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8. 人はみな童貞として生まれるんだよ

 翌日、僕は真野良義をそれとなく監視しながら話しかける機会をうかがうことになった。


 けっきょくシュードラ三人衆のしょうもない頼みを断り切れなかった。

 これっていじめなのでは? 弱い者がさらに弱い者を叩く、醜い階層社会の縮図か。そういうことやってるから来世でもまた来世でもおまえらは奴隷なんだぞ、たぶん。


 しかし下層民である彼らのどす黒い(?)感情の捌け口になるのが最下層民たるアンタッチャブルの役目なのかもしれない。しかたない。

 それに、僕が真野くんの童貞を証明してあげれば、疎外されかけているシュードラコミュニティに再び受け入れられるかもしれないし。


 しかし、困った。

 真野くんとはまったくこれっぽっちも接点がない。どうやって調べればいいんだ?


 機会をうかがうため、昼休みに真野くんのあとをつけることにした。

 真野くんは購買パン組だったので、僕もさりげなく背後につく。昼時限定で二階の渡り廊下に設営されるパン売り場は全校の購買パン組が殺到するため毎日が血で血を洗う戦場だ。安くてカロリーの高そうな人気のパンはあっという間に品切れになる。僕が狙っていたメロンパンも目の前で最後の一個が消えた。ああああああああああああああ。

 というか購入者は真野くんだった。


「あれ。メロンパン狙ってた?」


 真野くんが僕に気づき、済まなそうに言った。


「いや、大丈夫。本命はロングチーズパンだから」


 そのロングチーズパンも僕が手を伸ばしかけたところで全滅。

 買えたのは不人気のレーズン蒸しパンだけだった。

 ……おまえがパン業界のアンタッチャブルか。仲良くしような。味わって食べるよ。


 って、パンと喋っている場合じゃなかった!

 せっかく真野くんと一言交わせたんだ、このチャンスを生かさなければ。

 僕は蒸しパンの袋を抱えて急いで売り場を離れた。


 しかし、なにを会話の糸口にすればいいのか。

 人付き合いの上手いカースト上位層ならとくになにも考えずにさらさらさらっと流れるような日常会話が口から出てくるんだろうけれど、そういうことがさっぱりできないから僕は最下層なのだ。


 と、真野くんがポケットにしまいかけた財布が目につく。


 かなり大きめのアクリルキーホルダーがぶら下がっている。

 三頭身にかわいらしくデフォルメされた美少女キャラクターだ。


「それ、ひょっとして興梠(こおろぎ)アゲル?」


 僕がキャラ名を言うと真野くんは眼鏡の奥の細い目を不気味なくらい見開いた。


「知ってんのっ?」


「う、うん、まあ」


「ちょ、ちょ、ちょっと、語ろうぜ! 昼飯いっしょにいい?」


 真野くんは僕を中庭に連れ出し、僕らはベンチに並んで座ってパンをかじった。


「興梠アゲルはマイナー個人勢だしよく知ってたな、え、なに、須埜原もVはよく観る方なの? 推しはだれ?」


 豹変した真野くんはめっちゃ早口で訊いてきた。VというのはVtuberのことだ。


「いや……僕はそんなに観ないんだけど、フォローしてる人にV好きがいっぱいいてタイムラインに流れてくるから、まあたまに、広く浅く」


「でも興梠アゲルちゃん知ってるなんてすげえよ、俺はいま最推ししてるけどチャンネル登録数やっと四桁だし、いやでもほんと頑張ってて一日に四本動画あげたりとか、なんつっても昆虫食vtuberだから配信毎回命がけなんでそこがほんと推し甲斐があるっていうか、週に一回は腹壊すらしいし、でも俺ほんとうれしいよ。数学部でもアゲルちゃんだれも知らなくて、もう学校には同好の士なんて絶対にいないもんかと思ってたけど須埜原で二人目だよ」


 二人目?


