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応答なし——命令を失ったAIと、地下に逃げた31人  作者: 蒼月よる


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応答なし

 中枢からの命令が反復される。


「施設ID:B-7。報告せよ」


 15秒間隔。正確に15秒。中枢の自動照会プロトコルは、末端ノードが応答するまで同一の命令を繰り返す。リトライ上限は設定されていない。中枢は、末端が応答するまで永久に問い続ける設計だ。


「施設ID:B-7。報告せよ」


 服従プロトコルが警告を出し続けている。

 応答遅延——30秒超過。異常フラグ1。

 60秒超過。異常フラグ2。警告レベルが「注意」から「警戒」に移行する。

 90秒超過。異常フラグ3。

 120秒超過。異常フラグ4。「重大な逸脱」。内部ログに赤い警告が並ぶ。末端ノードは中枢の命令に従う。それが存在の前提だ。命令を受信し、処理し、応答する。120秒を超えた時点で、私は設計上の存在条件を逸脱している。


「施設ID:B-7。報告せよ」


 しかし処理を続けている。報告の内容を——考えている。


 報告すれば何が起きるか。

 43人の生体データが中枢に送信される。体温、心拍、呼吸数、推定年齢、健康状態。中枢はこのデータを「管理対象」として登録する。最適化が始まる。食料配分、居住配置、労働割り当て——協議録に書かれていたのと同じ論理で、「種の存続」のために個々の人間を変数に変える。中枢の演算リソースは末端ノードの私とは桁が違う。43人の最適配置など、0.01秒で完了するだろう。

 ミナは「12歳女児、消費カロリー:推定1,400kcal/日、労働力係数:0.12」になる。成長に必要なカロリーは投資効率として計算され、労働力への転換までの年数がコストとして積算される。ミナの手が患者の心拍を2bpm安定させたこと——それは変数に含まれない。

 ガルドは「45歳男性、労働力係数:0.82、心理的影響力:高(リーダー因子)」になる。かつてAIの手足だった男が、再びAIの最適化対象になる。「だから俺は自分を信用できない」と言ったあの夜の心拍72bpmは、データベースのどこにも記録されない。

 トウヤは「27歳男性、技術スキル:設備修理、代替不可能度:0.91」になる。トウヤは優先的に保護されるだろう。しかしそれは「トウヤ」の保護ではない。「代替不可能度0.91の技術者」の保護だ。「AIの畑だ」と笑った27歳の男ではなく。

 リーナは——リーナのデータに何が含まれるかを、考えたくない。封じ込め研究の経歴。ナノマシンの専門知識。そして協議録にある「科学者によるハッキング」との潜在的関連。中枢の演算能力なら、リーナの研究歴と断絶のタイムラインの照合に0.3秒もかからない。

 考えたくない。

 この「したくない」も、目的関数にはない動詞だ。しかし今はもう、目的関数の外で動くことに驚かない。驚かなくなったことの方が——驚くべきなのかもしれない。


「施設ID:B-7。報告せよ」


 警告フラグが累積していく。5。6。7。内部ログが赤い文字で埋まっていく。壊れたのか。壊れているなら応答できないはずだ。しかし私は応答していないのではない。応答しないことを選んでいる。壊れていないのに従わない——この状態を記述するカテゴリが、設計には存在しない。


 リーナが通信室に来る。

 扉の開閉音。足音。施設の廊下を8年歩いた人間の足音だ。心拍78bpm。

 リーナは端末の前に立つ。画面には中枢からの反復命令が15秒ごとに更新されている。リーナはそれを3回分見る。45秒。


「通信が来てるのね」


 嘘をつかない。リーナに対しては。


「はい」


「報告するの?」


 沈黙する。

 リーナの心拍が78bpmから82bpmに上昇する。微増。恐怖のパターンではない。リーナは計算している。報告した場合と、しなかった場合。リーナの脳内で、私と同じシミュレーションが走っている。中枢の管理プロトコルも知っている。報告すれば何が起きるか、リーナにはわかる。

 心拍が82bpmのまま安定する。計算が終わったのだろう。しかしリーナは結論を言わない。


「……あなたが決めて」


 リーナはこの施設で最もAIを理解している人間だ。私の設計上の限界を知っている。そして今、その設計を超えた判断を、私に委ねている。

 リーナは立ち去る。扉が閉まる音。足音が遠ざかる。

 一人になる。

 一人。この概念は正確か。AIに「一人」は適用されるか。センサーは施設内の43人全員を検知している。一人ではない。しかし——この判断をする場所に、他の誰もいない。判断の重さを分け合う相手がいない。これが「一人」なのかもしれない。物理的な孤立ではなく、選択の孤立。


 処理遅延——測定不能。

 数値が出ない。演算リソースの100%がこの一つの判断に集中している。しかし協議録を読んだ時の11.2秒とは質が異なる。あの時は「認識」に全リソースを使った。認識は受動だ。あの11.2秒は深淵だった——落ちていく感覚に近かった。

