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31いっぽうそのころ



 アンジェリカが領地へ行ってしまって三ヶ月と数日ほど経ったころ、ロメオの方はなんとか片が付いていた。

 が、当たり前だがアンジェリカのほうは、まだまだ帰ってくる兆しはない。

 ロメオに余裕ができてから、執事にどれだけ領地がやばかったのか訪ねたところ、相当やばそうだったので三月かそこらで帰ってこられないのは仕方がない、ということは重々理解している。

 むしろそんな案件を放置しようとしていたこと、それを幼い娘に任せてしまったことに顔が青くなったわけだが。アンジェリカから一応報告が届いており、改善傾向にあるとも教えられて胸をなで下ろしていた。やはり報告をすべて鵜呑みにしているロメオである。

 今回ばかりは報告に嘘偽りはないから構わないことなのだが、その「報告書」だってロメオは自分で目を通したわけではない。執事も主人に見せなかった。なぜならば正確には報告書など送られていないから。執事に宛てた、ただの近況報告であり、内容も形式張ったものではなく完全に私的なものだからである。

 執事と娘は文通していた。ロメオが知らないだけで。

 だから、ダンジョンに遊びに行ったことも、そこででかいトカゲが出たこともロメオは知らないし、干して送ってくれたトカゲ肉のジャーキーも執事がこっそり一人で食べた。呪具に使われるダンジョン鉱石で魔石が作れたことも、魔石を殿下と友人に作らせてみていることも、それが結構順調だということも、一切ロメオには知らせていないわけだ。

 もちろんアンジェリカも、そうなることをわかっていて送っている。

 それはまあ、執事とアンジェリカの都合だから良いのだが。

 ロメオはひとつ困ったことに直面していた。

 隣国との問題は一段落ついた。戦争も回避できたし、隣国側から王国に詫びと称して安くない額の金貨が支払われることになっている。不気味なくらいすんなり払ってくれた。おかげで損失もチャラだ。

 そしてもうひとつ、隣国からロメオ宛てに詫びの品があるという。それがロメオの頭を悩ませていた。

 いま、ロメオの目の前で膝をついている少年だ。

 奴隷である。

 後ろ手に重たそうな鎖で拘束され、ぼろ布を身に纏っている。表情は伺えないがちらと見えた顔の造形は悪くなさそうだ。だが、ものすごく痩せており骸骨に皮を着せたかのようだった。布から露出している顔にも、腕にも、足にも。肉が付いているようには見えない。

 全身には鞭かなにかで叩かれた傷跡が無数にあり、見ているこちらが痛々しい。本人はもっと痛いだろうに、けれどももはや痛みすら感じていないのか、少年の表情は人形のように抜け落ちている。

 そんな、抵抗の意思すらなさそうな子供の隣に立つ小太りの男は、子供の頭を押さえつけながらそれはもうにっこにこで商品の説明をしていた。

 しょうじき、なんにも頭に入ってこない。

 以前のロメオだったなら、アンジェリカにプレゼントすれば喜びそうだと思ったかもしれない。アンジェリーナがそういうの好きだった。こういう、生きたサンドバック。

 でもアンジェリカはアンジェリーナではないことを、ロメオはもう知っている。

 だからこれを、アンジェリカにプレゼントだよ~とでも言って対面させたとしよう。

 ぜったい怒られる。

 正確には怒られはしないだろう、ちゃんと説明すればわかってくれる。

 でも怒ると怖い上司ってわかってて、怒らせるようなことしたくない。

 いや、だれが上司だ。あの子は娘だ。

 とはいえ、ロメオもべつに奴隷は欲しくない。他者を虐げる趣味はないし、かわいい顔をした男の子を愛でる趣味もない。何か屋敷の仕事をさせるにしても、別に現状人手不足で困っていないことは執事から聞いているし、教育するほうが手間だ。じゃあ子供として引き取るかと言っても、そもそもロメオに育児などできないことはすでに痛いほどわかっている。

 だからといって、ロメオに奴隷を拒否する選択肢もなかった。ここでロメオが不要だと言ってこの奴隷商を下がらせたとしよう。

 この子供はどうなるだろうか。

 詫びと言って連れてくるにはあまりにも傷だらけで、もしかしたらすでに商品としての価値がないのかもしれない。それにこの奴隷については、ロメオが自主的に購入するわけではないのだ。いわゆる譲渡品。奴隷商にとって得なはなしでは断じてない。

 なのに、こんなに一生懸命推してくる。どういうところが珍しいとか優れているとかめっちゃ言ってくる。なんにも耳に入ってこないけれど。

 おそらくロメオが断って連れ帰らせたところで、この子供に未来はないのだろう。


(そう考えると、隣国側が今回の件、本当に詫びる気があるのかどうか)


