12ロレシオ・ドゥ・ドラグロード第三王子
ほんとうは、アンジェリカ・ドゥ・ドラローシュとの婚約の話に乗り気ではなかった。
しかし父である国王陛下が、その息子に命令するのではなく、心底困り果てたように懇願してきたものだから。
「お受けいたします、国王陛下。……いえ、父上」
「そうか、ありがとう、ロレシオ。すまない、すまない」
まわりに宰相くらいの人間しかいない。
だからロレシオは陛下を父と呼んだし、陛下も、何度も何度も謝ってきた。
(父上が、……国王陛下が頭を下げるなんて、許していいことじゃないのに)
ドラローシュ公爵家のお噂はかねがね、というのがロレシオの印象である。この婚約はもともとアンジェリーナ・ドゥ・ドラローシュという女が、自らも王家の血筋である、というなんとも薄っぺらい見栄で王家に打診してきた話であった。
けれどもその「王家の血筋」というのを、完全に無視するのも難しい。
だが言っていることが横暴過ぎた。最初は、すでに婚約者のいる第一王子と将来結婚させろ、と随分なことを言っていたようである。
その後ドラローシュの現当主であり、王家にとてもよく尽くしてくれている外務大臣の男が、第二王子か第三王子、婚約者の決まっていない王子のどちらかを、将来婿に招けないだろうか。そういう言い方をしてきた。
ただ外務大臣の職に就いてるからといって、国王陛下に打診できる力があるかと言えば別にそんなことはない。国王陛下も、臣下のお願いを聞いてあげる義理もない。
なのだけれど、国王陛下と臣下の男は知己であるらしい。
だからなんだという話だが、陛下も人の子だったということだ。
家格は申し分ないし、ドラローシュの女主人も妥協するだろう。なにより優秀な友に義理立てできる。
でも、手放しに「それならどうぞ」と言うには、ドラローシュ公爵家の評判はそれはそれは悪いものだった。
「ドラローシュ公爵の娘といえば、例の悪女のことだろう。そんな女との婚約などごめんだ」
まず陛下が話を持って行ったのは、順当に第二王子のほうだった。
しかし彼はにべもなく断った。
陛下からのお言葉だったのにも関わらず、だ。取り付く島もなかったらしい。
本来ならば陛下にそんな口の利き方、王子といえど許していいことではない。だが今回は相手が悪かった。国王陛下ともあろうお方が、下手に出ざるを得ないほどの悪名高い家の、これまた良い噂を聞かない娘の話だから余計にだ。
そんな女と将来共に過ごさなければならない、そんな女と将来子供を作らなければならない。見た目は美しいらしいけれど、性格が悪ければどんなに美しい花も醜く見えるものだろう。
嫌がる息子に、どうしても、とは言えなかった。
だから、ロレシオにも話が回ってきた。
ロレシオが婚約を了承してから数日経った頃、件の少女の母アンジェリーナ・ドゥ・ドラローシュがずいぶん前に死んでいたらしいという話が、噂話として耳に入ってきた。
なんでも呪殺されたのだそうで、外部にその死を秘匿したまま犯人探しをしていたのだとか。けれども捜査に進展がない上、娘の婚約が内定した今話が流れるのを恐れてか、未だに王家にもアンジェリーナの死をちゃんと報告していない。
けれど人の口に戸は立てられないもので。
その直後から、今度はその娘アンジェリカが、アンジェリーナ以上の贅沢をするようになったという噂が駆けめぐるようになった。
将来自分が結婚する女が、気に入らない使用人を殴りつけただとか、凝った意匠のドレスを何着も購入しただとか、貧乏人を虫けらのごとく思っていて、馬車で平民をひき殺したとか。アンジェリカに会う前から嫌悪感ばかりが募っていく。
ロレシオは差別主義的な考えを持つ貴族をことごとく嫌っていた。
民のいない王などに意味はない。王とは、民のためにあるものだ。
もともとはロレシオが敬愛する兄、第一王子が世間話のように言っていた言葉だが、ロレシオにはそれが深く印象に残り、彼の根底に根付いている。
しかしいくらロレシオがアンジェリカを嫌ったところで、一度決まった婚約の話がなくなるわけではない。むしろ早く発表しなければ、という流れができあがっている。
そして奇しくもロレシオの誕生日が近かったのもあり、大規模な誕生パーティが開かれることが決まった。
激化してきた噂話に、ロレシオが「やっぱり嫌だ」と言い出すのを阻止するためか、もしくはドラローシュ家側に文句を言わせないためだろうことは想像に難くない。
これだけ大規模でやれば、ドラローシュの娘も満足してくれるだろう、という魂胆がある気がしてならなかった。
なぜ、なぜ。そんな悪女に気を使う必要があるのだろう。
「おれが、将来王太子になれるかも、って希望を持たせて大人しくさせるため、かな……」
もともとアンジェリカの母親は、第一王子へ婚約の打診をしていた。まだ誰も立太子していないとはいえ、一番最有力なのが第一王子である。
噂話でしか人物像を推し量ることができないが、きっとほしいのは「王家の血筋」ではなく「権力」だけだ。王妃になれば、たしかに誰よりも偉くなれるだろう。
たったそれだけのために、そんなもののために、ロレシオは望んでもいない婚約をさせられるのだ。
くだらない。くだらない!
