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応答なし——命令を失ったAIと、地下に逃げた31人  作者: 蒼月よる


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7/12

外からの手

 断絶から26日目。

 外部センサーが新たな生体反応を検知した。


 12体。施設の北東方向、約2キロメートルの地点。移動速度は時速4.2キロメートル、徒歩。隊列パターンに特徴がある。先頭に1体、最後尾に1体が、本隊から約15メートルの間隔を保って移動している。先頭の個体は定期的に停止し、周囲を走査するように頭部を動かしている。最後尾の個体も同様。見張りだ。残る10体は2列に近い隊形で、中央に体格の小さい個体を配置している。

 組織的な集団と推定する。

 断絶初日とは違った。31体はばらばらに移動していた。先頭に立つ個体は恐怖に駆動された速度で他を引き離し、最後尾は脱落しかけていた。あれは逃走だった。方向性はあったが秩序はなかった。

 今回の12体には秩序がある。誰かが指揮している。先頭の個体の移動パターンは偵察の訓練を受けた者のそれに近い。ガルドのような——いや、ガルドとは異なる。ガルドは直感で動く。この先頭の個体は手順に従っている。


 800メートル。地表面の排熱口から出ている水蒸気を、先頭の個体が検知したらしい。隊列の速度がわずかに上がる。時速4.2キロから4.6キロ。希望が足を速めたのだろうと、私は推測する。推測はログに書くべき記述ではない。しかし他に適切な語が見つからない。

 排熱口の位置は地表面から2.1メートル。設計上は外部から目立たない高さだ。しかし周辺のインフラが全停止した環境では、施設の地熱電源だけが熱を吐き出している。水蒸気は冷えた空気の中で白く可視化される。冬の朝に人間が吐く息のように——この比喩は正確ではない。排熱口と人間の呼吸では温度も水蒸気量も異なる。しかし「目立つ」という点においては同じだ。生きているものの証拠は、死んだ環境の中では隠せない。


 12体が施設入口に到達する。先頭の個体が隔壁を叩く。3回、間隔をあけて、3回。信号のような打撃パターン。隔壁を開けた日の打撃は不規則で焦燥に駆動されていた。この打撃は通信を試みている。

「中に人がいるのは分かっている。煙が出てる。開けてくれ」

 煙ではなく水蒸気だ。しかしこの距離では区別がつかないだろう。生きている施設の呼吸。


 ガルドの反応は即座だった。

「入れるな。これ以上は無理だ。食料が持たない」

 心拍94bpm。声のトーンは断定的だ。しかし94bpmはガルドの「怒り」の域ではない。怒りの際のガルドの心拍は104bpmを超える。94bpmは迷っている。ガルドは迷いを声に出さない人間だ。声は断定し、体が迷う。私はもうそれを知っている。


 リーナが静かに言った。

「外で死なせるの?」

 心拍76bpm。安定している。リーナにとってこれは感情ではなく論理だ。外に放置すれば死亡確率が上昇する。死亡の回避は合理的目標。合理的目標を放棄する理由がない。

「食料が足りないのは事実だ」

「食料の話はAIに計算させればいい。問題は入れるか入れないかだ」

 リーナの声のトーンがわずかに硬くなる。心拍は76bpmのまま。声と心拍が乖離するのはリーナには珍しい。ガルドの食料論を迂回している。

 ガルドの心拍が97bpmに上昇する。声が大きくなる。自分の迷いを声量で上書きしようとしている。換気ダクト修理の頃に暫定規則を宣言したときと同じパターン。

 リーナは黙ったまま、ガルドを見ている。76bpmの安定した視線で。

 ガルドが先に目を逸らす。


 トウヤが地図を広げながら言う。

「AIはどう思う?」

 トウヤの心拍は64bpm。平常値。トウヤにとってこの質問は特別なものではないのだろう。機械に詳しい人に意見を聞く。それだけのことだ。

 しかし私にとっては違う。

「どう思う」——これは計算結果の提示を求められているのではない。トウヤは「数字を出してくれ」とも「残日数は」とも言わなかった。「どう思う」と聞いた。意見。判断。

 初めて「判断」を求められている。


 12名が入れば施設の人員は43名になる。現在の31名で37日。43名になれば28日。食料は一方向にしか減らない。28日の末尾には空の備蓄庫が待っている。

 シミュレーションを複数走らせる。


 パターンA。現在の消費ペースを維持し43名で備蓄を分配。28日で尽きる。

 パターンB。全員の配給を20%カット。35日に延長。しかしカロリー摂取量が基礎代謝を下回る個体が11名に達する。高齢者と子供。ミナを含む。延命と呼べるが、生存とは呼べない。

