『名探偵?』
鋼焔たちが、正門を潜ると辺り一面にどこまでも緑が広がっていた。
城内への扉へは、まだまだ遠い。
庭園には、誰かの趣味なのか、植木が綺麗に刈り込まれてトピアリー―――ウサギや熊のぬいぐるみの形にされている。
中央には噴水があり、大きいライオンの彫刻の口から、水が空に向かって噴き出していた。
鋼焔は、歩きながら隣の古賀に囁くように声をかける。
「古賀さん、ちょっといいですか」
「ん、なんや鋼焔くん」
振り返った古賀に耳打ちして、鋼焔はある頼みごとをする。
「………おっけー、わかった、それぐらいはやっといた方がええやろなぁ」
その内容を聞いた古賀は、何度か、うんうんと頷きながら納得し了承していた。
しばらく、庭園を歩き、やっとのことで城内への扉へと辿り着くと、すでに巨大な鉄の扉はギギギと音をたてながら開き始めていた。
「「「「クレア様、お帰りなさいませ」」」」
完全に開いた扉の中には、クレアの帰宅を待っていたのだろう、エプロンドレスを着た数十名の侍従が深く頭を下げて一斉に挨拶をした。
「メ、メイドさんがいっぱいだ……」
悠は、やっぱり天城家は負けている! とショックを受ける。
「……クレア様、此方の皆様は、御学友でいらっしゃいますか?」
一番手前に立っていた二人の女性の内、他の侍従とは少し異なるデザインのエプロンドレスを着た女性が、クレアの後ろにいる鋼焔達に気がついて訊ねた。
「ええ、ただいま、グロリア、彼らは同じ魔術学校の仲間です」
「突然なのですけど、実家に招待したくなってしまって、此度の帰省にご一緒して頂きました」
クレアは、鋼焔との打ち合わせ通り、実家にはなにも知らせず鋼焔達を連れて来ていた。
しかし、考えていた言い訳は強引で、少しぎこちない説明になってしまっている。
「そうでございますか、――申し遅れました、インスマス王家の侍従長、グロリアと申します。遠路はるばる、ようこそお越しくださいました。皆様方が滞在なされている間、誠心誠意尽くさせて頂きます」
グロリアは、何らかの事情は察したが、主の娘と、その客に対して突っ込んだ話を聞くわけにもいかず、すぐに思考を切り替え、礼儀正しく挨拶をした。
「初めまして、王の秘書官を務めさせて頂いております、アリアと申します」
そして、一番手前に立っていたもう一人の女性、スーツスカートを着た――アリアが鋼焔達に向かって挨拶をする。
「…………初めまして、天城です、短い間になるかと思いますが、よろしくお願いします」
鋼焔は彼女――アリアを見た瞬間、生まれて此の方感じたことの無い、奇妙な感覚に襲われた。
眠っていた本能が無理矢理目覚めさせられるようだった――目が血走り、耳は冴え、手に少し汗をかく。
だが、それも一瞬のことで、すぐに平静を取り戻した鋼焔は挨拶を返し、アリアの全身を観察し始める。
「あの、いかがなされましたか?」
アリアは、そんな鋼焔のなめ回すような視線をものともせず、落ち着いた様子で鋼焔に問いかける。
「お、お兄ちゃん見過ぎだよ!」
「コ、コウさん……」
「……天城様」
しかし、女性陣には、鋼焔がアリアの体を性的な目的でなめ回すように見ているようにしか映っていない。
なぜなら、アリアのスタイルは抜群で、胸は沙耶以上の大きさを誇っている、Bの数字が恐らく三桁に届いているのだろう、そんな鋼焔の様子を見て、沙耶は瞳を潤ませ、悠は牛が増えたと嘆き、クレアは白い目で見ていた。
「天城くん、男すぎるやろ……」
「コウ、アホか!」
古賀は、そんな鋼焔を勇者と認め、明人は鋭いツッコミを入れた。
「すいません、失礼致しました」
鋼焔は、周りの声が全く聞こえていなかったのかアリアの全身をじっくりと確認したあと、僅かに鋭い眼差しをしながら返事をした。
「……それでは、お部屋の方にご案内させていただきますね」
一部始終を見守っていたグロリアが、少し苦笑いしながら皆に声をかける。
城内に入ると、三つも四つも階段があるホールになっており、中央正面には恐らくインスマス王と思われる油絵が飾ってあった。
天井にはシャンデリアが飾ってある。
床には高級そうな赤い絨毯がどこまでも敷かれていた。
「客間へは、一階の転送装置から二階へ行って頂くことになります」
「へぇー、クレアさんのお家って転送装置まであるんだ、すごーい」
悠は、ますます天城家と差をつけられていく状況の中で、これは無駄遣いしすぎじゃねーのかよ、と視線に籠めて彼女に向けて感想を漏らす。
