1. クラスでの自己紹介タイムってこの世から消えてほしい
スクールカースト、という言葉も最近すっかり普及してしまった。
学校のクラスは厳しい階級社会であり、明るくて社交的なやつとかスポーツが得意なやつとかルックスが良いやつらは上層でウェイウェイと学校生活を楽しみ、暗くてぱっとしないやつらは下層に押し込められて虐げられ、這い上がることはまずできない……。
学者も評論家も平気でこの言葉を使うようになったし、なんか辞書にも載ってる。
でも、みんな知らない。僕以外だれも知らない。
スクールカーストはマジでカーストなのだ。
そんなのわかってるって?
いやいや、わかってない。ほんとにカーストなんだということ。
だからそんなの重々承知だって?
いやいやいや、そういう意味じゃなくて――
* * *
それが視えるようになったのは、高校二年の四月、一学期の始業式だった。
体育館で整列する生徒たち一人一人の頭の上に、なにか光の環のようなものがもやもやと浮かんでいるのだ。
白、黄色、赤、と色とりどりで、形もアメーバみたいに不定形の触手を伸ばしていたり羽のようなものが広がっていたり丸鋸みたいに回っていたりと様々。
全校生徒にその光の環がついているわけではなく、三年生の先輩たちにはごくまばらに見受けられるだけ。同じ二年生でもついているやつといないやつがいる。
僕と同じ列に並んでいる二年二組のクラスメイトたちには全員ついていた。
なにこれ……。
何度も目をこすったり手の腹でまぶたを押してみたりしたけれど、変わらなかった。
目がおかしくなったのか、あるいは頭がおかしくなったのか。
始業式が終わってすぐ保健室に逃げ込んだ。
「二年生になったのに初日から保健室? 須埜原くんはほんとにもう、しかたないなあ」
小春先生はあきれてそう言うけれど、笑顔で迎え入れてくれる。
クラスにまったくなじめなかったせいで一年生の学校生活のおよそ三分の一を保健室で過ごした僕だったけれど、タイトスカートに巨乳強調のニットブラウスに白衣というたいへん目の保養になる小春先生のおかげでなんとか不登校児にならずに済んだのだった。
しかし今日はほんとうの意味で目の保養が必要だった。
「なんか、目がおかしいんです。変なものが見えて」
体育館で見た光の環について説明すると小春先生はしたり顔でうなずいた。
「それはカーストだね」
「……は?」
「おめでとう須埜原くん。きみはスクールカーストを可視化する能力を手に入れたんだよ!」
小春先生はわざわざ二年二組までついてきて説明してくれた。僕と一緒に戸口からこっそり教室内をのぞく。
「同じ色どうしで固まってるでしょ?」
先生は教室内で三々五々固まってだべっているクラスメイトたちを指さして言う。
なるほど。黄色の光を持つやつは黄色どうし、赤は赤、黒は黒でグループをつくっている。
さらには男子と女子でももちろん分かれているのだが、黄色だけは男女グループが隣接していていくらか交流が成立しているように見える。
「いちばん多い色は?」
「赤……ですかね。半分くらい赤です」
「うん。赤は《ヴァイシャ》だ。いわゆる《平民》だね」
は?
なんか変な単語出てきたぞ?
「顔が普通っぽい子たちでしょう。成績も普通、人望も普通。上に憧れながらもその他大勢として人生を送る多数派だ。じゃあ、黒いのはどのあたりの子たち?」
「黒は……あのへんとあのへんに固まってます」
黒板近くの女子の一群と、教室後部の窓際にいる男子の一群を指さす。
しょっている環が黒いからというのもあるかもしれないが、全体的に雰囲気がどんよりしていて、眼鏡率、痩せ率、肥満率が高く、会話している感じもなんだかおどおどしている。
「黒は《シュードラ》。下層民、《奴隷》だね」
「えっ、ど、ど」
「虐げられた陰キャ。もう浮上の望みもなく、陰キャどうしで固まって独自の社会をつくる。周囲からはキモがられる」
「ちょっ、言い方っ、ていうかなんですかその平民とか奴隷とか」
小春先生は首を傾げた。
「だから、カーストだよ。インドの身分制度。社会科で習わなかった?」
「習った気はしますけど、え? それがどういう関係が」
「スクールカーストってのはほんとうにカースト制度なの。四段階の厳然とした階級社会。各階層はしっかり区別されてて、ちがう階層の人間どうしはほとんど交流がない。上から下へのコンタクトはともかく、下から上はNG。ましてや身分違いの恋愛とかもう重罪」
「えええええええええ……」
