べるから手を出さないでよ』


『お、おとうさん……』

 少年は地面に這い蹲りながら、頭の無くなった父親の死体にしがみ付き泣いていた。

 だがその涙が地面に零れる前に、白い爪が少年の首を断頭台のように叩き斬った。


 泣いたままの表情で固まった少年の生首を、一度見てニンマリと笑った後、氷狼は口の中に放り込んだ。


『うぅん、やっぱり子供の柔らかくて新鮮な頭蓋骨を噛み砕きながら、同時に味わうふわふわな脳味噌の食感は堪らないね、最高だよ』

 彼はうっとりした顔で、目を瞑り、口の中で転がすように少年の頭を味わった。


 その後も彼らの食事は続く。


 目の前で一人一人殺されていく仲間を見せつけられ、村民たちは悲鳴を上げる。

 その度に氷狼たちはよだれを垂れ流す。延々とそんな光景が繰り返された。




『クロー様、次はどっちの方にいきますか』

 食事も終わり、彼らは次の餌場の相談をする。


『そうだなぁ、―――晩御飯はあっちにしようかな、なんか良い匂いがするんだよね』


 彼の指差した方向はシンクたちの村の方向を指し示していた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 昼食をとった後、鋼焔とシンクは湖に向かって森の中を歩いていた。

 シンクは釣竿と背中に銀のハンマーを背負っている。バケツは鋼焔が持っていた。


 そして鋼焔は、シンクに傍を離れないよう言い含められている。

 森には先ほどの爪跡を残した魔物が出るためだ。



 

 そして、しばらく森を歩いていると、鋼焔は異世界に来て色々あったため忘れていたが、途轍もなく重要なことを思い出した。


(……京、『アスカロン』と盾がどうなったか分からないか?)

 異世界への門を通過する際、召喚していない物がどうなるか分からなかったので、京に持たせていたのだが、こちらに来た時から両方見ていない。


(……分からないです、気が付いた時には融合してしまっていたみたいですから、もしかしたら……森のどこかに落としてしまったのかもしれません)

 

(ま、まぁ仕方が無いか、飛べるようになったら森の中を探してみよう、なかったらなかったでしょうがない、帰ったら素直にクレア様に謝るしかないな……)

 鋼焔の頭の中に200億という金額が駆け巡る。



 そうこうしている内に湖が見えてきた。



 まるで鏡のように透き通った湖が二人の前に現れる。

 京が、綺麗ですね、と感嘆している。

 鋼焔もここまで綺麗な湖を見るのは初めてだった。

 その美しさを表現する言葉が見つからなく、ただ黙ったまま湖を眺めている。


『ようし、今日も大漁目指して頑張るぞっ!』

 この光景が当たり前なのだろう、シンクはさっさとバケツに座って釣り針に餌を付け始めている。


 鋼焔は湖の間近まで近づいて、水面を覗き込んだ。

 今日は風も無く、水面に波は立っていない。


 本物の鏡のように、覗き込んでいる鋼焔の顔が綺麗に映っていた。


(へー、御主人と京の顔が合わさるとこんな顔になるのですねー)

 二人を合わせた顔は少女にしか見えなかった。

 そして見た目の幼さの割に、美少女と呼ぶよりも美人と呼んだ方がしっくり来る様な外見をしている。

 しかし、実際は男なのだが。



(……御主人?)

 京はその時、水面に映っている自分たちの顔が不思議な――哀しんでいるような、喜んでいるようななんとも言えない表情をしていることに気が付いた。


 だが、それも一瞬のこと。

 

『コウエンちゃんもやってみる?』

 シンクがそう声をかけた瞬間、幻のように水面からその表情は消え去っていた。


『やる』

 鋼焔はシンクの隣に行って、釣り竿を受け取る。


『じゃあ、この餌つけてね』

 小さなミミズのような生き物が大量に入った箱を、鋼焔の目の前に片手で差し出した。

 

(ご、御主人、そのうねうねしている虫を触るのですか!? ……あ、あっ、ああっ、や、やめぇぇぇぇぇ)

 鋼焔は京の脳内の声を無視して、人差し指と親指で虫をつまみ上げ、ぷちっと釣り針に突き刺した。

 そして釣竿を湖に垂らす。

 さらに十秒後、鋼焔は魚を釣り上げていた。

 

