13領地からの使者
ティアラとロレシオが邂逅を果たし、半年ほど経ったころ。
ひとつ歳を重ね七歳になったアンジェリカの身の回りは、ようやっと穏やかになっていた。
屋敷の外の技術職については母アンジェリーナの領分ではなかったため人事異動や解雇はなく、必要なテコ入れは屋敷の中のみである。
それも、アンジェリカの悪評のせいであまり求人に対して応募がなく、使用人は最低限の人数しか雇い入れることができなかった。
そもそもアンジェリカは魔法で大抵のことができてしまう。母が揃えたような数ばかり多く質の悪い使用人など必要としないので、実のところなんにも困らない。
特にアンジェリカの身の回りの世話など、ひとりかふたりいれば事足りる。欲を言えばひとりたりとも必要ないのだが。
けれども広すぎる屋敷の維持に、公爵家として最低限の矜持もあり、やはり人手は必要で、多少なりとも集まってくれてよかったというのが正直なところだ。
そんな調子でドラローシュ邸の環境を整えていたのは大抵アンジェリカと例の執事のふたりであって、やはり当主はノータッチであった。
人が集まらないことまで含めてふたりの好きなように人事をしているため、実に快適な環境ができあがっている。
そんなある日の、夜も更けてきた頃。
ふと目が覚めてしまったアンジェリカは、部屋を抜けだし無人の廊下を歩いていた。
昼間は常にだれかが傍らに控えており、完全にひとりきりで屋敷をうろつくのは久しいことである。特に最近では新規の侍女にどこへ行くにも尽き纏われていた。仕事を覚えさせるためには必要なことではあるのだが、大抵のことをひとりでこなせるアンジェリカにとって、不要なことすら他人の手を使わなければならないことに少なからずストレスを感じていたようである。
誰の監視もない、たったひとりだけの時間を満喫していた。
そのときである。
父の書斎から、なにやら苛立ちを含んだ怒号が聞こえてきたのだ。
見ると書斎の扉が少しだけ開いており、ぴっちりと閉まっていればアンジェリカも気になど留めずに部屋に戻っていただろう。
けれど聞こえたものは仕方がない。アンジェリカは書斎の扉の隙間から室内を覗き見た。
見知らぬ男性がひとり、書類の山を抱えてうろたえている。その奥に見えた父はずいぶんと顔色が悪かった。
「私はもうずいぶんとろくに眠れていないんだ。領地のことはおまえに一任してあっただろう……!」
「しかし公爵様、これらの書類の確認をしていただかないと……!」
「そんなことを言って、今まで報告にも来なかったではないか。何を今更確認することがあるんだ」
どうやらこの男は、領主代行の者らしい。そういえば、アンジェリカはティアラから薄ぼんやりとした公式設定とやらを聞いただけで、実際に領地についてはほとんど知らない。と、ここにきて気が付いた。
現状を見るに、父はおそらく仕事の区切りがついたから休息をとろうとした矢先に、領地のお仕事やってくださいとやってきたのだろう。なぜこんな夜分遅くになったのかは知らないが。
平時の父ならば二つ返事で了承し、今からでも仕事に取りかかっていたかもしれない。
でも、何日もまともに眠れていないほど忙しいなら、仕事に区切りがついた時点でまあ、そりゃあすこしでも眠りたいだろう。
人間、寝ないと死ぬのだ。
そのへんはアンジェリカのほうが身を以て知っている。
「お父様?」
「! ……ああ、アンジェ。見苦しいところを見せてしまったね。この者はすぐに追い返すから、心配しなくても大丈夫だよ」
「こ、困ります公爵様……! すぐにでも確認していただかないと」
なおも食い下がる領主代行(仮)の男が必死の形相で父にすがった拍子に、書類が一枚ひらりと落ちてアンジェリカの足下にたどり着いた。
目に付いた文字列にアンジェリカの思考が一瞬止まる。
領地の、負債について。緊急。
その書類は執事がやってきて拾い上げてしまったが、ちょっと見逃せない文面が並んでいたような。
アンジェリカが執事を睨んで説明を求めると、優秀な執事は聞きたいことだけを答えた。
「近頃国境ら辺で不振な動きがございまして、旦那様はそちらの対処に追われております。領地のことはもともとは奥様がすべて仕切っておいででした」
「ふぅん……」
「おい、レイブン……!」
アンジェリカはそのとき初めて執事の名前を知ったのだが、まあ今更呼び方を変えることはないだろう。
そんなことより。
ここでも父の悪い癖が出ているようだった。まったくもう。
執事の手のなかにある書類をまじまじと読んで、アンジェリカは今度は領主代行の男に向き直った。
「領主代行ということで間違いは?」
「あっ、は、はい……! 領主代行をつとめております、クローニン・ドゥ・ニネと申します」
「アンジェリカ・ドゥ・ドラローシュだ。我が領地のことなのに名も知らなかったことを許してほしい」
「め、滅相もございません……!」
「……アンジェ……?」
普段アンジェリカは父の前でも猫を被っている。まだ幼い子供なのに淑女としてほぼ完成している娘のことしか見ておらず、その娘からそんな口調が飛び出すとは夢にも思っていなかった。
七歳の少女とは思えない謎の迫力があるから余計にである。
そしてアンジェリカのほうも、普段であれば寝起きだろうが真夜中だろうが、きっちり猫を被るのを忘れない。
