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5. ラーメンのスープは飲み干す派

 スクールカーストが如実に表れるのは、なんといっても昼休みだ。


 うちの高校は購買のパンがしょぼいこともあって弁当率がとても高い。授業中はパッチワークのようだったオーラの色が、チャイムが鳴ったとたんに流動を始めていくつかの大きな塊になるのが面白くもあり不気味でもあり。


 ただひとりの無色である僕は、昼時になると必ず教室から逃げ出していた。


 ランチはみんなと仲良くおしゃべりしながら!

 ……みたいな風潮が昔から好きじゃなかった。

 おしゃべりする相手がいないからじゃないぞ? 黙々と食べるのに集中したいから相手をつくってこなかっただけだ。

 これはひがみではなく、ほんとうのこと。

 だいたい、食事には口を使うわけで、喋りながら食うのって生き物としておかしくないですか? と僕は思う。


 その日も僕は昼休みのチャイムが鳴り教師が出ていった瞬間に席を立った。


 ただし、その日の行き先は便所飯に最適な北校舎三階トイレ一番奥の個室でもなければ日陰で人通りもなくだれにも見られない南校舎一階非常階段裏でもなかった。


 そのまま学校を出たのだ。


 高校の近所に新しくオープンしたラーメン屋が、がっつり二郎系でかなり有望、との情報を口コミサイトで仕入れたのが昨日のこと。

 普段ぼっち飯が日常の最下層民は、こういうときフットワークが軽くていい。ひょろっと外食しにいったところでだれも気にしない。

 さすがに昼休みにラーメン屋に行くなんてうちの学校で僕以外にいるわけがない。



 と思ったら、僕のすぐ後ろに並んだやつがうちの女子の制服だった。


 白石だ。


 なんで?

 いやもうほんとになんで?

 僕はパニックになりかけ、行列の中程で悶えながら、振り向いてほんとうに白石かどうかしっかり確認したい欲求と戦っていた。


 小さな雑居ビル一階にある、カウンター席十数個の店だ。

 僕の到着は12時20分、すでに店のキャパシティの倍以上の待ち客が路上に行列をつくっていた。

 三十分待って、十分で食べ終わってダッシュで帰る。よし。いける。そう思って最後尾について読みかけの本をポケットから取り出したところで、すぐ後ろに並んだやつの姿が目に入ったのだ。


「あれ、須埜原」


 普通に声をかけられた。やっぱり白石だった。


「須埜原もラーメン通だったんだ! チェック早い!」


「え……いや、うん……まあ……」


 持っていた文庫本をさりげなくブレザーのポケットに戻した。

 見られてない?

 見られてないよな?

 今日持ってきたのはちょっとえっちなラブコメだから挿絵を同級生なんかに目撃されてたら社会的に死ぬところだった。


「先週オープンなのにもうすっごい並んでるね! もっと話題になっちゃったら昼休みの間に食べ終わって戻るなんて無理になりそうだから今日がラストチャンスだったかも。須埜原はラーメン食べ歩きとかするの? どのへん行く? わたしはだいたい山手線の上っ側を――」


 なんでこいつ遠慮なく話しかけてきてんの?

 僕の背後にある無色の不可触民オーラが見えてないのか?

 ……見えてないよな。当たり前だ。


 いやしかしそれにしても、ただ偶然同じクラスで席が前後っていうだけなのに、なんでこうも距離を詰めてくるのか。


 正直、周囲の視線が痛い。

 ただでさえ白石はラーメン屋に並んでいて赦される人種ではない。

 直視できないほどぴかぴかのクシャトリア女子高生で、しかも制服姿なのだ。

 前に並んでいる連中がスマホを見るふりをして何度もちらちらと白石の様子をうかがっているのがわかる。


「――んで最近魚介系のすっごい匂うやつがはまってきて荻窪の駅前にある煮干しラーメンのちっちゃいお店にみんなと行ったらなんかもうわたし以外全然だめで、なぎちゃんとか」


「ぉ、おい、ちょっ」


 さすがにいたたまれなくなってきて口を挟んだ。

 白石は「なになに?」とでも言いたげな顔になる。

 そんな表情で見つめられると、まわりに注目されて恥ずかしいから黙ってくれ、とはさすがに言いづらい。


 そこで思いつく。


 ここは二郎系ラーメン屋じゃないか。


 僕はスマホで二郎系の心得を検索し、出てきた文面を白石に突きつけた。


 ラーメンは遊びではない!

 ラーメン屋は戦場である!

 私語厳禁!

 まわりの客はすべて敵だと思え!

 店員は審判員であってサービスをする人間ではない!

 愛想を期待するなどもってのほか!


