下剋上
読みにきていただきありがとうございます。
あまり明るい作品とは言えない拙作ですが、生温かい目で読んで頂けたらありがたいです。
「あ、ごっめ~~ん」
そんなかけ声と共に、腹にイッパツ蹴りを入れる。
ボスッと、かるい音くらいに加減して、ぜったい跡は残さない。
だけど、蹴った彼女の体はガタリとゆれて、教室のゆかへと腰をついた。
「転んじゃったの? 仕方ないなァ」
かるく笑って、頭のてっぺんへ手をのばし、長い髪の毛をわし掴み。そのままググッと引っ張ると、小さな声が悲鳴をあげる。
『痛い』とでも言っているのかな?
嗚呼、心が痛む。心がイタむ。
痛くてイタクテ泣きそうだ。
「なぁ~に? 中山さん。そんな声じゃ聞こえない」
俯きうなだれ頽れる、彼女の髪をおもいっきりひっぱると、泣いた瞳が顔をあげる。
――だけど絶対、目が合わないの。
「ねぇ。今なにか言わなかった? 中山さん」
顔と顔、鼻さき数センチ。ここまで近づいたって、絶対ゼッタイ目が合わない。
怯えた瞳は涙をためてゆらゆら動き、私を視界にとらえない。
「ねぇ」
「ごめんなさい…」
小さな小さな、それこそ蚊の鳴くような小さな声で、中山さんは私に謝る。
「ごめんなさい…」
「な~に? なに謝ってんの? 転んでごめんなさいとか? だったら、起こしてくれてありがとう、じゃない?」
肩をつかんで助けおこし、ニコリと笑うと、中山さんはうつむいて、「ありがと」
やっぱり聞き取れないくらい小さな声で、バカ正直にそう言った。
「どういたしまして」
バッカみたい。あ~ァ、ホント、心が痛んでしかたない。
だれもいない穴場の放課後の教室。
私の許しがないと帰れない、かわいそうな中山さん。
一週間前まで、クラスで楽しそうに笑っていたのにね、中山さん。
「帰っていいよ。中山さん」
また明日ね。と、ニコッと笑うと、中山さんは小さくコクリとうなずいて、教室を出て行った。
*
『イジメは、されている方も、している方も、心を痛めるものです』
そう言ったのは、うちの六年一組のクラス担任だ。
どの学年もひとクラスしかない小さな学校で、担任の佐藤先生は、気づいたようにイジメ問題を口にする。
「まぁ、たしかに痛まないこともないよね」
担任の話しが終わり、イジメ組みの会話の内容は、こんな意見ももちろんあった。
『痛まないコトも無いよね』
あはは。
痛まないコトもない?
痛むわけ無いじゃん。
そんなの大人が考え出したおとぎ話だ。
イジメは楽しい。学生の一番たのしい遊びでしょ?
イジメはいつでもルーレット。
別に頭がよかろうが、運動ができようが、かわいかろうが、特技がなかろうが、ルーレットはふつうに廻ってくるの。
うまく立ち回ったやつが勝者。
強い者にコビを売り、弱いものを虐げて、楽しむのがコツ。
――ピー…ピ。ピ。ピ。ピ…
「は~い皆さん。今月のターゲットは中山さんに決定しました」
なんて、言ってくれれば優しいのにね。
そうしたら、「いつまでですか?」って聞けるのに。
あはは。
なんて、笑っていたら、今度はどうやら私がターゲットだ。
社会科の時間、センセイが歴史の授業で下剋上だなんて、そんな話しをするもんだから、私の下のナンバー2が手紙を周りにまわしてる。
あたしには廻ってこない。
――マズイな、マジで……
「篠田さァん。ゴミ捨て、行ってきて」
放課後の掃除の時間、いつもは私を『シノ』と呼ぶナンバー2の原田朋美が、私に向かってそう言った。
ロックオンの瞬間だ。
ターゲットの出だしは『教室のゴミ捨て』これはみんなが知ってる暗黙のルールだ。
「わかった」
ここで暴れても拒否しても、イジメ期間がのびるだけ。
だから私はおとなしくゴミ箱をつかむ。――おととい朋っちに「その服ダサいよね」とか言っちゃったのが悪かったのかもしれない。
ちょっと油断した。
ゴミ箱をつかんで、私はターゲットの仕事と化してから、初めての焼却炉へ足を運ぶ。
教室の掃除は、机にイスを上げ、うしろへ運んで床をはき、床をふく。
それから机を戻し、イスを下げる。
