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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

店長空の最善の選択

(上)

 八月の暑さをかき消す嵐が来たある日、今日はもう人が来ないだろうとたかを括って、休憩がてらに紅茶を入れていると店の扉が開いた。

 僕は顔を上げて見る。

「……!」

 店に入って来たのは高校生ぐらいだろうか、濡れた黒い前髪をどかして少女はペコリとお辞儀をする。

「突然、押しかけてすみません。人を探しているのですが……」

 キリッとした鋭い目でこちらを見てくる。

 嵐の日に客が来るなど思っても見ていなかった。僕は目を丸くして、呆気に取られていた。

 すぐに気を取り直して定番の挨拶を言う。

「いらっしゃいませ……えっと、タオルお貸しますね」

 タオルを持ってカウンターから出た僕は、少女に手渡した。

 彼女は、少し警戒していたがタオルを受け取り、髪の水気を取り始めた。

 あらかた拭き終わった頃、少女は口を開く。

「タオル、ありがとうございます。あの、ここに私の兄、田々楽 蓮が来たと思うんですけど、その後、どこに行ったか知っていますか?」

 これは穏やかな話じゃないなとすぐに察しする。

「とりあえず、座って話しましょう。えっと、お名前は?」

「田々楽 詩心です。詩の心と書いてウタです」

 詩心と名乗る少女は、また、お辞儀をする。

 僕は、とりあえずカウンターを挟んで話を聞くことにした。

「そこの席にどうぞ、店長の空です。蓮くんに何かあったの?」

「兄を知っているのですか?」

「高校の先輩と後輩、の様な関係だけどね」

 肩をすくめながら言う。

 蓮とは、同じ高校出身なのだが三歳ほど離れているので、先輩後輩と呼んでいいのか分からない。しかし、彼の相談相手によくなっているのでそれなりに親しい仲だ。

 此間は、恋の相談を聞かせてもらった。なんでも、綺麗な人と付き合ったとかで、夢かどうか何度も聞いてきた。

 詩心は、少し驚いた顔を浮かべたが、すぐに平常心を取り戻し話を進める。

「実は、先週、兄がここにデートに行くと言って出かけたのですが、それ以来連絡が取れなくて……もちろん、警察に相談したのですが、あまり真面目に取り合ってもらえず」

 口籠る彼女に察しのいい僕は続けた。

「探しに来たと?」

「はい、唯一の手掛かりとしては、兄の彼女、影山 琴己と言う女性なのですが……今、見せますね」

 そう言いながらスマホをこちらに見る。

 スマホには、一枚の写真が写されており、二人の男女が肩を寄せ合っていた。

 男の方は蓮だと、すぐに分かった。彼女に腕を抱かれて顔を赤らめている。となると、隣にいるのが琴己と言う彼女さんなのだろう。

 それはさておき……

「似てないね……」

 純粋に思った事を口に出してしまった。

「うるさい、これから大きくなるんです!」

 顔を赤くしながらスマホを乱暴にしまう。

 機嫌を損ねてしまったのだろう、口をヘの字に俯いてしまった。

 男女の身長なんて違って当たり前なのに、いったいどこを気にしていたのだろうね。

 くすりと笑ってしまった。

 蓮くんと琴己の行き先を知ってたいので、教えてあげた。

「その二人なら、新庄診療所に行ったよ」

「新庄診療所? なんで、そんな所に?」

 首を傾げる彼女に肩をすくめてさーと答える。

「良かったら、そこに電話してみようか? 何か手掛かりになるかもしれないし」

「いいんですか?」

 背筋を伸ばして目を見開く詩心、まるで猫の様だ。

「うん、じゃあ、ちょっと電話してみるね。と、その前に何か飲む?」

 裏に入ろうとした所で、足を止めて振り返る。

 詩心は、少し悩んでから紅茶をお願いしますと言った。

「紅茶ね、先に入れちゃおっか……良かったら、僕が飲もうとしたお茶を飲むかい? 商売用じゃないから、お金は取らないよ」

 こくりと彼女は頷く。僕は、カウンターに戻り自分が飲もうとした紅茶をお客さん用のティーカップに注いで差し出した。

「それじゃあ、待ってて」

 裏に入って、新庄診療所に電話をかけた。

 店の方を見ると詩心と言う少女は、大人しくカウンターでお茶を啜って待っていた。



(中)

