4. 魔法使えるやつはちゃんと使え
「先週ここに置き忘れて帰っちゃったんだよ……」
放課後の第二コンピュータ室で、太司は消え入りそうな声で言った。
「そんでだれかが俺の机に届けてくれたみたいで」
太司の握りしめている漫画のプリントアウトは、大勢の手を渡ってきたせいでだいぶくしゃくしゃにくたびれていた。
「ま、まあ、絵は評判よかったんだろ」
まわりに集まっていた漫研部員が慰めを口にする。
「それにほら、あいつらは対象読者じゃないし」
「気にすることねえって」
「エロ漫画の方じゃなくてよかったじゃん」
「あっちなら高校生活終わってたな」
え、太司くんエロ漫画も描いてるの? それは読みたい――じゃなかった。
だいたいなんで僕もここに来てるんだ。なんか責任感じてついてきちゃったけど、無関係じゃないか。
黙って落ち込んでいる太司にかける言葉も思いつかず、僕はそのままこっそり帰宅した。
ところがその日の深夜、僕がネット巡回を終えて寝ようとしたとき、メールが来た。太司からだったのでびっくりする。その瞬間まで彼にメアドを教えていたことすら忘れていた。そういえば去年、なんかの画像を見せてもらうときにアドレス交換したっけ。
『明日朝なるべく早く学校来れない? ネーム見てほしい』
僕は唖然とした。
布団に寝っ転がって仰向けにスマホを見ていたので、落っことして額にぶつけてしまった。痛い。
ネーム?
なに言ってんだこいつ?
スマホを拾ってメールの文面を読み進める。
『あの漫画いっぱい手直ししたからチェックして』
僕は編集者じゃないぞ?
ていうかあれから帰ってすぐにネーム描いたの?
すごいな、めっちゃページ数あったのに。
そんな根性あるなら僕なんかの意見なんて要らないだろ。部員でもないし友だちでもないし。
だいたい僕は最下層民のアンタッチャブルだ。太司はシュードラとはいえちゃんと同じ層の仲間がいるわけで、僕なんかと絡んでいたらあいつも――
『わかったなるべく早く行く』
……思わずそう返信してしまった。
いや、だって、なんか頼られてるし! ちょっとうれしいし!
今回限りだ。
ちょっとネーム見て、なんかひとつふたつ慰めごとを言って、おしまい。
いつもの不可触民に戻ろう。
そして学校では『なろう』をチェックしたくなったら面倒でも必ずトイレの個室に籠もることにしよう。
そう心に決めて僕は毛布をかぶった。
* * *
翌朝、僕と太司はかなり早い時間に二年二組の教室で顔を合わせた。
朝練の陸上部と野球部くらいしか登校してきていないくらいの早朝だ。教室内も他に人気がなくひっそりと静まりかえっていて、四月も半ば過ぎだけれどだいぶ肌寒く感じられる。
「言われたとおりに直してみたんだ」
そう言って太司が差し出してきたノートを僕はおそるおそる受け取る。
ネームは、手描きだった。かなりラフではあるけれど、どのキャラなのか見分けられる程度には髪型と服装が描き込まれている。
僕は自分の席に腰を下ろして読み始めた。
太司の視線は気になったけれど、こないだみたいに室外に逃げ出してひとりでこっそり読むのが許されるような雰囲気じゃなかった。目つきがあまりにも切実そうだったからだ。
必死にネームへと意識を集中させる。
いやあ、しかし、これは。
いいのか?
ほんとにおまえこれでいいのか?