スクールカーストって、なんかの例え話じゃなかったのか……。
「白い光持ってる子はいる?」
「あー……いますね。二人だけ」
女子と男子に一人ずつ。
グループのつくりようがないので、どちらも黄色の一団にまぎれてはいるが、どことなく品良く周囲から浮いている。
「二人もいるなんて珍しい。白は《バラモン》、最上位の《聖職者》だよ。優等生かつ人望ありまくるタイプの陽キャだね。かなりレアだから、いないクラスも多いんだけど」
「はあ」
「そんで黄色が《クシャトリア》。上位層の《貴族》。顔が良かったりコミュ力高かったり体育会系で活躍してたりする陽キャの群れだね」
ああ、なるほど、いかにもそんな感じだ。
教室の真ん中あたりをどどどんと占領して、他人の机にも平気で腰掛けて明るい声で談笑している。
クラス替え直後の新学年だというのにもう男女の交流が発生してるのもそれっぽい。女子の顔面レベルも平均的に高い。
クシャトリアの中でも飛び抜けてものすごい派手な光の環を持っている女がいた。
黄色というよりもはや黄金色だ。髪を染めている女子ばかりのクシャトリア集団の中にあって艶やかな長い黒髪はひときわ目を惹く。
僕でも名前を知っている。
白石麻里紗。
なんか中学生時代から読者モデルとして有名だったとかで、ことあるごとに写真を撮られてる。
今も赤いオーラを漂わせた平民連中がちらちらと白石を意識しつつ話しかけるには気後れしているという雰囲気がありありと伝わってくる。
スクールカーストの女王!
と、僕があまりにガン見していたのに気づいたのか白石がこっちを見た。僕はびっくりして廊下に後ずさって隠れた。
危ない、目が合うところだった。キモい覗き野郎だと思われても困る。
背後で小春先生がくすくす笑っている。他人事だと思って!
「……ところで先生、僕は――ええと、どこの階層……?」
一応訊いてみた。どうせ奴隷だろうとは思いつつも。
ところが小春先生は、廊下の窓ガラスを指さして言う。
「映して見てみれば?」
窓ガラスに映った僕自身の後頭部のあたりには、うすぼんやりした透明の環が浮いていた。
他のだれのとも似ていない。
色は――無い。
「何色だった?」
「……透明、ですね……」
「おお。須埜原くんは無色か。カースト外、《ダリット》だね。《不可触民》ともいう」
アンタッチャブル?
触れられざる者か。
なんかかっこいいな?
カースト外、つまり身分制度など超越しているというわけか。なるほどな! うんうん、僕はそういうつまらんものには縛られない――
「奴隷のさらに下、穢れ扱いされて忌避される最下層民だよ」
僕はがっくりうなだれてうずくまった。
チャイムが鳴る。
えんがちょ最下層民にとって厳しいイベントが、学年はじめだというのにさっそくやってくる。
クラスでの自己紹介だ。
クラス分け直後なので席順は出席番号順で、12番・須埜原(僕)は11番・白石の後ろの席だった。黄金オーラが真剣にまぶしくて目障り。なんなんだこの能力は。要らなすぎる。
白石が女王で僕が最下層民? そんなん普通に見てわかるわ!
どうせ特殊能力が備わるならもっとこう、テロリストが学校を占拠したときに役立つようなやつにしてほしかった。いじめられっ子だった中学時代から、僕はテロリスト集団が学校を襲撃してきたときの脳内シミュレートを何度も何度も抜かりなく重ねてきたのだ。
校庭に軍用ヘリが降り立つ。
迷彩服にアサルトライフルの屈強な男たちが何人も校舎に乗り込んできて、イキって楯突いた体育教師が真っ先に射殺される。
非常階段裏で授業をさぼって駄弁っていたいじめっ子たちが次に皆殺しにされる。
僕の教室にもテロリストがやってきて、白石を含む女子生徒数人を人質として体育館に連れていく。あっごめん白石、危険な役回りを押しつけてしまって。でもやっぱり可愛い女の子が人質になってないと救出に向かうときにテンションが上がらないし。しかし粗暴な男どもに拉致されると貞操の危機が……大丈夫、なんかされる前に僕が救けるから!
こっそり教室を抜け出して体育館に侵入し、テロリストに発見されて銃を突きつけられたところで特殊能力発動!
スクールカースト可視化!
「そこの見張り役のあなた、黒オーラですね。奴隷だ。テロリストになってまで最下層の使いっ走りですか。しかもあっちにいるリーダーは赤、たかが平民ですよ。あんなんに顎で使われて悔しくないんですか」
僕が撃ち殺される。
……ほんとなんの役にも立たない!
