第4話 生きた魔導書
「ここは、特別なお客様にしか開かれないマルメ魔導書店。魔法学院の生徒なら、選りすぐりの魔導書が手に入るはずだからね。違うのかい?」
「魔導書? ここは魔導書店なんですか?」
おじいちゃんはゆっくりとした動作で手を掲げると、「光球」と呟いた。小さな球体の光が、上空へと上り部屋全体を眩く照らす。薄暗さに慣れた目には少し痛い。
薄目を開けると、確かにおじいちゃんの後ろにはこれまたライトブラウンの本棚が置かれていて、魔導書と思われる神聖文字で書かれた背表紙の本が並べられていた。その数、数十点。
「えぇ!? これ全部──あの、念のため聞きますが、国の許可は」
「もちろんないぞ。違法じゃ違法。ほっほっほ」
「いやいやいやいや!」
やっぱり変な人だ。関わり合いにならない方がいい人だ。何も見なかった聞かなかったことにして、回れ右して帰ろう。
「おや、どこへ行くんだい? どこにも行けないからここへ迷い込んだんじゃろう?」
「う……それは」
「雨の日じゃ。少し休んでいったらええ。ほら、暖炉も焚いとるしあったまるぞ。何もここにいるだけでは罪にはならんでの」
確かにおじいちゃんの言う通り、禁じられているのは魔導書の不法売買だけ。見たり聞いたりしただけで罪に問われることはない。まあ、その……本当は報告はした方がいいんだろうけど。
それに外へ出てもきっとどこへも進めないし、何よりあー暖かいんだよ〜ぬくぬく気持ちいい〜ああ〜。
*
「──ということなんです」
ということで、暖を取ることを選んだ私は、出されたポタージュスープに促されるままに今日の出来事を話してしまった。
「なるほどのう。それで、ナナキ。いや、ナナキ・レッシュベル」
暖炉の側に置かれたこれまたライトブラウンの安楽椅子を揺らしながら相槌を打ってくれていたおじいちゃ──もといマルメ魔導書店の店主オナブルさんは、おもむろに立ち上がるとちびゴーレムのマルメに指示を出す。
「……これ、は?」
マルメが持ってきてくれたのは、一冊の魔導書。見た感じ年季が経っているけど、漆黒の表紙はしっかりと手入れされており、ちり一つついていなかった。だけど、何の魔法か書かれているはずの神聖文字がどこにも書かれていなかった。
「それは、『生きた魔導書』じゃ」
当たり前のようにポツリと述べたオナブルさんのその言葉は、とても信じられるものではなかった。
「…………あの、今なんて?」
もしかしたら聞き間違いかもしれない。生きた魔導書なんて、そんな。ただ表紙に文字が書かれていないだけで黒光りする魔導書をあろうことか生きた魔導書なんて、そんな、さすがの私でも騙されないぞ。
「ホンモノじゃ」
「いやいやいやいや! それは、いくらなんでも! だって、生きた魔導書なんて! ただでさえ勝手に魔導書を売ったり買ったりするのは違法なんですよ! その上さらにあの生きた魔導書が、偉大な魔法使いがその魂を宿した生きた魔導書が、こんなところにあるわけが──」
「ホンモノじゃ」
ぐっと顔を近づけると、オナベルさんは声を潜めてもう一度同じ言葉を繰り返した。開いているのか瞑っているのかわからなかった皺だらけの瞼がパチリと開き、猫のような澄み切った黄色の瞳が覗いた。
喉が鳴った。
「全ての魔導書の行方は明らかになっておらん。魔導書大戦を経て、ヴァーサ帝国……今はヴァーサ神皇国が、魔導書の入手、管理を進めているが、争いは絶えない。かつての戦争の舞台となったもはや名も無き東の国には、瓦礫の下に手つかずの魔導書が山のようにあるとも。その中の一つがたまたまここへ巡ってきた。それだけだ」
「イースト……お母さんとお父さんが行ったところ……」
そして、帰ってこなかったところ。いくら待ってもついに帰ってこなかった。
「手を取るがいい、魔導書の読めない魔法使いよ。ナナキ・レッシュベル。内に秘めたその膨大な魔力なら、その魔導書を扱えるはず」
「……本当に、これは生きた魔導書なの?」
ちびゴーレムから差し出された漆黒の本を撫でる。何でできているかわからないけど、手触りのいい素材だった。
「そうだ。誓おう、ヴァーサ神へ。いや、ここは魔法の創始者、グレート・ウィザードの二つ名を持つカッシェロ・アルバーノに」
「この魔導書は、私でも読める?」
「間違いない。いや、読めるというよりも聴けると言った方がいいかもしれんがな」
ちびゴーレムの無骨な手から生きた魔導書を受け取ると、私は聞いた。どうしても、聞かなければいけないことを。
「私でも、エターテ・メメルのように……なれますか?」
声が震えてしまっていた。エターテ・メメルは思い出だ。そして、約束だ。あの日──イーストへ旅立ったあの日、泣きわめく私にお母さんは言ってくれた。
『エターテ・メメルみたいに光を取り戻してくるね』
──だから、私はエターテ・メメルを目指さなきゃいけない。馬鹿にされるわけにはいかない。汚されるわけにはいかない。諦めるわけにはいかないんだ。たとえ、何があったって。
オナベルさんは、力強く頷くとそっと私の手を温かな両手で包んで「もちろんだとも」と言ってくれた。
「ありがとう……あっ! でもお代は?」
「要らないよ。売買すれば捕まってしまうだろう。それは、手渡されたんだ。巡り巡ってナナキの元へ」
もう一度お礼を述べて外へ出ると、あれだけ降っていた雨はすっかり上がっていた。故郷へ続く道を見据えたあとに、元来た道を振り返る。もうそこにはお店はなかったが、腕の中には魔導書があった。私だけの魔導書、生きた魔導書が。