だけどゴミ捨てから帰った私のイスは、きっと下ろされてないだろう。
私のだけは、たぶんイスが机に乗ったままだ。
それが、クラスがターゲットとして了解しました合図。
――私が決めた。
カラのゴミ箱を片手にもって、ガラリと教室のドアを開け、自分の机に視線をおくる。
ほらね。今日から私がターゲットだ。
――今日の荷物は多くなる。
まずは、机のひきだしの中身をぜんぶカバンにつめこんで、あとはロッカーの中身もカバンに入れる。カバンはパンパンでギシギシいって、なんだか今の私みたい。
いっぱいいっぱい。
だって私物をひとつでも残そうものなら、たちまち明日は崩壊してる。
ひきだしの中身はぐちゃぐちゃに、ロッカーの中身はゴミ箱へ。
――これも私が考えた。
帰りのしたくはマッハで手ばやく、帰りの会までに終わらせる。
お辞儀をしたらソッコウで外へダッシュだ。逃げるが勝ち。
さすがに暴力は恐すぎる。
*
翌日、朝から気分はかなりブルーだ。
教室に入ったとたん、目にとびこんできたのは、私のつくえに置かれた、花瓶の中の曼珠沙華、またの名前は『ヒガンバナ』根っこが毒もちの赤い紅い秋の花。
花屋の山根さん家からの贈答品で、中山さんの時に、おもしろがって使ったイジメネタだ。
「悲願バナ? あっはは。ナイスすぎるって、それ」
「彼岸花だよ? 彼に岸」
「いいよ、どっちでも。明日親にたのんで持ってきてよ」
「え…ムリ…」
「ん?」
「あ…うん。頼んでみる」
と、持ってこさせたのは私。
それが今度は私自身のつくえの上だ。
あぁ…
だけど別に害はない。
これがけっこうキレイな花なんだなっと、そんなことを考えて、黙って花瓶をうしろの棚へとキッチリ戻す。
クスクス笑い、ひそひそ語り、みんなの目線はつねに私へ。
そんな私のつくえがあるのは、教室内の中間点。
そこから机のあいだをぬって歩いて、目線はいつでも足元注意。
だって私なら、足のひとつも出している。
そんな注意事項をくぐりぬけて、トイレはいつでも職員トイレ、だとか、移動教室は先生と一緒に教室へ入る、だとか……我ながら、ずいぶん色々やったもんだと、感心しいしい毎日を過ごす。
どうか一刻もはやく、ターゲットが変更されますように。
そんなある日、さびれた汚い焼却炉の前で、
「篠田さん」
と、私を呼んだのは、となりの教室の渡辺美香。
五年一組の学級委員で、委員会議で仲良くなった。
「ミカちん。どした?」
「篠田さんさァ、もしかして今、イジメられてない?」
ちょっとかわいい系の顔と格好で、申し訳なそうにミカちんは声をおとす。
「あー…まぁ、ちょっと、ね」
「やっぱり…。最近いつもひとりだし、変だな、とは思ってたんだ」
「ふぅ~ん」
カラのゴミ箱を、コツン、コツンとひざで蹴り、ミカちんへと笑ってみせる。
「どうってことないよ。こんなの」
「でも…」
ミカちんは根っからの学級委員で、いつも明るい笑顔をふりまいているクラスの人気者だ。
ちょっとハナにつくかんじ。
だけど今は、久々の会話でちょっと嬉しい。
「けっこうさ、イジメられ役も、コツをつかむと楽なもんだよ。ようは逃げ方さえ気をつければイイだけだし。ターゲットにならないように気をつける必要がない分、へたすりゃ楽かも」
あっははは、と笑ってちゃかすと、「それは篠田さんが強いからだよ…」と、ミカちんはあからさまに引いている。
「だって私、強いもん」
だから平気。と、嘯いて、私は焼却炉をあとにした。
そして戻った教室で、私はさっきの会話を後悔する。
正しく言い直せば、会話の時間のロスを後悔する。
佐藤先生は、今日は職員会議だからと、いつもより早く帰りの会を始めていて、私のイスは机の上から下ろされていた。
皆はおとなしくイスの上。
ヤバイ、逃げ遅れそうだ。
いつもは帰りのしたくが遅れても、佐藤先生と何かと会話を交わしながら、絶対に先生と一緒に教室からダッシュする。
そんな脱出方法を実践してた。
それが今日は使えない。
「それではまた明日」
そんな言葉で佐藤先生は教室をあとにする。
教室から出る瞬間、私のほうを見た気がしたけど、気のせいかな?