 戻って来た時、詩心は、スッと立ち上がる。

 状況を知りたいらしい。

「一時間ぐらい経ってから向かって来てくれ、だってさ」

「電話越しで、教えて貰えなかったんですか?」

 眉を顰めてこっちを見つめる。

「んーそうみたい。そこの先生は変わり者だからね、仕方ない。でも、なんやかんやすごい人だから自宅の監視カメラを見せてくれると思うよ。二人の行き先が分かるかもしれない」

 詩心は、顎に指を添えて、しばらく考えてから、確かに、と頷いた。

 スマホを見てから待ち時間をここで過ごすらしく、今度はメニューにある紅茶を頼んでくれた。

 僕はすぐに用意をして、彼女の前に置く。

「……」

「……」

 する事がなくなってしまった。本来なら一般のお客さんに話しかける事は、まずないのだが、彼女は一般に入らないだろう。だって、蓮くんの妹さんなんだし、兄妹中を聞いてみる事にした。

「蓮くんとはどう? 仲良いの?」

「はい、兄とは、小さい頃からずっと一緒だったので……」

「なるほど、まあ、どこもそんな感じか。雨も風もまだ強いし、約束の時間まで、まだあるから、二人の思い出を聞かせてはくれないか? そうしたら、紅茶のお代はタダにしてあげる」

 壁に寄り掛かりながら彼女が持つティーカップを指差した。

 詩心は、カップと僕を交互に見てから聞き返す。

「本当ですか?」

 こくりと頷く。

「それなら……まーいいですよ」

 暇が潰せると思った僕は、ニヤニヤが止まらなかった。

「思い出と言っても何を話しましょうか……」彼女は、一息置いてから思い出を話し始める。「私たちが生まれたのは、小さな村でした。両親は、私が生まれてすぐに死んだそうです」

「え……? そんな話して大丈夫?」

 突然、重そうな過去を出されて困惑を隠せず聞き返してしまった。もっと、微笑ましいのを期待していたのだが。

「まあ、もう過去の事なので、それにお代がタダになるなら、このぐらい構いません」

「そっか……」

 彼女は話を続ける。

「村での思い出はいい事が全くありませんでした。あの村では、村八分、いじめの様な事を受けていて、兄と私は、誰にも頼れず、近づけば、ひどい目に遭わされたのは、今でもトラウマです。汚い部屋で暮らし、寒い日々を過ごしていました。当時は、生きた心地が全くせず、どうして、私たちがこんな不幸を受けなきゃいけないのか、ずっと誰かを恨み続けて、本当……辛い日々でした。だけど、兄のおかげで、私たちはこっちに引っ越す事ができて、今は不自由なく過ごせているんですけど……」

 俯きながら詩心は、笑みを浮かべる。

 話を聞いていた僕は、何とも複雑な気分だった。

 いろんな想像が回り、同情してしまう。

 何と声をかけたらいいか分からず、今の生活が良い事を喜んだ。

「そっか……今がいいなら良かった……」

「あと、あの人は、人を揶揄う事が好きで、よく揶揄われました……」

 眉を顰めて、大きくため息をついた。相当、ウザかったのだろなーと察せてしまう。

「でも、最近、か、コホン……」

 咳払いで話が一瞬、止まる。

「すみません……彼女が出来て、喜んでいました。スケベな所はあるけど、聞き分けのいい子だと、楽しそうに話していました。でも、兄にからかわれる、その子を不運に思ってします」