全部読むまでコメントするべきではないと自分に言い聞かせつつも、途中で何度も太司をあれこれ詰問したくなった。
読み終えると、自分がずっと息を止めていたことに気づく。
太司がおびえたような目で訊いてくる。
「……ど、どうだった?」
先週、完成品の漫画を読ませてくれたときの太司も、緊張気味に同じことを訊いてきた。でもあのときとは緊張の理由がちがうのが僕にはわかった。
あのときは、自信のある作品が受け入れてもらえるかどうかの不安。
今は、純粋な不安だ。
「……なんか僕の言った通りのキャラと展開になってるんだけど」
「う、うん。須埜原の意見取り入れて、主人公ダサくして、情けなく逃げ回らせて最後に大逆転っていう」
「いや、うん、それはいいんだけど」
ページをざざっとめくってネームの最後の方を太司に見せる。
「ラストバトルのとこ、なんか呪文詠唱とかメギドフレイムダンスとか消えてるんだけど」
太司は引きつった苦笑いを浮かべた。
「ああ、うん、あれはやっぱ痛かったかなって。中二病くさいのはさ、恥ずいし、もっとクールにやった方が、と思って」
僕は昨日の朝にこの教室で巻き起こったメギドフレイムフィーバーを思いだし、暗い気持ちになって天井を仰いだ。
僕の中でもそのとき、メギドフレイムが渦巻いていた。
怒りだ。
かなりのマジ怒りだ。
でもなぁ、と冷めたもう一人の僕がささやく。
ちょっと読ませてもらっただけの無関係な部外者じゃないか。
噛みつく筋合いなんてどこにもない。
本人がこれでいいって思って描いたんだろ。なら、そのままやらせておけばいい。中二病が嫌なのは自然な感情だろ。
僕だって――
僕だって。
あー、だめだ。
無理だ無理だ無理だ。
抑えていられない。
視線を外し、窓の方を向いたまま口を開いた。
「……中二病って、伊集院光が考えた言葉なんだけど。もう元の意味と全然ちがってて。今みんなが『中二病』って呼んでんのは全部『邪気眼』のことなんだ。邪気眼知ってる?」
太司は目をしばたたく。困惑が伝わってくる。知らないらしい。
僕はスマホで『邪気眼』を検索して、読ませてやった。
「大昔、若気の至りの痛い行動を晒そうっていうスレッドですっごい話題になった書き込みが元ネタなんだけど」
ここに抜粋引用する。
『中学の頃カッコいいと思って怪我もして無いのに腕に包帯巻いて、突然腕を押さえて
「っぐわ!…くそ!……また暴れだしやがった……」とか言いながら息を荒げて
「奴等がまた近づいて来たみたいだな……」なんて言ってた
クラスメイトに「何してんの?」と聞かれると「っふ……邪気眼(自分で作った設定で俺の持ってる第三の目)を持たぬ物にはわからんだろう……」と言い(略)柔道の授業で試合してて腕を痛そうに押さえ相手に「が……あ……離れろ……死にたくなかったら早く俺から離れろ!」とかもやった
(略)ヤンキーグループに「邪気眼見せろよ! 邪気眼!」とか言われて(略)腕を痛がる動作で「貴様ら……許さん……」って一瞬何かが取り付いたふりして「っは……し、静まれ……俺の腕よ……怒りを静めろ!」と言って腕を思いっきり押さえてた』
全文を読んだ太司は青ざめ、机に突っ伏して背を丸めた。肥っているのでブレザーの背中が風船みたいになる。
「……なにそれ……わかりすぎる……心臓が苦しい」
「恥ずかしいか?」
「恥ずかしすぎるよ……自分も似たようなことやってたかと思うと……」
「なんでこれダメなのかわかる?」
太司は顔を上げた。困惑が色濃く目に渦巻いている。
「え? いや、だって、……もろ中二じゃん、自分が能力者とか、暴走抑えるとか」
「これさ、もしこいつがほんとうに闇の能力者だったらどう思う?」
「……は?」
「ちゃんとまわりの一般人に迷惑がかからないように避難勧告もしてるし、自分に危害を加えてくるようなやつも殺さないように気遣ってるし、たぶん『奴等』ってのも人類の敵だから戦ってみんなを護ってるわけだし、めっちゃ強くてめっちゃ良いやつだろ」
「いや、でも、あの、……そういう設定ってだけだろ?」
「そうだよ。こいつがダメなのは、かっこつけてるからじゃないんだ。魔法が使えないのに使える振りしてるからだ。でもおまえはちがうだろ。魔法使えるだろ」
太司はぽかんと口を開けたまま固まった。