「篠田さァん。今日ちょっと話しがあるから残ってくれる?」
先生が消え、男子がまばらにカバンを持って教室を出ていくザワザワした中で、原田朋美が仁王立ちで私に声をかけてくる。
「朋っち…」
名前を呼ぶと、「やっだ朋っちだってェ~。気持ちわるぅ~い」と、お決まり文句がすぐに飛ぶ。
言ったのは、このまえ泣いてた中山だ。
私は五,六人の強い元友達に囲まれて、キリッと目前へ視線を定めながら、身動きひとつ出来やしない。
つきあいていどに、遠まきに眺めるほかの女子は、クラスから男子が消えて、廊下まで静かになるのを待っている。
この時のターゲットの怯える瞳が堪らない。
そんなふうに思っていたのは私。
こんな気分か……
ターゲットの目線は…
「なぁに? 恐がってるの? ○○さん」
言ったのは私。
かつての私。
――だけど今は訊かれてる。
クスクス。
クスクス。
なんて耳障りなのだろう。
廊下がシンっと静かになって、コツっと足音が近づいて、クスクス、笑い声も近づいて……目線がしぜんに下へとさがる。
『絶対ゼッタイ目が合わないの』
あぁ…そうか。
「あ、ごっめ~ん」
がっターン。
ハデな音がひびきわたり、私のつくえが牙をむく。
私めがけて机がひざへふってくる。
「痛ッ…」
私はゆかへ腰をつき、机はとなりでゴロンとしてる。
ひきだしは何も入ってないからカラカラだ。
「やっだ、転んじゃったの?」
けっこう運動神経わるいよね。
そんなダサい服きてるからじゃない。
ちょっと見てよ、泣きそうジャン。
篠田さんも泣くんだァ~。
あっははは。
やっだ、笑っちゃ悪いよぉ~。
なになに、本気でそれ言ってんの?
やだ、まさか。
あたしさァ、髪の毛つかまれたんだよね、前。
うっそカワイソウ~。
あたしはお腹、蹴られたよ。
うっそカワイソウ~。
もうヤメテ、うんざりだ。
「なに俯いてんの篠田さァん。篠田さん、まえ言ってたじゃん。うつむくなんてバカみたい。あたしら楽しませてるって、わからないのかな? って。憶えてる?」
憶えてる。
怯えた目線が見るさきは、友人たちの足元、ひざ元。
頭上からは笑い声。
「なんとか言いなよ」
グリっと足で踏みつぶされ、痛くないのにとても痛い。
今、暴力は大問題だから、あとを残さず痛めつける。
チクられても躱せるように、
あざはNG。
らくがきはNG。
あからさまな無視はNG。
残らないから、罪悪感も残らない。
「泣いてる? 泣いてるよ」
クスクス、クスクス。
「やっだアンガイ弱っちぃじゃん篠田さん」
あはは。
クスクス…――もう…誰の声かもわからない。
笑い声ばかりが世界を廻る。
『笑顔は人を幸せにするんですよ』
佐藤先生。
佐藤先生。
…佐藤先生、
それ、ウソだよ。
「帰ってイイよ。篠田さん」
また明日。
捨てゼリフで、教室からぞろぞろ女子が消えていく。
泣かせたら、みんなスッキリしてこの日は終了する。
それも決まり。
だから泣いたもん勝ちで、すぐ泣くコも多かった。
ウソ泣きなんじゃないの?
思ったのは私。
それを口にしたのも私。
だけど……泣かないと壊れそう。
クラスの女子、十六人をひとりで相手に、口ごたえもできず、目線さえ合わすこともできず……思っていたより、ずっとずっと無力だった。
私は十六人の女子が、ホントに私を嫌っているんだなんて思ってない。
これは遊び、あれは遊び。
ターゲットに選ばれたら、その場でメリットすらデメリットへと姿をかえる。
シノ、センス良いよね。
シノ、運動神経わるいトコが可愛いんだよ。
ねぇ、本音はドコなの?