 詩心は、話をやめて紅茶を飲み切る。

「なるほど、あの子は、そんな風に思っていたんだ」

 カップを置いてこっちを向く。

「こんな感じでどうですか? まだ、他にも話せますけど?」

 お代として足りているのか気になるらしい。

「大丈夫だよ。十分だ。それに」

 僕は視線を外に向ける。

 雨が止んだみたいだ。

「それにそろそろ、向かってもいい頃合いかもしれない」

 時計を指差しながら言う。

「そうですね」

 同じ様に外を見ながら頷く。しかし、しばらく経っても、彼女は立ち上がらず黙ったままだった。

 どうしたのだろうか? と見ていると、こっちをチラチラと見てから口を開く。

「あの……途中まで、着てってくれませんか?」

 詩心は、身を縮めて腕を摩っていた。恐らく、不安なのだろう。だが、すぐに首を振って立ち上がる。

「すみません、仕事があるのに……ただで飲ませてもらったのに厚かましいですよね。ごめんなさい。一人で行ってみます」

 カウンターを挟んで頭を下げる。

 真面目な子だな。僕は、ぼんやりと思ってしまった。

 あの子の妹とは、思えない。

「いいよ」僕は、イエスと答える。「どうせ、年中無休というか、のんびりと開いている店だし、少し休んでも平気だから、駅降りて途中まで着てってあげる」

「本当ですか?」

 嬉しそうに彼女は目を輝かせた。

「じゃあ、入り口のあそこの板、ひっくり返して来てくれる?」

「はい」

 聞き分けのいい子、確かに蓮くんに似ている。アイツも人の言う事は、よく聞く子だった。

 どうするか、迷ったが、着いて行くと決めた僕は、出かける用意をする為に裏に入って行った。

 こんな暑い中、外に出て着いて行かない方が断然、楽なのだ。

 途中まで着いて行ってあげたいと思ってしまった。



(下)

 駅を降りて、世間話をしながら向かっていた。

 辺りに緑が増え始めた頃、詩心が前を見ながら言う。

「店長さんて、すごく優しいんですね」

「そうかい?」

 僕は首を傾げる。

 そんな風に思った事は、一度もなかった。むしろ、最低な人間だと思っている。

「僕は、出来た大人じゃないよ」

「そんな事ありません!」

 彼女は食い入る様に否定した。

「あなたは見ず知らずの私に、タダでお茶を出してくれたうえに、こうして、道案内について来てくれたんです。あなたは良い人ですよ」

 笑みを浮かべながらこっちを見上げてくる。

「まあ、知り合いが行方不明だからね、出来る限り僕も知りたいし……」

 目を背けた。

 自分は出来た人間じゃないと、どうしても思ってしまう。だから、彼女の言葉を素直に受け止める事はできない。

 目線を少女の方に戻すと彼女は、俯いていた。

 何か考え事をしているのか、不安があるのか、おっかない顔だった。

 ビビる程怖くないれど。

 やがて、詩心は口を開く。

「私、カフェに来るまで、すごく不安だったんです。兄が居なくなってからずっと一人で、生活は何とか出来るんですけど、自分が一人で生きていけるのか不安で……でも今日、あなたに会えて、すごくホッとしました。世界には、あなたの様な親切な人がいるなんて、思ってもみませんでしたから」

 にっこりとした、純粋無垢な笑顔がそこにあった。

 大人として数年、生きてきた僕からすれば、目が眩むほどだった。一瞬、不安の塊が隠しきれないほど大きく膨れ上がる様な錯覚に襲われる。すぐに押さえ込んで、気づかれない様にした。

 角を曲がって、坂を登り始めると橋が現れる。橋をくぐった先に大きなトンネルが見えた。

「この先を行けば、新庄診療所はすぐだ。看板があって、その通りに行けば着くよ」

 僕は橋の手前で指を刺しながら言った。

「道案内はここまでだ。僕は戻るよ」

 なんとも、中途半端な所だが、これ以上、僕は先に進みたくない。

 詩心は訝しむがすぐに納得して頷いてくれた。

「手がかりを教えてもらって、お茶も頂いたのに、道案内してくれてありがとうございます」

 彼女は深々と頭を下げる。

 礼などしないで欲しい……そのまま、進んでくれと願ってしまう。

「気をつけてね」と微笑みながら手を振って見送った。

 彼女がトンネルに入ったら、帰ろう。そう思っていた。

 詩心は、もう一度お辞儀をしてから、橋の下を潜ろうと歩み始める。ところが、すぐに足を止めた。

 どうしたのか見守っていると、彼女は俯きながら話し始める。

「空さん、私、嘘を付いていました」

 振り向き、胸に手を当てながら、告白する。

「私は、田々楽詩心じゃないんです。本当は、影山、影山詩心と言います」

「影山? もしかして?」

 僕は思わず、聞き返す。

「はい、私は田々楽蓮の妹ではなく。影山琴己の妹なんです」

 なぜこのタイミングなんだ?

