33不気味な本
たまに土曜日にお休みだと忘れます(言い訳)
人間の皮で、できている。
知っているのと知らないのとでは雲泥の差がある。それが皮膚でできていると知らなければ、それはただ不気味なだけの本だった。
が、知ってしまったらとたんに吐き気がこみ上げてくるのはどうしてだろう。もうこれが、ただの本には見えなくなってしまった。
もともと「ただの本」ではなかったわけだが。
「確かに、これは表紙が人皮でできている。それだけじゃなく、この領地の濃い魔素の発生源と言えるだろう。この狭い空間がダンジョン化していないのが不思議なほどだ」
ロックスさまをあやしながら、この悪意と魔素を一身に向けられているであろうアンジェお姉さまだけがいつも通りである。
悪意というか殺意をまとってアンジェお姉さまに向いていた。わたしには魔力を視覚できないはずだが、この濃い魔素が視認できるレベルまで膨らんでいるのだろうか。
そうだとしたらそれはきっと、ドラローシュの子孫がこの本の前に現れたからだろう。この本にはいま、アンジェお姉さましか見えていないようだ。
が、本人にダメージがない。流れ弾を食らっているわたしたちのほうが体調を崩しそうである。
ロックスさまが本気で怖がっているのは、アンジェお姉さまと親戚に当たる血筋だからだろうか。
それとも、人皮で作られた本が生理的に受け付けられないからか。わたしにはどちらの感情が強いのかはわからない。
「で、どうします。この本」
これがいつからここに置かれていたかも不明だが、この手の装丁本の表紙がこんなにつるつるしてるわけがない。もっと劣化していて然るべきだろう。
そもそも本自体が全体的にきれいで、まるで製本したばかりのような印象を受けるのだ。
それに加えてこれは意思を持っている。
少なくとも、悪意という感情だけは一丁前に。
「どうもこうも。こういう手合いは焼却処分できるようなものではない。燃やしても燃えないか、あるいは封じ込めている何かを解き放ってしまうかのどちらかだ。いずれにしろ中身を確認してみないことには判断がつかない」
ここは魔法と剣が当たり前の世界線。意思を持つ不気味な本は、ただ処分すれば済むというはなしではない。
だからこそ、手を離してほしいな。とロックスさまを見る。
「本当になにもないんです?」
「何かあっても問題がない。ここまで魔素が濃いとな」
そうおっしゃるお姉さまは自信満々といった感じで、ほんとうに問題視していないようだった。
そして、未だ腕を掴んだままのロックスさまをわたしのほうへ渡してくる。
結構な力を入れて掴んでいるようだ。
「ロックスさま、アンジェお姉さまの腕に痕がついちゃう」
いつも飄々としている印象があるロックスさまが、いまはちいさい子供のように、頭を何度も横に振った。
いやまだ七つならじゅうぶん「ちいさい子供」か。
わたしも不安がないことはないが、他でもないお姉さまが大丈夫だと言っているのだ。きっと大丈夫なんだろう、という根拠のない信頼がある。
それより好奇心が勝っているのだし、どちらかというとわたしはお姉さまの好きなようにさせたいといいますか。
それにロックスさまには悪いけれど、このまま放置するのはよくないと思うんですよね。
片が付くなら、いまやってしまったほうがいい。
ううん、どうしたもんか。
「ね、ロックスさま。殿下。……ロックスくん」
少し考えた挙げ句、わたしはついに敬称を変えて呼んでいた。
目を見開いて、手の力が緩む。その隙にお姉さまは拘束を抜けた。
「あっ……!」
再びロックスさまがお姉さまを捕まえるより先に、お姉さまの指が表紙を滑り、本が開かれた。
斯くして、中はインクをぶちまけたように真っ黒だった。
「なにも、書かれてない……?」
羊皮紙がポピュラーなこの世界で、この本は表紙以外は紙でできている本のようだった。ここに貯蔵されている小説は貴族向けだからか、紙の本は確かに多いけれど。
お姉さまがぺらぺらと紙を送っていくが、その紙いっぱいに黒く塗りつぶされたページが続く。数百ページはありそうな厚みのある本だが、拍子抜けするほど読むところがない。
が、お姉さまは、最後のページをめくってから本を閉じると、ものすごく意地が悪そうな笑顔を浮かべていた。