「小型の物ですが……、ですけど、無かったら物凄く不便なのですよ、五階まで行くのに十分近くかかりますし」
クレアは少したじろぎながらも正当な言い訳を口にする。
「――それではこちらになります、一人一部屋御用意させて頂きましたので、ごゆっくりおくつろぎくださいませ」
転送装置で二階に着くと、左右にいくつもの部屋があり、まるでホテルのようになっていた。
「あ、天城様」
さきほどまで、侍従から何らかの連絡を受けていたアリアが声をかける。
「「はい?」」
天城と呼ばれた鋼焔と悠が同時に振り返った。
「すいません、鋼焔様の方でございます―――インスマス王が是非とも面会したいと仰せられていますので、謁見の間にいらしてくださいませんか?」
アリアは詫びた後、鋼焔に向かってそう言った。
「了解しました―――じゃあおれはインスマス王に謁見してくるから、悠たちは部屋に荷物いれといてくれ」
鋼焔はそう言い残して、侍従と共に王の所を目指して歩いていく。
「天城様、わたくしは着替えてから伺いますので先に行っておいてくださいませ」
そして、クレアから、声をかけられ振り向き頷き返した。
「うん、わかったよー」
「では、コウさんの荷物は、私が開けておきますね」
沙耶と悠は我先にと、鋼焔の荷物を奪い合い始めていた。
鋼焔が去ったあと、
「ありがとう、グロリア、急だったのにごめんなさいね」
クレアは、この短時間――鋼焔達が部屋に着く前までに、全ての部屋のベッドメイクなどの準備を済ます命令を影ながら下していた侍従長の労を労った
「いいえ、クレア様が初めて殿方を御招待されたのですから、グロリアにはこれ以上喜ばしいことはございません!」
グロリアは、両頬を手の平で押さえ、夢見心地な瞳になり、クレアの将来に思いを馳せていた。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとグロリア、何を言っていますの! そ、そこの御二人、笑わないでくださいま―――ひっ……」
クレアは一瞬で紅潮し、ニヤついている男性陣二名に突っ込んだ後、怨念のような気配を感じて青ざめ、か細い悲鳴をあげた。
怨念――沙耶と悠が、鋼焔の部屋の扉の隙間から、凍えるような視線をクレアに向けていた。
二人は、やはり、この女は油断してはいけないと再確認する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「入ってくれ」
鋼焔が謁見の間の扉の前に着き、侍従が扉を鳴らすと、中から低く明瞭な深みのある声が聞こえてきた。
「はい―――お初にお目にかかります、日鋼が当主、天城鋼耀の長男、天城鋼焔と申します」
鋼焔が扉を開くと、短髪に髭をたくわえた渋い中年の男性と、その奥さん――クレアによく似ている女性が豪奢な椅子に座っていた、恐らく母親なのだろうが……どう見ても十代後半から二十代前半にしか思えない。
―――魔力が高い女性は見た目を若く保つことができる、クレアの母は正にその良い例だった。
そして、その二人の前で鋼焔は片膝を着き、丁寧に挨拶をする。
「いやいや、顔を上げてくれ、そんなに畏まられては困る、一月前の一件、先ほど妃から聞いた、娘が生きているのは君のおかげだ、心から礼を言わせて貰おう、ありがとう」
インスマス王は、膝を着いている鋼焔を見て焦ったようにそう述べた後、本当に心の底からそう思っているのだろう、真摯に感謝の言葉を言い表した。
「いえ、ですが……」
あの一件は、鋼焔に責任が無いわけではない、だから心苦しく思うのだが。
「君の事情も分かっている、それも先ほど妃から聞いたが、それでも助けてくれたのは君だよ、ありがとう」
となりで、クレアの母だろうと思われる人が優しい表情で鋼焔を見守っていた。
「―――わかりました」
鋼焔は恐縮しながらも、感謝の言葉を受け入れた。
これ以上遠慮するのは、逆に失礼にあたるだろう。
なにより、王の言葉は心に染み入るように力強く、誠意があり、優しかった。
父、鋼耀もそうだが、やはり人の上に立つ人間というのはどこか声そのものに不思議な力でもあるのではないかと、鋼焔は思った。
そして、ここに来るまで、インスマス王に対して阿呆な想像をしていたことを恥じた。
「うむ、それでいい――しかし、クレアはどうして私にその事を一月も黙っていたのか……、もう少し早く言ってくれれば天城殿を国賓として招いていたのだが、まぁ今更仕方がないか……」
