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第63話 重々しい空気

 コーヒーを飲みに来ただけ? 私が遅刻したのも知っていて、お店が混んでいるのも知っていて、私が働いているのも知っていて、忙しいのも知っていて、コーヒーを飲みに来ただけ?


 それはもうあれだ。完全に嫌がらせだ。からかっているなんていうレベルではなくて嫌がらせ。コーヒーを飲みながら私が汗かき働いている様を愉しむと、そういう算段だな!


「嘘だ」


 ふいと目を背けるとタイゼンは呟くように言った。振り上げそうになった拳の行き先がなくなり、どこに置いたらいいのかわからなくなる。


「聞いた話によると、今日の日のはずだからな。呼んでおいた」


 なに? どういうこと? 話が全く見えない。また何かよからぬことを企んでいるのでは、それともからかっているだけ?


 と、ぼんやり考えていると背中に厳しい声が掛けられる。


「ナナキ!!」


「は、はい! すみません!」


 そうだ構っている暇なんてない。私は忙しいんだ。足をひねる勢いで急いで次のテーブルへ向かおうとしたそのときに、目の前に大きな人影が現れた。


「わっ!」


 急に出てきたもんだから真正面からぶつかってしまう。後ろに倒れそうになった身体を腕を引っ張ることで支えてくれたのは、久しぶりに顔を見るショートの赤茶色の髪が印象的なテレザさんだった。


「……すまない、大丈夫か?」


 テレザさんは見るからに落ち込んでいた。声に覇気がなく、肩もすぼめて、なによりも目を全く合わせようとしない。これまでは力強い眼力の圧をかけてきたのに。


「いや、そうじゃねえな。すまなかった」


 そう言うと、深く頭を下げる。


「いや、待ってください!」


「カルルカのことは本当に申し訳ない。それだけじゃない。ギルドの奴らも。あいつら、あんな口車に乗せられやがって……。いや、全部は私の責任だな。ギルド長としての実力も信頼も欠けていたってことだ」


 そうか。そうだよね。タイゼンを奪おうと襲ってきたのはテレザさんのグンヒルドギルドのメンバーだった。そして、カルルカもそのなかの一人だ。


「テレザさん。顔を上げてください。というか謝らないでください」


 辛いのはテレザさんの方に決まっている。裏切られたようなものなんだから。信頼していた仲間たちに。


「謝られたら苦しくなってしまう。私だってカルルカには申し訳ない気持ちでいっぱいなんです」


「……そうか、そうだな」


 テレザさんはようやく顔を上げてくれた。その表情に笑顔が宿るが無理して作っているのがバレバレな弱々しい笑顔だった。


 急に恥ずかしくなった。色とりどりのたくさんの瞳がこっちを見ているから。誰もが不思議そうな顔をしている。テレザさんは新聞にも顔がよく載る有名人だ。だけど私は、ここではただの店員。それも常連さんなんかから見れば怒られてばかりの頼りない店員。それなのに、テレザさんが私に頭を下げて謝っているのだから不思議なことこの上ない。


 このなんともいえない雰囲気に、店の入口でお客さんを案内していたペトラさんも注意できないでいる。というよりは視線をあちこちに泳がせて戸惑っているように見えた。


 そうか、ペトラさんもたぶん知らされていないんだ。何が起こっていたのかということを、私やアミーシャ、それにテレザさんに何があったのか。……店長は、あのカニャさんだもな……。


「騒がしいわね〜」


 そんなカニャさんがカウンターから出てきてニコニコ笑顔で近付いてきた。嫌な予感のする笑顔だ。


「ナナキちゃんにテレザちゃん。お客様の注目を集めちゃっているから、それ以上の話はこっちでお願い!」


 こっち、と手を指す方向は厨房兼休憩室だ。……でも、そっちに行ったら……。


「あとはペトラちゃん、よろしく〜」


「!? ちょ、待ってください! また私ですか!?」


「うん! お願い〜お願いね〜」


「カニャさん、ちょっ!?」 


 悲痛な叫びを背に私はカニャさんに腕を引っ張られるようにしながら、休憩室へと向かった。胸の中に満員御礼状態で一人取り残してしまった罪悪感と、忙しさから逃れられた安堵感が広がる。


