3. ひとのスマホを後ろから覗くな
オーラが視える能力を手に入れてから、自分でも気づかないうちに他の生徒をよく観察するようになった。
二年二組のクラスメイトは全員オーラが視認できる。
他のクラスも、何人かは視える。
一年生のときに同じクラスだったやつはオーラがついている可能性が大きい気がする。また、学期はじめは視えなかったやつも、体育や選択授業などで何度か一緒になる機会があると視えるようになることがあった。
学年がちがうとほとんど視えない。
あるていど僕と距離が近くないと能力が分析するのに必要な情報を吸収できない、とかなのだろうか。
しかし、つくづく気が滅入る能力である。
スクールカーストに関して世間で言われていることが、だいたい当てはまってはいるのだが、それだけではないとわかるのだ。
つまり、体育会系であること、ルックスが平均以上であること、性格が明るいこと、などはたしかに上位層の条件ではあるけれど、必要条件であって十分条件ではないのだ。そして絶対条件でもない。
まず、最上位の聖職者は、超レアケース。
うちのクラスには奇蹟的に男女一人ずついて、どちらも学年はじめのホームルームでほぼ満場一致でクラス委員に選ばれた人望の持ち主だ。
紺野智幸くんは吹奏楽部で二年生ながら指揮者を任されている徳の高そうな好男子。
本郷愛茉音さんは生徒会役員も務めるお淑やかそうな和風才女。
どちらも体育会系という条件には当てはまっていないが他のスペックがものすごいので天上界の住人だ。
実質的なトップ層である貴族は、やはり圧倒的な体育会系優勢社会。
お調子者系の中心人物である河村颯太はバスケ部だし、その相方の長身クール系である及川琉夏(なんでみんな下の名前がデオドラントききまくってんの?)はサッカー部だ。
津田島耕平が二階層特進をキメられたのもハンドボール部所属のおかげだろう。うちの高校は球技系の中ではハンドボールがいちばん実績あるらしいのだ。
でも頂点に君臨する女王である白石麻里紗は例外で、どうやら部活をやっていないらしい。モデルの仕事で忙しいのだとか。
平民にもサッカー部、野球部、陸上部、水泳部などはたくさんいる。面白いトークができるやつもいるし、貴族グループの娘よりも可愛いんじゃないの? という女の子もいなくもない。
でも中層に留まるやつは留まるのだ。
そして、一部の暗そうな文化系クラブ、漫研、文芸部、数学部(とは名ばかりでPCでゲームを作ってる部活)あたりはすべて奴隷に押し込められている――ように見えなくもないのだけれど、これにもちゃんと例外がいて、天上界の本郷愛茉音女史は文芸部なのだ!
所属カーストを決定づける最終的な要因は外形的なものではなく魂レベルで刻み込まれているのではないか、と思わずにはいられない。
死んで転生しなければ変更できない……。
僕?
もちろん帰宅部。
漫研にでも入っておけば、不可触民ではなく最低でも奴隷にはなれていたのだろうか、と思わなくもない。
実際に新入生のときに誘われてちょっと見学しにいったこともある。
でもなあ。
漫画は、描けりゃあ楽しいだろうけど、中学のときに何度か試してみてあっさり挫折したんだよな。何十枚も何百枚もこつこつ描いて上達していくっていう努力が、たぶん僕にはできない。情けないことに。
そして僕の不可触民たるゆえんはきっと魂にしっかり書き込まれているので、無理をして部活に入ったところでなんにも変わりはしないのだ。
* * *
四月半ばの金曜日のことだった。
授業が終わり、先生が出ていくと、教室は一気に騒がしくなる。椅子を引く音が重なり、前の席にいる白石のまわりにはさっそくクシャトリア連中が群がってきて週末の遊びの相談を始める。
「パルコ行く? 新しいバナナわらび餅のお店できたって」
「それ流行ってんの、なぎちゃんの中でだけだよ!」
「ガシャポンランド行きたい」
「ねー新色買いたいんだけど一緒に選んで」
「わたし午後からスタジオ」
「あっ、ついでに見学行っていいっ?」
いつもながらのリア充風圧がものすごいので息苦しくなってきた僕は手早く荷物を鞄に突っ込んで立ち上がった。
白石が振り返ってこっちを見る。
いやいや聞き耳とか立ててないぞ? 勝手に聞こえちゃってるだけだからな?