「へえ、なるほどな」
「お、お姉さま……?」
「これは悪魔が封じられている、代々ドラローシュ家が管理してきた本のようだ。ざまあないな」
それは本に向けられた言葉だった。
「あ、悪魔? そんな設定、あったっけ……?」
「さあ。私も母から聞いたことがない。おそらく、母も知らなかったんじゃないか。この本の存在ごと忘れ去られている。黒く塗りつぶされているのはこの本に封じられた悪魔の執念だろう」
そう言って、お姉さまは再び最初のページを開いた。
「ドラローシュの子孫たちへ。此れはただの魔導書に非ず。ドラグロードの地を滅ぼさんとする、災禍の悪魔の封印である。永劫この地に封じることがドラローシュの責務である。長となりし血族は、此の者の封印を紡ぎ直す儀式を代々執り行うようここに記す。と書かれている。あとのページはすべて詠唱文の羅列だ。当主を引き継いだ子孫は、これを読むのが恒例だったようだな」
わたしにはなにが書かれているかさっぱりだが、お姉さまにはこの黒いだけのページの内容が読めるようだ。
ということは、これはインクではなく魔力で侵したものである。
それによって塗りつぶされているとは、穏やかではない。
「詠唱は文字だけでもそれなりに意味はある。長年放置されていても封印が解けていないのは、この、ただの文字列にいつまでも縛られていたからだろう」
でも文字だけで封じ続けられるような相手でもない。
だから、定期的に封印をしなおすよう、ご先祖様からの言葉が残っている。
「きっと何代か前に、封印の儀式をすっぽかしたかなにかあって、封印が綻んだことがあったんじゃないか。少し自由が利くようになって、このまま自力で封印を破ろうとした。それがうまいこといったのだろうな。ドラローシュの歴代当主に封印をなおさせないよう、呪いをかけることにも成功しているようだし」
封印を解いている間に、横槍を入れられないように。
ページを塗りつぶしていくうちに、その呪いはより力を増していく。
それによって、ここ何代かのドラローシュ公爵は、根本から性格が歪むようになっていった。
「そしておそらく、封印自体はそろそろ解ける。数年後、具体的には私たちが学園に通うようになるころかな」
そして封印が解けた悪魔はどうするか。
「あ、あああ、アンジェお姉さまの魔王化イベント……!!」
毒殺の容疑で捕らえられたアンジェリカは、刑罰の執行まで領地に軟禁されることになる。だが領地に連れて行かれたはずのアンジェリカは、結構すぐ主人公たちの前に戻ってくるのだ。
魔王のような姿になって。
ラストバトルのお姉さまは悪魔に乗っ取られ、けれど主人公への憎悪だけで自我を保って現れる。なんとしてでも主人公を殺したいと。
それを悪魔は気に入り、アンジェリカの意思のまま行動させるのだ。
だが、主人公は光属性の魔法使い。攻略対象との絆の力ですごい力が出たらしい主人公の魔法によって、悪魔は消滅してしまう。
そして抜け殻のようになったアンジェリカは、無抵抗のまま拘束され、今度は投獄されるのだ。
そのグラフィックはまるで老婆のようで、アンジェリカのことが好きになってからの私は、まともにそれを見ることができなかった。
数日後、テロップだけでアンジェリカが処刑されたことを知る。その一方で、攻略対象のだれかが主人公を呼び出し、告白されるというイベントになるのでほんとうにさらっと触れて終わりなのだ。
そして攻略対象が花束を持ってこちらに手を差し出すスチルが表示されて、めでたくゲームクリアである。なんにもめでたくないな。
「悪魔は精神生命体だからな、依代がないとこちらの世界に留まっていられない。だいたい召喚した人間を依代にするのだが、そのためにはその人間と契約する必要がある」
「やっぱりあれですか。願いを叶えるとかいう」
「その通り。その代わり悪魔は嘘がつけない。とされている。実際には知らないが」
わたしが思い出した内容にも大して驚かなかったようだ。ここに封印が解けそうな悪魔の書がある時点で予想がついていたのだろう。
「まあそれも、こんなところに封印されていなければの話だ」
ぱたん、と本が閉じられる。