「なぜ、嘘をついたんだい?」

「それは……」彼女は一瞬、口籠る。「それは、私たちが特殊な出立だったから、知られたら、まずいと思ったんです……ごめんなさい」

「なら、尚更、隠して、このまま進めば良かったじゃないか?」

 そうだ、このまま隠し通す事も出来たはずなのに、なぜ、話してしまったのだ? この子は。

 雨上がりの蒸し暑さで、息がしづらく感じる。

 橋の下、影に隠れた少女は自分の腕を掴みながら言う。

「嘘を付いていたら、紅茶代を騙し取ったみたいじゃないですか……」

 聞いた瞬間、お前は馬鹿か? そう思ってしまった。

 馬鹿真面目すぎる。

 いちいち人の過去を詮索して、合っている、合ってない、なんて気にしない。

 そんなの気にしてないよ。と声を掛けて仕舞えば、終わりに出来た。でも、そんな隙はもらえず、詩心は、自分の生い立ちを正直に話し始めた。

「嘘を付いていたと言っても、そんなに話は変わりません。ただ、兄と姉を入れ替えるだけです。私たち、姉妹は、小さな村で育ちました。でも、両親がいない私たちは、ある理由から迫害を受けていたんです」

 首を振って自分の発言を否定する。

「いいえ、あれはただの鬱憤ばらしだ。あいつらは怯えた目をしながら、何も出来ない私たちを良い事に好き放題してきた。私も、姉さんも、理由もなく殴られて、理由もなく罵声を浴びせられたんです。そして、ある日、村の男が突然、私を連れ出して襲ってきたんです……その時、お姉ちゃんが私を助けてくれなかったら、私は死んでいたかもしれません。例え、生きていても、心はその時に死んでいました」

 いつの間にか、震えた声で語る詩心の目は赤く腫れて、涙が溢れ掛けていた。

 目を擦って、彼女は続きを話す。

「襲われた日に、私たちは村を逃げ出しました。その後は色んな所を転々と回って、二人で支え合って生きて来たんです。姉さんは小さい私の為に、色んな方法でお金を稼ぎました。その中には、決して子供が手にしていいお金じゃない物もあったと思います。でも、そのおかげで私は学校に通えて、高校にも通わせてもらえました」

 俯きながら微かに笑みを浮かべる詩心の顔は、きっと、お姉さんへの感謝と尊敬なのだろう。

 迫害、襲われた……一体、どんな目にあったのだろうか? 気に止めるべきじゃないのに、色んな想像をめぐらしてしまう。

 僕はいつの間にか、前を見る事が出来なくなっていた。

 何か、彼女に言葉を投げかけてあげたい。なんて、思ってしまうなんて、愚か過ぎる……自分と相手が歩んで来た道が、あまりにも違い過ぎた。

 安全圏で育った僕には、優しい言葉を掛ける資格はない。

「空さん」

 黙り込んでいた僕に呼びかける。

 顔を上げると嬉しそうに笑う詩心がこっちを見ていた。

「私は今日まで、姉さん以外、信じずに生きて来ました。生い立ちのせいで、誰も信じられずにいたんです。でも、今日、空さんに会えて、少しは誰かを信じてみようかなと思いました」