教室の後ろの戸口で呼び止められた。
漫研の窪井太司が巨体を揺すりながら寄ってくる。
「須埜原、今日ひま?」
「……ひまだけど」
帰宅部にそれを訊くのか。
「ちょっと漫研来てくれよ」
「え? いや、前にも言ったけど僕は部活は――」
「いやそうじゃなくて」
太司はちょいちょいと教室の戸を指さし、出るように僕を促した
「俺が描いた漫画読んでほしいんだよね、須埜原に」
廊下に出たところで太司は小声で言った。
「なんで僕に。漫研の部員がいるだろ」
「いや、なんかさ、うちの部員に読ませてもわかったようなわかってないような反応しかなくてさ。もっとバシッとした意見が聞きたくて」
「僕なんてもっと無理だろ。漫画は好きだけど、読み専だし」
去年いっぱい漫画語りしたから、エキスパートぶりすぎてなんか勘違いさせてしまったか。恥ずかしい。
ところが太司は信じがたいことを言う。
「でも須埜原、小説書いてるだろ」
僕は絶叫しかけ、太司の巨体を大玉転がしみたいにして階段の踊り場まで押していった。
周囲に人の姿がないのを確認してから押し殺した声で訊ねる。
「な、な、なんで知ってんのッ?」
太司は申し訳なさそうに目を泳がせて答える。
「ごめん、あの、こないだ教室でさ、スマホで……『なろう』の作者ページ見てただろ」
見てた――ッ!
見てたわ思いっきり!
新エピソード投稿した日なんてポイントとかPVとか気になりすぎて授業ひとつ終わるたびにチェックしてたわ!
「須埜原、『メタゲーム・ウィザード ~大魔術師戦争に巻き込まれたのでトレーディングカードゲームの知識で世界最強に登り詰める~』の作者だったのな。俺あれ前から読んでたよ」
「なろう小説のタイトルを一字一句違わず諳誦すんなッ! 攻撃呪文だぞそれは!」
作者にだけ防御不能ダメージ!
僕は頭を抱えてのけぞったり身を二つ折りにしたりして悶えた。恥ずかしい。もうだめだ。知られてはいけないことを知られてしまった。こいつを殺して僕も死ぬしかないか。
「くそ、脅しか? なにが目的だ、口止め料か?」
「いや、だから漫画読んでくれ」
「漫画読まなきゃ社会的に破滅させるってのか? そんな理不尽な要求を――」
あれ?
「――呑んでもいいかべつに。漫画読むだけかよ?」
「だからさっきからそう言ってるだろ!」
弱小文化部である漫研には部室なんて上等なものはなく、第二コンピュータ室を数学部や自習生たちと分け合って使っていた。高性能PCやタブレットが作画に必要だからだという。
放課後のコンピュータ室にはどんよりしたシュードラの黒オーラが充満していた。後ろの方の席に数学部と漫研が固まってたむろしているからだ。
普段は虐げられている下層民たちも、こうして教室の外で固まって多数派を形成するとそれなりの圧力を出すようになるらしく、闖入してきた最下層民の僕に向ける視線がなんだか偉そうに感じられる。
いや、僕は呼ばれてついてきただけでね?
用が済んだらさっさと出ていきますからね?
なにも言われていないのに胸の内で言い訳する。
太司はプリントアウトの束を持ってきてくれた。
「紙の方が読みやすいだろ」
「ああ、うん」
受け取り、もう一度まわりを見渡す。
「……ちょっと、外で読んでくるわ」
「えっなんで。ここでいいだろ」
視線が気になるんだよ。あと作者の目の前で読むとかお互いに気まずいだろうが! おまえは気にしないのかよ?
廊下のロッカーの陰に隠れて、五十ページ超の大作読み切りをまず一回ざっと読み、二回目は一コマ一コマゆっくりじっくり見た。
王道なファンタジーバトル漫画だ。
若き天才魔道士が強大な敵から付け狙われながらも国中を回って人々を助け、避難勧告を出し、最後に王城まで追い詰められたところで大規模魔術で一発逆転。王国を滅亡の危機から救う。もちろん王女ともちょっと良い雰囲気になる。
束をそろえ直してからコンピュータ室に戻る。
「……どうだった」
太司はいくぶん緊張気味に訊いてくる。
「いや、うん、……面白かったよ」
微妙な顔をされた。
そういう気を遣った感じのは求めてないってか? こっちだって作者に面と向かってなんか言うなんてはじめてなんだからちょっと考えをまとめさせろよ!