 白石は目を見開いて口をおさえ、周囲の様子をうかがい、それから背筋をぴんと伸ばして僕から少し距離をとった。

 よかった、だまされやすいやつで助かった……。

 いや、だましたつもりはないんだが、すまん白石。僕もこの店ははじめてだし、心構えを厳しくしとかないと。


 若い店員が店の外に出てきて、待ち客にオーダーの事前調査をしていく。

 ふむ、どうやらこの店の1ロットは四人のようだな。二郎系は極太麺で茹でるのに時間がかかる上に長大な行列ができるので、規定人数分の麺をまとめて茹でるサイクルを繰り返すのが常だ。すると必然的にその人数ごとの客が同時にラーメンを提供されて食べ始めることになり、この一集団をロットという単位で数えるのである。常識だよな?


 そして二郎系は遊びではない。

 戦いだ。

 同じロット内の他三人の客が競争相手だ!


 と、白石が行列の人数を指さして数えている。……つられて僕も同じことをした。


 同じロットだ。


 僕と目が合い、にぱぁっと笑った。


 笑うんじゃねえ!

 戦場で、敵同士だぞ?


 それから待つこと二十五分。ようやく僕と白石は食券を買い、席についた。


 カウンターの向こうには丸刈りに黒Tシャツに黒い腰エプロンのいかつい店員たち。厨房には白オーラが充満している。まさかこいつら全員が聖職者(バラモン)なのか?

 ……なわけないな。ただの湯気だ。最近感覚がおかしくなっている。


「食券拝見します」


 そう言われた僕は食券をテーブルの上にすっと滑らせつつさりげない口調で唱えた。


「ニンニクヤサイマシマシアブラカラメ」


 どうだ白石! これがクシャトリアには身につけられぬ二郎系の作法よ!


「あ、すみませんお客さん、うちそういうのやってないんで」


 店員が済まなそうな苦笑を浮かべて言うので僕は悶死した。


「よく間違われるんですよ、店の名前に『郎』の字がついてるからかなあ。鶏ガラさっぱり醤油味ですからニンニクはちょっと合わないかと」


 店員はめっちゃ愛想がよかった。


「あ、でも、学生さん? ネギとメンマは増しにしときますね」


 サービスもめっちゃよかった。

 僕はもう恥ずかしくて顔を上げられなかった。

 右隣の席で白石がくすくす笑っているのがわかった。


 しかも出てきたどんぶりを見てみたら極太麺どころかストレート細麺だし。澄んだ醤油スープなら当たり前か。茹でるのに時間がかかるからじゃなく単純に注文をスムーズに回すための事前調査だったか。ロットとかいうのも僕の勘違いか。ああもうすべてが恥ずかしい。


 でも美味いなこれ!

 なんかもうどうでもよくなってきた! 忘れよう!

 隣で白石が顔を火照らせてはふはふしてるけど意識しないようにしよう! ラーメンに集中!


 ……できなかった。


 白石を挟んでもうひとつ隣の席の若い男性客が、挙動不審なのだ。


 ラーメンが出てきてすぐにスマホで撮影するのは、よくある話だ。

 でもその後もちびちび食べながらスマホを離さないのだ。

 しかも変な角度に傾けている。


 こいつ――白石を撮ろうとしてやがる!


 まずいぞ。

 白石はインスタのフォロワー三十万人こないだチェックした、いつもきらきらした自撮りしかあげていない人気モデルだ。鼻水たらしてラーメンをすすっている写真なんて晒されたらモデル生命の危機だ。

 しかも奥にはアンタッチャブルの僕まで写り込んでいる。


 人生終わる!


 僕はとっさに腰を浮かせて手を伸ばしていた。

 白石の首の後ろを経由して、男のスマホと白石の顔の間を遮るように。


「ちょっとごめん。胡椒」


 よしよしよし。ごく自然な感じで妨害してやったぞ。

 左手側の胡椒はもっと取りやすい位置にあるが、そこは気づかなかったということにしよう。


 ところが僕が胡椒で味変してしばらく食っていると男がまたしてもスマホを怪しいそぶりで傾け始めた。


「ちょっとごめん。醤油」


 今度の妨害はちょい不自然だったか。ラーメンに醤油足すとかしょっぱすぎるし。

 でも取ってきて使わないのもおかしいのでほんの一滴だけたらした。


 っておまえ、また撮ろうとしてんじゃねえ! その根性は他のことに使えよ!


「ちょっとごめん。ラー油」


 いやさすがに醤油ラーメンにラー油は入れないだろ? これ餃子用だよな?

