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第3話 迷い込んだお店

 思った以上にどしゃ降りの雨が体へ叩き付けられる。ああ、もう。いくら雨とはいっても寒いものは寒い。コートを羽織ることもせずに学院を抜け出したせいだ。


 初めて全身に浴びる雨は、制服も下着も肌にまとわりつくみたいで気持ち悪かった。せっかくシャワーを浴びて整えた髪の毛だってグシャグシャに乱れて、今の姿を見た人には、きっと変な人だと断定されてしまう。


 昔からおばあちゃんが言っていた。雨の日は不吉なんだって。何が起きるかわからない。だからこんなどしゃ降りの雨の日には、おばあちゃんは部屋に閉じこもって絶対に部屋の外に出てこようとしなかった。


 そして私は本を読む。エターテ・メメルの絵本。子どものときからずっとずっとそうだった。エターテ・メメルは思い出だ。


 木々が茂る街までの一本道には人気はない。それはいつも同じことだけど、今日は特別にそうだ。雨の日に、外へ出る人なんていない。それも、こんな中心街から離れた郊外に。誰だこんな馬車が必要な遠いところに校舎を建てたのは。近くなら、こんなに苦労しなくてもいいのに。いい加減もう足は重いし、寒いし、息があがってしまいそう。


 膝に手を付く。体の中は暑いのに、手袋をしていない手はかじかむほどに冷たい。雨によって無理矢理溶かされた雪は、いつもの雪割のときとは違って、薄汚れて沼みたいにドロドロになっていた。


 今の私と同じだ。そんな思いが頭に浮かんでしまうくらいなのだから、やっぱり相当ダメージを受けてしまったんだろう。


 ──帰りたい。


 冷静に考えてもみれば、怒り出す必要なんてなかった。反論なんてせずに下を向いていれば、しのげたはずなんだ。エターテ・メメル。みんなが馬鹿にするのもわかる。私は本当に何もできないのだから。


「帰ったらダメかな?」


 薄暗い空に向かって呟く。無慈悲にも雨粒はしゃべっている口の中にも入り込む。哀しい味がした。


「……おばあちゃん……」


 学院に入学が決まったとき、おばあちゃんはどこか悲しそうな顔をしていた。笑顔の裏に悲しみを隠したような、悲しみを押し殺したような表情だ。「魔法使いになれる」とはしゃいでいた私は気づかないふりをしていたから、おばあちゃんは言ってくれたんだ。


「頑張りなさい。だけど、頑張り過ぎないで。何かあったら──」


 その先は急に声が小さくなって聞こえなかった。だけどたぶん、帰っておいでと言ってくれたんだ。


「帰ろう」


 もう頑張った。十分頑張った。これ以上ないくらいに頑張ったんだ。何一つものにはできなかったけど。


 遠い道のりでも、このまま真っ直ぐ進めば中心街のシューレスタット市に着くはずだった。そこから馬車に乗って故郷へ帰るんだ。遠いと言ったって、学院に戻るよりはきっと近い。後ろはもう振り返りたくない。


 帰れば何をしよう。おばあちゃんの美味しいシチューを食べてゆっくりしよう。それから、スノードロップが一面に咲く庭の畑を耕して、ライ麦とじゃがいもを植えるんだ。夜には、暖炉の火にあたりながらうっすらと白く曇った窓から星空を眺めたり、読書をしたりして過ごすんだ。エターテ・メメルの絵本を──。


 再び走り始めた足が止まってしまう。白くならない弾んだ息は、すぐに空気にとけて消えていく。


「エターテ・メメル……」


 前に進めばいいはずなのに、今までと同じ穏やかな生活が待っているはずなのに、どうしても足は動いてくれなかった。


 息が整うのを待って恐る恐る後ろを振り返る。降りしきる雨の中でさっきまではなかったはずの小さな明かりが道の脇に灯っていた。


「……お店?」


 ちょうど木々の隙間に埋まるようにその建物はあった。入口の扉と小さな窓が一つで、窓からはチラチラと火が揺れ動いているのが見えた。暖かみのあるライトブラウンの扉には、鷲の紋章が描かれていた。


 いやいや、絶対にこんなところにお店はなかったし、怪しすぎる。……でも、暖かそう。


「入ろっか……」 


 前にも進めないし、後ろには戻りたくない。このまま雨に当たっているよりは、暖炉で暖まりたい。この地に住まうヴァーサ人なら誰でも思う「暖かいは正義」の誘惑に負けて、扉を叩いた。


「ギィギィ、ギィ」


 返事は今は聞きたくなかったちびゴーレム特有のかすれた声。開かれた扉の先にはやっぱり予想通りのかわいいゴーレムの姿があった。


 マハーチェ先生のゴーレムとは違い、扉と同じライトブラウンで角ばった印象。手触りの良さそうな滑らかな二頭身は、きちんと手入れされているのか光沢を帯びていて、洗練された感じだった。


「おや、お客様かい? マルメ」


「ギ、ギギギィ」


 ゴーレムは主人の方へ体ごと傾けると、人がうなずくのと同じように四角い岩みたいな頭をカクンと垂れた。背中には鷲の印が焼印されていた。


「おっ? これはこれは、輝くような白いローブに赤いスカーフ、金の腕輪と、シューレスタット魔法学院の生徒だね? こんなところに迷い込んで何があったんだい?」


 物陰の奥から現れたのは、鷲鼻が特徴的なおじいちゃんだった。ぼさぼさの太い白眉毛が優しげに下がると、歓迎してくれているのかにっこりと微笑みが浮かぶ。ホッとした。少なくとも変な人ではないらしい。


 ……前言撤回。迷い込んだ?

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