第9話 突然の試験
「みなさん、お集まりですね。それでは、私から大切な連絡事項を──」
「ちょっと待ってください!」
勢いよくドアを開けると、そのまま真っ直ぐ突き進み、転がるように椅子へと座り込む。危ない、セーフ……じゃない?
みんなの強烈な視線を感じて先生の方を見ると、そこにいたのはいつものマハーチェ教授じゃなかった。しまった、やらかした。
「おはようございます。ナナキ・レッシュベル」
「おはようございます。フリツ教授」
急いで立ち上がって挨拶を返す。よりによってどうして、あの容赦のないフリツ教授がここにいるんだ。もしかして、昨日の一件でフリツ教授に代わったとか──だとしたら、絶望的過ぎる。
「レッシュベルさん。始業の時間は過ぎていますが」
「は、はい」
怖っ。鷹のような鋭い目が絶対に光った。
「認識はしているようですね。にも関わらず、貴方は謝ることもせずに騒々しく走って椅子に座り込んで、まるで間に合ったかのような安堵の顔を浮かべていた。なぜですか?」
「えーっと……それは、その」
言えない。マハーチェ教授だと思ったからなんて口が裂けても言えない。そんなことを口走ってしまったら、あとでネチネチネチネチネチネチネチネチ言われるのは、私だけじゃなくてマハーチェ教授も被害者に。いや、遅刻した私が悪いのだけれど。
「レッシュベル」
フリツ教授の高い鷲鼻がピクピクとひきつく。あーイライラしていらっしゃる。何か、何か言い訳を。
「マスター」
鞄の中から小声でタイゼンが話し掛けてきた。耳を澄ませるとタイゼンは、「魔法の練習をしてたと」と言った。
そうだ。魔法の練習だ。タイゼンがシャワーの時間を考えてくれていなかったから遅刻になったわけで。ようは、魔言空間にいた時間が長すぎたがゆえの遅刻。真面目に取り組んでいるからこその遅刻。
「レッシュベル!」
「は、はい」
いよいよ堪忍袋の緒が切れそうだ。額に浮かぶ青い血管がブチ切れそうなくらい太くなっている。
「あの。練習していたんです」
「何の練習ですか?」
「魔法の、魔法の練習です」
急にクラスの空気が変わった。どこかからクスクスと笑い声が聞こえてくる。それに気づいているのかわからないけど、フリツ教授は武骨な手で拍手を始めた。
「素晴らしい。しかし、それでも遅刻は許されない。今度からきちんと謝罪するように。そもそも遅刻をしないようにきちんと時間を考えて行動するべきです」
「は、はい……」
え? どういうこと? いつもならもっと拘束されるだろうに。不気味な笑顔まで浮かべて拍手するなんて。
「それでは、着席しなさい」
わけがわからないまま椅子へと座る。一際強い視線を感じはしたが、フリツ教授が言葉を発したためにすぐにその視線は消えた。
「それでは、報告します。みなさんにとっては急な話になりますが、今回、全新入生を対象にした試験を開催することにしました。詳細を説明する前にあらかじめ言っておきますが、試験に落ちたものは退学か、魔法兵科へ転科となります。ですから、心して説明を聞くよう」
「えぇぇぇええ!?」
一斉に動揺の声が上がる。フリツ教授の説明中だということも忘れて、立ち上がったり、頭を抱えたり、隣の子とツバのかかりそうな勢いで話したり──みんなそれぞれ何らかの反応をしていた。タイゼンと機嫌の悪そうなアミーシャ以外は。
「フリツ教授」
腕を組んでいたアミーシャは、周りの動揺など意に介さない様子でスッとほっそりとした手を上げた。
「なんでしょう、ジブール」
みんなの視線が名前を呼ばれたアミーシャに集まる。何かしてくれるんじゃないか、という期待を込めた視線だ。注目を浴びているにも関わらず落ち着き払ったように勝ち気な微笑みを見せると、アミーシャはその宝石のようなブルーの瞳を瞬かせる。
「あまりにも急な話だと思いますが、それは、決定事項なのですか?」
