2.リュリュ <Lumen henki>
ステンベック通りを背にして小道に入り、しばらく進むと公園が見えてくる。
トゥーリとヌーッティ、そしてアレクシの三人は、公園に植えられた木々のひとつ、その枝の上に立っていた。
トゥーリは公園全体を見渡す。けれども、人間の姿はなかった。歩道を歩く人の姿も。
「それで、どこにいるの? その女性は」
隣で深呼吸をしているアレクシに視線を移し、トゥーリは訊ねた。
アレクシは緑色で塗られたベンチを指さす。
「いつもあそこに座っているんだ」
頰を赤らめているアレクシがもじもじしながら答えた。
トゥーリとヌーッティの二人は、アレクシが指さしたベンチに目を向ける。だが、ひとの姿はない。居るのはトゥーリたちと同じ背丈、三十センチメートルほどのオコジョ一匹であった。
「動物だヌー」
「違う。よく見て」
トゥーリに言われ、ヌーッティはじっとオコジョを見つめる。
そのオコジョは、オコジョではあるものの、白いボアの襟が付いた赤紫色のポンチョを身につけていた。
「どこかのペットだヌー」
「失礼な! ペットではない! 彼女こそぼくの愛しい女性だ!」
即座にヌーッティの発言を否定したアレクシは、両頰に手を当て、身をよじっていた。
顔を赤くし、もじもじする挙動のアレクシを見ているトゥーリとヌーッティの二人は、やや、否、かなり引いていた。
「……えっと、ほら、行きなよ。告白するんでしょ? わたしとヌーッティはここから応援してるから」
「一緒に来てくれないの?! なんで?!」
声が裏返りながらアレクシはトゥーリに訊ねた。
「え? なんでわたしたちまで行くの? 告白ってひとりでするものでしょ?」
「心細いんだよ! 一緒に来てくれよぉ!」
アレクシは潤んだ瞳をトゥーリに向け頼んだ。
「ヌーがいっしょに行ってあげるヌー! ヌーがいればどんと来いだヌー!」
ヌーッティは胸に拳を当てて、自信たっぷりにアレクシへ提言した。
「ヌーッティだけじゃ無理だよぉ! トゥーリも来てくれよぉ!」
アレクシはヌーッティを無視して、トゥーリに懇願する。
「わかったよ! 行くから!」
それを聞くや否や、アレクシは歓喜した。状況が飲み込めていないのか、ヌーッティも何故か歓喜していた。
三人は木の枝から雪の降り積もった地面へと下りると、トゥーリを先頭に、オコジョのいるベンチへ歩み寄った。ベンチから一メートルほど離れた場所に着くと、トゥーリは歩みを止めた。
トゥーリたちに気づいたオコジョは大きな瞳を三人に向ける。
トゥーリとオコジョの目が合った。アレクシの言っていたとおり美しい姿をしたオコジョであるとトゥーリは思った。そして、隣で固まっているアレクシの背中をぽんっと押した。「行ってこい」という合図である。
アレクシがトゥーリの顔を見た。トゥーリは凜々しい表情でこくりと頷いた。
ひと息吐いたアレクシはふわりと舞い上がり、ゆったりとした所作でベンチへ飛翔した。
きりっとした表情でオコジョを見つめるアレクシの口が開く。
「ぼくは風の精霊アレクシ。きみの名前は?」
「わたくしは雪の精霊のリュリュと申します。あの、何かわたくしにご用でしょうか?」
澄んだ綺麗な声であった。
アレクシは片膝をつき片手を胸に当てると、手に持っていた一輪の薄紫色の花をリュリュと名乗る雪の精霊に差し出す。そして、
「あなたのことが好きです。ぼくの彼女になってください」
はっきりとした声で告白した。
トゥーリとヌーッティは、よくやった! といった表情でガッツポーズをした。
他方、リュリュはというと目をぱちくりさせ、ちらちらとトゥーリを見やる。
「ごめんなさい。わたくし、あちらのお方が好きなので、あなたとはお付き合いできません」
トゥーリを手で差しながらリュリュは即答した。