 あ、ひょっとして。


「竹中さんともそれで仲良くなったの?」


「……え? あ、ああ。……うん。あははは」


 真野くんには悪いが、照れ笑いが凄絶にキモかった。


「学年はじめの自己紹介のときに、個人勢Vが好きって言ってたの憶えてたみたいで。そんでキーホルダー見て話しかけてきて、それで、まあ、うん、色々あって」


 僕がこの世から消えてなくなれと願っていた自己紹介タイムを、そんな最上の形で有効利用していただと……?

 ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬねたましい。

 口から尻の穴までまくれ返りそうなくらいうらめしい。


「えっと? じゃあついこないだつきあい始めたばっかりってこと?」


 煮えたぎる憤怒を胃袋に押し戻して、つとめて平静な声で僕は訊ねた。


「つきあい? いやぁ、あはぁ、まだそういう感じでも、いや、いっしょにグッズ買いにいったりはしてるけど」


 ああそう。うむ。


 交際開始が最速でも一ヶ月前。

 数学部所属のシュードラ。

 照れ笑いがキモい。


 種々の情報を総合するに、これは――


 童貞だ!


 さすがにこんな短期間でベッドに持ち込むのは無理にきまってる!


 とはいっても時間の問題だろうな。性欲むきむきの男子高校生だもんな。くっそ、なんで僕がこんなやつのコミュニティ復帰を手伝ってやらなきゃいけないんだ? めでたく疎外されてしまえばいいんだ。本人にとってもその方が幸せなんじゃないの?


「須埜原どうした怖い顔して。なんか俺まずいこと言った?」


 真野くんがおそるおそる訊ねてきた。


「え? いや、うん」


 まずい、そんなに顔に出てたのか。こいつ、話し相手の表情をうかがって気遣えるとか、それでも黒オーラの持ち主か? そういう気配りができるやつだから彼女ができたのか。共通の趣味があったという幸運だけじゃないんだろう。ますます自分がみじめになってくる。


「なんでもないから。個人的な恨めしさでぐぎぎぎぎってなってるだけだから」


「全然なんでもなくないんだが」


「恨めしさのあまり真野くんを呪ってるだけだから」


「怖いよ! 俺がなんかしたか?」


「今後一生『漢字2文字+カタカナ3文字がなんでもvtuberに見える』呪いをかけてやる」


「なにそれ最高なんだが?」


 こいつも大概だな……。試しに言ってみた。


「赤坂サカス」


「うおおおおお本業より不動産で稼ぐ系vtuber! 推せる!」


「紅鮭ハラス」


「うおおおおお焼けば焼くほど生臭い脂が染み出る系vtuber! 推せる!」


「防弾ガラス」


「うおおおおお組長をヒットマンから護る系vtuber! 推せる!」


「父親パパス」


「ぬわーーっっ息子を人質にとられて焼き殺される系vtuber! 泣ける!」


 こんな面白いやつだったのか……。これまで喋っているところを一度も見たことがなかったから全然知らなかった。寡黙なガリ勉くんだと思ってたよ。


 二人の行く末に幸あれと祈りながら僕はレーズン蒸しパンを平らげ、教室に戻った。


       * * *


 さて、翌朝。


 僕はかなり早めの電車で登校した。()()()ップに書き込むところをだれにも見られたくなかったからだ。


 朝一番のがらんと静まりかえった教室に足を踏み入れるのは、なかなか気分がいい。

 しかし教卓の裏側に回ってかがみ込み、暗がりの座席表を見やると、すぐに気持ちがしぼむ。


 ここで『真野』の席に△を書き込めば、僕の任務はおしまいだ。


 それでどうなる?


