5「攻略する対象を選んでね」
ゲームシステム上、ニューゲーム毎に攻略したいキャラクターを必ず選択しなくてはならなかった。最初に学園の中庭で遭遇するキャラクターが選んだ攻略対象になり、初期好感度も少し上がるのだ。
その上で、最初に選んだキャラクター以外を攻略すると、アチーブがもらえたりしたなあ、なんてことを薄ぼんやりと思い出していた。
人生二回目とも言える今、わたしが選ぶのはもちろん、選択肢には存在しないアンジェリカさま一択なんですけどね!
ということを、目の前で翼の生えた魔物がばっさばっさと羽ばたいているのを眺めながら、ほんとうに唐突に思い出したのであった。
時を遡り数刻前。第三王子殿下の誕生パーティから数日後、そういえばメインヒーローのご尊顔を拝むのを忘れていたことをようやく思い出していた。
「そういえば兄様は、王子殿下にご挨拶したの?」
「お前……お前それ……今言う?」
どうやらわたしとお父様が放心している間に、いち早く正気に戻ったお母様と兄様だけで挨拶を済ませていたらしい。
王子殿下もアンジェリカさま同様できたお人で、兄様のスーツが時代遅れでサイズが合ってないことについて嘲ったりする方ではなかったようである。
それどころか。
「僕には、アンジェリカ嬢のようなことをしてあげる技術がない。代わりと言ってはなんだけれど、お茶会だけでも楽しんでいってほしい。今後君たちを笑うような愚かな者たちがいるならば、遠慮なく僕に言ってくれ。君たちは僕が呼んだ大切な客人だ」
と羨ましすぎるお言葉を頂いたらしい。
その後わたしとお父様を回収して、お菓子とかお料理とかは一緒に食べたそうなのだが……。
いかんせんわたしもキャパオーバーしていたもので、お茶もお菓子も軽食もなあにも覚えていないのだ。もったいないことをした。
「はあ……。ほんとは父様とお前を引きずってでも王子殿下に挨拶させようと思ったよ。でも、あのときの父様もお前も、王子殿下に引き合わせたら不敬どころじゃなさそうだったから、母様とふたりで挨拶はやめさせたほうがいいねって話になったんだ」
「そうだったの。なんかごめん」
「それほんとに許してもらう気ある?」
ちなみにだが、なんかいつの間にか兄様のスーツのサイズもぴったりになって、デザインも王子殿下が着ていたスーツから装飾品をなくしたものにいたそうだ。そしてなんと、なぜか胸ポケットに真っ白な薔薇のコサージュが! これは王子殿下とお揃いである。
で、気づいたときにはアンジェリカさまと第三王子殿下がご一緒におられたそうなので、スーツが変わった「原因」はお察しというかなんというか。
「母様のドレスと父様のスーツを魔改造したことを、技術とひとことで言ってもいいのかな」
「兄様にはできない?」
「ばか言え。そんな魔法、どんな魔導書にも載ってないよ」
そうなのだ。
この世界には魔法が存在する。
基本の属性は「炎」「水」「風」「雷」「土」の五つ。そのほかに希少魔法の属性として「光」と「闇」がある。
主人公はもともと「光」属性の魔法を持っていて、ゲームではまず入学のときの魔法鑑定で属性を知り、学園で魔法を学びながら実用化できるようになり、物語の終盤でなんか……なんかすごい魔法使いにまで成長するのである。
しかしこの魔法鑑定、ベルチェット家が貧乏だから学園に入学するまで属性を確認することができないだけで、普通の貴族の家ならば家庭教師がついて、当然のように魔法のことも入学前に教えてもらっている上に、入学前から魔法鑑定を受けて自分の属性くらい知っている者が多いのである。特に攻略対象たちは入学時すでに一流の魔法使いと呼んで差し支えないほどの技術を持っているのだ。
まあ、そこは家庭教師の腕以上に、学ぶ側の子供の意欲に大きく左右されるものだろう。
で、件の悪役令嬢アンジェリカだが、彼女は恵まれた環境にいながら魔法はおろか一般教養すらも怪しい、という設定だった。まさに学ぶ側の意欲いかんで天才にも秀才にも、落第生にもなれるのだ。
しかし、この世界における魔法はだいたいすべて攻撃に特化している。故に、あの日アンジェリカさまがわたしに施してくれた魔法技術の説明がつかなかった。
「……まあ、ようはアンジェリカさまはすごいってことね!」
既存魔法では成し得ないことを平然とやってのける。すでにわたしの頭の中では「悪役令嬢アンジェリカ」と「あの日の女神アンジェリカ」の存在は乖離しており、むしろ崇拝すらしているため疑問にも思っていなかった。
で、冒頭に戻る。
急に強い風が吹き荒れて、ベルチェット家のぼろ屋敷の壁を叩きつけてきたのだ。
今日風が強いのかな、なんて脳天気なことを兄様と話していたら、真っ青な顔をしたお父様がやってきた。
お父様に言われるまま急いで外に出たら、立派な羽根を持つトカゲが屋敷の前を飛んでいて、玄関前に立っていたなんかすごく上品な服を着た初老の男性が恭しく頭を下げてきたのである。
意味が分からない。
「先触れもなく急な訪問、大変申し訳なく存じます。わたくしはドラローシュ公爵家に仕える執事。アンジェリカお嬢様より手紙をお持ちいたしました。ティアラ様は、そちらのお嬢様でよろしいでしょうか」
執事さんだった。うちにたった一人勤めてる執事とはまったく違い、服もお辞儀の仕草もすごく洗練されている。その後ろで、ずっとばっさばっさ飛んでいた魔物がどしんと降り立った。
ほわー、と放心しながらも言われた内容をゆっくりと咀嚼する。この方はドラローシュ公爵家の執事さん。ということは? アンジェリカさまのおうちの執事さんだ!