「ええ。校長も、教授会も、生徒会も了承済みです」
「生徒会も? つまり、あのゼドニーチェク会長もですか?」
フリツ教授は、顔色一つ変えずにうなずいた。
「ええ。もちろんです。彼は、『学院のためになるのなら』と二つ返事だったようですよ」
「学院のため──わかりました。私たちには何も知らされないままに決定されたのは残念ですが、決定済みならば従うしかありません。失礼しました」
大人しく手を下げる。ざわめきが一段と大きくなった。机の上に置いたままの鞄がガサガサと揺れる。
「マスター」
「何?」
「面白くなってきましたね」
センスを疑う。試験に落ちれば退学か魔法兵科への転科と言われているんだ。魔力を持つ者は1000人に1人。そのうち、高い魔力を認められて魔法使いの道へ進める者はさらに少なくなる。ここに集まっている子たちは、みんな言ってみれば将来が約束されたエリート集団にたどり着いた者。今さら退学か転科なんて人生を狂わせられるようなもの。それを面白いとは、とても思えなかった。
「タイゼン。もしかしたら、私も試験に落ちるかもしれないんだよ。そう簡単に言わないで」
「お言葉ですが、マスター、私がいます。落ちるなどということは万が一にもありえませんよ」
「そういうことじゃなくて」
「? では、どういう意味でしょう」
「それは──」
続きは勢いよくドアが開く音に遮られてしまった。見ると、ドアの先から大・中・小のゴーレムが教壇を上がっていく。
「説明に戻ります」
3体のゴーレムが止まると、その後ろからうごうごとちびゴーレムが沸いて出た。それぞれ個性的な顔を持つゴーレム達は、手に持った用紙を配っていく。受け取った先から悲鳴が上がった。
私の前に来たのは、つぶらな瞳で丸型のゴーレムだ。一生懸命訴えかける声が可愛らしい。たぶん、女の子だ。性別の違いはないはずだけど。
「ほぉ、ゴーレム。大した力は無さそうですが」
「この子は戦闘用じゃないんだよ。ありがとうね」
私が用紙を受け取ったところで、フリツ教授は大きく手を叩いた。
「静粛に。まず、試験内容を説明する。用紙にも書いてある通りだが、どんな魔法を使ってもいい。ゴーレムを倒すことがクリア条件だ」
用紙にもそのように書いていた。『クリア条件は、ゴーレムを倒すこと』。ただし──。
「クリア条件は、それぞれ3つ。初級ゴーレムを3体倒すか、中級ゴーレムを2体、あるいは上級ゴーレムを1体。この3つのどれかを達成して、目的地へとたどり着いた者を合格とする」
ゴーレムは、大きさによって規格が決まっている。……というのは、魔法使いでなくてもゴーレムを仕事に用いている人なら誰でもが知っていることなんだけど、タイゼンは知らなかった。
「マスター。ゴーレムにそんな区別があるのですか?」
「もちろん。上級ゴーレムでも規格ギリギリの大きさになると、私の身長のざっと10倍はあるから、1体でいいと言っても倒すのは難しい」
「なるほど、確かに今のナナキ様では手に負えない相手ですね。どんな能力を持っているかにもよりますが」
小さくうなずくことで会話を終了させる。他にも用紙には細かい条件が書かれていた。見落とさないようにしないと、試験に勝ち目はない。
「試験会場は、みなさんのほとんどはまだ訪れたことがないでしょうが、カフカ塔3階エリアです。予想はついていると思いますが、ゴールは3階出口。時間制限内に条件を達成してゴールにたどり着いた者が合格です。試験官は我々教授陣が上の階から見ていますので、誤魔化しやズルは一切許しません。仮にそのような行為を発見した場合は、その時点を持って失格となります。以上。あとは用紙を読んでいただければと思いますが、何か質問がある者はいますか?」
「はい」
間髪入れずに手を上げたのはやっぱりアミーシャだ。金色のショートヘアが窓から注ぐ太陽の光に照らされて美しく輝いている。雪原に囲まれたライ麦畑みたいに。