間があった。
思考が停止したのはアレクシだけではなかった。トゥーリもまた同じであった。
リュリュはベンチからさっと降りると、トゥーリの目の前に立つ。
「はじめまして。わたくし雪の精霊リュリュと申します。もし、ご都合がよろしければ、これからわたくしとお茶などはいかがでしょう?」
薄い桃色の頰をしたリュリュがトゥーリをお茶に誘った。
そこで、ようやく、トゥーリとアレクシの思考が動き始めた。
「ま、待ってくれ! きみはぼくと付き合う運命なんだよ?! お互い精霊同士、気が合うじゃないか!」
ベンチから飛び降りたアレクシがリュリュに迫る。
「申し訳ないのですが、軽薄そうなあなたはタイプではないのでお付き合いできません」
リュリュはきっぱりアレクシの告白を断ると、トゥーリの両手を取る。
「あの、お名前、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「え? あっと……トゥーリ」
リュリュの勢いに気押されトゥーリが名乗ると、リュリュの顔がぱっと明るくなった。
「トゥーリさまですね! わたくしトゥーリさまのことを一目で好きになってしまいました! ぜひ、わたくしとお付き合いしてくださいませ!」
「待ってくれ! きみはぼくの……ふごぅ!」
リュリュはなおも迫るアレクシの顔面を片手で押しやる。
「トゥーリさま! その凜々しいお姿はさながら森の女主人ミエリッキのよう! わたくしのパートナーになってくださいませ!」
きらきらと輝く瞳でリュリュはトゥーリを見つめる。トゥーリは完全に空気に吞まれ、何と言ったらいいのか最適な言葉が思い浮かばなかった。
アレクシはリュリュの手を取り、
「きみは女性だろう?! なのになぜ、ぼくではなく女の子のトゥーリなんだ?!」
「精霊に男女の区別はないでしょう? 人間たちや自分自身で性を決めているだけではないですか」
リュリュは目を細め、鬱陶しいものを見るようにアレクシに視線を向けて言い放った。
「本来、わたくしたち精霊は女性でもあり男性でもあるでしょう。性を付与するのは人間たちか自分自身。わたくし自身について申し上げれば、特にどちらの性ということはありません。それに、わたくしが誰をお慕いしようと、あなたには関係のないこと」
ここまで言われてはアレクシもさすがに引き下がるであろうと、トゥーリは思ったがさにあらず。
「それなら、ぼくでもいいじゃないか! ぼく以上にかっこよくて賢い風の精霊は世界のどこを探してもいないんだよ!」
「きっといるヌー」
アレクシの横から、ヌーッティがぼそりと茶々を入れた。
リュリュは、トゥーリの手を握りしめたまま、なおも食い下がらないアレクシに応戦する。
噛み合っているようで噛み合っていないアレクシとリュリュの口論が数秒流れ、トゥーリの口から溜め息が零れた。
「アレクシ、いい加減諦めなよ。ちょっとしつこい」
「トゥーリ! きみはぼくを応援するって言ってたじゃないか! 裏切るのか?!」
「違う。単に諦めが悪いって言ってるだけ。それに、この子だって困ってるじゃん」
「トゥーリさま、リュリュです! わたくしの名前はリュリュです!」
その時であった。リュリュのポンチョを掴んでいたアレクシの手がすっと離れたのは。
「そうか、それなら仕方がないね」
俯いた顔で、いつもより低い声でアレクシが呟いた。
トゥーリは訝った。アレクシの様子が、その声色が不可解に思えたからである。
ややあって、アレクシが顔を上げ、決意を秘めた目でトゥーリを見据えた。
「ぼくはきみに決闘を申し込む! どちらがリュリュに相応しいパートナーとなるか勝負だ!」
こうして、状況についていけていないヌーッティを置き去りに、複雑な事態が進行し始めた。