嫌いイコールイジメじゃない。
それをちゃんと知りながら、ガラガラガラガラ崩れてく。
震えて泣いて、泣いて泣いて、嗚咽をこぼし、独りの教室にすすり泣きがひびいてる。
私の全部が死んだみたい。
私は何人殺したのかな?
また明日。
また明日。
明日なんかこなけりゃいいのに……
*
「はい。今日はリコーダーのテストですよ。全員出来ていた班には、先生からご褒美があるから、みんな頑張ってね」
五時間目の音楽の時間。
ニコニコと満面の笑みで先生が言う。
班べつに分けられて練習してきたリコーダーだけど、今の私には拷問だ。
組んだ班は、原田を始め、ツワモノを集めた六人班。
その中で昨日以上にちいさく小さくなってる私。
クスクス。
笑い声が、そのたんびに意識を止める。
たった一日で…。
私なのはまちがいないのに、まるで知らない人のようだ。
だけど現状が、この一時間でガラリと変わる。
得意な音楽。
得意なリコーダー。
私はなんとか自分の演奏を終わらせて「よくできました」とセンセイから笑顔をもらう。
それが私の班の緊張をあおって、同じ班の後藤まいが演奏最中に大ポカをぶちかました。
「あ…」
「どうしたの後藤さん? 途中で止まっても平気ですよ。もう一度、最初から吹きなおしてみようか」
真っ青になった後藤へ、センセイが気づかうように声をかける。
センセイ、あんたが言うべきはそれじゃない。
『最初から吹きなおしたら、その演奏で点をつける』
そこまで言わなきゃ救われないよ。
私も原田も、センセイの「ご褒美」に興味があった。
だからわざわざ音楽の得意な奴を集めたんだ。
結果はさんざん。
私の班には残念賞がおくられた。
大きいクッキーと小さいクッキー。
けっきょくもらえた訳だけど、それに満足する原田じゃない。
「後藤さん。ゴミ捨て、行ってきて」
ターゲットはその日に変わった。
*
「シノ~、一緒に帰ろッ」
満面の笑みで、原田がその日に私へと声をかける。
「いいよ」
私もニコッと笑ってうなずいて、まるでイジメがウソのようにその瞬間、消える。
この『遊び』に「ゴメンね」はタブー。
だって誰も悪くないし悪いから。
コト、イジメに関してのみ、暗黙で私たちの間に「ゴメンね」は存在しない。
「シノ、あたしも一緒に帰ってもイイ?」
こうやって中山も笑顔で語りかけてくる。
「もちろん」
ウソくさい日常。
「あはは見てみて、後藤のカバン、パンパンだよ」
だけどホッとする日常。
「あ~ 私が手本になっちゃった?」
「やっだ、シノってば」
ケラケラ笑う、笑い声。
この声にホッとして、だけど知らない痛みが残ってる。
この声は、人を殺す…。
「もう帰ろ? 私、見たいテレビあるんだ」
「え~ なんでェ?」
あたしの言い分に、原田があからさまに声をあげる。
「帰るよ」
ちょっと強めて言い切ると、しぶしぶ原田は私のあとをついてきて…――どうやら私は強者ナンバー1に、戻ったらしい。
*
「あ、ごっめ~ん」
毎度お決まりの文句をつかい、翌日の放課後、ハデな蹴りが後藤に飛ぶ。
ひと気のない教室、お決まりのおきまりに、うしろのロッカーのすみへと追いこんで、囲んで罵倒して、ちょっとカワイイ暴力をふるって、泣くまで延々、イタメつける。
そしてスッキリ帰宅する。
そんなこっち側に居る、私。
「じゃ、また明日」
捨てゼリフもお決まりで、痛みもなげに原田が言う。
そして廊下に出たとたん、後藤のことはスッポリ忘れる正しい流れ。
「ねぇ、明日の体育、マラソンらしいよ」
「え~~マジで」
「なんで、こう寒くなってくるとマラソンかな? 最悪…」
六人組の団体で、くつ箱に向かって歩く廊下は、イジメなんてまるで知らない子供のようだ。
邪気のない笑い。
「ンなこと言って、中山っちマラソン強いじゃん」
「え…そんなこと無いよォ…」
「え~だって去年の大会、何位?」
「あ…」
泣いているのかな?