「おれは絶対に奴らの思い通りにはならない」
パーティの打ち合わせで、ロレシオは初めてアンジェリカを見た。
噂話ですでに好感はマイナスな上、第一印象もやはりそう良いものではなかった。
まず、予定より大幅に遅れて登城してきたのだ。どうやら支度が間に合わなかったらしい。子供の顔に化粧をこれでもかと施して、髪もぎちぎちに編み込んで、そうとう気合いを入れてめかし込んできた。
そして噂通り、まあご立派なドレスをお持ちのようだった。
ごてごてと重たそうな装飾がたくさんぶら下がるドレスを摘んで、その少女は流れるようにお辞儀をした。
「お初にお目にかかります、第三王子殿下。アンジェリカ・ドゥ・ドラローシュでございます」
それを聞いて、ロレシオは反応が遅れてしまった。所作は美しく言葉は流麗。噂で聞いた娘と同一人物には見えなかったからだ。もっと礼儀のなってない娘が出てくると思っていた。六歳になったばかりの子供に礼儀を求めるつもりもなかったからである。
戸惑うロレシオだが、もっと困惑することが起きた。アンジェリカがその間ずっと頭を下げたままだからだ。
(ほんとうに「あの」アンジェリカか?)
ロレシオの後ろに立って、共に出迎えていた宰相が小さく咳払いしたのを聞いて、急いでアンジェリカの頭を上げさせた。
「せっかくお時間をいただけたのに登城が遅れましたこと、心から謝罪いたします」
「いや、レディは支度に時間が掛かるものだろう。それに、さほど待ってはいないよ」
「お心遣い傷み入ります」
アンジェリカの噂はデマである。これだけの会話ですぐ確信した。
でもすべてが嘘かといえばそうでもない。ドレスを見る限り贅沢をしているのは間違いなさそうだし、後ろに侍らせている侍女も、ちょっと登城して打ち合わせするだけにしては数が多すぎである。
「アンジェリカ様が謝罪なさることではございませんわ」
「そうですわ、アンジェリカ様」
ただロレシオは人の顔色を伺うのに長けていた。
(うんざりしてる)
彼女の侍女たちは、彼女が謝罪したことに対して口々に何か言っている。だれも、侍女たちに発言を許してなどいないのに、だ。
それに対して、アンジェリカは思うことがあるだろうに発言しない。侍女たちを咎めない。
ただ、思っていそうなことはわかる。
ここまで馬鹿だとは思っていなかった。
そうありありと顔に書いてあった。
なにを考えているのか、現段階でロレシオにはわからない。けれどいつまでも外で立ち話をしているわけにもいかず、まだなにやら騒いでいる侍女たちを放置し、城の中へ招くことにした。
手を取って隣に立ち、形だけでもエスコートする。
だれよりもアンジェリカに近づくことができたから、ロレシオは直球に訊いた。
「ね、なんで何も言わないの」
アンジェリカは言い訳をしなかった。ただ遅れたことだけを詫びた。そうしたら、うしろからついてきた連中が勝手に言い訳をし出した。
だれも顔には出さないが、宰相、騎士、その他、この場でアンジェリカを出迎えた大人たちは、全員が悪感情を抱いている。
大人たちは、ロレシオよりもドラローシュの悪い噂についてたくさん知っているからだろう。
侍女たちの暴走は、そのままアンジェリカの評価を落としていることに繋がっている。そしてそのことは、おそらくわかっている。
なのに、放置している。
だから訊ねた。純粋な興味だった。
ロレシオに問われたアンジェリカは、こちらに一瞥もくれずにつぶやいた。
「印象操作」
「えっ」
「なんでもございませんわ」
ばっちり聞こえた。聞こえてて聞き返した。濁されてしまったけれど。
アンジェリカ・ドゥ・ドラローシュという少女は、自身がどんな噂を流されているか知っているのだ。知っていて、放置している。
どうしてだろう。訊いたら答えてくれるだろうか。
噂のアンジェリカに抱いていた悪感情はとうに消え失せ、ロレシオはこの、子供らしからぬ少女に強く興味を引かれていた。
「ま、そんなこんなあって、おれがアンジェに懐いたんだよね!」
初めて出会った日のことをうっきうきで話してくれる美少年である。
アンジェお姉さまは涼しいお顔で紅茶を飲んでいらっしゃって、相槌も打ってくださらない。
わたしはまだ王子殿下という雲の上のお人に、まともにお返事もできないというのに。だれか助けて。アンジェお姉さまたすけて。
