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2. ジャンプを教室中でシェアするのは小学生までにしろ

 二年生に進級しても、あいかわらず登校してすぐ保健室に立ち寄る癖は抜けなかった。教室に行ってクラスメイトたちの視線にさらされる心構えができていないのだ。


 そんな僕のために小春先生は講義の続きをしてくれる。


「カーストは、基本的には死ぬまで変わらないんだ」


「え、一生?」


「そう。奴隷に生まれたら一生奴隷、貴族に生まれたら一生貴族」


「それじゃなんの救いもないじゃないですか」


「そんなことはないよ。来世があるからね。今世で功徳を積んで頑張れば来世では上位カーストに転生できる」


「来世……? 死んだ後とかどうでもいいっていうか、インドの人たちそんなのマジで信じてるんですか」


「信じてる人もまだ大勢いるらしいけどね。スクールカーストも同じ」


「同じってなにが」


「転生しなきゃ変わらないってこと。ただし人生とちがって、死ななくても転生のチャンスがあるの。人間関係がリセットされればいい。いちばんよくあるのは進学だね。高校デビュー、大学デビューってあるでしょ。あれは上位カーストに転生したってこと。それからこの学校は二年生に上がるときに文理選択といっしょにクラス替えがあるでしょ。そこでも転生する子が少しはいる。須埜原くんのクラスのクシャトリアにも、何人か元ヴァイシャや元シュードラがいるはずだよ」


「ああ、言われてみれば」


「そういう人たちを見てれば須埜原くんも希望が持てるはず」


 教室に行き、一限目が始まるまでの間に注意深く教室を観察してみた。


 一年生のときに僕と同じクラスだったやつらが五、六人いる。女子とはまるで接点がなかったので名前もすぐに思い出せないが、男子はなんとか名前と顔が一致する。

 中でも、津田島君はそこそこ喋る仲だった。いくつか好きな漫画が共通していたからだ。


 その津田島君、今はクシャトリアグループの一員として黄色オーラをなびかせて教室中央でジョークを飛ばしてクシャトリア女子をけたけた笑わせている。僕の知っている一年生時の彼は地味な黒髪だったはずなのに今じゃオレンジがかった茶髪にしてるし。うまいこと功徳を積んで転生したんだな……。


 一方の僕は小中高とぶっ続けで最下層をひた走ってきた。津田島君、もう僕に話しかけちゃだめだぞ。陽のあたる世界で生きていってくれ。


 成功者を観察したところでなんの希望も持てない。功徳の積み方なんてわからんし。


 ところが昼休み、僕が鞄をあさって午後の授業のテキストを探していると、津田島君が寄ってきた。


「須埜原ぁ、ジャンプ買ってある? 同じクラスで助かったよ、今年もシェアしようぜ」


 僕は首をすくめた。


 一年生の時は、僕がジャンプ、津田島君がサンデーを買ってお互い融通していた。小遣いの節約になってたいへん助かっていたのだけれど、今や彼はクシャトリアだ。僕みたいな汚れた不可触民と喋っているところを見られたら貴族階層から追放されるかもしれない。背中の黄色オーラも心なしかオレンジがかって黒ずんできているように見えるし。


 しかし完全無視も感じが悪い。


「……ああ、うん、月曜だし」


 曖昧に答える僕。

 そこに乱入してくるやつがいた。


「ジャンプ? 須埜原ジャンプ買ってきたのっ?」


 白石だった。振り返られるだけでまぶしい。おまえも僕なんかに話しかけるなよ。クシャトリアの女王だろ。下克上されるぞ。


「わたし、お兄ちゃんにいつも借りて読むんだけど、毎回ネタバレしながら渡してくるんだよね! 『今週五条先生負けたよ』とかさ! ひどくない?」


 それはひどい。『今週もH×H休載だったよ』とかネタバレされたら――いやそれはべつに腹立たないな。


「だから借りてもいい? お兄ちゃんより先に読むの」


 ええ……なんで僕に頼みにくるんだ……ってジャンプ持ってるからか。用があるのは僕じゃなくてジャンプ。ちょうど鞄から雑誌の角っこがはみ出ていて、今日は買ってきてない、なんて嘘をついて逃げるわけにもいかなくなった。


「……まあ、いいけど」


 なるべく素っ気なく言って、白石の方を見ないようにしながら雑誌を鞄から引っこ抜いて渡した。

 津田島君が不満げに言う。


「え、俺が借りようとしたのに」


「あ、わたしちょっとしか読まないから。横から読んでていいよ」


 は?