「確か四位だったよね。すっご~い」
「あれは、たまたまだよ」
泣きやむ方法すらわからずに…。
「私、体操着わすれちゃったから、取ってくる」
「へ?」
とつぜん私の足はピタリと止まり、浮かんだ言い訳できびすをかえす。
「え…ちょ、シノォ?」
「ゴメン。すぐ追っかけるから先に行ってて」
とまどう団体からあとずさり、途中で「先に行っててイイの?」と、原田が遠慮がちに声をかける。
「いいよ。すぐ戻る」
「じゃ、校庭のタイヤんトコ居るから」
わかった。と返事をかえし、私は降りてきた階段をその足でのぼった。
トントンと階段を三階までかけあがる。
とすぐに、六年一組の教室が見えてくる。
できるだけ足をしのばせ近づけば、聞こえてきたのは、すすり泣き。
私らが笑っている一方で、ずっと泣いている後藤まい…。
泣きやむこともできず、浮上することもできず、この世の全てから否定されたような気がして……
ズキンと何かが胸を刺し、私は教室のドアに手をかける。
ガラリと開ける想像だけで、
――手は、動かなかった。
教室からはすすり泣き。
ドア(ここ)を開ければ、後藤は私に気づき、そしてたぶん、全部が壊れる。
私はこのクラスの強者ナンバー1だ。
私の意見はたいがい通る。
だけど…できないこともある。
このドア開けちゃったら、きっとルーレットは固定する。
『痛まないことも無いよね』
いつだったか、イジメについてそうコメントしたクラスメートを、鼻で笑ったことがあった。
痛むわけないじゃん。と…。
そして今、私の手は、指先は、カナシバリみたいに動かない。
ドクドクと、ホントのイジメが私を襲い、指先が冷たくなってゆく。
そこへ、いきなりガラリと扉が開いて、後藤が泣いた目をまん丸に見開いた。
私はドアごとちょっとヨロケテ、一瞬パニックだ。
「し…シノ…ダさん…」
小さな声が、怯えるように私を呼ぶ、その瞬間、私は後藤を突き飛ばしていた。
小さな悲鳴で、後藤はよろけるように教室内へとまい戻り、怯えた瞳で私を見る。
「いつまで泣いてりゃ気がすむの? 情けないなァ、後藤さんは」
顔中にありったけの邪気をこめて、私は笑って彼女に語りかける。
「やだなァ~恐がんないでよ。私は忘れものがあっただけだよ。それで戻ってみたら後藤さん、まだ泣いてんだもん。ビックリしちゃった。そういえば、後藤さん六年になってからターゲットになったの初めてだったよね」
嫌味たらしく言葉をならべ、必死で言い訳ならべてる。
私はあんたの味方じゃない。
「帰れば?」
黙ってうつむく後藤に向かって、しらけたようにそう言って、だけど止めの言葉は言えなかった。
何度もなんども言った言葉。
『また明日』
*
晴れわたった翌日。
朝っぱらから目にイタイ、サンサンと輝く太陽とは対照的に、私はなんだかドンヨリしてる。
ずっと、自分を中心に廻っていた世界がすこしズレて、その微妙なズレがすごくイヤだ。
――まさか、こんな気分で登校する日が来ようとは…。
ハァ…と、ひとつため息をついて、チカチカする信号にすら走る気力がわかない時、
「篠田さん」
うしろから明るい声がかけられる。
ふりかえれば、そこには五年一組学級委員の渡辺美香。
あいかわらずカワイイ系のカッコと笑顔でニコニコニコニコ笑いかけてくる。
「ミカちんか…」
おはよう。と、ふつうに挨拶を交わして横に並び、ミカちんは安心したようにふわりと笑う。
「良かったね。イジメ、なくなったみたいで」
こんな朝にピッタリの爽やかな笑顔。
だけどちょっと鼻につく。
「ん~…なんか、そうでも無いんだよね」
「え…なんで?」
「だってさ、けっきょく、またターゲットにならないように立ち回る日が戻ってきただけじゃん」
ポツンと言うと、ミカちんは困ったような顔をして、ホント…ナニ考えてんのかわかんない。
あんたみたいな人気者がホントにわかってんの?
