18パパの心娘知らず
アンジェリカの父である、ロメオ・ドゥ・ドラローシュは悶々と過ごしていた。もちろん、娘アンジェリカのことである。
近頃、隣国の国境で不振な動きが相次いでおり、ロメオはその対処に追われていた。王国は過去何度もその隣国から戦争を仕掛けられ、何度も退けてきた歴史がある。故に、その「不振な動き」を楽観視することができなかったのだ。
それにようやく踏ん切りがついて、少しでもちゃんとした休息が取れると思っていた深夜のことだ。領地を任せていたはずの領主代行がなにやらうんざりする量の書類を抱えてやってきた。
そこで怒鳴りつけたのは、完全に八つ当たりである。あの日、ロメオは本当に疲れていた。いつもであれば人の良いロメオのことだ、嫌な素振りなど見せることも悟られることもなく引き受けていたかも知れない。
とかくそのときは本当にタイミングが悪くって、虫の居所がとんでもなく悪くって。仕事のはなしに対して、ロメオの都合だけで怒鳴りつけてしまったわけだ。おまえの仕事だろう、こちらに持ってくるな! と。
そもそも領主代行があんな時間にロメオの元に来たのだって、ロメオが手元の仕事に忙殺され、使用人伝てに面会を求められた際にてきとうな返事をしたからだったのだ。領主代行は待たされに待たされた挙げ句に怒鳴られたわけである。
そんなあらゆることが最悪のタイミングで、娘のアンジェリカが起きてきた。実際にはロメオの声で起きたわけではなく、その日偶然たまたま夜中に起きてしまい、たまたま屋敷内をひとりでうろついていただけだったのだが、仕事人間のロメオがそれを知ることはない。
さらに最悪だったのが、執務室の扉がしっかりと閉まっていなかったということだ。
ようは、娘の前では極力穏和で優しい父親でいたかったというだけの話なのだが、ロメオにとっては仕事以上に一大事であった。
王城でアンジェリカの悪い噂はよく耳にしていたし、妻であるアンジェリーナが容姿以外醜悪であったこともよく知っている。妻の生前はろくに娘と会わせてもらえなかったのに、妻の死後急に増えた娘との時間を持て余している自覚もある。
アンジェリカの噂について結構本気で鵜呑みにしている上に、アンジェリカの妻に似ているかんばせが、あの苛烈な妻に重なって見えて萎縮してしまうことも間々あった。
つまりどう接して良いかがよくわかっていないのである。
正直言って、小さくなったアンジェリーナに見えているロメオにとって娘の存在は、恐怖の対象になっているのだ。故に、せめて「良い父親」であろうと努めていた。
隙を見せると突かれるから。叱ったり怒ったりしたら逆上されるから。
アンジェリーナがそうだったから、アンジェリカが「そう」ならないとは言い切れないのだ。
だったのだが。
「この件は私が引き継ごう。夜分遅くに屋敷にたどり着いただろうにすまないが、クローニンはこのままここに残れ」
ぱしり、と執事の手の中にある書類を指で弾き、アンジェリカは強い口調でそう言った。
子供が大人の口調を真似ているだけならば、なんとなくその言葉遣いも可愛らしく聞こえるだろう。なんなら、淑女にふさわしくないからやめなさい、と叱る必要もあるかも知れない。
けれど、そう言って「指示」を出すアンジェリカから、ぴり、とした威圧を感じ、それを知らない大人たちはこぞって萎縮した。父親であるロメオですら、呆けた声を出すので精一杯であった。
「爺、お父様の支度を。済んだらここに戻れ」
「畏まりました」
そして唯一アンジェリカに気圧されていなかった執事だが、アンジェリカの命令に深々と頭を下げて従ったのである。彼の主人はロメオであるのに、あのふたりのほうがよほど主従らしかった。
ほんとうにあの執事はロメオの背を押し、追い出すように書斎から連れ出されてしまう。
ぱたん。
扉がしっかと閉まった音を聞いて、ロメオは無意識に張りつめていたことを知った。それは、アンジェリーナの癇癪に怯えていたあの頃とは根本的に違う、言うなればロメオの親友でもあるドラグロード王が、「陛下」として玉座に君臨しているあの荘厳とした威圧感に近い。
が、それはそれである。
「れ、レイブン!」
「はい旦那様。仰りたいことは重々承知しております」
「ならば、」
「ですが、旦那様が、いま。お休みになられるべきなのは、確かなことでございます」
そう言ってロメオの自室に連れて行かれ、服を剥がされ寝間着に着替えされられてしまう。ほんとうにできた執事である。
「お風呂は翌朝準備させましょう。お休みなさいませ、旦那様」
「って、待て待て待て」
流れるようにベッドに寝かしつけられてから、ロメオはがばりと起きあがった。違うんだそうじゃない。
「あんな大事、アンジェに任せられるわけがないだろう!」
「おや、大事だとは思っていらっしゃったのですね。あんなにすげなく追い払おうとなさっておいででしたのに」
「う、しかし領地のことだろう。アンジェはまだ七つだぞ」
「ですが旦那様」
なんとか進言しようとするも、再びそっとロメオを寝かしつけ布団を掛け直しながら、老執事はすげなく言い放ったのだ。
「まず間違いなくひとつ言えることがございます。アンジェリカお嬢様のほうが、旦那様よりもよほど「上手く」なさることでしょう」