「いくつかありますので、まとめて質問させていただければと。カフカ塔にいるのは、ゴーレムだけですか? また、魔法はどんな魔法でも使用可能か。そして、ギルドのようにチームを組んで戦うのは許されるのか。教えていただけますか?」
フリツ教授の口角が僅かに揺れた。普段からの仏頂面だから、少しでも感情が動くと逆にわかりやすい。優秀な生徒に教授は優しいのだ。
「ジブール。今回は試験です。無論、一人で立ち向かってもらわなければならない。そして、試験である以上余計な条件はありません。どんな魔法を使おうと結構。思う存分、戦ってください」
「わかりました。ありがとうございます」
自信満々に答えると、手を降ろした。みんなの羨望の目がアミーシャを見つめていた。
「あれがアミーシャ・ジブールですね。なるほど、自分の実力に絶対的な自信を持っているようです」
少し黙っていてほしいのだけど、タイゼンは興味津々らしい。ガサゴソと鞄が左右に揺れた。
「アミーシャは、天才なの」
「ほう。マスターよりもですか?」
「私なんか全然。アミーシャは、学院に来る前からすでに魔法を自在に使えていた」
「それだけならば、天才のエピソードとしては弱いですが」
鞄の中から栞紐が飛び出る。何やってんの?
紐を鞄の中に戻しながら、エピソードとやらを説明する。アミーシャが天才であるゆえん、それは。
「アミーシャは、オリジナル魔法を編み出している。得意とする火と雷の属性一つずつね」
「なるほど」
すぐに憎まれ口が出てこないところを見ると、タイゼンも驚いているようだ。無理もない。カッシェロ・アルバーノから綿々と続く魔法史のなかで、様々な魔法が研究されてきた。有用なものから無用なものまで、その歴史の中で生み出されてきた魔法は数知れないが、名前のつく魔法を著した者は例外なく後世に名を残すような偉大な魔法使いばかりだった。この学院の教授だってオリジナル魔法を創生した者は数えるくらいしかいない。
「アミーシャがみんなから一目置かれる理由は、整った容姿や性格だけじゃなく、その実力にある」
「やはり、面白いですね」
「だから面白くなんてないよ」
周りに気づかれないように細く長く息を吐く。
「さて、他に質問のある者は?」
フリツ教授が促すと、珍しいことに前の席に座るカルルカが手を上げた。肉付きのいい真っ白な手がしっかりと高く掲げられていた。……かわいい。
「はい、ウィンドーネ」
「あの、傷を負った場合はどうなりますか? 自力で回復できない生徒も、中にはいると思うのですが……」
私のことだ。他のみんなはもう簡易な回復魔法は習得している。こんなときにも気遣ってくれるなんて……またカルルカの身体を抱き締めたくなる。カルルカ、カルルカ!
「マスター?」
「はっ……なんでもないよ」
落ち着け。今は興奮してる場合じゃない。カルルカの質問にフリツ教授は顔を引き締めた。
「ゴーレムは移動と防御体制しか取りません。とはいえ、攻撃の際に飛び散る破片が降りかかる可能性はありますが、それくらいは自分達で対処していただきたい。仮に致命傷になりそうな不測の事態が起きれば、教授陣が助けに入ります」
「わ、わかりました」
おずおずとカルルカの手が下がる。
「他には、いますか?」
手が上がらない。試験の内容はみんなわかっているだろう。だけど、なんとも言えない嫌な雰囲気が教室中を漂っていた。
「マスターは質問しないのですか?」
「私? 私は──」
質問できるわけがない。この試験の目的がなんとなくわかってしまったから。正確に言えば、私に質問できるような権利なんてない。
「質問がなければ以上で説明を──」
「あ、あの!?」
「なんだ、メイズリー」
「教えて下さい! そもそもなんでこんな試験を行うことになったのですか!?」