 と思いつつも取ってしまった以上はしかたなく、レンゲに一粒だけたらし、スープをすくった。


「鶏ガラ醤油系は一口だけこうやって味わうことにしてるんだよな」


 だれに訊かれたわけでもないのに独り言で言い訳する。


 ところが白石が聞きつけて「通だね! わたしもやってみる」と言って僕の手からラー油を奪い取った。

 びっっっっっっくりした。

 がっつり指が触れ合ってしまったのだが?

 あと白石それ入れすぎだ! ほら真っ赤になってる鼻水もめっちゃ出てる! 隣の男がこれまたシャッターチャンスとばかりスマホを蠢かせるので僕はまた妨害を入れる。


「ちょっとごめん。お酢」


 さすがにラーメンに酢は入れないだろ。店に失礼だわ。どうすべきか。


「お酢の匂いを嗅ぐと刺激になってより一層美味しくいただけるんだ」


 さすがに言い訳が苦しすぎる。

 でも白石はくくくっと笑って言った。


「オスの匂いが刺激になるんだ?」


 おい! なんか今ちょっとニュアンスちがわなかったかっ? こっちが社会的に死にそうになったんだが?


 と、そんなことをしている場合ではないのに気づいた。

 さっさと食べ終えないと午後の授業が始まるまでに学校に戻れない。

 加えて、このままだと白石と一緒に鶏ガラ出汁の匂いをぷんぷんさせながら教室に駆け込むことになってしまう。

 不可触民とランチが一緒だったということがクラスじゅうにばれる。

 白石の学校生活は終わりだ。


 だからここは全速力で食べ終わって――って白石おまえもなに早食いしてんの? 意味がないだろうが! いや僕がさらに早く食べ終えれば済むことか。女子よりも食べるのが遅いようでは情けないからな。小学校・中学校と班で向かい合っての給食の時間が苦痛でしかたなくて鍛え上げた早食いスキルを見せてやる!


 スープも一滴残らず飲み干した白石に五秒差をつけられて負けた。


「ごちそうさまっ美味しかったですっ」


 白石は両手を合わせて張りのある声で言うと、席を立った。


「ほら須埜原、急がないと!」


「え……いや、ぉ、ぼ、僕はちょっと食休みしてから……」


「なに言ってんの、遅刻しちゃうよ!」


 腕を引っぱられ、一緒に店を出た。

こちとら不可触民なのだが!

 今日二度も触られてしまったのだが!


 学校の玄関口で上履きに履き替えているときにちょうどチャイムが鳴り始めたので、ちょっと教室に入るタイミングをずらすなんてこともできなかった。

 僕と白石はチャイムが鳴り終わるのとほぼ同時に並んで教室に駆け込んだ。


「セーフ! セーフだよねっ?」


 息せき切らせながら席に座る白石の後ろで、僕はみんなからなるべく見えないようにと縮こまって椅子に身体を押し込むのだけれど、もちろん教室じゅうの注目を浴びる。


「……二人とも遅刻にはしないでおいてあげるけど、もう少し余裕もって」


 先生からも怒られてしまった。


 しかし、すぐさま授業が始まったのはありがたかった。詮索されずに済む。


 ところが先生は持ってきたテキストを見て顔をしかめる。


「ごめんなさい、間違って三年生の持ってきちゃった。取ってくるからちょっと待ってて」


 先生が教室を出ていった瞬間、クシャトリア集団が白石(と僕)の席を取り囲む。


「まりさぽ、またラーメン屋行ってたでしょ!」


「昼休みは無理あるって!」


「どうせ行列できる店でしょ?」


「唇テカってんぞ」


「なんかすげー良い匂いする」


「俺もラーメン食いたくなってきた」


 そこで僕は気づいた。

 なまじ席が近いだけに、匂いの発生源は白石だけだとみんな思っているのだ。

 まさか僕と一緒に食っていたなんて想像もするまい。そう、たまたま僕も遅刻しかけて同じタイミングで教室に走り込んできただけ!

 そういうことになりました!

 よかった、白石の学校生活は守られた……。


「襟に赤い染みできてるよ、ほんとにもう」と渡良瀬さんが言った。白石のいちばん仲の良いクラスメイトで、昔からの仲なのでいちばんつっこみが厳しい。


「あ、ほんとだ。ラー油だこれ」と白石。


「落ちないよこれ。なんでラー油なんて使うの、まりさぽ辛いの苦手でしょ」


「だって須埜原が試してみろっていうから」


 え?


 クシャトリアたちも「え?」という目でこっちを見た。


 僕も「は?」という表情しか返せなかった。


 おい、どうするんだこの空気!


 凍りついた教室の、戸が開いて先生が駆け込んでくる。


「ごめんごめん、みんなお待たせ! じゃ始めます」


 みんなは散っていった。助かった……。このままうやむやになれ、と僕は祈った。

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