 力無く笑う。

 甘い、甘過ぎる……今までこの子はどうやって生きて来たのだ? 姉に頼りっきりだったのか? こんな簡単に人を、僕を信じないでくれ。

「本当に、騙してごめんなさい。これで支払いは、ちゃんと出来ましたか?」

 頭を下げる。顔を少し上げて、こっちを真っ直ぐな目で見つめて来た。

「……」

 僕は頭を抱えてため息を吐いてしまう。

「なんて、正直な子だ……」

 向こうを見ると不安な顔を浮かべている。

「僕は、そんな細かい人間じゃないから、あのまま行ってくれて良かったのに……」

 腕を下ろして、僕も本当のことを教える事にした。でないと、罪悪感で死にそうだ。

「知っていたよ。最初から君が蓮くんの妹じゃないって、君が普通の人間じゃない事も」

「え?」

 目を丸くする。僕も初めて会った時にそんな顔をしてしまった。

 君の本当の姿をみた瞬間、察してしまった。

「そもそも、蓮くんは、一人っ子だ。でも、何か事情があるんだろうと思って言わなかった」

「待ってください!」

「あれ、知らなかった? 無理もないね。あいつは、一人暮らししてるだ。聞かれないと話さないと思うし、今は、病院に泊まってるいからね」

「違います。今、なんて?」

「だから、彼は今、病院に泊まっているよ」

「いいえ、その前です」

 わざと話を逸らしたがダメなようだ。嘆息を吐いて、ゆっくりともう一度、同じことを教えてあげた。

「君が普通の人間じゃない事も……」

 詩心の顔から血の気が引いていくのが分かる。

「いつからですか?」

「最初からだ。僕はちょっと不思議な力を持っていて妖怪とか化け物の擬態を見破れるんだよ。だから……今も、君の姿の半分が化け物に見えている」

 指を刺しながら教えてあげた。焚き火の煙が上るように黒い布が、彼女の顔半分からくるくると回って上に向かうのが、ずっと見えていた。

 この子が黙っていたら、話さなかったのに……

 僕はすぐに自分の告白を後悔した。

 目の前の少女が先程まで何も疑わずに無垢に笑っていたのに、今はどうだ? 怯えた目をしているじゃないか……

 疑念を晴らす気はない。そのままでいいと思う。だけど……僕は口を開く。

「その先に……お姉さんの元へ向かわない方がいい」

「どうして?」

「君を不幸にさせるだけだ」

「姉さんに何かあったの?」

 真実を知りたがる猫を止める事はできない。そんな風な言葉があった気がする。

 僕は目を合わせずにいた。でも、心はピュアなのかもしれない。

「君の姉さんの事は知らない。でも、何も知らず、このまま離れた方がいい」

 こんなので忠告のつもりか? それじゃあ、誰も、はいそうですか、なんて言う事も聞いてくれない。

 何をやっているんだ僕は?