だから、おまえはさっさと寝ろ、と言外に言われているようだった。実際にその通り、執事はさっさと主人を寝かせてアンジェリカの元へ馳せ参ずる気満々であったわけである。
明かりを消して一礼すると、足早に去って行ってしまった。
あんなことがあった後である。はいおやすみ、となるわけがないではないか。現にロメオはいま心臓ばっくばくで、あんなに疲れていたし今すぐ寝てしまいたいと思っていたのが嘘のように、目が冴えてしまったのだぞ。
そう、ベッドの中で憤っていたのだが。
気づいたら朝である。なんかもう泥のように眠っていた。すごくすっきり起きられた。
ロメオはもちろん知らないが、アンジェリカが不眠不休で活動できるようになる魔法を使えるならば、意思に関係なく眠らせる魔法が使えないわけがなかったのである。ただ意識を奪うわけではなく、自然に入眠できるようにしてあげていた。それがなければ今頃、脳が興奮してしまったロメオはなかなか寝付けず朝を迎えていたことだろう。
ロメオを寝かしつけていった執事が、他の使用人を引き連れロメオの朝の支度をすませていく。昨夜言われたとおり湯にもぶちこまれた。なんとなく荒々しかったのはきっと気のせいではない。
手つきが荒々しいのは、ロメオが放置しようとした件があんまりにも重要案件すぎたことに対する、ある種の憤りだったのだが。その心中を知らないロメオは、それでも余計なことを口走ればもっと怒らせる気がして、結局なにも言えずにされるがままになっていた。
で、向かった書斎にて、もっと衝撃を受けることになる。
「……であるからこの辺りのはこちらが改善されれば自ずと消滅するただの陳情だ優先度は低いこちらにまとめた案件は私が出向いた方がいいだろうさし当たっておまえがやることはこの書類の束を片づけることだがこれらはすべて類似案だひとつ改善すればほぼすべて解決するやり方はおまえに一任するが……」
昨夜着ていた寝間着のままのアンジェリカが、領主代行の男に抑揚のない声でまくし立てるように指示を飛ばしているところだった。
少し扉を開いたまま入り口で立ち止まっているロメオを押しのけ、執事が強めに扉を叩く。ゴンゴンガン。
「アンジェリカお嬢様」
「ん? ……もう朝か。おはようございます、お父様」
ちょこんとスカートの裾を摘んでお辞儀してみせる娘と、焦ったように頭を下げる領主代行は、どう見ても昨夜会ったときとまったく同じ格好である。
「アンジェリカお嬢様、そろそろ朝食の時間でございます」
言葉をなくすロメオに気づいていないのか、執事はいつも通りだし、アンジェリカは「すぐ済む」と一言行って領主代行に続きの指示を出しはじめた。
父である自分にはいつも通り、令嬢として完璧な所作を見せておいて、この切り替えの早さである。
それを不気味に感じると同時に、ロメオはふとあることに気づく。
ロメオは、妻アンジェリーナに対する苦手意識が強すぎて、アンジェリカも「そう」であると無意識に決めつけていたのだが、実際ロメオがアンジェリカに理不尽に怒鳴られた事実ははない。癇癪だって起こしたことも一度たりともないのだ。
財産の無駄遣いだって実際に見たことはないし、ドレスを何着も持っているのは大貴族の娘ならば当然のことなのだから、そう悪い噂として囁かれる謂われもないのではないか。
悶々と考え込んでいたロメオだが、アンジェリカの側付きの侍女が悲鳴を上げたことで思考が中断してしまった。
「そういえば、アンジェリカお嬢様がこちらに居られることを、侍女に伝え忘れておりましたな」
お嬢様がお部屋にいらっしゃらないの! と金切り声を上げる様のほうが、よほどアンジェリーナの癇癪に似ていたものだから始末に負えない。
その三日後、アンジェリカは領地へ旅立っていった。すごく気軽に「行って参ります」とひとこと挨拶を寄越しただけで、だ。もうニュアンス的には「ちょっと買い物行ってくるね」くらい軽かった。
そしてアンジェリカを送っていった執事だが、すぐにひとりだけで帰ってきて、いま執務室に籠もるロメオの斜め後ろに控えている。
「……アンジェリカと共に領地に行くものだと思っていた」
「そうですな。こんなに面白そう……いえ、アンジェリカお嬢様おひとりにすべてを背負わせるには少々重すぎますから、できることでしたらこの爺も微力ながらお側にて、お手伝いして差し上げたかった所存でございます」
それはもう、あっちに行きたかったという圧をひしひしと感じる。ロメオは複雑な気分になり、口に出したことを後悔していた。
「ですが、旦那様。いまはアンジェリカお嬢様のことをお気になさっている場合ではないのでは?」
言われて、ロメオは言葉に詰まる。いまロメオが気にしなくてはならないのは国境のことだ。どう落とし所を見つけるか。戦争を回避するか。向こうの、意図はなにか。正味領地のことに構っていられる状況ではなかったので、アンジェリカが代わってくれたのはかなり大きいのだ。
そのアンジェリカのことで悶々としているが、そちらに思考を向けている場合でもないのである。
「まずはご自分のお役目を全うなさいませ、旦那様」
「……わかっている」
アンジェリカのことを気にするのはその後だ。すべて片が付いて、アンジェリカもこちらに帰ってきたらそのときは。
「そうしたら、アンジェと一度話してみよう」
「それがよろしいかと」