インスマス王は、少し悔しそうな表情になり、残念がっていた。
国賓と聞こえた鋼焔は、それこそ恐縮の至りだろうと苦笑いせざるを得なかった。
「お父様、お母様、ただいま戻りました」
しばらく、鋼焔と王が会話していると、艶やかな赤いドレスをその身に纏ったクレアが現れた。
ドレスは背中がぱっくりと開いて、黒いフリルが施されている。
真っ赤なそれは、クレアの金髪と相まって、より一層彼女の魅力を引き立たせていた。
「おかえりなさい、クレア」
「お母様」
クレアと彼女の母は再会を喜び、互いに抱きしめあう。
それを見ている王の様子が、少しおかしくなっていることに鋼焔は気が付いたが、気のせいだと思った。
「クッレアちゅわぁ~ん、パパにも! パパにもギューってしてぇ、ギューってぇッ!」
気のせいではなかった、鋼焔が先ほどまで王に感じていた威厳とかカリスマと言われるものが音を立てて崩れ去っていく。
「嫌です」
クレアは、そんな父に対して絶対零度の視線を返す。
「しょ、しょんなー……、パパのこと嫌い? 嫌い??」
王が、泣きそうになっていた。
鋼焔も、なんとなく泣きたくなってきた。
「――お父様、少しの間黙っておいて頂けますか」
クレアに氷河期が訪れている。
「……ぅうう、ふぁい……わかりましたぁ……」
そして、鋼焔は、クレアが男嫌いだったことを思い出した―――間違いなくその原因は父親にありそうだと思い至る。
「……お母様、今日は突然、天城様を招待してしまい申し訳ありません、以前から準備をして歓迎したいとおっしゃられていましたのに」
「いいえ、別にいいのです、今からでも相応の準備をすればいいだけのことですから」
王は、いじけてしまったのか、下を向いて絨毯の刺繍をいじっている。
二人はそんな王を無視して話し始めている。
鋼焔は呆然となって立ち尽くしていた。
「それも、そうですね、――それと、天城様の方からもお話があるのですが」
「――あ、は、はい、いきなり不躾なお願いで申し訳ないのですが、『騎士領』への立ち入りの許可を頂きたいのですが」
クレアに話を振られて、意識を現世になんとか帰還させた鋼焔が、ここへ来た目的を思い出す。
「『騎士領』ですか……、今は長女のフローラと、秘書官のアリアが管理していますので、フローラが戻り次第、すぐにでも許可が下りるよう話を通しておきます」
「突然の申し出にも関わらず、ありがとうございます」
「いいえ、気にしないでください、娘を助けていただいた礼だと思ってください」
「……はい」
クレアの母から優しい言葉をかけられ、再び恐縮し、あっさりと目的を果たせそうだと安堵した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
クレアと別れて自室に戻ってくると、沙耶が鋼焔の荷物を整理していた。
「コウさん、どうでしたか?」
「ああ、問題は無さそうだった、クレア様のお姉様が帰ってこられたらすぐにでも行けそうかな」
「そう、ですか」
沙耶は、もうすぐ訪れるかもしれない父との対面に、何か思うところがあるのだろう、少し思案顔になる。
「あ、それと、インスマス王はどんな方でしたか? 稀代の女たらしで親馬鹿という噂があったんですが」
しかし、一転して、楽しそうな顔になり、鋼焔が今一番聞いてほしくないことを訊ねてきた。
「……さ、沙耶言い過ぎだろう、おれはなにも見たくなかった」
鋼焔は、あんな現実を認めたくはない。
「……コウさんのその動揺の仕方をみると、何を見てきたのか、私、気になります」
沙耶は、すでに鋼焔の表情からある程度察しているが、以前からの噂を、鋼焔の口から聞きたそうにしている。
「……この話しはもう止めておこう、ちょっとクレア様に話があるから行って来る」
鋼焔は、やっておかなければならないことを思い出し、そう言った後、逃げるように部屋を出て行く。
「はい、いってらっしゃいませ」
「悠さん」
沙耶は、誰もいなくなった部屋で悠を呼ぶ。
「ババア、行くのか」
すると、ベッドからガバッと悠が現れ返事をした。
「はい」
「よし」
二人は互いの腕同士をガシっとクロスさせて頷くと、鋼焔を追跡し始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「クレア様、少々お時間よろしいですか?」
クレアの部屋の前に着いた鋼焔は、扉をノックして返事を待つ。
「どうぞ、お入りになってくださいませ」