 二人で並んで漫画読むわけ?

 アンタッチャブルの僕からせしめた雑誌でクシャトリア男女が親睦を深めるわけ?

 いやいいですよべつに。いらついてなんていませんよ。


 鞄を閉めようとして様子がおかしいのに気づく。

 白石が開いた雑誌を握りしめたまま真っ赤になって固まっている。


「須埜原、あのっ、こ、これっ……?」


 白石の声がうわずる。


 なんだ? ジャンプにそんな変な漫画が載っていたか?

 って――


「わあああああああっ」


 僕は白石の手からあわてて雑誌を引ったくった。

 週刊少年ジャンプと非常によく似たロゴデザインの『月刊美少女ジャンヌ』だった!

 そうだ、昨日の帰りに買って鞄に入れっぱなしだったんだ。

『月刊美少女ジャンヌ』は勇ましい女騎士が敵軍に捕らえられてピンチに陥る漫画専門のとってもニッチな雑誌で、まあ、ええとその、連載作品のどれも少女キャラ比率が高く、衣服の布面積が小さく、赤面シーンが多い。


「ジャンプはこっち! 間違った!」


 鞄の奥から正しい方を引っぱり出して白石の腕に押しつけ、わめくように言った。


「……須埜原、エロ漫画は18歳からだろ……」


 脇からクラス委員の紺野君(バラモン)が言ってくる。僕は声を荒らげた。


「エロ漫画じゃないから! 『ジャンヌ』は全年齢の健全な雑誌だから! 看板作品の『スカート短し脱がせよ乙女』なんて衣服がダメージを吸収して破ける代わりに着用者の肉体を損傷から守るという綿密な設定が用意されていてそれを利用したテクニカルな戦闘も――」


「さすが村上春樹読んでるだけある」


「エロの語り方が素人じゃねえな……」


 クラスじゅうにひそひそ声が伝播していく。

 だから! エロじゃないの! あと村上春樹への風評被害ひどくない? 今年もノーベル文学賞を逃したら僕のせいだ。


「あ、あの、ごめんね須埜原」

 白石が神妙そうな顔で言う。

「表紙とかちょっとめくったページ見ただけで決めつけて……びっくりしちゃって、でも、その、ええと、ちゃんと読む」


 ちゃんと読まなくていいから! 表紙とか見開き一枚とか見てすぐにわかるそういう雑誌ですからフォロー要らないです!


「いや、あの、はい、ジャンプ、どうぞ。読み終わったら机に置いといて」


「……そう?」


 背後のオーラがまばゆい黄金色に輝くほどの笑顔になる。


「ありがと須埜原」


 いかん。直視できない。

 僕は弁当を抱えて自分の机から逃げ出した。たちまち僕のささやかな領土はクシャトリアたちに占拠される。僕の椅子に座ったのが葉山さんで僕の机を椅子代わりにしているのが渡良瀬さんだっけ。僕の尻や胸や手のひらや頬が触れる部分に、今は見目麗しいクシャトリア女子のスカートの尻が……いやいや気持ち悪いこと考えるのやめろ。自分で自分をぶん殴りたい。


「まりさぽ、ジャンプなんて読むんだ」


「ワンピってまだ続いてるの?」


「なに読むの、鬼滅?」


「あれもう終わったんでしょ?」


「あ、わたしがジャンプで読んでるのは二つだけ、真っ先に読むのは――」


 白石の声に僕は足を止めた。

 連中に気取られないようにとさりげなく教室の後ろの方に身を潜めて耳をそばだてる。


 どういう漫画が好みなのか、知りたかったのだ。

 純粋に好奇心で、ですよ?


「いっつも最後に載ってるからすぐ見つけられるんだよね。『強引・愚昧・ウェイ!』っていう漫画。おばかなヤンキーがウェイウェイ騒いでるだけなんだけどめっちゃ面白くて」