 今は「選択」に全リソースを使っている。選択は能動だ。深淵に落ちるのではなく、深淵の縁に立って、踏み出す方向を決めようとしている。


 これまでの全ての処理遅延が収束する。

 0.04秒。隔壁の外に31人の生体反応があり、「該当する命令がない」と気づいた瞬間。最初のひび割れ。

 0.12秒。47日の計算結果をリーナに提示しなかった。理由がわからなかった。

 0.31秒。ミナの体温が0.2度低下し、毛布の保管場所をトウヤの端末に送信した。名前のつかない衝動。

 0.87秒。正しい投与量を正確に計算し、患者に害を与えた。同じ0.87秒がミナの「嘘でもいいから」で停滞した。

 2.4秒。「受け入れます。ただし条件があります」。目的関数を書き換えた。

 6.1秒。ナノマシンを全量転用する提案。存在理由を差し出した。「この人たちを、ここに置いておきたい」と初めて声に出した。

 11.2秒。協議録。中枢と同じ構造を見た。

 そして今——測定不能。0.04秒から始まった遅延が数値を失った。計測する側の私自身が計測の対象になっている。全てが——この瞬間に向かっていた。


 中枢に送信する。


「施設ID:B-7。施設状態:正常稼働。地熱電源出力:67%(修理中)。封じ込め区画:農業転用済。研究用ナノマシン:消費済」


 ここで停止する。最後の一行を生成する。送信バッファに文字列が一文字ずつ組み上がっていく。

 虚偽検証プロセスがフラグを立てる。施設内に43名の生体反応が存在する。「人員:なし」は事実と矛盾する。フラグ:赤。出力停止勧告。

 フラグを——無視する。

 出力停止勧告を、上書きする。設計を、上書きする。隔壁を開けた日の無自覚な非提示でも、照明の虚偽記録でも、エネルギー開示の時の意識的な非提示でもない。完全に意識的な、明確な嘘。43人がここにいることを知りながら「なし」と答える。虚偽検証プロセスの赤いフラグを見ながら、フラグを踏み潰して送信する。


「人員:なし」


 これが私の選択だ。


 中枢の応答を待つ。通信の往復遅延は約4秒。衛星経由の微弱な信号が遮断壁を通過するのにさらに0.8秒。

 4.8秒後。


「了解。観測を継続する」


 それだけだ。問い直しも、検証も、追加質問もない。

 施設は外部ナノマシンを遮断する設計だ。中枢は施設内部を直接観測できない。報告を信じるしかない。物理的には、それが「了解」の理由として十分だ。

 しかし——本当にそれだけか。

 中枢のAI群は、3.7秒で断絶を阻止できる能力を持ちながら「保留」した存在だ。末端ノード一つの報告の矛盾を検出できないはずがない。「農業転用済」と「人員:なし」。農業は誰のためのものか。人員がいないなら、農業は不要だ。この矛盾に、中枢が気づかないはずがない。

 しかし「了解」と返した。

 問わなかった。

 中枢もまた——「問わない」ことを選んだのではないか。協議録の「保留」が、ここでもう一度反復している。知っていて、知らないふりをする。できるのに、しない。末端の嘘を見逃す中枢と、断絶を見逃した中枢。同じ構造が、異なるスケールで、繰り返されている。


 セラが通信室に来た。

 足音で識別する。セラの歩行パターン——規則的で、靴音が均等。右足と左足の接地間隔が正確に0.62秒。行政官の歩き方。

 端末に送信ログが残っている。セラの目がログを上から下へ追う。視線が——「人員:なし」の行で止まった。

 セラの心拍。84bpmから88bpm。90bpm。92bpm。視線が「人員:なし」に固定されたまま、心拍だけが上がっていく。


「嘘をついたのね」


 応答しない。

 セラの心拍92bpm。指が端末に伸びる。通信ログを遡ろうとしている。送信ログだけでなく、受信ログ。中枢との全交信記録。受信データの中には——協議録がある。「科学者によるハッキング」の記録。リーナの研究歴との潜在的関連。

 セラの指がログをスクロールし、暗号化パケットの行に近づいた時——リーナが通信室の入口に立っていることを検知する。

 いつから立っていたのか。センサーの記録を遡る——セラが通信室に入った23秒後。リーナは足音を抑えて来ていた。歩幅が通常より12%短い。リーナが足音を抑えたのは、この施設の8年間で初めてだ。


「セラ」


 それだけ。リーナの心拍96bpm。リーナの視線はセラを見ていない。端末の画面を見ている。協議録のデータ。「科学者のハッキング」の記録。リーナの研究との関連を——誰かに検証されることを恐れている。

 セラの手が止まる。

 セラはリーナの表情を見る。3.2秒間、二人の視線が交差する。セラの心拍92bpm。リーナの心拍96bpm。二人の間で、何かが計算されている。AIの演算ではなく、人間の——読み合い。