 ふと、後ろにとてつもない殺気を放つ気配を感じた。

 同時に詩心が危機を叫ぶ。

「空さん、逃げて!」

「動くな」

 歩み寄ろうとする彼女の背後に白衣を着たメガネの男が立っていた。

 男は、一瞬のうちに詩心の首と手を鷲掴みにする。

 タイムアップだ。彼らが来てしまった。

「誰だ……お前らは?」

 後ろの男を睨みながら聞く。

「彼らは、新庄診療所の人間だ。以前、来た化け物と同じ奴が来たと教えたんだ」

 店で新庄診療所に電話をかけた時に話したんだ。本当は、トンネルの中で手筈だったのだが、痺れを切らせて来てしまったようだ。

 以前に見かけた奴は、人を食べていた。なら、この子も人を食べる存在だと思ったんだ。

 男はニヤニヤとしながらゆっくりと話す。

「空くん、研究の協力に感謝する。いや〜死んだ化け物だけじゃ、私の知的好奇心を満たせなかったからね」

「お前、姉さんを!」

 殺されていた事に気付いた詩心は、怒りに任せ、黒い布を操って男を刺そうとする。しかし、彼は涼しい顔で詩心の指を折った。

「アガアアア!」

 膝が崩れそうになる。

 男の方は、黒い布を眺めらが息を荒くする。

「ほほーあれとは、違って小さいな」

「誰が小さいだ! これからギャアアアア!」

 また、指を一つ折る。

「人を食べている方が大きくなるのだろう。君、人を食べた事はあるかい?」

「はぁ、はぁ、ある……わけないじゃない。姉さんは、平気だったけど……私には無理……」

 彼女は歯を食いしばりながら目を背ける。

「……」

 男は、詩心の首から手を離す。流れる様に腕を掴んで、肘のところからへし折った。

「ウガアアアアア! うぅ痛い、痛い……」

 詩心は肩を抑えながら、膝から崩れ落ちる。

 指は必死に堪えていたんだろう。でも、腕を折られて、あまりの痛さに泣き始めてしまった。

 涙を流す姿は、人間と差して変わらない。

「痛みは感じるのだね。この前、戦った時は、じっくりと反応が見られなかったからね」

「はーはー、お前だけは……お前だけはぁぁぁ!」

 痛みを感じながらも詩心は、必死に男を睨む。今すぐに刺殺したいと言わんばかりに。

「君、弱いね」

 男の冷酷な一言に詩心は氷つく。

 僕には、彼女が動きを止めた理由が分からなかった。でも、次に浮かべる表情には、こたえるものがあった。

 全身から力が抜けて、絶望に俯く顔。

 うつろな瞳からは、涙がまだ流れている。

 こっちまで、気分を悪くしそうだ。

 つまらなそうに男は、少女を眺める。

「おとなしくなってしまった。まあ、続きは、帰ってからにしよう。治療も出来るのか知りたいしね」

 折れた腕とは逆を掴んで立たせる。

 詩心は、さっきので、服従してしまったのか、なんの抵抗も見せずにゆっくりと立ち上がる。肩を摩られながら、向きを変えていた。

「空くん、本当に研究材料の提供をありがとう。おかげで楽しめそうだ」

 去り際に男は不敵に笑みを浮かべる。

 これでお終い。僕は帰って店をまた開く。

 何食わぬ顔で、生きていく。

 そうだ、僕は害獣を専門家に渡しただけに過ぎない。人を食らう化け物、そいつを捕まえたんだ。

 あーいい事をした……なんて、言えるのか? 

 ふざけているのか、俺は?

 これで良いのか?

 橋を潜り抜けそうになる詩心の姿を見て疑問が浮かぶ。

 あの子は、人を食べてない。もしかしたら、多少は、食べているかもしれない。でも、以前見つけた奴よりは、食べてないよな?

 彼女には、なんの罪があるんだ?

 この子は、何も悪い事をしていない。

 なのに、僕は、この子を騙し、あいつは痛ぶっていた……本当に、これで良いのだろうか?

 僕は、帰って、何食わぬ顔で生きていけるのか?

 答えはノーだ。できない。

 思い始めると目の前の化け物の姿が、ただの少女の様に見えてしまった。

 彼女は、震えている。

 姉を失い、人に騙されて、今、命の危機に直面している。

「……ホウノスケさん」

 ホウノスケと呼ばれた男は、体を止めて振り返る。

「何かね?」

「いや……そのーその子は、どうなるんですか?」

「どうなるって?」

 愚問だったらしい。素人には分からないよ。

 ホウノスケは、口を開いてから、笑みを浮かべながら話す。

「そうだね、まずは、我々人間用の治療が出来るか調べる。次に電気、火傷、後は毒とかの耐性を見ようと思っている。考えると、とても楽しみだ。死体では、見られないものだからね」

 顔を熱らせながら微笑む彼の方がよっぽど化け物だと思えた。

「良心……は、痛まないんですか?」

 ホウノスケは首を傾げる。

「人でないものに、心を痛む事があるのかい?」

 あぁ、化け物だ。

 確信した。

 人でなければ、良心が痛まない。そう言える人はほとんどいない。いや、世界中探してもこの人だけだ。

「さっきからなんだい? この子にまだ、話したい事があったのかい?」

 僕の方に向き直る。

「えぇ、まあ……」

「前にも言ったかもしれないが、気にせず、忘れた方が君の為だ」

 肩をすくめる。

 このままじゃ埒があかない。

 良心のない相手と話すのに回りくどいやり方は、いくらやってみ意味がない。

 素直に話す事に決めた。

「やめませんか、こんな事……」

「やめるって、何をだい?」

「その子を苦しめる事です」

 震えながら言った。僕は正直、ホウノスケさんと向き合って話すのが怖い。

 何かして来そうで……でも、逃げちゃダメだ。

 言い聞かせる様に僕は、一本心の杭を打ち込んで立つ。

「ホウノスケさん、言っていましたよね。詩心は、人を食べてないって」

「あぁ、言ったさ。この子の触手は、前の奴より小さいのだよ。大きさとしては、包帯と半物ぐらい違ったね。それがどうしたと言うのかね? 蛙の子は蛙、変わらない物さ。今、人を食べてなくても、いつかは食べるかもしれないだろ? 疑わしきは罰せよ。かもしれない運転。危機には、備えとくべきだ」

 淡々とホウノスケは語る。

 これだ……これだよ、そんな風に言う。言葉巧みに言い負かして、この人には敵わない。

 僕は全てを諦め、大きなため息を吐く。

 もう、どうにでもなれ!