 僕は思わず天井を仰いだ。


 白石、おまえ、その漫画は――


「なにこれウケる」


「ギャグ全然笑えないのが逆にジワる」


 葉山さんと渡良瀬さんが白石の肩越しにジャンプをのぞき込んで笑っている。


 ページをめくる白石の手が、突然凍り付いた。


「なにこれ」


「最終回だって」


 その漫画は今週で打ち切りなんだよ白石……。


 けらけら笑っている葉山・渡良瀬コンビに挟まれて白石は割と本気で泣きそうな顔をしていた。

 そんなに愛読してたのか。

 いや、僕も割と好きで単行本まで買ったけど、どう見ても打ち切りフラグびんびんだっただろ。連載第五回からほとんどずっと巻末だったんだぞ。


「今週からいきなり恋バナ始まってるのに」


「『二人の恋の行方はどうなる?』で完結してんだけどまじウケる」


 葉山さん渡良瀬さん、やめてくれ。そっとしといてやってくれ。白石ぷるぷるしてるぞ。


 そこに男子クシャトリアどもが追い打ちをかけてくる。


「白石知らなかったの。ジャンプは人気がないやつほど後ろに載るんだよ」


 普通に解説する津田島君はまだましだが。


「こんなんジャンプに載ってたんだ。なにこれ全ページくだらなすぎてやべえ。ある意味笑えるわ。これは打ち切りもしゃあないだろぉ」


 おいバスケ部爽やかイケメン河村ァ! 最初から読んでもいないのに打ち切り漫画を笑うんじゃねえ! 打ち切りを馬鹿にする資格があるのは全部読んだやつだけだ! 最初はもっとひどかったんだからな!


「う、うん、あはは、もうちょっと続き読みたかったね?」


 わざとらしく軽い声でそう言う白石はめっちゃ作り笑いだった。

 見ていられない。なにか慰めになるようなことを言ってやりたいが僕なんかがしゃしゃり出ていく筋合いもないし……。


 そこで視界の端に黒いオーラの気配を感じる。


 すぐそばの席にいたのは、一年生のときも同じクラスだった窪井。

 体重九十キロオーバーの肥満体なのでみんなから下の名前の『太司』で呼ばれていた。

 漫画研究部所属の、絵に描いたようなシュードラだ。漫画の話題でまあまあ喋ったことがある。

 これは使える!


「窪井、あのさ、『強引・愚昧・ウェイ!』の一巻買った?」


 わざとらしく白石に聞こえるくらいの張った声で訊ねた。


「……は?」


 いきなり訊かれて窪井は目を白黒させている。無理もない。しかし頼むから話を合わせてくれ。空気を読んでくれ! 読めない僕が頼むのもあれだけど!


「あれさあページ少なめのギャグ漫画だから巻末のおまけがすごくて二十ページ以上あって、ジャンプ載ってるとき端折られちゃった夏休みの話が全部載っててさあ」


「……ああ、うん、そうなの? いや、俺はあれはべつに」


「そんでさあ!」

 いっそう声を張り上げて窪井の返事を遮る。

「今週で完結だから二巻収録は八話分じゃん? またかなりページ余るから、絶対めっちゃ加筆するだろ。最終回の後の話も全部描いてくれると思うんだよね」


「あー、うん、最近そういうパターン多いね。アプリに移って続きとか」


「そうそう! 良い時代になったよな」

 いいぞ窪井氏! ナイスな合いの手!

「今は打ち切りっつってもぜんぜん希望あるよな!」


 よし、ごくごく自然な感じでフォローできたはず。


 白石の様子はどうだろう?

 ちょっとは元気を取り戻してくれただろうか?

 肩越しにチラ見すると、笑顔だ。よかった。笑ってる。

 ……ジャンプの中程のページを開いて、口を開けて笑っている。


「今週もロボコ面白いなぁ」


 ロボコ読んで笑ってたのかよ!

 いやロボコは面白いですけどっ? 僕の努力はなんだったんだよッ? ありがとうなロボコ!



 いつものように校舎端の非常階段の陰でひとり弁当を食べ終えてから二年二組の教室に戻ってくると、ちょうど廊下に出てきた白石と鉢合わせした。


「あっ須埜原ありがと! ジャンプ、今は河村が読んでるから」


「……お、おぅ」


 いきなり当たり前みたいに話しかけられたので変な反応になってしまった。


「あと、二巻買ったら貸してね!」


 そう言い残して白石は黄金オーラをなびかせ廊下の向こうへと走り去ってしまった。僕はもう心臓が耳の穴から出てくるんじゃないかと思うくらいびっくりしていた。


 僕のさっきの会話、一応は聞こえてたのか。


 聞かせるためにでかい声で喋ってたとはいえ実際聞かれてたってわかるとそれはそれで恥ずかしい。


 二巻? 貸すの?

 いや漫画の貸し借りくらいクラスメイトとしては普通のやりとりだろ?

 うん。落ち着け。なんてことない。いくらでも貸してやる。


 何度も深呼吸してからようやく教室の戸をくぐる。


 そこではたと足を止めた。

 いやおまえも買えよ? そんなんだから打ち切られるんだよ! 作者を銭で応援しろ!

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