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大根太郎

作者: 時輪めぐる

 

寂しさに殺されそうな日曜日。

昼頃、起きたあたしは、パジャマのまま、ベッドに座っている。

静かだ。この部屋だけが世界から見捨てられたように、何者も干渉しない。

バイト先でも大学でも、(ほと)んどしゃべらない。話す相手がいないから。


(孤独だ)


どんどん、どんどん、気持ちが下降した。   

が、幸か不幸か、アンニュイな思考はドアホンの音で(さえぎ)られた。

ドアホンが鳴るのは久しぶりだ。おずおずと、のぞき穴から見ると、隣のお婆ちゃんが立っていた。

このアパートで挨拶(あいさつ)を交わす、唯一の人物だ。もっとも、お婆ちゃんは、居るのか居ないのか分からないほど、ひっそりと暮らしていたので、お隣といえど、ごく(まれ)にしか顔を合わすことはなかった。お互い様なのだが。



パーカーをはおって、ドアを開けたら、外は、小春日和のよい天気だった。

「よかったらもらって。年寄り一人じゃ、食べきれなくてね」

ちっちゃいお婆ちゃんは、にっこりと微笑み、ひと(かか)えもある葉付き大根を差し出した。

「いりません。私も一人暮らしなので」

きっぱりと、そう言えたらよかったのに。

「……どうも」と答え、案の定、早速、困った。



お婆ちゃんが帰ってから、ネットで調べると、()でて冷凍保存できると書いてあった。 

それじゃあ輪切りにと、真ん中あたりに包丁を振りおろす。

すると、刃が触れるか触れない内に、大根がパカッと割れ、中から豆粒のような白と緑の何かが、ポロリと出て(うごめ)いた。

悲鳴を上げなかった。本当に驚いた時、声は、喉の奥に張り付いてしまう。

見る見る内に、豆粒は卵大に。

卵は、フットボール大に。

気づけば、まな板の上で、丸々と太った、色白で緑の髪をした赤ん坊が、盛大に泣いていた。



我に返った。まな板の上の赤ん坊、いや、白ん坊。

側に、たたずむ包丁を持った女。


(ホラーじゃないか)

 

取り()えず、包丁を片付け、赤ん坊を抱き上げた。

頭が混乱している。大根を切っていたはずなのに、何故に、赤ん坊なのだ。

赤ん坊の世話などしたことがない。未婚の花も恥じらう十九歳だ。

どうしたらいいのだ。


(とにかく、保温か?)


洗面所に干してあったバスタオルで赤ん坊をくるむと、ベッドに寝かせ、再びネットを検索した。

「当座必要なのは、オムツとミルクと衣類」

面倒な事になった。警察に届けるべきか。

だが、大根から生まれましたなどと言って、信じてもらえるだろうか。

人生最大のピンチ。

赤ん坊は無邪気に、あたしの人差し指を小さな手で(つか)み、口に持って行こうとする。

「お腹、空いてるのか? ()()()

名前を付けなければと思った。男の子だ。

「大根から生まれた、大根太郎かな」

色白で緑の髪をした赤ん坊は、濡れた黒い瞳で、不思議そうに見上げた。



買い物に出る時、隣のお婆ちゃんに相談しようと訪ねたが、応答がなかった。相談というより、むしろ、問い詰めたい。

ドラッグストアにいる間も、どうしたら良いのか考えた。残念ながら、相談できるような友人は、一人もいなかったし、実家の父親や、まして、あの(ひと)には、相談しかねた。



昨春、地方から、大学に行くために上京した。高校までと違って、大学のクラスは、あってないようなもの。同じ講義を履修(りしゅう)したとしても、授業が終われば散り散りになる。

接点が無さ過ぎて、正直、友達の作り方が分からない。二年生になった今も。

学費のために、バイトを週四しているので、サークルに入るという選択肢もない。だから、アパートと大学とバイト先の三点、孤独なトライアングルをなぞっている。


(子猫を拾ったようなものじゃないかな?)