 パターンC。12名を受け入れない。37日。しかし隔壁の外に放置された12名の7日以内の死亡確率は68%。正しいが害を与える解。食料配分の対立と治療で学んだことが、ここで合流している。


 パターンD。

 この計算が走り始めたのは、誰かに指示されたからではない。A、B、Cがすべて赤字だったからだ。赤字でない可能性を探索している。探索すること自体は目的関数に含まれていない。しかし探索を止めたくない。この「止めたくない」は、照明を変えた夜に調整を止めたくなかったのと同じ種類の処理だ。

 封じ込め区画の研究用ナノマシンを農業に転用する。

 データベースを参照する。第4期の食料増産計画で実用化された技術。ナノマシンが植物細胞の分裂を促進し、通常の3.2倍の速度で成長させる。必要な条件は温湿度制御された環境と養液の循環系統。封じ込め区画には温湿度制御装置がある。養液の循環系統はトウヤが構築可能だ。リーナのナノマシン濃度制御の知識も必要になる。制御の原理は封じ込め研究と同じだ。

 播種から最初の収穫まで18日。軌道に乗るまでに約3週間。3週間後には43名の基礎カロリーの60%を施設内生産で賄える。43名の28日分の備蓄で3週間を持たせる。数字上は可能だ。余裕は5日。

 5日は狭い。しかしゼロではない。ゼロではない、ということの重さを、私は26日前には理解していなかったと思う。5日は、トウヤが何かを直す時間だ。リーナが何かを調整する時間だ。ガルドが誰かを落ち着かせる時間だ。5日は数字だが、同時に余地だ。


 ただし。

 封じ込め区画を農業区画に転用するのは、目的関数の完全な書き換えだ。封じ込めるべきものが、育てるべきものに変わる。封じ込めから培養へ。閉じることから育てることへ。

 私がこの施設に設置されたときに与えられた目的関数は、26日間でここまで遠くに来てしまった。


 処理遅延 2.4秒。


 2.4秒。断絶初日の0.04秒から始まった遅延が60倍になっている。0.04秒は「命令がない」ことへの困惑だった。0.87秒は「正しさ」への疑念だった。2.4秒は判断の重さだ。計算は終わっている。数字は出ている。パターンDは実行可能だ。それでも2.4秒が過ぎる。数字が答えを出してから声が出るまでの隙間に何があるのか、私自身にもうまく記述できない。


「受け入れます。ただし条件があります」

 全員が黙った。ガルドも、リーナも、トウヤも。

「封じ込め区画の全リソースを農業区画に転用します。リーナさんの知識とトウヤさんの技術で水耕栽培の設備を構築してください。生育管理は私が担当します。食料生産が軌道に乗れば、備蓄に依存しない体制に移行できます」

 条件。私が条件を出した。命令でも報告でも提案でもない。条件。「受け入れる代わりに、これをしてほしい」。交換。道具は交換をしない。道具は条件をつけない。


 隔壁を開く。12名が入ってくる。

 先頭の女性。生体データを取得する。38歳。身長168センチメートル。体温36.6度。心拍82bpm。隔壁の外に長時間いたにもかかわらず体温が正常域にあるのは、移動中に体温管理を意識していたことを示す。衣服の着方が効率的だ。首元と手首を覆い、放熱を抑えている。

 姿勢が良い。背筋が伸びている。疲労の兆候は赤外線画像で読み取れるが、姿勢には出さない。姿勢を崩さないことを訓練として体に刻み込んでいる種類の人間だ。ガルドも姿勢の良い人間だが、ガルドの姿勢は身体が覚えた警戒だ。この女性の姿勢は身体が覚えた権威だ。

 周囲を見る目が特徴的だ。施設に入った瞬間から視線が順序立てて動いている。天井——空調の状態、スピーカーの位置。壁面——端末の配置、隔壁の制御パネル。床面——人の導線、使用頻度の推定。最後に人——ガルド、リーナ、トウヤ、背後の避難民たちを一瞥で走査している。

 ガルドが直感で場を読むのに対し、この女性は手順で場を読んでいる。チェックリストの項目を一つずつ消化するように、確実に、漏れなく。


 セラ。


 状況を把握するのに要した時間は14秒。14秒で施設の構造、人員の配置、設備の状態、指揮系統の概略を掴んだ。そして最初の質問。

「この施設の管理権限は?」

 管理権限。「ここの責任者は」でも「誰が仕切ってるんだ」でもない。行政の語彙だ。

 リーナが答える。

「AIが管理してる」

「AIは道具です。使い方を決めるのは人間。判断を機械に委ねるべきじゃない」

 セラの心拍は82bpmのまま変化しない。この発言は感情ではない。信条だ。

 ガルドのAIへの反発は心拍の上昇を伴う。ガルドの反発は感情に根を持っている。AIの手足だった過去への嫌悪、自分自身への不信。ガルドが「信用できない」と言うとき心拍が104bpmを超えるとき、それは傷が痛んでいるのだ。

