35さよなら領地
ロメオはかつてないほど緊張していた。
今日、アンジェリカが戻ってくるのである。
実に三ヶ月と半月ほどだろうか。かつてはロメオが多忙すぎてアンジェリーナとアンジェリカと長期間顔を合わせないなんてことは珍しくはなかったし、屋敷の中でもアンジェリカと接点がなかったために顔を合わせないことなど常だったもので、屋敷の中にアンジェリカがいないことに違和感のようなものは感じていない。急に戻ってきたとしても順応はできるであろう。
でも、今回はちょっと、話が違うともうしますか。
押しつけられた奴隷と対面させなくてはならない、のである。
ただそれだけのことだが、とんでもないプレッシャーを感じていた。
ロメオの手元には奴隷との間に交わす契約書が、片側の名前が未記入のまま引き出しの中で眠っている。奴隷の少年はこの半年間、とりあえず身綺麗にして空き部屋に軟禁しているのが現状だ。世話は老執事に丸投げてある。
「ぜったい怒るよな」
執務室でロメオはひとり言ちた。いま、老執事はこどもたちを迎えに領地まで飛んでいる。ドラローシュが誇る騎竜のなかでも一番速い個体で行ったから、戻ってくるまでにさほど時間はかからない。
ということは、ロメオが心の準備を済ます時間もないということだ。
早く帰ってきてほしいような、もうちょっと猶予がほしいような複雑な心境のまま、机にうなだれて大きなため息を吐いた。
ということを、アンジェリカがすでに把握していると知らないのはロメオだけである。
「あー、ジョンさまかな」
「ジョン?」
お姉さまと執事さんが手紙のやりとりをしていることはわたしたちも知っていたけれど、奴隷の話を聞いたのはシュガーくんが運ぶ箱車の中が初でした。
まあ、帰る目処が立ってからの半月間、地味に忙しかったので王都のほうで動きがあったことはどうしても後回しだったから仕方がないです。
どうも、領地の件が一段落したのと同じくらいのタイミングで、お姉さまのお父上が隣国から奴隷を譲渡されたのだそうだ。
お父上が嬉嬉として購入したのならまだしも、断れない状況下で受け取っただけの話である。それなのにどうも、お姉さまに怒られないか日々ビクビク怯えていらっしゃるのだとか。
まあそれも、執事さんとお姉さまが近況について報告し合っていることを知らないからなんでしょうけども。
そこで、もらった奴隷を娘にあげれば喜ぶかな、と思わなかっただけ良いことにしましょうか。
で、その推定「ジョンさま」である。
「なんていうか名前に捻りというか、安直というか……攻略させるキャラクターの名前にしては華がなくない?」
「なんで世界観も価値観も違うはずのロックスさまがキャラの名前にそんな疑問を持てるんです??」
「だって「中央」ではめちゃくちゃよくある名前じゃん!」
そして、名前を卑下する意図はないですが、ロックスさまの疑問もそこそこ的を射ているからほんとうに恐ろしい。
「……ええとですね。わたしの前世では、名前がない、とか、不明・不詳だったときに「名無しの権兵衛」ってとりあえずの仮称を付けたんです」
「え、だっっっさ……。「ななし」はわかるけど、「ごんべえ」? ってなに?」
「大昔の男性の名前です」
「ティアラの故郷のネーミングセンスちょっと疑う」
「さすがにわたしの感覚でもダサいと思いますよ??」
もとは偽名だったらしいですけども。
「まあともかく。わたしが住んでた国では「名無しの権兵衛」ですけど、外国ではそれのことを「ジョン・ドウ」って言ったんですよ」
そこでいうジョンというのも、ありがちな男性の名前だから、である。
「ああ、じゃあそのジョンってのも奴隷の本名じゃないのかもしれないってこと?」
「公式が言ってたわけじゃないんですけどね。ジョンさまは作中自分の名前を呼ばれることを嫌がったり返事しなかったりする描写があるので」
お姉さまに呼ばれるときだけでなく、主人公との絡みでも同じ反応をするので、おそらくそうだろうな、っていうのがファンの見解です。
そしてわたしがジョンさまのことをド忘れしてたのは、いつものアレです。きっかけがないと思い出せないやつ。
「ちなみに追加コンテンツ版で攻略できるようになります。ジョンさま自体は最初から実装されてる、アンジェお姉さまのペットポジです」
「なるほど?」
まあ、ペット感覚で原作アンジェお姉さまがそう名付けた可能性も否めませんけどね。ポチとかそんなノリで。
「で、ここまで無言を貫いてたアンジェは、その奴隷くんのご主人にはなるの?」
「ん? すまない、あまり聞いていなかった」
お姉さま、話に参加してこないなとは思ったけれど、そもそも聞いていなかったようである。お姉さまの膝の上には隣国の王様の皮で装丁した本があり、あのときとは打って変わって、なにも書かれていない真っ白なページをぺらぺらとめくっていたようだ。
「どうかされたんです?」
「あの悪魔がいつまでもめそめそと鬱陶しくて、少し話をしていた」
そういって、お姉さまはぱたりと本を閉じた。
依代がなくて未だ本に封じられている悪魔が、なんかごちゃごちゃ言っていたみたいです。
実は用が済んでから半月領地に残っていたのは、半分この悪魔のせいだったりするんですよね。もう半分はあいさつ回りとかでしたが。
ギドに頼んでいたスライムが、悪魔の質量に耐えきれなくてまったく依代として使い物にならなかったのである。