僕はその間抜け面に追い打ちをかける。
「イケメンも美少女もモンスターも描ける。迫力ある爆発とか血しぶきとかも描ける。コマ割りもできる。設定以上のもんを描ける。それを魔法っていうんだよ」
僕にはできなかったんだ。
挫折したんだよ。
言葉にせずに胸の内でそう付け加える。
「いや、描けても、恥ずかしいのは変わらないっていうか……」
「だから、それでいいって言ってんだよ!」
僕は声を張り上げる。太司はびくっと跳び上がった。
「たしかに邪気眼は恥ずかしいよ。かっこつけてる自称能力者だから世界一恥ずかしい。けど、それでおまえはどうしたかっていうとかっこつけるのをやめたんだ。ちょっと嗤われたからって、呪文詠唱も! 魔力集中の舞も! 全部カットした! かっこつけてない無能力者なんてただの一般人だぞ? そんなん楽しいか?」
僕の圧力に太司はたじろぐ。
「おまえはクリエイターだろ。邪気眼を嗤うな。一般人と同じことしてどうすんだ。かっこつけてて魔法もちゃんと使えるやつが一番かっこいいんだよ! 恥ずかしいのとかっこいいのは矛盾しないの、ヒーローはみんな恥ずかしいもんなんだよ! 逃げんな、ちゃんと魔法使わせてやれ、おまえにはできるんだから! むちゃくちゃかっこよければだれも嗤わないんだよ、感動するのに忙しいからな!」
太司のぷくぷくの全身が波立った――ように見えた。
まん丸の目が大きく見開かれ、僕を凝視している。
思わず背中を向けてしまった。
沈黙と同時に、冷静になった頭に恥ずかしさが堰を切って流れ込んでくる。
やっちまった。
なにイキって演説してんだ僕は? むちゃくちゃ恥ずかしいんだが? 僕こそ無能でかっこつけてる邪気眼そのものなんだが?
いや、しかし、自分でここまで啖呵を切ってしまった以上、恥じ入っているところなんて見せられない。うおおおおおおおお恥ずかしい。でも耐えろ、耐えるんだ。
「……須埜原、いや、あの、……マジで、……ありがとう」
背中に太司の声。
「……いいって。礼は面白い漫画で返してくれ。あと描き直すなら牛飼いちゃんの出番もっと増やして。できればメインヒロインにしてくれ。じゃ」
まだかっこつけるの? と自分で自分を責めつつ、僕は教室の出入り口に足を向けた。
もう限界だった。
ここは僕のクラスだし小一時間ほどで一限目が始まるし他に行く用事なんてないのだけれど、この恥ずかしすぎる場面を締めくくるためにはどうしてもクールに部屋を出ていくというアクションが必要だった。トイレに逃げ込んで個室に鍵をかけて、赤面がおさまるのをゆっくり待とう。
ところが、廊下に出たところで白石と鉢合わせした。
僕が声にならない声をあげて跳び上がったせいで、向こうもびっくりして後ずさる。
え、な、な、なんで白石がいるの?
こんな早い時間に?
しかも今、僕が出てくるのを察してドアから離れようとしてたよね?
まさかそこにずっと立って聞いてたのか? 僕の恥ずかしい邪気眼演説をッ?
「あはは」と白石は照れ笑いし、手に持っていた一枚のA4用紙を僕にみせる。
……太司の漫画の一ページだ。
ちょうど、主人公と牛飼いの娘が別れる場面。
「これ、昨日落っことしてたの見つけて。……こっそり届けようと思ったんだけど」
それでこんなに早い時間に来てたのか。
昨日あんな大騒ぎになったから、クラスメイトたちに見られないように?
「須埜原も邪気眼してたの?」
やっぱ全部聞いてたんじゃねえか!
んごごごごごご恥ずかしい。白石に聞かれるとは。もう今日一日ずっとトイレで過ごしたい。
「……ま、まあ、それなりに嗜む程度には」
わけのわからない返答を残し、とにかくその場を去ろうとした僕に、白石はいきなり指を突きつけてきた。
「地の果てまで追いかけてってお嫁にしてもらうからね!」
そう言われて脳みそが沸騰し心臓がでんぐり返った。
え、な、な、なにっ?
一瞬置いて、漫画の中の牛飼い娘のせりふだということに思い至る。
「この娘いいよね、わたしも王女様より好き!」
そう言って白石は僕の脇を通り抜け、教室に入っていった。
僕は動悸のきつくなってきた胸をおさえ、トイレに向かった。
し、静まれ……俺の胸よ……。
トイレで色々と(白石の顔とか声とか)思い返しながら気持ちが落ち着くのを待っていたら、一限目に遅刻してしまった。