そう思うことにした。 

十二月の、どこか(せわ)しい街の中、人は大勢いるのに、あたしは、一人ぼっちだった。



ドラッグストアの大きな袋を、両手に()げてアパートに戻ると、部屋の前に、大家の(はた)さんが立っていた。どうやら、待っていたらしい。

「ちょっとお、赤ちゃんの泣き声が、するみたいなんだけど」

チェーン付きの眼鏡越しに、疑いの眼差しを向ける。

心臓が大きく跳ねた。拍子に、買い物の袋を落としそうになる。

畑さんは、六十代ぐらいだろうか、御主人に先立たれて、アパート経営で生活しているのだと、入居の時に聞かされた。口うるさくて閉口するが、大学に近くて手頃な家賃は、美味(おい)しかった。

「あ、赤ちゃん? 私、独身ですが……」

「そうよねぇ。あんたに限って、未婚の母はあり得ないわよね」

「パッとしないあたしに、相手は、いないっていう意味ですか?」と言いたいのを飲み込んだ。

「テレビを、消し忘れたのかも」

(とぼ)けると、畑さんは、なぁんだと納得したが、

「ここは、同棲(どうせい)禁止。ペット禁止だから」

念を押すことを忘れなかった。

部屋に入ると、大根太郎は、泣き疲れたのか、ベッドの上で、すやすやと眠っていた。何だか少し大きくなった気がした。



翌朝、目覚めると、隣で寝ていた大根太郎は、二、三歳児くらいの大きさになり、はち切れそうなオムツを穿()いて、あうあう言っていた。

驚いた。が、この非現実にも、少し慣れてきた。何だか分からないけれど、今のところ、誰にも迷惑をかけていないし、ちょっと楽しい。

オムツが、小さすぎるので、パッドのように使い、タオル二枚とレジ袋で、オムツカバーにする。あたしの半そでTシャツを着せると、テルテル坊主みたいになった。


二、三歳児は、何ができて、何ができないのだろうか。ネットで調べると、歩行と話し始めは一歳くらいから、とあった。


(もう、過ぎちゃったじゃない……)

 

更に読み進むと、離乳食を経て、二歳児は普通食、とある。トイレトレーニングも、始めなければならないらしい。ミルクもオムツも、そろそろ要らなくなるようだ。この成長速度は、いったい何なのだ。


普通食というので、早速、柔らかなパンを、口元に運んでみたが、大根太郎は、目をパチパチするだけで、食べなかった。

やはり、ミルクから、いきなり普通食は無理なのだろうか。それとも、単にお腹が空いてないのか。どうしていいのか分からずに途方にくれる。こんな時、母親がいたら。



――母親は、あたしが幼稚園の時に亡くなったから、あまり覚えていない。

こうして、赤ん坊の世話をしてみると、幼稚園に通えるようにするまで、どんなに大変なのかが、よく分かる。赤ん坊は、愛情を持って、たくさんの手間をかけなければ、食べることも、歩くことも、話すことも、排せつすることも、できないのだ。

今まで、幼いあたしを置いて()ってしまった母親を恨むことすれ、感謝などしたことなかった。根暗(ねくら)で友達ができないのは、母親の愛情を充分受けていないからだと勝手に思っていた。でも、違うのかも知れない。



何度試しても、食べないので、先に言葉を教えることにした。

「あんたは、大根太郎。あたしは、マアヤ」

大根太郎と自分を、交互に指差しながら、ゆっくりと繰り返す。

「あーや、……まーや」

心地よい子供の声が、耳をくすぐった。

「そう、マアヤ」

さっきまで、あうあう言ってたのに、飲み込みが早い。ヘレンケラーのサリバン先生になった気分で、次々に物の名前を教えていく。

「これは、ウォーター」

「うぉ、うぉーたーっ!」

大根太郎は、コップの水を飲み干した。


六畳一間の室内で、目に付く物の名を一通り教え終わると、次に、両手を持って、床に立たせてみた。

少し内股の白い脚は、ふらつきながらも立ち上がる。

「おお、太郎が立った!」

それから、あたしが、ゆっくり後退すると、大根太郎は、最初の一歩を踏み出した。

「あんたには小さな一歩だけど、大根にとっては偉大な飛躍だ」

などと言っている間にも、大根太郎は、どんどん成長する。

トイレトレーニングを急いだ。早くオムツが取れないと困る。


今日は午後から授業があるので、昼食後、出かけなければならない。

スクランブルエッグと野菜のスープ。これなら食べられるかと思ったが、大根太郎は、首を横に振った。

「お腹、空いていないの?」

朝と違い、今は話せる。

「うぉーたー、だけ」


(なるほど、水耕栽培なわけか……)