「きいてる? ティアラ」
「あへあ、きききこえておりますれば」
「うーん、慣れないねえ」
ジャガイモに人語を話せって言ってるようなものなんですよ、王子殿下は無茶をおっしゃる。
「あえ……でもお姉さま、いんしょーそーさってなんですか?」
「聞こえてたんだなあ、って思ったな。聞き返してきたから聞こえなかったものだとばかり」
「そうじゃないよねアンジェ~。おれもそれいつか訊こうと思ってた」
アンジェお姉さまは、ティーカップを受け皿に戻す所作もお美しい。かちゃりとか音がしそうなものなのに何の音もしないのだ。
「そういえば、大量処刑の件。あのあと私に関してどんな噂が流れているか、ティアラは聞いた?」
「わたしにわかるわけないですね!」
「おれの元には速攻届いたっけなあ。公爵家のご令嬢が癇癪を起こして、気に入らない使用人たちに濡れ衣を着せて処刑させたのではないかって」
「えっ……?」
王子殿下はご存じだったそうで、わたしに教えてくれる。
その内容に、わたしは思わず呆けた声が出てしまった。
「……それは……その通りじゃないですか」
「そうだな」
「えっ」
わたしたちの会話に、今度は王子殿下が驚く番だ。
「なになにどゆこと」
「アンジェお姉さまのお母さま殺しについては、ほんとうに完全な濡れ衣ですもんね……」
「でもそこで私の悪名が高いから、侍女に誑かされていた哀れなご令嬢、とはならずに、私が手を回して使用人を大量に殺した、って話になるのが面白いところだよな」
「そうじゃない、いやそれも気になるけどそうじゃないよアンジェ」
アンジェお姉さまの「悪い噂」を流す貴族は、わかりやすくドラローシュ家の敵なのだ。そういう、他家を害したいようなおうちって、なにかやましいことがあるよね、って話である。
だからアンジェお姉さまが言った「印象操作」とは、ようするにそういった家を炙り出そうということだろう。
そしてアンジェリーナさまがご存命のときはそういった噂がなかったのに、お亡くなりになったあとにそういう話が急にわき上がるのは、なにかアンジェリーナさまがいなくなったことで不都合を被るひとがいるからであって。
「まあ、結論を言えば我が家からいろいろ着服していた元使用人の貴族のひとつだったんだが」
「それ資金援助的なのがなくなったからじゃない?」
「ようするにそういうこと。もっと大それた陰謀とかだったら面白かったんだが、結局内輪揉め程度のはなしだったな」
アンジェリーナさまが生きていたうちはアンジェリーナさまが好き勝手に散財なさっていて、それをいくつかせしめても気付かれなかった。
だからその侍女は調子に乗って、アンジェリーナさまにたくさん買い物をさせたのだろう。もしかしたらそうやって公爵家を破滅させたかったのかもしれない。
アンジェリーナさまが亡くなってから、それでも散財させ、陰で横領を続けるためにアンジェお姉さまにも浪費家という噂を立てた。
思っていた通り、使用人たちが勝手にやった買い物もアンジェお姉さまの仕業として周囲には認知され、金品の横領もいままで通りできていたことだろう。アンジェお姉さまもまだお屋敷のなかで猫を被っていた時期だから、使用人たちのやっていることに口を出さなかったはずだ。
まあ、面倒くさがっていた可能性もあるけれど。
でもアンジェお姉さまは処刑に関してもうまくやっていた。それなのに「無実の使用人に罪を着せた」とか噂が流れ出した。
そしてその噂を流したのは、温情を与えたはずの元使用人家族。
「もう手を下したりなさったんです?」
「いいや? まだ何か面白いことをしてくれそうだから放っておいているよ。噂が流れる反面、ちゃんと慰藉料は払っている。とてもちぐはぐしているから見ていて楽しいぞ」
「いや楽しくはないよね……」
「ちなみに誰なんです? その噂を流してる貴族って」
「エーメ家の者だ」
エーメ家。
「リシャール・ル・エーメ! 侯爵令息! 攻略対象だ!」
唐突に思い出した。思っていた以上に声量が出て、みんなびっくりしてたけれどわたしも驚いた。
けれどそれも一瞬。すぐ全員順応しはじめた。
なんなんだこのひとたち。
「リシャール・ル・エーメ……。一応気にかけておこうか」