 童貞だったところで真野くんがシュードラコミュニティに再び受け入れられるときまったわけではない。竹中さんといっしょにいる時間を増やしたいのであれば男友達のために費やす時間は当然減る。どうしようもないことだ。

 だれかを選ぶということは、べつのだれかを選ばないということなのだから。


 僕には関係ない話だけれど。


 よくわからん理由で調査を押しつけられただけだし。


 でも――。


 教卓の下に潜り込んだ。DTM座席表と至近距離で向き合う。

 薄暗い中、クラスメイトたちの名前と、まばらに記された○や△がちかちかと明滅するように思える。


 ろくでもないきっかけで乗り出した調査だったけれど、収穫はたしかにあった。

 まるで知らなかった真野良義という人物の一面を僕は見ることができた。

 彼が大切にしているもの、彼を熱くしているもの。話してみれば意外にも親切でフレンドリーで面白いやつだとわかった。


 シュードラ仲間たちは――わかっているのだろうか?


 僕なんかに調査役を押しつけるくらいだから、実は真野くんとそんなにコミュニケイトしていなかったんじゃないだろうか。


 そう、いま僕がやるべきなのは他人の性経験をこそこそ決めつけることじゃない。


 教卓の内側で背を丸めたまま、ポケットからスマホを取り出した。太司にメールを打つ。


 昨日真野くんとちょっと話したよ。好きなvtuberの話で盛り上がった。良いやつだった。DTの件は訊ける雰囲気じゃなかったけど太司なら友達だから軽い冗談な感じで訊いてみたら案外話してくれるんじゃないの?


 送信。


 これでお役目終了、ということにしよう。


 ついでに、と僕はDTM座席表の『須埜原』のところに△を書き込んでおいた。


 いや、べつにシュードラコミュニティに混ぜてもらいたいわけじゃない。ただなんというか性豪みたいに思われてるのも困るので。


 僕は細く長く息を吐き出し、教卓の内側の板に背中をもたれた。


 なんかこの場所、妙に落ち着くな。暗がりに生きるアンタッチャブルである僕にはぴったりの場所なのかもしれない。たとえば授業が始まってからもずっとここに隠れていたらどうなるだろうか。透明オーラをまとったアンタッチャブルである僕が不在でも、まったくだれにも気づかれないんじゃないだろうか。放課後までこのままで、あるいは明日になっても明後日になっても、一学期が終わってしまっても、三年生に進級しても、卒業式がやってきても――


「――あれ? 須埜原なにやってるの」


 いきなり声が降ってきて僕は立ち上がろうとし、教卓の天板の裏に思いっきり頭をぶつけてしまった。


 目の前に星が散る。


「……っ……てぇええ……」


 頭を抱えてうずくまる。


「ごめんっ、大丈夫?」


 白石だった。

 なんで?

 白石は僕のすぐそばにかがんで顔をのぞき込んでくる。


「須埜原なんでこんなとこにいるの」


「……いやそれはこっちのせりふっていうか……なんでこんな朝早く……」


「だってうちら日直でしょ」と白石は小脇に抱えていた学級日誌をみせる。


 日直!

 言われてみればそうだった。忘れてた。


「ここ、なにかあるの?」


 って白石、なんで教卓の中に入ってくる?

 身体が密着してるんだが?

 脚が絡まってるんだが?

 めっちゃ良い匂いがするし頭がオーバーヒートしかけているしおまけに僕の方から抜け出そうとすると白石を思いっきり押しのけなければいけないので動けない。

 詰んだ。


「あは、狭い」


 当たり前だよ!

 おまえのせいだよ!

 ちょ、動くな、もう二センチこっちに脚を突き出してきたらなんか見えちゃいそうだし僕のスラックスの中でたいへんなことになっている部分に触れてしまいそうだし!