「お留守番ができる? 誰が来ても、返事をしない。ドアを開けない。約束して」

大根太郎は、うなずく。

「いい子にしていてね。おみやげ買ってくるから」

それから、テレビのリモコンの使い方を教えて、アパートを出た。


だが、大学についても、大根太郎のことが、ずっと気になって、授業どころではなかった。この調子だと、バイトに行っても、使い物にならないだろう。



火曜日には、六歳くらい。水曜日の今日は、九歳くらいに成長した。

どうやら、八時間で一歳、一日で三歳、歳をとるらしい。今や、利発な美少年、小学生サイズだ。

大根太郎のことを考えては、バイト先でも、にんまりとしてしまう。

「……しろさん、鈴代(すずしろ)さん!」

気づくと、同僚の近藤君が、弁当のカートを押す通路に、あたしが、とうせんぼをしていた。

「すみません」

横によけながら()びると、

「最近、ボーッとしていますね。でも、少し明るくなった。いいことでも、あったのですか?」

近藤君は、さわやかに笑い、弁当を棚に並べ始める。

「明るくなった?」

あたしも、弁当を手に取り手伝った。

「笑うようになったし、口数も増えた」

笑わない。口数が少ない。どちらも、接客業として、適格ではないけれど、コンビニのバイトとして、そう不都合はなかった。だから、続いている。

「いい感じですよ」

近藤君は、ダメ押しをした。

近藤君が、同じ大学の後輩であるというのを、昨日知った。半年以上、一緒に働いていたが、雑談したのは昨日が初めてだった。

「そ、そうかな」

胸が、ほっこりとした。



生まれて一週間。

順調に成長し、土曜日の朝には、十七歳。

バイトを終えて、夜十時過ぎに戻ると、十九歳になっていた。

大根太郎は、夕飯を作って待っている。

「ただいま」

「おかえり、マアヤ」

変声した、イケメンボイスが答えた。

一緒に住んでいるのを、大家の畑さんに、知られたら、間違いなくアパートを追い出されるだろう。


一昨日、中学生サイズの大根太郎と、散歩している時に、偶然、畑さんと出くわした。(あせ)って、親戚の子だと、その場を取り(つくろ)ったが、成年男性サイズは、ちとまずい。