しかし、今回はそうしないほうがいいだろう、と判断した。
そしておそらく領地の危機であるこの状況の矢面に、父を出さないほうがいいだろう、とも。
たしかに、外務大臣としての父は優秀かもしれない。
けれど、こと身内のことについては。
ベルチェット男爵家の領地経営がへたくそだとかそういうことを言えないくらい、父もその手のことがへたくそなのだ。よくわかった。
性格に難がありすぎるとはいえ、母のやっていることだからと口出しすることもせず、報告に来なかったから順調だと思いこみ、自身の仕事が忙しいことにかまけて他家の者に自分の領地のことを丸投げしている。
順調なわけがないだろう、あの母の統治だったのだぞ、と。
なぜ気付かない。なぜ意見しない。少なくとも母が逝去した時点で、そこを確認すべきだったのではないか。
(私も人のことを言えないがな)
部下を持っていた立場のアンジェリカである。いまは「部下の不始末の後始末」というスイッチが入っていた。それでも、やろうと思えば猫を被ったまま会話することもできただろう。
でもこれはいわゆる「大人の話」、アンジェリカが例えば、お父様の代わりにわたくしがやりますわ! だなんて言っても微笑ましいで終わってしまう可能性が高い。
「この件は私が引き継ごう。夜分遅くに屋敷にたどり着いただろうにすまないが、クローニンはこのままここに残れ。お父様はお休みになってください。しばらくは書斎を占拠することにはなりますがご了承を」
「えっ」
「爺、お父様の支度を。済んだらここに戻れ」
「畏まりました」
ずいぶんと強い口調で言い放ったが、執事は表情を一切変えずに深々と頭を下げた。
そしてそのまま書斎の主を追い出すように退出させていく。まったくできた執事である。あれがそばに仕えているのに、どうしてこういうことになるのだろうか。
そう思いつつ、アンジェリカはクローニンに書類を机にすべて置くよう指示を出し、書類をぱらぱらとめくった。
可愛らしい少女の眉間に、ぐっと皺が寄る。
「あ、アンジェリカお嬢様、あの」
「……せめて持ってくる前に、仕分けくらいできなかったのか?」
順番がぐっちゃぐちゃだし、類似の案件が飛び飛びで挟まっているようだった。ほんとうに報告のために来たのか疑いたくなるほどだ。
それほど切羽詰まっていたといわれれば仕方がないが、クローニンという男の事務能力も関係しているかもしれないとアンジェリカは思った。
父のことだから、適正のあるなし関係なく仕事を振った可能性もある。たしかニネ家といえば、ドラローシュ公爵領内の領土の一部を譲渡しており、爵位は子爵だったはずだ。ついででドラローシュ公爵領を任せるにはあんまりにも規模が大きい。
とは思うが、ニネ子爵領の立地って、たしかものすごく悪かったはずである。この世界のことはたしかにあまり知らないが、少なくとも地図くらいは見たことはあった。ドラローシュの広大な土地にぽつんと他人の領地があれば、多少なりとも疑問には思う。
アンジェリカは知らないことだが、もともとニネ家は領地を持たず王都に屋敷だけを持っていた、名前だけの子爵だったのだ。
けれど王子殿下の誕生パーティの出席者リストをしっかり確認し、しっかりと記憶しているアンジェリカである。印象は薄かったがニネ家のことももちろん覚えていた。その経済状況も。
まるでパズルのピースをはめるように、それらのわずかな情報だけで確証はなくとも事情はなんとなく察せるもので。
おそらくニネ家にドラローシュ公爵領の領主代行を押しつけたのは、きっと母の方。貧しく荒れた領土の一部を無理矢理押しつけ、領地を譲ってやったのだからとか言ってクローニンの足下を見たのだろうことが想像に難くない。
普通に哀れである。かわいそうに。
「も、申し訳……」
「ああいや、良い。手分けして整理をしよう。手伝え」
「は、」
はい、と返事をしようとして、クローニンはその短い言葉すら途切れさせてしまった。書類がばらばらと音を立てて宙を舞う光景に言葉をなくしてしまったのだ。
自分たちを取り囲むように書類が宙に浮いて、そのまま制止する。
「……はえ……」
「まず内容ごとに仕分ける。話はそれからだ」
フリーズしてしまったクローニンを放置して、アンジェリカは黙々と書類の中身を確認しながら神経衰弱をこなしていく。こういうとき、アンジェリカは人の心の理解ができない。既存の魔法ではありえない光景を、いきなり目の当たりにしたクローニンが真っ白になってしまったことに、作業に集中してしまうともう気づかなくなってしまう。
しばらくして戻ってきた執事は入室時に一瞬だけ驚いただけですぐに順応し作業に加わったものだから、余計にクローニンが現状を飲み込めないことに気づいてあげられないのだった。
しかし、クローニンの手などなくても作業は進むものである。
結局クローニンはなんの説明もしてもらえないまま自力で順応できたことにも、しばらく呆けていたことにも誰も気づいてあげないまま、最後の一枚を仕分けたときには書斎に朝日が差し込んできたのだが……。
仕分け作業が終わっただけだというのに、浮き彫りになった問題点だらけにアンジェリカはこめかみを押さえて、大きなため息を吐き出したのだった。