 おそらくそんな気はない。断っても断らなくても、この子供は災禍の種になる。

 心添えを受け取らなかった、隣国の面目を潰した。そういう流れを狙っているのか、はたまた。

 ロメオの人柄につけ込んで、この子供を、ドラローシュに潜入させようとでも言うのだろうか。

 そうだったとして、奴隷を贈ってくる理由はなんだ。それによって相手の利はなんだ。

 この世界の奴隷は、魔術によって縛られる。

 もしこの子供が王国に送られるスパイだったとして、主従の契約を結んでしまったら勝手な行動を取ることはできなくなるのだ。

 故に不可解だった。

 隣国は、一体なにがしたい。

 今考えてもロメオに答えは出なかった。


「ドラローシュ卿にはお嬢様がいらっしゃるでしょう。これは歳も近いですし、お嬢様に是非に、と思いまして」


 そしてなぜか、アンジェリカのほうにプッシュしてくる。

 そう、この男。アンジェリカが生憎不在であると聞いて、あからさまに落胆したような態度を取ったのだ。

 まるでアンジェリカならば喜ぶだろう、とわかっているかのように。

 アンジェリカの悪評は隣国まで広がっているとでもいうのだろうか。

 そうだとしても、この拭えない違和感はなんだ。


「いかがでしょうか? ドラローシュ卿」

「もちろん。デヴィルーシュ帝国のご厚意だ、ありがたく頂戴しよう」


 ロメオは笑顔を浮かべながら、背筋に薄ら寒いものを感じていた。




 その一方で、アンジェリカはクローニンを呼び出して近況報告をさせていた。アンジェリカが任せた案件はすでに解決し、冒険者ギルドと共同でやらせていた教育機関の再開の目処も立っている。

 領民たちからのリアクションもなかなか良好で、大きなトラブルが起きたりはそうそうしそうにない。

 全体的に良い傾向があり、この調子ならばすべてをクローニン主体に移しても問題なさそうである。

 つまり、クローニン待望のお褒めいただく絶好の機会であった。

 そう顔に書いてあるおっさんを前にアンジェリカは苦笑しつつ、しかし困った顔をしてクローニンを見ていた。


「……あの、何か不手際がございましたでしょうか……?」

「ああ、すまない。少しおまえにはおもしろくない話があってな」


 まあ落ち着いて聞いてくれ、とアンジェリカがソファに座るように促した。この時点でクローニンは浮かれた気分も沈み、むしろ嫌な予感を感じている。


「今回の件、おまえには感謝している。おまえが尽力してくれなければこんなに早く全体が改善することなどあり得なかっただろう。まだまだやってもらうことは多いが、私が王都に戻って領地の管理をおまえ主体にしても問題なさそうだ」

「は、ありがとうございます!」

「そんな身を粉にしてくれたおまえには申し訳ないのだが……、母がおまえに譲渡していた領地を返還してほしい」

「……は、?」


 クローニンは頭の中が真っ白になってしまった。


「殿下にも確認してもらったのだが、母は正式な手段でおまえに領地の譲渡を行っていなかった」


 地図の編纂は数年単位で王宮の者が執り行っているため、そちらに圧力をかければ地図「だけ」はニネ領と名付けることはできるだろう。

 だが、ほんとうに譲渡するのであれば踏むべき手段は少なくない。

 正式な理由を述べ、審査し、最終的に国王陛下にお伺いを立てねばならないのである。


「それで、肝心の陛下がその件の把握をしていなかったことがわかった。つまり母の独断で、ドラローシュ領内の、いらない土地をおまえに押しつけ、さらに恩を売ったように見せただけだった」


 アンジェリカも常々変だとは思っていたことで、ロレシオに頼んで王宮の者に手紙を送らせて確認をとったところ、案の定というわけだ。

 結構な問題行為である。

 そもそもニネ家に押しつけた土地は雨量も少なく全体的に人が住めるような土地ではない。そこに簡素な家を建てさせ、ニネ家の家族を無理矢理住まわせているのが現状である。

 クローニン自身はドラローシュ邸内の使用人宿を借りてそちらで寝泊まりしており、日中はドラローシュ邸の書斎を職場にしているのだとか。

 だから、クローニンが領地に帰るのは月に二、三回程度。しかも日帰りできるような距離にはないため一泊だけの滞在。家族ごと使用人宿に住まわせるほどクローニンに財力がなく、またクローニンに支払うべき給金も適正ではなかった。

 アンジェリカがこちらに来てからクローニンの給金はかなり上がった、というか適正になったのだが、多忙だったためこの三ヶ月の間一度も帰宅していないのだそうだ。

 けれど、領地を持たない貴族にとって、辺鄙なところだろうと領地があるとないのとでは雲泥の差がある。故にアンジェリカは言うのを戸惑ったし、案の定クローニンはショックを受けていた。