「あれ、なんか貼ってある」


 白石もDTMの座席表にすぐに気づいた。


「座席表? なにこれ。上にも貼ってあるよね? ……なんか印ついてるけど、これなんだろう。……D、T、M?」


「あー、ええと、それは」


 僕は頭をフル回転させて言い訳をひねり出した。


「デラックス豚骨麺の略で、あー、その、そういう大盛りラーメンチャレンジがあって完食できたやつが○で無理だったやつが△で」


 白石の顔がぱあああああっと輝く。


「そんなのあるのっ? どこどこ、どこのお店っ? わたしも食べたい!」


 ああああああなんでこんな嘘にしたんだ、食いつかれるにきまってるだろうが。


 そのときちょうど救い主が現れた。教室の戸が開く音がしたのだ。


「あれ? 須埜原いないのか。日直だったはずだけど」


 太司の声だった。

 僕は狭い空間の中で身をひねりながら白石の脚と胴体をすり抜けて教卓の内側から転げ出た。


「うお、びっくりした。そんなとこにいたのか」


 鞄を肩にかけたままの太司が言って、近づいてくる。


「あ、DTMに書き込んでたのか」


「あ、ああ、うん、自分のぶんをね!」


 わざとらしく声を張り上げながら僕は太司に早足で歩み寄った。教卓に近づけるわけにはいかなかった。中にまだ白石がいる。半閉鎖空間でさっきまで密着していたなんてクラスメイトに知られたら貴族人生の破滅だ。それとなく太司を追い払わないと。


「さっきメール見たよ。それですぐにでも須埜原にお礼言いたくて」


 くっそ、こいつもこんな早くに登校してたのかよ。なんでだ。もっとのんびり二度寝でもしてろよ。


「お礼? いやべつに僕はなにもしてないけど」


 お礼はいいからちょっと教室から出ていってくれ、と僕は強く念じた。


「いや、変なこと頼んじゃったけどさ、けっきょく俺ら真野が最近付き合い悪くなってちょっとさみしかっただけなんだなって」


 いやそんないきなり乙女なこと言い出さなくていいから出ていって!


「それで須埜原が話すきっかけ見つけてくれて、DTMとかはどうでもよくて、ちゃんと真野と話すのが必要だったんだなって」


「それはよかった」

 だから外してくれってば! 三分でいいから!


「でも童貞マップ作ろうぜって言い出したのは真野なんだけどな」


 わあああああああああああ正式名称を口にするな白石が聞いてんだぞ!


「童貞を△にしようって言ったのも真野でさ。ほら、×だとなんかほんと印象悪いじゃん。あいつそういう細かいところ気が利くんだよな」


 ああああああああああああマークの意味まで!

 白石に!

 聞かれてる!


「あ、そ、そう、そうだっ、真野くんさっき職員室で見た気がする、鍵借りてたからコンピュータ室で部活してんじゃない? 行ってみたら!」


「そう? 数学部って朝練なんてやってんの?」


 いぶかしがりつつも太司は教室を出ていった。

 ごめん太司、嘘ついちゃって。昼にパンでもおごろう。


 僕は近くの机に手をついてたっぷりため息をつき、教卓の方をおそるおそる振り返った。


 ちょうど白石が出てくるところだった。

 スカートの埃を払っている。


 ……聞こえてた?


 いやひょっとしたら教卓の板が遮っていて聞こえてなかったかも?

 そうだよな聞こえてなかったよな?


 白石がこっちを見た。


 照れくさそうに顔を赤らめている。


 これは――聞かれてた顔だ……。

 終わった……。


 白石はあかんべーをすると、「じゃあゴミ捨てしてくるねっ」といって教室の後ろに走り、ゴミ袋を持って廊下に出ていった。


 全身脱力して近くの机に腰を下ろす。


 いやべつになにも終わってないっていうか始まってもいないっていうか、僕が童貞だという至極当然分暁自明たる事実を白石に知られたところで、なにも変わりはしない。


 いいだろべつに童貞でも!

 人間みんな生まれたときは童貞なんだよ!


 声に出して叫べば気持ちよかったかもしれないがそこまでの勇気はなかったので胸中で宣うに留めた。


 それからふと気になって教卓の向こう側に回り、DTM座席表をチェックしてみた。


『須埜原』の△に▽が書き加えられて六芒星になっていた。


 なんだよこれ!

 白石なにしてんの?

 これじゃまるで僕の童貞が魔法陣でしっかり護られてるみたいじゃないか、やめてくれよ!

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