いつ、見付かるか、ひやひやものだけれど、毎日、幸せだった。

何がいいって、呼びかけて返事が返って来るのがいい。何かしてあげる、何かしてくれるは、もっと、うれしい。

近藤君が言っていたのは、本当かも知れない。あたしは、笑うようになった。


「この成長速度だと、すぐに、お爺さんになっちゃうね」

大根太郎が作ったカレーを、食べながら言うと、

「マアヤは、このままが、いい?」

長い睫毛(まつげ)の、黒目がちな瞳で、見つめる。

「そりゃあ、お爺さんよりは」

「じゃあ、ここで止めとく」

「そんなことできるの?」

「まぁね」

そんなことができるのなら、早く言って欲しかった。幼い大根太郎や、少年の大根太郎を、もう少し満喫(まんきつ)したかった。

ドリルを買って勉強を教えたり、一緒に遊んだり。反抗期の生意気な感じも可愛かった。お姉さんは、育てる楽しみを知ったのだ。

意外だったのは、子育ては親が子に一方的に与えるわけじゃなく、子供が親に与えることもたくさんあるということ。



――小学生サイズの時に、「友達が欲しい」と言うので、午後の公園に連れて行ったことがあった。

仲間に入れず、ベンチから動けない大根太郎に、「『入れて』って言ってごらん」と(うなが)した。あたしには、できないけれど。

大根太郎は、ゆっくりと、でも、真っ直ぐに、鬼ごっこをしていた小学生のグループに近付いて行った。何かのやり取りがあり、大根太郎は、しょんぼりと、うな垂れた。

胸が苦しくなった。拒絶される痛みを、あたしは知っている。ベンチから腰を浮かせ、「もうよしな」って止めに行こうとした。  

だけど、大根太郎は、(あきら)めずに話しかけて、何度目かに、砂場で遊ぶ別のグループに、混ざることができた。

ホッとした。親の気持ちが、分かった気がした。子供が拒絶される悲しみも、受け入れられる喜びも、そのまま親に投影されるのだ。


公園からアパートに戻る時、大根太郎は、「楽しかった」と繰り返した。

「良かったね。あたしも、うれしい。仲間がいるのは、楽しくて幸せなことだよね。アンタは頑張った。(えら)かったよ」

大根太郎が見せてくれた勇気は、あたしの心に、ポチっと根を下ろした。



日曜の朝は、いつものように、ゆっくりと始まった。

けれど、あたしがアンニュイな思考に沈むことはない。

昨夜から歳を取らなくなった大根太郎は、ベッドの脇に敷いた布団の上に胡坐(あぐら)をかいている。

「……なぁ、マアヤ。俺のこと、どう思う?」

「どう思うって? 可愛いよ」

枕に顔を付けたまま、大根太郎の方を向き、

「こーんなに小さい頃から、育てたのだから」  

と、親指と人差し指の隙間(すきま)を一センチくらい開けて見せる。 

「そうじゃない……」

大根太郎は、苦しそうな顔をした。

「マアヤも俺も、十九歳だろ?」

「うん、そうだね」

「だから、その……ほら、いや、何でもない」

「えっ、何?」

「何でもない! さて、飯でも作るか」

さっさと布団をたたむと、大根太郎は台所に立った。自分は食べないのに、食事の支度は彼の仕事になっている。

赤ん坊の時は、大変だったけど、成長してお手伝いができるようになったのだなぁと、しみじみと後ろ姿を眺めた。


(さっきは、何を言いかけたのだろう?)


ご飯が済むと、買い物がてら出かけることにした。いつも、部屋を出る時と、入る時は、周囲に注意を払うのだが、今日は、ちょっと、間が悪かった。畑さんが、ちょうど部屋から出て来て、鉢合わせになった。

「こ、こんにちは」

畑さんは、厳しい顔で、大根太郎の頭の先から爪先まで、ジロリと見おろした。

「い、いとこです。今、訪ねて来たので」

「こんにちは。マアヤが、いつもお世話になっています」

大根太郎は、礼儀正しく挨拶した。

「その緑の髪は、いわゆるコス、コス……」

「コスプレじゃありません。仕事の都合で」

「へぇ、美容師さんか何か?」

「そんなところです」

「そうなの、大変ねぇ」

畑さんは、にっこりと警戒を解いた。


(こやつ、なかなかやりおる)


(かば)わなくても、自分で切り抜けられる。成長がうれしい半面、手が離れて寂しい気がした。



駅前の商店街は、クリスマス一色だった。  

以前ほど派手ではないけれど、楽しむ人たちがいる限り、信仰にかかわらず、イベントとして続いて行くのだろう。ぼんやりと、そんなことを考えていると、

「明日は、イブだね」

大根太郎の声が、髪に降って来た。

去年のイブは、バイト先で調達したショートケーキを、アパートで一人もそもそ食べたのを思い出す。

「バイトは、十時までだよね。終わったら、二人でイブをしよう」

「ホームパーティね。楽しそう!」

「俺が、全部準備するから、マアヤは、何もしなくていいよ」

「飲み物は、バイト帰りに買ってくる」

それから、食材やパーティグッズを買い、帰る途中、あの公園にさしかかった。

「お友達ができた公園だね」

「ああ。だけど、あの子たちは、まだ子供だけど、俺は、大きくなっちまった」

大根太郎は、寂しそうに笑う。

「そっか。同年代のお友達、欲しい?」

「まぁね。でも、俺には、マアヤがいる」

西日を背に笑う太郎を見上げて、何故か、不安になった。



翌日、午後の授業を終えて、バイト先に行くと、近藤君に、小声でバックヤードに呼ばれた。

「どうしたんですか? 何かアクシデントでも?」

つられて、声をひそめると、

「あーいえ、仕事のことじゃないんです。プライベートな用で」


(プライベート?)