『ちょっ!? …………僕より上手かも』

 自分よりも圧倒的な速さで釣り上げられ、シンクはショックを受けている。


 その後も鋼焔は順調に魚を釣り続け、一時間かからずバケツが満杯になった。


『よし、これぐらいでいいかな? コウエンちゃんそろそろ帰ろっか』


『わかった』

 これ以上は釣りを続けても仕方が無いので、二人は予定よりも早く帰宅することにした。

 シンクが魚の入ったバケツを持ち、鋼焔が釣竿と餌を持って帰宅の途に着く。

 帰り道、鋼焔は『アスカロン』が落ちていないか確認しながら歩いていた。



 すると、遠くに灰色の何かが見えた。しかもそれがもの凄い速さで近づいて来ている。

 そしてその灰色が、鋼焔たちの左側の草むらを掻き分け、正面に飛び出してきた。



『おいおい、青臭い匂いがするかと思って来てみりゃ、こりゃとんでもねぇな人間がいるじゃねぇか』

 2メートル近くある灰色の毛並みをした狼が現れた。

 その狼は筋肉質で、二足歩行し、驚くべきことにシンクたちと同様に精霊言語を話していた。

 彼こそ、この大陸で最も繁殖している魔物――人狼ワーウルフである。


「なッ!?」


(ご、御主人、狼が二足歩行して喋ってますよ!?)


(……驚いたな、これが、魔物なのか)


 鋼焔はこの世界に来て何度目かの驚愕の声を上げた。

 二足歩行はともかく、動物が話していることには度肝を抜かれた。


『コウエンちゃん、僕の傍から絶対に離れないでね』

 シンクは魚の入ったバケツを足元に置いた後、背中に背負っていた銀の戦槌を両手に持った。

 その長さは120cmぐらいで、先端の部分は子供の頭ぐらいの大きさだ。


 シンクは鋼焔を後ろにかばうように前に出て、両足を大きく広げ、重心を低くする。

 そして体を捻り、右に構えたハンマーを背中に回し、人狼から見て体で武器が隠れるように構える。

 

 鋼焔はシンクの構えを見て、戦闘に相当慣れているのだろうと察した。

 彼女の構えは堂に入っていて、表情も落ち着いている。

 つまり、彼女は日常的にこの魔物と戦っているのだろう。


 

 待ち受けるシンクに対して人狼はその巨体を縮こませ、四本足――クラウチングスタートのような姿勢をとった。

 ―――鋼焔は人狼の魔力が膨れ上がるのを感知した。どうやら神聖術のように魔力で身体能力を強化しているようだ。

 

 人狼が地面を蹴り、跳び上がった。

 しかし、跳んだ先は獲物である鋼焔がいる方向ではない、木に向かって跳んでいる。

 そして、俊敏な動きで木の幹を踏み台にした。

 三角跳びの要領でさらに上に大きく跳び上がり、シンクと鋼焔の後ろに着地。


 人狼と鋼焔の間に障害物は無くなった。

 着地した直後、長く赤い舌を伸ばし、よだれを垂らしながら、鋼焔目掛けて疾走する。


 人狼の牙が鋼焔の頭に後50cmで届こうか、というところで、鋼焔は背後のシンクから魔力が迸るのを感じた。


『ハアァァァァッ!!』

 シンクが気合の籠もった咆哮を上げ、ハンマーを体の後ろ――斜め後方下から背の高い人狼の左側頭部目掛けてフルスイングした。

 

 そのシンクの攻撃を人狼は屈んで避けようとしている――鋼焔の背が低いため口を下げようとしたのだ。


 しかし、その瞬間、銀の槌の先端から野太い電撃が迸り、屈もうとしていた人狼を感電させ、動きを停止させた。


 ――シンクたちは魔術を使えないが『能力』がある。彼女は雷と身体強化を操る。


 そしてそのままシンクの一撃が停止した人狼の頭を横から殴りつける。

 

 人狼の頭蓋が砕ける音がした、と同時に脳漿をぶち撒きながら横にすっ飛んでいく。

 殴られた頭に引っ張られるように勢いよく草の上を滑る――数メートル滑って止まった。

 そして数秒後、人狼の姿が霞のように消え去った。どうやら消滅したようだ。


『うん、もう大丈夫だよ』

 血のついた銀のハンマー片手に、シンクは笑顔で振り向いた。


(い、一撃!? ……シンク様、なかなかやりますね、かなりの魔力を感じました)


(そうだな、魔法陣課にいてもおかしくないぐらいだ)

 京が驚くのも無理は無かった、元の世界で精霊といえば住み処から出ると人の魔力が無くては戦えない脆弱な存在なのだ。

 人狼の方もそれなりの動きと魔力を見せていたが、シンクと比べれば赤子のようなものだった。

 

『コウエンちゃん、それじゃ行こっか』


 シンクはハンマーについた血を拭った後、鋼焔の手を握り締め再び歩き出した。



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