「……まず、あの、絵上手いな。いやもう普通に」
「そ、そうか?」
今度は太司ちょっとうれしそう。絵はそれなりに自信があるんだろう。
「最後、国中回ってたのが実は超巨大な魔法陣を描いてたっていう見開きは迫力あった」
「ああ、うん、あそこな!」
太司は声を弾ませた。
「あれはめっちゃ時間かかった。構図とか何回もやり直して」
「呪文詠唱んとこもすごい凝ってた」
「あ、あれね、あはははははは、ああいうのさぁ、入れたくなっちゃうよね、つい」
太司はめちゃくちゃ照れくさそうに笑う。
『顕現せよ滅びの業火! 終焉獄焔!』みたいなのを四ページもかけて色んなエフェクトとかポージングとかを駆使して描き込んであった。
正直たいへんこそばゆかったが、僕もそういうのは大好物である。
「あと王女も可愛いけど途中で出てくる牛飼いの娘がめっちゃ可愛いね。『地の果てまで追いかけてってお嫁にしてもらうからね!』のコマがベストショット」
「あれほんと自分でもいい出来で、あそこだけtwitterにあげたらめっちゃふぁぼられてさ」
太司、にっこにこだった。
しかし。
僕は声を落として続ける。
「だけど、うーん……ええと……」
これ言っていいのかな?
本人的に絶対譲れないポイントかもしれないし。
まあいいや。しょせん他人の作品だ。
「これ主人公かっこよすぎない?」
「え。だめか」
「だめっていうか。あのさ、これ敵を播きながら国中人助けして回ってるじゃん」
「勇気があって優しいやつだから」
「それより――ていうか僕なら、もっと情けないやつにして、普通に敵を怖がって逃げ回るとか行く先々で女の子にちょっかい出すとかそういうダメ人間にする」
「え、え、なんで?」
「その方が『実は魔法陣描いてました』のクライマックスが盛り上がる。ギャップで呪文詠唱とかもさらにかっこよく見えるんじゃないかって……」
「おおおおおお。なるほどぉ」
太司は自分の漫画と僕の顔を何度も見比べてうなずく。
「そういうの自分じゃ気づかないなあ」
「俺たちも気づかなかった」
「さすがだわ」
「文豪はちがうな」
「なんで漫研みんな集まって聞いてんだよッ?」
いつの間にか全員で僕を囲んでいたのであわてて立ち上がった。
「じゃあッ! 口止め料は払ったからな! 絶対だれにも言うなよ!」
念押ししてコンピュータ室を逃げ出した。
* * *
翌週月曜日、登校してみると大事件が起きていた。
「――やべえよこれ。『げんげんせよ滅びの業火! メギドフレイム!』」
「げんげんじゃないだろ。顕現。国語0点か」
「絵上手すぎて引く」
「このポーズ体育の創作ダンスで使いたいんだけど」
「俺メギドやるわ。おまえフレイム」
「はいメギド!」「からの~フレイム!」
「やべえわ腰も痛いし心も痛いわ痛すぎる」
「中二すぎて尻からメギドフレイム出そうなんだけど」
クシャトリア男子の河村を中心に、平民も入り交じって、みんなで教室窓際に集まって盛り上がっている。
太司の机だ。
なにをやっているのか、すぐにわかった。あの読み切り漫画を回し読みしているのだ。
手から手へ雑に渡されていくせいで何枚かが床に落ちるが、げらげら笑いながら作中の詠唱ポーズを真似しようとしている男子どもは気づいていない。
なぜみんながあの漫画を読んでるの?
太司の机から勝手に見つけ出したのか?
ひどすぎる。ていうか太司は? まだ教室には来ていないみたいだけど。
クラスメイトが続々と登校してきて、騒ぎは拡大する。
漫画は女子の手にも回され始める。
「漫研ってちゃんと漫画描いてたんだ」
「ああーこういうの好きそう」
「中二病? っていうの? こういうやつ」
男子ほど浮かれていないだけに反応がいっそうシビアだった。
僕の作品ではないけれど、いたたまれなくなってくる。
なんか白石まで読んでるんだけど? しかもめっちゃ真剣そうに。やめてやれ。そっとしといてやれ。
太司、まだ来てないのか?
早く来ないと傷口が広がるばかりだぞ?
というか僕が上位層どもの中に割って入って漫画を奪い返せばよかったのだけれど、そんな勇気は出せなかった。
太司は教室に来ていないわけではなかった。
一時限目のチャイムが鳴って教師が戸口に現れたときにそれが判明した。
「あれ、窪井、なにしてんだ中に入れ。授業始めるぞ」
あまりの事態に、びびって廊下で息を潜めていただけだったのである。