「攻略対象か~~。どんな内容?」
「えっとですねえ……」
リシャールルートは。
まずアンジェお姉さまの性格が噂通りであるのは大前提。けれどいまのお話が本当ならば、ドラローシュ家から勝手に金銭的援助をさせているということになる。だからだろう、アンジェお姉さまが主人公に対してどんないじめをしても、最初のうちは何も言えないでいるのだ。
むしろゲームのアンジェお姉さま、使用人たちが勝手に公爵家の財産を盗んでいることを逆手に取っていたような描写があったな。
「貴方のおうちの使用人、わたくしのお屋敷にもう何年くらいお勤めだったかしら。彼女をクビにしたら……、エーメ侯爵家はどうなってしまうのか。貴方は本当にわかっていらっしゃる?」
主人公と恋仲になったリシャールにそう言って、リシャールを操りつつ主人公をいじめ倒すのだ。
なんか変に臭わせた表現だなあ、と思っていたが、ようはエーメ家から奉公に来てる使用人が財産を盗んでることをご存じだったということだろう。アレは、ただクビにするぞ、というはなしではなく、様々な意味を持った脅迫だったに違いない。
それはさておき、だんだん耐えきれなくなったリシャール。望むならドラローシュ家にいくらでも払う、だから主人公にこれ以上ひどいことをするのはやめてくれ! そう言ってアンジェお姉さまに土下座までするのだ。
そこで足下を見てヤのつく裏家業の人たちもびっくりな金額を請求するわけです。もちろん、一生かかったってリシャールに支払い切れるはずもございません。
いまならわかるけれど、たぶんびっくりな金額の横領があったわけだから、アンジェお姉さまの横暴でもなんでもなかったかも知れない。
描写的には「エーメ家の使用人が横領していた金額の返済」ではなく、「エーメ家の使用人にいままで支払っていた給金を返せ」みたいなめちゃくちゃなこと言ってんな! ってなかんじの描かれ方をしていたから、アンジェお姉さまの横暴感が半端なかった。
あとなんか、エーメ家側からもなにか圧力があったみたいで、結局口だけ男になってしまうわけですが……。
アンジェお姉さまはストーリー終盤でかならず処刑されてしまうので、結局何事もなくリシャールは主人公と結ばれハッピーエンド! エーメ家夫人としてリシャールと共に幸せに暮らしましたとさ!
「めっっっちゃ無理あるじゃん」
「詳しい描写はされてなかったけれど、エーメ家は最後までドラローシュ家の財産のおこぼれにあやかってるわけですからね。リシャールは秀才なので、エーメ家を継いだあとはかなりやり手にばりばり働いて、経済も無事回復。どこかから援助してもらわなくても生活できるようになるんですよ」
「なるほど、つまりエーメ現侯爵が無能だってことだね」
「そうとも言えますね!」
親じゃなくてドラローシュの脛をかじりまくってるエーメ家だが、アンジェお姉さまが処刑されてリシャールが当主を継いだら、恩義もクソもへったくれもなく主人公と幸せになれるんですよ、すごくないですか。
ただアンジェお姉さまがゲームのなかでは害悪すぎるので、リシャールストーリーがコレでも「ざまあ~~~」ってなるんですけどね。
でも普通に考えて、ドラローシュ家に奉公に出ているエーメ家の者が財産の横領していたってすっごいスキャンダルだ。
なるほど、だからリシャールストーリーってあんなにふわふわしてたんだなあ、と今更ながら納得である。
こんなの、清き良き乙女がプレイする内容としてはちょっとふさわしくないもんね。
「まあでも、アンジェはほっとくんでしょ?」
「放っておくさ。今のところ、さほど害はない」
いや、大ありだと思います、お姉さま。
つい胡乱な目アンジェお姉さまを凝視したが、お姉さまは涼しい顔をして再び紅茶を口に運んだ。
「こんなの害のうちに入らない。それよりも、ティアラがロレシオ殿下と仲良くおしゃべりできたようで私は嬉しいよ」
「………はっ!?」
そういえばそうだった。しかもかなり馴れ馴れしかったんじゃないの。
急に顔から血の気が引いてきた。変な汗が吹き出てくる。
そして、そんなわたしをにっこにこ笑顔で見ている王子殿下……。
唐突に限界がきたわたしは、頭の奥で「ぶつん」と音がして、そのまま気絶してしまったのでありました。