 ズカズカと歩みながら橋の下、二人の前まで行く。

「いいから!」

 ホウノスケを抑えながら、詩心を引き剥がす。

「彼女を放せ!」

 思っていたよりも、すんなりと、彼は手放してくれた。瞬間、詩心の瞳に光が戻った気がする。

 彼女は、いつの間にか、僕らから離れた位置に移っていた。

 野良猫が、ばったり人と目があった時の様に、彼女は身を固めてジッとこちらを見て警戒していた。

 詩心は何を考えているんだろうか? きっと、恨んでいるに違いない。でも、頼むから今は逃げてくれ……

 やがて、彼女はそっぽを向いて逃げ去ってしまった。

「……」

「……」

 ホウノスケを前に、ずっと感じていた殺気が背後から刺さって、板挟みの状態に人生終わったと感じる。

 彼は、立ち去った詩心を眺める様に遠くを見つめていた。

「君は、大人として間違った事をした。危険な存在を逃したんだからね。このせいで罪もない一般人が被害に遭うかもしれないんだよ」

「はい……」

「どう責任を取るんだい?」

「すみません……」

 謝る事しか出来ない。

 確かにあの子が人を食べる可能性はあった。でも、このまま連れて行かせたら、あの子の人生は暗いままだったかもしれない。

 そう思ったから逃したんだ。

 ホウノスケさんにため息を吐かせてしまった。

 危険な実験の非検体にされても文句は言えない。

 彼は、僕に何かする事なく、向きを変えて坂を登り始める。

「だが……」途中、足を止めた。「優しさとしては、悪くない選択だったのかもしれないね」

 言いながら背中を向けながら手を振ってトンネルの中へと消えて行った。

 姿が見えなくなって、ようやく、肩の力が抜けた気がする。

 いつの間にか、背後の気配も消えて、ここには、僕一人だけになっていた。

「……帰ろう」

 間違っていたかもしれない。間違えたんだ。

 見過ごす事も、裏切る事も、どっちも出来なかった。

 でも、まだ、マシなんだ。

 雨上がりの蒸し暑さの中、そう思う事にした。

 どちらかが背中を刺しにくるのでは、とビビりながら夜を一週間程度過ごしたが、何も起こらなかった。

 数ヶ月が経ったある日、常連の桃花が珍しくお友達を連れてやって来た。普段は、テラス席でここで知り合ったお爺さんと話すのだが、今日は違うらしい。

「お邪魔しまーす!」

「いらっしゃい、いつもの席は、空いているよ」

 言い終えた後に桃花の後ろに、もう一人誰かいる事に気づく。

 高校生ぐらいの黒髪の少女が立っていた。

 彼女のツンとした目は虚ろになって、決して目を合わせようとしない。

「私、やっぱり帰る……」

「えー! せっかく、来たんだから食べてこうよ。私が、奢るから!」

「分かった、分かったから、抱きつかないで……」

 困った顔をしている。

 経緯は分からないが、桃花とお友達になった様だ。

 もしかしたら、もともと知り合いだったのかも。

 どちらにせよ、断れずに来てしまったらしい。

 席を案内する為に僕は、二人の前に立つ。

「初めまして、店長の空です」

 何食わぬ顔で、初対面を装った。

「ど、どうも……影山 詩心です。詩の心と書いてウタです」

 少し困惑した様子だが、こちらの意図に察してくれたのだろう、あの時と同じ挨拶をしてくれた。

 席に案内した後、カウンターの裏に戻った時、胸が熱くなるのを感じる。

 良かった、生きていて……腕も何ともないらしい。

 ほっと胸をなでおろす。

 次は間違えない。

 あの子にもう、あんな思いをさせちゃダメだ。

 心に刻みながら僕は、二人の少女がメニューを決めるのを待った。

        完

あやしいものじゃないよ、あやかしだよ。

どうも、あやかしの濫です。

短編と言っときつつ続きを出しちゃった輩です……(それでも短い話だからセーフかな?)

詩の心と書いてウタと読む。この流れとても気に入ってます。こんな風に自己紹介出来たらいいな。

影山姉妹の名前にはちょっとした秘密を隠しているのですが、もし、暇があった見つけてみてください。

ヒントは望まれない子供です。漢字一文字が隠されているのでぜひぜひ。

 「店長空の最善の選択」を読んでくださりありがとうございます。

 「キャリー・ピジュンの冒険」の方はちょっと、だいぶ、時間がかかりそうです……

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