 ごめん、ペトラさん。


「カニャもすまなかった。騒動に巻き込んでしまって」


 テレザさんが、部屋に入るなり口を開く。カニャさんは「そんなことないわよ〜」と応えるも、すぐにその笑顔を消した。


「それに悪いのはテレザじゃない。ステラ。ステラ・ディーチェでしょ」


「……ああ。そうだな」


 重苦しい空気が充満する。さっきの何倍も何十倍も重い空気が。


「……今、飲み物をいれるわ。ナナキちゃんとテレザちゃんと、それからタイゼンちゃんの分、ね。テーブルに座ってて」


 カニャさんが慣れた手つきで紅茶とコーヒーを用意し始める。きびきびと動く背中に向けて何か一言でも伝えたいと思ったけど、結局何も浮かばずにテーブルへと腰掛けた。


「ステラ、とか言うあの女。強敵だった。事前に魔伎の存在を知らなければあるいは、万万万が一くらいの確率で殺られていた可能性はなきにしもあらずだ」


 重い空気に切り込んでいったのはさすがというか鈍感というか、図太いというかやっぱりタイゼンだった。素直に強いと認められなくて変な言い回しになってしまっているけど。


「当たり前だ。ステラは優秀だったんだ。入学時からその実力は知れ渡っていて、私たちの代では常にトップをひた走っていた。私なんかまるで歯が立たなかったよ」


 テレザさんは、短く揃えた赤茶の前髪をかき上げる。


「誰もがステラに憧れていた。自ら語るような奴ではなかったが、誰にでも平等に接していて不正は絶対に起こさなかった。落ちこぼれだった私にも変わらない態度で接し続けてくれて、それなのに。それなのに!」


 鉄の手甲がテーブルを叩く。固い音が悲鳴のように鳴る。


「なんでこんなことに! 全然わからない!! わかるわけがない!」


 怒りや悲しみ。そして悔しさ。たぶんそんな感情でいっぱいになって、振り下ろしたテレザさんの拳は震えていた。その拳をテレザさんの姿を見ていられなくて、視線をテーブルの方へ移す。綺麗に磨かれたテーブルの上にそっとティーカップが置かれた。


「怒っても意味がないと思わない?」


 次々に湯気の立ち昇るカップをテーブルに置くと、最後の一つを空いた席に置いてカニャさんも席に着いた。


「気持ちは痛いほどわかる。だけど、ステラは考えなしにこんなことをする人じゃない。それはテレザだってわかっていることじゃない?」


 テレザさんは腕を戻すと淹れたてのコーヒーを一口飲んで、長い息を吐いた。


「……何か裏の意図があるというのか? あいつは自ら明かしたんだぞ。エレオノーラの人間だったと。つまり、最初からスパイだったわけだ」


「そうね。たぶんそれは事実。だけど、もし私なら敵に対して自ら出自を明かすようなことはしない。どんなに優勢だと思える状況でも、最後の最後まで何が起こるかわからないのが戦場だって身に沁みているから。ステラだってその恐さは十分知っているはず」


 そう言うと、カニャさんも自分で入れたコーヒーを飲む。私も入れてもらった紅茶を飲んだ。


 落ち着く香りが広がる。カニャさんの紅茶はどんなときでもやっぱり美味しくて、心を安らかな気持ちにさせてくれる。


 ステラさんだって、カニャさんのコーヒーを飲んでいたはずだ。たぶん、何度も何度も。コーヒーを飲んでいたとき、ステラさんはいったい何を思っていたんだろう。


「今、国の方で秘密裏に調査中なのだろう? 行方とその目的をだ。フグレイクとアンガンチュールの2組のギルドに追わせていると聞いた。公になると、交易も何もかも中止せざるを得なくなるからな」


 え……。確かに戦いのあと表沙汰にならないようにって釘をさされたけど。フグレイクとアンガンチュールに追わせているとか、そんな情報は私だって知らない。


「……タイゼンちゃん。どこでそんな話を……?」


「飛電。あれを使えばどこにだって飛べる。情報を入手するのも簡単だ。ナナキ、何を呆けた顔をしている。まだわかっていなかったのか? だからこんな情報も知っている。今日、処遇が言い渡される。カルルカ・ウィンドーネのな」

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