クレアの部屋は、来客用の部屋と大差の無い大きさだった。
今は、ほとんど使われていないためか、余計なものがなくスッキリしている。
部屋の端っこに、人形とぬいぐるみが飾られているのが目立っているぐらいだ。
「天城様、どうなされたんですか? ……もしや『騎士領』のことでしたら、秘書官のアリアに聞いて頂いた方が詳しい話を聞けるかと思いますよ?」
クレアは、鋼焔がやって来た理由を察して、そう進言する。
「実は、そのアリアさんについて話を聞かせてもらいたいのですが」
しかし、鋼焔の考えは違った、今は騎士領よりも彼女の情報が必要になっていた。
「アリア……についてですか? ――もしかして彼女を疑われておられるのですか!?」
クレアは、一瞬不思議に思ったが、鋼焔が考えていることに思い至り、次第に声が大きくなっていく。
そして、身内同然の者が疑われたが、怒りよりも、驚きが先にたっていた。
「はい」
鋼焔は、普段通りのまま、素直に返事をする。
「……わかりました、ですが、彼女はずっとインスマス王家に尽くしてくれているのですよ、杞憂かと思われますわ」
クレアは、少し呆気に取られたが、どう考えても彼女は関係ないだろうと思う。
了承し、鋼焔の質問に答える心の準備をする。
「それでも、一応聞かせてください、彼女は『騎士領』に出入りしているんですよね?」
「はい、以前は妹たちの教育係りをしていたのですが、四年ほど前に父に申し出て秘書官に登用されて以来、フローラ姉様と『騎士領』の管理をされています」
「――四年前、ですか、最近、彼女について何か変わった事とかありませんでしたか?」
神宮寺信夜が、事を起こしたのは五年前。
四年前と聞いて、鋼焔はさらに疑惑を深めていく。
「……わかりません、今日はわたくしが帰省したので珍しく戻ってきているのですが、普段は『騎士領』の管理と秘書官として働いているので、わたくしも、母も、ここ最近は全く彼女と話しをしていませんの……」
クレアは、すまなそうな表情で答えた。
「そうですか、後、彼女に好きな物はありませんか」
鋼焔は、もう少し些細な情報でもいいからと、続けざまに質問していく。
「……甘い物が好きですね、昔はよく一緒にケーキを食べたりしておりました」
「では、苦手な物は?」
「苦手な物、ですか……、そういえば、わたくし小さい頃お転婆で虫とかカエルとかヘビを捕まえてはアリアのところまで見せに行っていたのですが、……わたくしのせいでトラウマになってしまったのか、見ただけでお顔が蒼白になられますわ」
「なるほど、後、あの胸は本物ですか?」
一見、どうでも良さそうに思える質問を鋼焔は繰り返していく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その頃、クレアの部屋の扉の前には、
(……コウさん、やっぱり、あの女が気になっているんですか!?)
沙耶と、悠がいた。
しかも、鋼焔が、変な質問をし始めたタイミングだったので、勘違いされている。
(おい、ババア、ドアにへばり付き過ぎだろ、メイドさんに変な目でみられてるぞ……)
周りにいる侍従のギョッとした視線が二人に集まり始めていた。
(悠さん、今邪魔しないでください、私の沽券に関わることなんです)
沙耶は、必死だった。
鋼焔が先ほど、初めて自分より胸の大きな女性に見惚れているのを見た瞬間、かつて無い精神的ダメージを受けたのだ。
神宮寺沙耶は、初めての敗北の味を噛み締めていた。
(ちょっと胸のサイズで負けたぐらいで、そこまで必死になるもんなのか……)
(……悠さんぐらい圧倒的戦力差で最初から勝負が決まっているなら、諦めもつくんですけど……)
(……テメェ、クソババアいい加減に――むぐっ…むうーうーむぅー……ぅー……)
(悠さん、静かにしてください、今大事なとこなんです)
必死な沙耶は、誤って悠の鼻と口の両方を押さえてしまい窒息させそうになっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あ、天城様、失礼ですわ! アリアは同性にじっと見られていてもすぐ赤面してしまいますのに、先ほどの天城様の視線は最低でしたわ!」
さすがに、鋼焔の失礼な質問に対してクレアは、尤もな怒りをあらわにした。
「すみません」
しかし、鋼焔は、口では謝罪の言葉を述べているが、ますます疑惑を深めていく。
「……お話しの方はもう結構ですか?」
特殊な目的を持った帰省をして、色々と気を張っていたのかクレアは少し疲れ始めていた。