「は、はい! はい! わたしがティアラです! ティアラ・エル・ベルチェットです!」
挙手して自己アピールするわたしに、執事さんはやんわりと微笑んで(あれは孫をみる目だった)懐から一枚の封筒を取り出した。
「こちらはアンジェリカお嬢様からでございます。ご確認ください」
受け取ってまじまじと観察する。淡い桃色で、薔薇をワンポイントあしらったデザインである。とてもかわいい。封蝋までしてある。これって封蝋のところを外すんじゃなくて上部を切って中身を出すんだよね? 貴族の生まれとはいえ所詮は貧乏男爵家で育ったわたしには、その程度の常識も備わっていないのである。
困っていると執事さんが、「これは失礼いたしました」と言ってペーパーナイフをそっと渡してくれた。どこに潜ませていたのだろうか。
もたつきながら封を切って、ようやく中身を取り出せる。一枚の便せんが入っていた。中身も封筒と同じデザインで、四隅に金色でレースのような模様が描かれている。なんというか、六歳の少女が五歳の娘に送る手紙にしてはずいぶんとその、お上品というかその。もったいなくないか。なんかいい匂いするし。
アンジェリカさまからのお手紙というだけでテンションが最高潮なのに、内容を読む前からキャパオーバー気味である。というかこの手紙を受け取る前から視覚情報が多いのよ。
これで中身が悪役令嬢の辛辣な嫌みの羅列だったとしても、きっとわたしのテンションはブチ上がる自信があった。限界オタクと化して呼吸の荒くなったわたしを見て、いつの間にかわたしの隣に来ていた兄様とお父様が逆に冷静になったようだ。
半歩引いてわたしを見ていた。それはもう、かわいそうなものを見る目で見ていた。
しかし今のわたしには気にならない。
便せんには美しい文字で、わたしの体調を気遣うような優しい言葉と、先日の誕生パーティでわたしが突撃してきて会話したことが嬉しかったということが書いてある。
まだ文字を書くことはできないが、読むことは問題なくできたことに少しばかり安堵した。そういえば貧乏男爵家、子供に家庭教師をつける余裕もないのだ。その中でもきちんと文字の学習ができるのだから、絵本も馬鹿にならないものである。アンジェリカさまの言葉選びも難しくないものばかりで、教養が足りないわたしにも問題なく読めるように配慮してくれているように思えた。
そして最後に、是非遊びに来てほしいという旨が書かれていた。都合がつく日を執事に伝えてくれれば、その日に迎えを寄越す、とも。
目をまん丸に見開いて、便せんから顔を上げる。にこにこ笑顔の執事さんと目が合った。
もう一回便せんを見る。やっぱり遊びに来てくれと書いてある。見間違いではないようだ。そしてまた執事さんを見る。
「お返事は口頭で結構でございます」
「いつでもいけます」
「いつでも、で御座いますか」
そして執事さんはふむ、と少しだけ考える仕草をした。
「それは、これからでも問題はない、ということでよろしいですか?」
「いますぐでも大丈夫です」
若干食い気味に即答する。どうせおめかしすると言ってもよそ行きのドレスはアンジェリカさまが改造してくれた元お母様のドレスしかないし、それはもう二度と袖を通すことはきっとしないで、永久保存する所存である。そうなると今着ている服も他と大差ない。
そう思ってのことだったのだが、お父様が待ったをかけた。
「待ちなさいティアラ、今すぐだなんて迷惑を言ってはいけない」
ところがそれに返事をしたのは執事さんのほうだった。
「ああいえ、ご迷惑なんてことは御座いません、ベルチェット男爵様。今すぐお出でになってくださるとなれば、きっとアンジェリカお嬢様もお喜びになります」
「なら、せめて服を……。こんな見窄らしい格好で、公爵様のお屋敷に伺うなんてとんでもない」
ひどい言いぐさだが、しかしめかし込もうにも服がないのですお父様。
本気で渋るお父様と対照的に、執事さんは微笑んだままだ。
「男爵様も思うところが御座いましょう。ですが、できれば動きやすい格好をしていただけるとお連れしやすく御座います」
「おつれしやすい?」
ぽかんとした顔のお父様に、執事さんは笑顔のまま身体を半歩横にずらした。
執事さんの後ろに見えるは、巨大なトカゲ。
「ベルチェット男爵様のご領地から王都のドラローシュ邸まで約一刻ほどで到着致しますれば。ドラローシュ家が誇る騎乗竜にて、安全にティアラお嬢様をお連れして、無事にお返しすることをお約束致します、男爵様」
紹介を受けて、騎乗竜がぶふんと鼻を鳴らす。まるで任せろとでも言いたげだ。
そしてわたしはそれを受けてなおのことテンションが上がる。竜だってよ、それに乗せてくれるんだって。
「おっ、おとうさま! 行っていい!?」
この機会を逃してなるものか。魔物がいるのは大前提のこの世界だが、普通に暮らしていて竜に遭遇どころか乗ってもいいだなんて、この先一生あるかないかの経験ができるのだ。
そして幸い、わたしは高所に苦手意識はあまりない。執事さんも安全だと言い切っているのだし、故意に飛び降りない限りは怪我することも死亡することもないだろう。
掴みかかる勢いでお父様に迫ると、少し狼狽えたが許可をしてくれた。
「……くれぐれも、ドラローシュ公爵様のお嬢様に、ご迷惑をかけないように」
腹の底からひねり出したような呻き声であったが、快く送り出してくれたのである。