「もちろん代替案はある。おまえは再び領地を持たない貴族になってはしまうけれど、なにもおまえたち家族を追い出したいわけではない」


 そう言って、アンジェリカは一枚の書類をクローニンに差し出した。

 のろのろと手にとって、その中身を確認する。そしてクローニンは、死んだような顔をしたまま首を傾げた。


「つまり……どういうことです?」

「ドラローシュ邸の外に、不届きにもこの屋敷ほど大きな家を建てた愚か者がいてな。そいつは徴税を担っていた者だったのだが、どうも領民から税と称して多額の金を巻き上げ、差額を自分の懐にしまい込んでいたそうで下手な貴族よりも金を持っていたんだ」


 アンジェリーナ政策のせいで元々ドラローシュの税は高く、まともな生活を送れない者も多かった。領地に還元もしないのにさすがに高すぎたので、アンジェリカが独断で税を下げさせたのだが。

 報告に来させていたギドから、税に関してなにも変化がない旨を聞き、調べてみたら徴税人が着服していたことを知った。


「その男は独身でひとりで屋敷に住んでいて、それはそれはいい暮らしをしていたようだ」


 心底呆れきった様子で、アンジェリカはそのときのことを思い出す。

 アンジェリカが兵士を連れて屋敷を訪れたとき、その男は売春婦を侍らせながら優雅にワインを飲んでいたのだ。

 ぶくぶくに太っていて、アンジェリカが見ただけでもいろんな持病を持っていそうだった。


「その男は徴税人をクビにしたから、今あの家は雇われていた使用人共々持て余しているのが現状だ。放っておくのはもったいないだろう。おまえたち家族はそちらに移り住んで、管理共々任せたい」


 クビ、とはかなり柔らかい言い方をしたアンジェリカである。実際にはかなり軽いノリで処刑を決めたことは言わないほうがいいだろう。

 きっと今頃、広場で民衆からの罵声を浴びながら首を括っている。暮らしが大変だったのはあいつのせいだ、と。そういうことにしてしまった。あながち間違ってもないからいいだろう。

 その徴税人は別に貴族階級ではなかった。だからアンジェリカが処刑すると言っても誰も異を唱えなかった。

 だが、わざわざ公開処刑する必要などなかった。貴族ほど金を持っていても、男は貴族ではなかったのだから。

 でもそのほうが民衆の鬱憤を晴らせるだろう、という打算があった。

 結果として、民の不満はドラローシュ公爵家から逸らされた。

 男の犠牲のおかげで良い方向へ転んだな、とは思ったが、特に心は痛まない。

 アンジェリカという少女は、少なからずそういうところがあった。

 命を慮ることができないのだ。そしてそれは自分のことも含まれる。

 自分が死ぬかもしれない未来を語られてもどこか楽観的で、実は処刑される未来を、積極的に回避しようとしたことは一切ない。

 これは、彼女の友人のティアラでも知らないことだった。


「徴税に関してだが、今後は商業ギルドが買い付け時に集金するようになるから、そちらまで引き継がせるつもりはないよ」


 この辺はギド経由で話はまとまり、高すぎる税金についての案件も片が付いた。これで民の暮らしはかなりよくなるだろう。

 その話が耳に入っているのかわからないが、クローニンの目に光が灯っていく。

 もともとあそこは、クローニンの領地になどなっていなかったと言われた。だから返せと。こんな横暴な話があってたまるかと確かに思った。

 けれども、家族に貧しい暮らしを強いていた自覚はあったクローニンである。こちらのほうが、家族に楽をさせてやれる。すきま風など吹かない良いところに住まわせて、柔らかい清潔なベッドで眠ることができるようになるのだ。

 なにより、家族との時間を増やせるようになる。

 これは別に、アンジェリカは褒美のつもりで言ってはいない。詫びのつもりで言っている。

 だがこれが褒美じゃないのなら、なんなのだろうか。褒美だと言われて頂戴したとしても、あんまりにも大きすぎる。

 返すことなどできないほどに。

 クローニンはゆらりと立ち上がる。そうして、どさりとその場に膝をついた。


「く、クローニン……?」


 アンジェリカの困惑した声が降ってくる。それに構わずクローニンはその場で丸まり拳を痛いほど握りしめ、額をカーペットにこすりつけて肩を震わせていた。


「ありがとうございます……、ありがとう、ございます……! クローニン・ドゥ・ニネ、今後もアンジェリカ様のだめに、誠心誠意仕えざせていただぎます……!」


 こうして偽りのニネ領はドラローシュに返還され、ニネ家はドラローシュ邸の近所に移り住むことになる。

 そちらの問題も片付いて、アンジェリカは泣きじゃくるクローニンに知られぬよう、こっそりと安堵の息を吐いた。





意図せず不穏回になった



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