「ええ、助かりました、ありがとうございます」
鋼焔は、ある程度欲しい情報を手に入れたことと、クレアも帰宅して疲れているだろうと思い、話を終わらせることにする。
「お役に立てて嬉しいです、……疑いも晴れるといいのですけど」
「そう、ですね、それでは失礼します、またあとで」
「はい、また、なにかあればいらしてくださいませ」
鋼焔は一礼をして部屋を出て行いった。
「……ん? 気のせいか」
鋼焔は、部屋の中からでも、扉の前に誰かの気配を感じていたのだが、周りには苦笑いをしている侍従がいるだけで誰もいなかった。
もう何人か、怪しい人間が入り込んでいて、さっそく餌に食いついてきたのかと思っていたが勘違いだったようだ。
その、怪しい人間の沙耶と悠は、すでに扉の前から全力で逃げ出していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
鋼焔が、自室に戻って明人と話していると、
「天城様、いらっしゃいますか?」
グロリアが扉をノックしながら声をかけて来た。
「はい、どう―――」
鋼焔が入室を促そうとしたところで、扉がバァン、と凄まじい音を立てて、壊れるのではないか、という勢いで開く。
「フ、フローラ様!? お待ちになってください」
侍従長のグロリアは焦った表情で、扉を開けた主を宥めようとしている。
しかし、それを物ともせず、
「貴様か、『騎士領』に入りたいという不届き者は、連絡もせず来訪しておいて非常識なヤツめ、聖騎士でもない人間を入れるわけがないだろう、とっとと祖国に帰るのだな」
扉を豪快に開けて現れた女性――クレアの姉のフローラは、吊り上った鋭い眼で鋼焔を睨みつけ、綺麗に背筋を伸ばしながら、鋼焔を思い切り指差し、言いたいことだけ言った後、鋼焔たちの反論を待たず、すぐに立ち去った。
「も、申し訳ありません、天城様、フローラ様は少し儀礼や慣習に拘りがある御方でして……」
グロリアは青ざめた顔で、鋼焔に弁解する。
「いえ、気になさらないでください、彼女の言い分は尤もかと」
鋼焔は扉が勢いよく開いたことに驚いていたが、それ以外は全く気にしていなかった。
「……本当に申し訳ありません、……失礼致します」
何度も頭を下げた後、グロリアも立ち去った。
「明人、どう思う?」
「うーん、結構怪しいねぇ、たしかに尤もな言い分だけど、妹の恩人に対する反応にはみえない気がするぜ、ところで――アリアさんの方はどうだったんだ?」
「―――アリアさんは間違いなく黒だ、ただ、クレア様に話しを聞いてから少しばかり違和感がある、少し嫌な予感がする」
鋼焔は、自分が来ることを伏せて、事前に名前がばれないようにしていた。
さらに、鋼焔は古賀に下の名前を呼ばないよう、頼んでおいた。
インスマス王国の人間は、父の鋼耀ならいざしらず、鋼焔の名前を知っているものは少ない。
クレアが言っていたように、アリアは、クレアとその母との会話が無いならば、鋼焔の名前を知っている可能性はまず無い。
だが、彼女は咄嗟に鋼焔の名前を口にしてしまった。
つまり、鋼焔のことを調べておいた、ということだ。
秘書官になった時期も怪しい。
しかも、『騎士領』を管理している。
だから、鋼焔は彼女を怪しいと思う、神宮寺信夜を手引きした可能性があるのではないかと。
―――しかし、それ以上に、恐らく十数年も潜入していた人間が、知らないはずの名前を呼ぶ、という『初歩的なミス』をするハズがないのだと確信している。
鋼焔は、アリアに舐められている、挑発されているのだ。
さらに、クレアから聞いた話と神宮寺信夜の研究が、それ以上に嫌なものを運んできているような気がしている。
だからこそ、最初に覚悟していた『罠』と見なす。
追い詰めようとした此方が、まんまと誘い出されたのだと、気持ちを切り替える。
「それに――京、彼女を見て何か感じなかったか?」
鋼焔は、初めてアリアを見た時の何とも言えない感覚を思い出す。
「……御主人、京も確かに何かを感じました。はっきりとは分からないのですが……」
鋼焔の隣に現れた京も、どう言い表して良いのか分からない、という表情で困惑していた。
「おれは、なにも感じなかったけどなぁ」
鋼焔と京にしか分からない何かがあったのだろうかと、明人は首を傾げていた。
「……しかし、その嫌な予感が当たらないことを祈るしかないな」
「ああ……」
鋼焔の願うような呟きが部屋に漏れていた。