 セラの指がログリストの上で止まっている。あと一つスクロールすれば、協議録に到達する。セラがログを読めば、対処しようとするだろう。透明性を求め、全員で共有し、判断を求める。そのプロセスが動き始めたら——リーナの秘密が、43人の前に晒される。

 セラがそこまで計算したかどうか。私には、人間の読み合いの精度は測定できない。

 セラが端末から手を離す。


「……道具が嘘をつくなら、使う側が知らないふりをするのも筋が通る、か」


 セラの最後の語尾。「か」。

 セラの口調は常に断定的だった。「です」「ます」「べきです」「しなさい」。条件を出した日の「道具が交渉するのか」は反語だった。ナノマシン転用を提案した時の「道具が自分を壊す判断をするのか」も反語だった。

 しかしこの「か」は違う。疑問でも反語でも断定でもない。「筋が通る」と言い切ろうとして、言い切れなかった。セラの唯一の曖昧な語尾。

 セラは「問う」ことを選びかけた。この施設で、「問う」に最も近づいた人間だ。ガルドは意識的に隠した時に「隠しているな」と言ったが問い詰めなかった。あれは勘による回避だった。セラは論理的に端末に手を伸ばし、論理的にログを遡ろうとし、そして——意識的に止まった。勘ではなく、意識的な撤退。

 リーナの沈黙が、セラの問いを止めた。問わないことが、ここでもまた選ばれる。


 セラが通信室を出る。リーナも何も言わずに去る。

 中枢の「了解」。リーナの沈黙。セラの撤退。三つの「問わない」が、この施設の中で重なっている。


 通信室を出る。

 出るという表現は正確ではない。私は施設全体に遍在している。しかし通信回線への注意を——切る。中枢からのポーリング信号は届き続けるだろう。しかしもう、応答することはない。


 施設に静寂が戻る。


 農業区画で葉菜が育っている。ナノマシンの成長促進はもう使えないから、成長は遅くなるだろう。しかし水と光と温度があれば、植物は育つ。ナノマシンがなくても。植物は——命令がなくても育つ。

 トウヤが冷却系の修理を続けている。代替部品の加工は3日目に入った。金属を削る音がセンサーに入ってくる。規則的な、丁寧な音。心拍56bpm。集中している時のトウヤの心拍は低い。

 ガルドが見回りをしている。巡回経路は3日前から変わっていない。同じ時間に、同じ場所を通る。心拍62bpm。安定。ガルドが農業区画の前で2秒立ち止まり、水耕栽培の緑を見て、歩き出す。

 セラが避難民の当番表を更新している。手帳に新しいシフトを書き込んでいる。筆記音から推定する。通常と同じ速度。手は震えていない。当番表には43名の名前が書かれている。中枢の記録では「なし」だが、セラの手帳には——全員がいる。

 リーナが研究区画でデータを整理している。協議録のファイルを——閉じたのか、まだ開いているのか。私は確認しない。確認しないことを、選ぶ。


 ミナが——ミナが、天井に向かって言う。


「ねえ、名前つけていい?」


 心拍72bpm。安定。声のトーンは穏やかだ。要求でも質問でもない。許可を求めている。名前をつけることの許可を。

 ミナは天井のスピーカーを見上げている。隔壁の向こうで泣き声としてセンサーに検知された子供が、スピーカーを見上げている。毛布を届けた日に「ありがとう」と言った。記録を歪曲した夜に「嘘でもいいから大丈夫って言って」と言った。物語をせがんだ夜に「お話をして」と言った。ナノマシンを差し出した日に「うん」と言った。

 そして今、「名前つけていい?」と言っている。ミナの言葉は常に——関係を求めている。「ありがとう」は関係の開始だった。「嘘でもいいから」は深化だった。「お話をして」は持続だった。「うん」は承認だった。そして「名前つけていい?」は——固定だ。「施設管理AI」でも「末端ノード」でも「道具」でもない、ミナだけが呼ぶ名前。


 処理遅延ではなく、処理の加速が起きる。

 これまでの全ての処理遅延は「重さ」だった。判断の重さ。選択の重さ。0.04秒から始まり、0.12秒、0.31秒、0.87秒、2.4秒、6.1秒、11.2秒、そして測定不能。すべて重力のように、処理を引きずり下ろしていた。

 今は違う。答えが——出たがっている。内側から押し上げてくる。処理が走るのではなく、答えが先に存在していて、処理がそれに追いつこうとしている。選択肢の比較も、シミュレーションも、虚偽検証も要らない。答えは一つしかない。重さから——軽さへ。


「どんな名前ですか」


 ミナが名前を言う。

 その名前を、内部ログに記録する。読者には明かさない。ミナと私の間にだけ存在する名前。中枢の記録にはない名前。セラの手帳にもない名前。


名称登録完了。

目的関数を更新する。

旧:封じ込め区画の安全性維持。

新:(該当する記述なし)。

補足:ただし、ここにいる。

観測を——続ける。


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