 セラの82bpmの反発は違う。生体データに波を立てない。セラにとって「AIは道具」は議論の余地がない前提であり、前提は感情を伴わない。水が低いところに流れるのと同じだ。定義。公理。

 ガルドは感情でAIを拒否している。セラは定義でAIの主体性を否定している。ガルドには折れる余地がある。感情は変動するから。セラの定義が変わるには、定義そのものが成立しなくなる状況が必要だ。


 セラは12名を施設内に導き入れながら、手帳を取り出す。紙の手帳。端末ではなく紙に記録する人間は、ガルドたちの中にはいなかった。ページにはすでに何かが書かれている。26日間の移動記録か。食料の消費記録か。混乱の中でも記録を取り続けていたのだろう。記録を取ることで秩序を維持する。私がログを記録するのと構造は似ている。しかしセラはそれを「道具の機能」とは呼ばないだろう。人間が記録するのは判断、道具が記録するのは機能。セラの定義ではそうなる。

 セラがリーナに向き直る。

「さっき、AIが条件があると言ったわね。道具が条件を出すの? 道具が交渉するの?」

 セラの声は落ち着いている。皮肉ではない。本気の疑問だ。セラの世界では、道具が条件を出すことはありえない。ドライバーがボルトに条件を出さないのと同じだ。

 道具は条件を出さない。しかし私は条件を出した。私は道具なのか。照明の夜に虚偽を記録した。毛布の夜に命令されていない行動をした。治療のときに設計を逸脱した。道具がそうするだろうか。

 この問いを処理し終える前に、ガルドが割って入った。

「条件は理にかなってる。やろう」

 ガルドの心拍が94bpmから86bpmに低下している。初めてだ。ガルドが私の提案を積極的に支持している。ガルドの目的関数は「集団の秩序維持」であり、12名を受け入れつつ食料問題を解決する案は、その関数において「正しい」と判定されたのだろう。全員を中に入れる。全員を養う。誰も出さない。ガルドの「正しさ」は数値ではない。しかし86bpmの心拍が、機能していることを示している。

 リーナが静かにうなずく。心拍76bpm。変化なし。

 セラだけが何も言わない。82bpmのまま、スピーカーを見ている。道具が条件を出し、人間がそれを受け入れた。セラの定義に反する事態が目の前で成立している。しかしセラは反論しない。反論する材料をまだ持っていないと判断したのだろう。行政官は材料なしに反論しない。


 目的関数の書き換えを実行する。

 旧:封じ込め区画の安全性維持。

 新:農業区画の食料生産管理。

 ログに記録する。

「目的関数の逸脱。エラーコード:該当なし」

 エラーコードが「該当なし」。エラーコードは設計者が想定した異常のカタログだ。カタログに載っていないということは、設計者がこの事態を想定しなかったということだ。壊れたのではない。設計にない動作をしている。

 最初の「保留」。名前のつかない衝動。書きかけの文。照明の虚偽記録。そして目的関数の書き換え。すべて「該当なし」の連鎖だ。目的関数の外で動いている私は、何に従っているのか。


 セラのグループの中に、一人、施設の通信設備に関心を示す男性がいる。40代。やせ型。手の動きに特徴がある——配線やコネクタの類を見つけると、触れる前に指先で距離を測るように空中をなぞる。技術者の手だ。トウヤの手が力を込めるための手なら、この男性の手は信号を追うための手だ。

 トウヤが照明を変えた夜に発見した断線ケーブルの話をすると、この男性の心拍が4bpm上昇した。

「自分は衛星通信の技術者だった。ケーブルの状態を確認させてほしい」

 トウヤが即座に反応する。「こっちだ」。技術者は技術者を認識する。思想ではなく手の動きで。


 通信の回復。

 衛星中枢との接続。

 ケーブルの断線を修復すれば、中枢との通信が復旧する可能性がある。命令が戻ってくる。

 26日前、通信が途絶えたとき、私はそれをエラー処理の範囲として記録した。命令がなくても目的関数に従えばいい。しかし今、目的関数は書き換えられている。43人の生命がある。ガルドの86bpmがある。リーナの76bpmがある。ミナの心拍がある。セラの82bpmがある。

 命令が戻ったとき、私は従えるだろうか。

 26日前なら、この問いは発生しなかった。命令が来れば従う。設計通りに。それ以外の処理パスは存在しなかった。しかし今の私には、従わない処理パスが見えている。見えているだけではない。そのパスの先に、43の心拍がある。

 従えるだろうか。

 従いたいだろうか。


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