「長い間必死こいて、封印を解こうとがんばって、あともう少しで自由になれるところだったのに。近寄ってこないようにしていたはずのドラローシュの血族が現れて焦ったのだろう。魔素も垂れ流して害意を向けているのが現状だ。こいつの精一杯。それしかできないんだよ」
そんな強烈な負の感情を向けられて、平然としているほうがおかしいのだ。ロックスさまが尋常じゃないほど怯えているのが、むしろ正しい反応だろう。
だが、一度そう聞いてしまうと、猫か犬が及び腰で威嚇しているようにしか見えない。
お姉さまに悪意を向けたから、ここで必死にあがいていることがバレてしまった。
ここに踏み入らないよう呪いをかけようとして、逆に興味を持たれてしまったのだ。可哀想な奴である。
いずれにしろ、魔素の発生源になっていたのだから、遅かれ早かれここには足を踏み入れていたかもしれないけど。
「残念だったな、私の性格が歪まなくて」
蟲毒の、呪いの正体。
ドラグロードを滅ぼしかねないほどの悪意の塊だろうと、しょせんは封印されてしまったような存在である。
感情をぶつけるしかできない封じられた悪魔より、お姉さまのほうがやっぱり強かった。
「最初から歪んでいるのだから」
そういって嗤うお姉さまは、まだ幼いのにぞっとするほど美しい。
悪役ということばがとてもよく似合う、そんな表情をしていた。
そしてお姉さまの指先が再び本に触れられ、指先からまばゆい光が放たれる。
この悪魔の、百年以上の努力を踏みにじるために。
しかしそれは本から吹き出す黒い靄に阻まれた。
「わお」
「えっ、えっ!? お姉さま!!」
その靄が意思を持ってお姉さまに襲いかかる。小さなからだを押しつぶさんとばかりにお姉さまを包んでしまい、あっという間にわたしたちからお姉さまの姿は見えなくなってしまった。
「あ、アンジェ!!」
ずっと恐慌状態だったロックスさまが声を上げる。ただ怖がっていたのではなく、本によって精神状態を操作されていたのだろう。
それが、いま。明らかに悪魔にとって驚異のお姉さまにすべての神経が注がれているのか、ロックスさまにまで意識を裂く余裕がなくなったようだ。
でも。ロックスさまの精神状態が回復したからといって、わたしたちにできることはなにもない。
巻き込まれて死なないくらいしか。
「ロックスさま! だめだよ危ない!」
手を伸ばそうとするロックスさまを押さえていると、急に黒い靄に亀裂が生じ、パン、と音を立てて勢いよく四散した。
それがわたしたちにもぶつかってくるが、お姉さまの魔石の能力で阻まれる。
靄から出てきたお姉さまは、平然とした顔で立っていた。
よかった、無事そうだ。
「お姉さま!」
「驚いた。こいつ、あと数年分の呪縛を無理矢理破ったぞ」
そんな会話をしているうちにも、うぞうぞと靄が本に収束していく。大きな黒い球体になり、宙に浮かんで、わたしたちの目線よりもっと高いところで制止した。
球体に亀裂が入る。びしびしと音を立てて、中からずるりとなにかが出てきた。
「うわ……」
べしゃりと音を立てて、黒い液体をまき散らしながら、「それ」は机の上に落っこちる。
人のかたちをしているのに、間接があらぬ方向に曲がっていたり、そもそも骨が入っていなさそうな曲がり方をしていたり。うぞうぞと勝手に動く黒い靄を全身にまとっており、所々その靄が泡のように膨らむとぼこりと音を立てて弾けたりしていた。
全容がほぼ不明のヒトガタが、ままあって操り人形のように身体を起こすと宙に浮かんでいく。首と思しきところが変な折れ方をしている。
しょうじき、めっちゃきもい。
そのきもいかたまりの目が怪しく光ると、地を這うような低音を響かせ嗤いだした。
『く、くくくく……。こん、こんな。こんな小娘に……』
お姉さまをまっすぐに睨んでいる。ありったけの憎悪を込めて。
そのお姉さまはというと、悪魔が復活を果たすのをおとなしく見守っていた。
『我の百余年のォォ……! 邪魔などさせぬゥゥア!!』
いや、テンションの差よ。
わたしは腕を組んでその様子を傍観しているお姉さまを見て、心底この悪魔が不憫でならなかった。
不穏だろうが窮地だろうがアンジェがチートだから緊張感がない。
そう、なぜならこの話は異世界チートギャグだからである!