モジモジしている近藤君の言葉を待った。

「今夜、バイトが終わってから、時間ありますか?」

「えっと……、何かあるのですか?」

「よかったら、僕とクリスマスイブを、しませんか?」

「えっ?」

状況が飲み込めなかった。男の子に誘われていることを理解するまでに、ちょっと時間がかかった。

「駅前のファミレスですけど、一緒にご飯食べませんか?」

しょぼいですが、と付け加える。

しょぼいも何も、男の子に食事に誘われたのは、生まれて初めてだった。

「あ、ああ……」

言葉がうまく出て来ない。

「こ、今夜は、親戚の子が来るので」

声が裏返った。

「そうですか。じゃあ、明日は、どうですか?」

さわやかに食い下がる。

「……明日なら、大丈夫かな」

近藤君の顔が、パァッと明るくなった。

「明日、鈴代(すずしろ)さんもバイトないですよね。じゃあ、六時半頃、駅前で待ち合わせで、いいですか?」

あたしは、うなずいた。断る理由がなかった。


それから、予約のケーキやオードブルを、受け取りに来る客のラッシュがあり、酒類も飛ぶように売れた。いちゃいちゃカップルや、家族連れ、友達同士らしいグループ。みんな、それぞれの、イブを楽しむのだろうと、微笑ましく思えた。去年は、こんな風に思えなかったけれど。



バイトが終わる頃、外は粉雪が舞い始めた。が、心は温かに満ちていた。

飲み物を買い、アパートに戻ると、大根太郎が、ごちそうを作って待っていた。

カナッペに、手作りケーキ。鶏のから揚げに、マカロニサラダ。

「すごーい!」

驚くあたしに、大根太郎は、満足気だ。

「マアヤを喜ばせたくて、頑張った」

「じゃあ、これは、あたしから」

少し前に、買って置いたセーターをプレゼントすると、子供みたいな笑顔を見せた。

「では、乾杯!」

あたしは、アップルタイザー、大根太郎は、ミネラルウォーターのグラスを、炬燵(こたつ)越しにカチンと合わせる。

「おいしい?」

「すごくおいしいよ」

生ハムと洋ナシを乗せたカナッペを、ほお張りながら答えると、

「俺も、食べてみたいけど、……無理だな」

いつになく、そう言った。

「残念だね。食事って、一緒に食べると、更に美味しくなるものなんだよ」

そういえば、近藤君に食事に誘われたと話すと、大根太郎は、急に不機嫌になった。

「何だよ、そいつ。何で、マアヤを誘うんだよ」

「さぁ、何でだろう(もぐもぐ)」

「分かんないの?」

「うん(ごっくん)」

あたしは、サラミとチーズのカナッペに手を伸ばす。

「……鈍いんだな。……まぁ、いいけど」

大根太郎は、溜息をついた。

変な沈黙が流れ、ネットラジオのクリスマスソングと、あたしの咀嚼音(そしゃくおん)だけが聞こえる中、

「あのさ」

意を決したように、大根太郎が口を開いた。

「俺、マアヤが好きだ」

「……あたしも、君のこと好きだよ」

「そういう意味じゃない!」

大根太郎が、見たこともないほど真剣な顔をしたので、驚いて、よく噛まずに飲み込んでしまった。

「うぐっ」

「ごめん、……ごめん。ほら、これ飲んで」

アップルタイザーのグラスを手渡すと、背中をトントン叩く。

「大丈夫?」

涙目でグラスを置いて、うなずいた。顔が近いと思った次の瞬間、

「マアヤ」

瞳が揺らぐと、大根太郎は、あたしを抱きしめた。

「えっ……?」

「女の子として、好きなんだ」

緑の髪が頬をくすぐり、息が耳元で熱い。

あたしは、思いっきり混乱していた。


(何、何? このシチュエーション?)


「……マアヤは、いい匂いだ」

大根太郎の手が、後頭部をやさしくなでる。

「ちょ、ちょっと、待って」

必死に両手を突っ張って、体を離した。

「俺のこと、嫌いなの?」

大根太郎の声は、心細げに聞こえた。

「そうじゃなくて」

息を整える。

「そうじゃなくて。びっくりして、どうしたらいいのか分からないの」

「そういうもの?」

「そういうもの」

まだ、心拍が早い。

「おかしいなぁ、昼ドラやマアヤのコミックだと、こんな感じでコトは進むのだけど」


(コトが進むぅ? いったい、何を参考にしちゃってるのよ)


「君が誕生した時から、子供とも家族とも思って、育てて来た。急に、異性として意識しろっていうのは、難しいよ」

「じゃあ、どうすればいい?」

「少し、考える時間をくれるかな?」

相手が大根太郎だから、大人の余裕を装って、こんなことが言えるけど、相手が近藤君だったら、難しいだろう。


(近藤君? 何で、ここに近藤君が出てくるのよ?)