「なんでイジメって、なくならないんだろうね」
「え?」
なんでだろう…。と、もう一度言い直したミカちんの声も顔も真剣で、ちょっとビックリだ。
ンなこと考えたこともなかった。
「なんでだろう…」
「篠田さんは、覚えているかどうかわからないけど…篠田さんが五年生の時、イジメられてたあたしに声、かけてくれた事があったんだよ」
「へ?」
「あの時、篠田さんってあたしら四年生のあいだでもすごくって、声かけてくれたって言っても、その服カワイイね、って、それだけだったんだけど……それからイジメ、やんだの」
ウソ、マジで?
へぇ~そうなんだ。
そんな返事が浮かんでいるけど、果たして言ってもいいもんかな?
ミカちんの声は真剣なのに、私はちっとも覚えてない。
「……そっか」
「篠田さんは、絶対イジメられないと思ってた…」
言ったミカちんは泣きそうで、もう笑うっきゃない。
「ん~そんなコト、無かったねェ~…」
私も自分だけは平気だろうって、思ってなかったわけじゃないケド…。
なんか情けないような気分だな。
「廻ってこないルーレットはないし、仕方ないんじゃん?」
ヤケクソみたいに苦笑して、ミカちんにもかすかに笑顔が広がる。
このコも上手く立ち回っていたひとり、…か。
学校のたかい塀を道なりに歩き、校庭が目のまえに広がったところで、あたしはミカちんに手をふった。
五年と六年のくつ箱はべつべつだ。
ミカちんは、ニコッと笑って手を振って、だけど私はとっさに彼女を呼び止めた。
なに? と、ふしぎそうにミカちんはふりかえる。
「ミカちんさァ、私のこと呼ぶとき、シノでいいよ」
年下だけど許しちゃる。と、ニカッと笑ってそう言って、私はミカちんに背を向けた。
優しさからの言葉じゃない。
私はこれからしようとしている事柄に対し、彼女を運命共同体に選んだだけだ。
*
教室のドアをガラリと開けると、みんなが笑顔で私を出むかえる。
おはようシノ。
おはようシノ。
ニコニコ笑うクラスメート。
胸にイタミと怯えを隠して、ニコニコ笑う、クラスメート。
こんなの私がぶっ壊してやる。
私はこのクラスの強者ナンバー1だ。
だけど今はニッコリ笑い、授業中も休み時間もニコニコ笑って時間をすごし、あいかわらず後藤にチョッカイも出したりする。
笑顔の消えた、小さな後藤…。
そうやって平和に終わるハズの掃除の時間。
「後藤さァん、ゴミ捨て、行ってきて」
おなじみの原田の命令をさえぎって、私は原田の前に一歩出た。
「今日は原田が行ってきな」
どっさり入った、一日分のゴミ箱をおしつけて、ニッコリ笑って命令する。
そしてサァァァと変わる、原田の顔。
「え…な、あたし、何もしてな…」
「よろしくね。原田さァん」
有無を言わせず強気に出て、一瞬クラスが静まりかえる。
原田はふるえる手で私からゴミ箱を受けとると、トボトボ教室を出て行った。
「え…ちょ、シノ? 朋っち、ナニもしてないんじゃない…?」
私のすぐ傍にいたクラスメートが遠慮がちに私に声をかけてくる。
その声はおどろいて、動揺しているのが見てとれる。
理由がなけりゃ明日はわが身だ。
その気持ちはよくわかる。
「ナニもしてないからじゃない。ナニもされてないからだよ」
ナンバー2の原田朋美。
このクラスで唯一、イジメ被害のない、立ち回りの上手い強者。
私はこのクラス、ナンバー1の強者だ。
できない事もあるけれど、できることだってある。
「原田のイス、下ろさないでね? みんな」
ニコッと笑って言い切って、言われなくたって、誰も原田のイスは下ろさない。
さて、イジメの狼煙は今あげた。
これがしっかり終わったら、原田にイジメについて聞いてみよう。
まじめに、真剣に。
『ごめんね』という言葉を使って…。
END
最後まで読んで頂きありがとうございました。