これでは埒があかないということと、お姉さまの研究者気質に火がついてしまったことで、悪魔に耐えうる強化スライムを人工的に作れないかという研究が始まってしまった。
結局、強化スライムは未だ完成しなかったようだ。
「この不届き者は、アンジェお姉さまのお手を煩わせるだけではなく、依代が用意できないことの文句まで言ってきた、ということですか?」
「どうしたティアラ、ずいぶん言葉の火力が強いな? 本にしっかり封印してしまったのが現状だからな、このまま依代を用意しないで放置して、なあなあにするつもりなのではないか、みたいなことを言い出したんだ」
どうやらお姉さまが施した再封印は、かつてのドラローシュの歴代当主たちがちまちまと補強していた不完全なものと違い、悪魔が今後何千年と時をかけても破れない強固なものになっているようだ。
ただでさえ五百年もがんばってやっと破ったのに、たったいちにちで完璧な封印をし直されてしまったわけだから、まあ、心が折れてしまっているのかもしれない。
しかし、言っていることはメンタルがヘラっとした面倒な彼女みたいである。
「わたしはこのまま放置でぜんっっぜんいいと思いますけどね」
「まあそう言ってやるな。これに耐えるスライムを作るのも最近すこし楽しくなってきたところだ」
その「楽しい」で、お姉さまは自分の寿命を削っちゃうからよくないんですけどね。
とくに領地の問題が片付いてから、お姉さまはほんとうに楽しそうだ。毎日活き活きとしている。
父親や周囲の監視がなく、趣味に没頭できる空間ができてしまったものだから。
けれどいつまでも用事が済んだ領地に留まるわけにもいかない。わりと渋々といった様子で王都へ帰ることにした次第である。
そのため、帰りはスライム入りの瓶が大量に積まれていた。お父上になんと説明するのか甚だ疑問だ。
「で、なんだっただろうか。奴隷の子供か?」
「そうそう。なんか話の流れでアンジェの奴隷になりそうじゃん? なんでドラローシュ公爵がさっさと主人になっとかなかったのかわかんないけど」
「私を待ってる理由ってあまりないよな……」
「そういえば何でですかね」
奴隷が譲渡されたの、けっこう前の話らしいのにね。原作補正とか強制力とかそういう話なのだろうか。
このへんはきっとお父上に訪ねても疑問符を浮かべそうである。
「奴隷といえば。ドラグロードでは人身売買は禁止されて「いた」な」
「え、そうなんですか?」
ロックスさまを見ると、うんうんと頷いておられた。
「そもそも奴隷の契約書が、ドラグロードでは入手できないんだよねえ」
「というのも、そもそも奴隷契約というのは、かねてからの敵国であるお隣さんの専売特許なんだそうだ。悪魔が最近歴史を解いてくれたばかりだから、こちらで禁止された理由はお察しだな」
奴隷を購入、というか、奴隷の契約書を購入するということはつまり、かつて悪魔を使ってドラグロードを滅ぼそうとしたような相手の利益になってしまうわけだ。それは確かに禁止されて然るべきでしょうね。
おそらく今後歴史の勉強をするときに、このバックグラウンドまでは教えてもらえないだろう。下手をすると教える側が知らない事実である。
「あれ、でも過去形なんですか?」
「過去形なんだよ~。歴史をちょっとだけ遡るとその辺の法が緩和されてて、今では貴族や商人で奴隷を買うのはちょっとしたステータスなんだよねえ」
「ま、これも本来は私が購入するのだろうな」
本来は禁止されていた奴隷制度が、ゲーム本編開始のタイミングに併せて緩和されている。
でも、現時間軸のお姉さまが奴隷をほしがる理由なんてない。お姉さまが自発的に奴隷を購入するイベントは永遠にやってこないだろう。
だから奴隷が譲渡される流れになったのだろうか。
こうまで露骨だと、強制力とかなんか、見えない力な気がしてきます。
なんせこのジョンさま、実は王太子殿下の毒殺においてのキーマンである。たぶんわたしが語らなくてもすでにお二人なら気づいてるだろうけれど、王太子殿下の食事に毒を入れた実行犯がジョンさまなのだ。
奴隷は主人の命令に逆らえない。命令されたら親でも親友でも、恋した相手でも殺すだろう。
そんな可哀想な操り人形だが、追加ジョンさまルートか追加逆ハーレムルート以外では、アンジェお姉さまと一緒に処刑されてしまうのがジョンさまの運命なのである。
まあ、わたしもそこまでやりこんでいないので、追加ルートのジョンさまがどうやって生き延びたのかまでは知らないんですけれども……。
「主人になるかどうかはさておき、隣国の叡智の結晶でもある契約書には興味がある」
「そっちか~」
「まあなんか、そのほうがお姉さまっぽいですね」
よくよく考えれば、魔導式という概念がないのに量産が可能な魔導式が組み込まれている紙切れである。お姉さまなら、興味があるに決まってますよね。
そして見ただけで解析できてしまうだろうし、もしかしたらジョンさまがそもそも奴隷にならない展開もあるかもしれない。
「そんなこと話してたら、屋敷着いたねえ」
というかまず、譲渡された奴隷がほんとうにジョンさまかどうかもまだわからないのだ。
まずは対面してみないことには、おはなしにならないのである。
まあ攻略対象なのだから、実は別人でした、とはならないのだが。
それはもうちょっと先のはなしである。