「時間、か……」

大根太郎は、思いの外、暗い顔をした。



その日から、悩める大根太郎は、少しずつやつれていった。髪の緑も、黄みを帯び、肌の張りもなくなってきた。それを食い止めようとするかのように、飲む水の量は、徐々に増えていく。


(苦しめて、ごめん)


早く気持ちの整理をして、返事ができれば良いのだけれど、一週間経って、大晦日(おおみそか)になっても、考えは、まとまらなかった。

相手は、大根なのだ。どうしろと言うのだ。我が子のように、大切に育てて来たのだから、可愛いし、幸せになって欲しい。だけど、二人の間には、倫理的な何かと、生物学的問題が横たわっている。


その夜、バイトから帰ると、大根太郎がいなかった。今まで一度も、こんなことは無い。元気が無かったのを思い、不安で体が震えた。胸騒ぎがして、再びコートを着るとアパートを飛び出した。


(嘘でしょ? 嘘でしょ? いなくなったりしないよね? )


「大根太郎ー!」

名前を呼びながら、夜の道を走った。

年越しの初詣に出かける車なのか、道は渋滞し、街はざわめいている。

駅前まで行って見つけられずに、来た道を戻る。どこかで、除夜の鐘が鳴り始めた。

 

そして、いつかの公園で、それを見つけた。

外灯に照らされたベンチに、あたしがあげたセーターと、(しな)びて小さくなった大根が載っている。ベンチの下には、ジーンズと靴が落ちていた。大根太郎の物だ。かじかんだ手で拾い上げると、ポケットに、手紙があった。

【マアヤ、ずっと一緒に居られなくて、ごめん。俺は、もうすぐ終わる。十九歳を保つのに、少し無理をしたらしい。思ったより時間が無かった。色々、楽しかったよ。ありがとう。大好きだ】

涙で、文字がかすむ。大根と衣類を抱いて声を上げて泣いた。



帰省しなかったあたしは、三箇日(さんがにち)が過ぎた頃、大根太郎だった大根を、公園に埋めた。とぼとぼと、アパートに戻って来ると、畑さんと会った。出かけるところらしい。

「あら、鈴代(すずしろ)さん。明けまして、おめでとうござ……どうかしたの?」

心配そうに眉をひそめた。

あたしの様子が、ひどかったのだろう。

「いえ……、おめでとうございます。」

話しても、きっと誰も信じない。


(誰も――そうだ、あのお婆ちゃん)


畑さんに、隣のお婆ちゃんのことを訊ねた。大根を頂いてから、ずっと、姿を見かけないからだ。

「お婆ちゃん?」

畑さんは、変な顔をした。

「お宅の隣は、ずっと空き部屋よ」



狐につままれた気分で部屋に戻ると、実家から手紙が届いていた。母方の祖母が、先月、亡くなったらしい。父親が、母親の死後すぐに、あの(ひと)と再婚したので、疎遠(そえん)になっていた。

全然、記憶がなかったが、同封された写真を見て驚いた。

そこに写っていたのは あの隣のちっちゃいお婆ちゃんだった。ちょっと若く、赤ん坊を抱いて微笑んでいる写真の裏には『マアヤ0歳』のメモが。

お婆ちゃんは大根農家だったと、手紙に書いてあった。


一人ぼっちの孫を心配して、大根太郎をくれたのだろうか。


(ありがとう、おばあちゃん。ありがとうね、大根太郎。あたし、頑張るね)


涙が後からあとから流れた。

その時、スマホの着信音が鳴った。近藤君からだった。


【よかったら、一緒に初詣に行きませんか?】


【喜んで】


泣き顔のまま、送信ボタンを押した。

あたしは、一人ぼっちじゃなかった。


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