脳内シミュレートをしている間にも自己紹介は出席番号順に着々と進行していた。
背の高いがっちりしたイケメンマッチョが最後列の席で立ち上がって言う。ばりばり黄色オーラのクシャトリアだ。
「河村颯太です。バスケ部です。今年の目標はインターハイと、あと去年他校生の彼女と別れちゃったんで同じ学校で彼女つくることです」
笑い声が起きる。
なにが面白いんだ。平民以下があんなこと言ったら教室じゅう冷え冷えになるぞ。
その後も一人ずつ自分の席で立ち上がり、名前、所属するクラブ、趣味とかやりたいことなどを語っていく。
黄色い貴族連中は自信満々で教室の笑いを誘い、赤い平民たちは当たり障りのないことを言って周囲も無反応、黒い奴隷たちはうつむいてもそもそ喋っていてほとんど聴き取れなかった。
この自己紹介ってやつ、日本中から消えてなくなってほしい……。
自分の順番がじりじり近づいてくるのに怯えながら僕は祈った。
クラスメイトの名前とか部活とか興味ないし、僕のこともべつに知ってほしくないし。やる意義がわからない。頭が痛いふりをして半日くらい保健室で寝てるべきだった。
前の席の白石が立ち上がった。
「白石麻里紗です!」
元気よく弾む声。
「帰宅部です! ほんとは料理部とか入りたかったんだけどしょっちゅう撮影あるし難しくて、食べる専でよかったら入りたいんだけど、えっと、趣味? 趣味はラーメン! ラーメン屋さん巡りです。将来の夢もラーメン屋さんです」
教室中に曰く言いがたい空気が流れた。
もうちょっとカースト頂点っぽいこと喋ってくれないの? みたいな。
「まりさぽ、もうちょっと他に言うことないのぉ」
クシャトリア仲間の女子が笑いながら野次った。
「なんか面白いこと言えって白石!」
クシャトリア男子河村も乗っかってくる。
出た、陽キャ特有の『面白いこと言え圧力』。ときにはいじめよりもきつい『いじり』だ。
たぶんクラス分け直後で中層以下のクラスメイトの中にいじり対象をまだ見定めていないからだろう。ひとまず自分たちの中からいじろうというのだ。貴族階層、なんて恐ろしい。ひょっとして白石も女王と担がれているけれどひそかに嫉妬を集めてたりするのか? グループ内でもここまでルックスや知名度が突出していると叩かれるのもありそうな話だ。怖い。
「面白い話、ええと」
白石が焦っているのが後ろ姿でもわかる。
「じゃあ謎かけします! ラーメンとかけまして、ううん、えっと」
しどろもどろになる白石。
そういうのは考えついてから言え! 微妙な空気になってきただろうが!
と、白石はいきなり僕の方を振り向いた。
「ラーメンとかけましてっ?」
僕はぎょっとして椅子からずり落ちそうになる。なんで僕に振るんだよっ?
でも白石のすがりつくような視線に捕まってしまい、脳味噌をオーバーヒートさせる。
「……婚約から結婚までの期間と解きます」
「その心はっ?」
「冷めると延びる」
「うまいっ」
白石は僕の机をばんばんたたいてはしゃいだ。
自分で言うのもなんだがそんなにうまいか? なんか教室じゅう拍手が起きてるけどおまえらバカなのか?
やりきったみたいな雰囲気で白石が席に着くので僕に視線が集まる。
おい、この流れを引き継がせるのやめてくれないだろうか。
首をすくめておそるおそる立ち上がる。
「須埜原です。……部活は入ってないです。……趣味は……読書、とかで」
趣味の話になったら必ず読書と答えることにしていた。さらには、どんな本を読むのかと訊かれたときのためにウンベルト・エーコとトーマス・マンとガルシア・マルケスをそれぞれ一冊ずつ読んである。もちろん内容はさっぱり理解できなかったけど頭良さそうに見せられるしそれ以上深くつっこまれずに済むからな!
「どんな本好きなの?」
白石が――こっちを向いて興味津々の目で訊いてきた。
え、ほんとに訊いてくるやついるの?
しかもそんな、意地悪とか冗談とかじゃなくほんとうにただ知りたがってる感じの目で?
用意していた嘘は頭の中からすっ飛んでいた。
まずい。なんか答えないと。
嘘じゃなくて、ちゃんと読んで楽しめた本の中で……なるべく頭良さそうに見えるやつ……
「……む、村上春樹とか」
教室じゅうがざわめいた。
「え、そんなえろいの読むの」
「性欲強すぎでしょ……」
「どんなイメージだよ村上春樹! 言うほどセックスしないからねっ? 一冊平均2.5回くらいだからねっ?」
目の前で白石が真っ赤な顔になったので僕は自分の失敗に気づいた。脳内でつっこむつもりが声に出してたあああああッ!