第19話 よく晴れた日、駅前で
--如月桂花。
199○年4月1日、東京都産まれ。
両親は医者で、彼女は15歳の夏に父親が祖父の病院を継ぐために父親の地元のこの北桜路市にやってきた。
幼い頃に両親が離婚し、父子家庭で育ったが彼女は周りに優しくいつも笑っている素直な子で、同時に幼少期からあらゆる物事に対して才能を開花させる。
幼い頃から秀才で、東京のバレエ団に10歳まで所属し、ジュニアクラスのプリマにまで選ばれ将来を期待されていた。
しかし突然バレエ団を抜けてその後ピアノ、バイオリン、フルートと音楽関係の習い事に熱心に取り組み、バイオリンに至ってはコンクールで優勝する程の才能を見せつけた。
数々の結果を残しながらも並行してスポーツクラブに複数所属し、重複する習い事で限られた練習時間の中、他の選手を圧倒する成果を残している。
小学校、中学校共に周囲から成績優秀の優等生として扱われ、中学校では生徒会長。学校主催の英語スピーチ大会でも優勝、ボランティア活動にも意欲的に取り組むというまさに絵に描いたような秀才だった。
15歳で桜区に移り住んでからも、入学した愛染高校では成績もトップクラスで、生徒会に所属し学校の催しものや郊外活動にも積極的。
将来は父親と同じ医者を志すなど、文武両道才色兼備の、非の打ち所のない天才だった。
--望月海斗。
199○年11月7日産まれ。
北桜路市港中央区出身で、小さい頃は周りの子供たちに慕われ、いじめられている子を庇ったりなどいわゆるガキ大将的存在だったという。
小学校でも比較的優等生で、勉強もスポーツも意欲的に取り組んでいた。学校から帰ったら両親の営む雑貨屋の手伝いをして、店の周りにはそんな彼に会いに子供たちが集まってくる…そんな子供だったようだ。
彼の素行が悪くなりだしたのは中学2年からで、悪い先輩達との付き合いで飲酒や喫煙行為を行うようになり、次第に学校も休みがちになっていった。
それでも地頭は良かったようで、地元でも進学校の愛染高校に合格。しかし高校生になってから素行はさらに悪化し、2年に上がる頃には度々遅刻、無断欠席を繰り返し進級も危ぶまれる状況だった。
地元の不良の先輩達が町を出てからは同年代のリーダー格になり、不良仲間を引き連れて町を練り歩く姿がよく目撃されていたとか…
藤城が残していってくれた資料を読みながら俺は二人の姿を思い返していた。
写真の向こうの二人は並べると明らかに空気が違う。住む世界の違う、とても接点があるとは思えない二人…
この二人と、俺との接点というと、またさらに分からなかった。
「……なにか思い出せそう?」
店の裏で煙を吐き出す俺の後ろで白鳥が写真を覗き込んでいた。
「……いや。」
「気になりますか?」
白鳥は後ろから如月桂花の写真を奪い取って、まじまじと彼女の顔を眺める。
「美人ですもんねぇ…」
「嫉妬とかするんだ。でも故人に嫉妬しても仕方ないよ?」
「憐ちゃんも死人に想いを馳せても仕方ないですよ?」
「そんなんじゃないって。」
俺は写真を奪い返して再び彼女の顔を見つめる。
--周りに優しくいつも笑っている素直な子。
犬山の語った『悪魔』という呼び方には、とても似つかわしくない。ただ、それが一層不気味さを醸してた。
藤城の口から彼女の名前が出た瞬間、確信していた。
犬山の話は事実で、俺と彼女の間には接点があったんだ。それも、あまり良くない……
やはり、俺は放火事件に関わっているのかもしれない。
そうなってくると、那雪菜月とはどういう繋がりがあったんだろう……
まだ不明瞭な彼らの人物像…そこから繋がる相関図の線はまだはっきりせずに、彼らのことを知れば知る程、その関係性、接点が見えてこない。
まして、俺と那雪菜月とは……
「…えい。」
「あっ!」
後ろから伸びてきた煙草の匂い。唐突に写真に伸びた白鳥の指に挟まれた煙草の火が如月桂花の顔面に押し当てられた。
慌てて写真を離したが、手遅れで彼女の顔面は黒く焦げてぽっかりと穴が空いてしまっていた。
「何すんの。」
抗議の声をあげる俺に白鳥は分かりやすくそっぽを向いて拗ねて見せた。
「憐ちゃん、私の前で女のカオばっかり見ないでください。」
「なにそれ。めんどくさ。お前俺の事好きなんだなぁ…」
自分で何言ってんだろ。
「そう言ったでしょう?死人に心変わりしないでください。」
「俺まだ好きって言ってない。」
白鳥の手が俺の頬を引っ張った。つねられたほっぺがヒリヒリ痛い。
「えい。」
「あっ、また!」
今度は望月海斗の写真を取り上げあろうことかライターで火をつけた。端から燃えていく写真で新たに咥えた煙草に火をつける。
燃えて灰になっていく写真を地面に捨てて踏みつける。くしゃくしゃになった燃えカスが土にまみれた。
「…浮気者。」
「あのさぁ…」
呆れたため息を零す俺に白鳥は目の下を引っ張って「べー」と言うと、まだほとんど残った煙草を灰皿に放って中に戻ってしまった。
なんだかよく分からないけど、藤城が帰ってから不機嫌だ。
*******************
翌日になると一変、白鳥の機嫌は頭上の青空みたいに晴れやかそうだ。
今日は店を閉めて買い物。俺の携帯を買いに行くとのことで二人で車に乗り込んだ。
「デート♪デート♪」
「どこまで行くの?」
「駅前に電気屋さんあるから。」
車を走らせ目的の場所まで向かう。今日ついでに買い出しもするとのことだった。昨日スマホを買いに行くと藤城に話したら、買ったら番号を教えてくれと言われたので、それも忘れないようにしよう。
電話番号を刑事に訊かれるなんて立場が立場なだけに怖いけど、やっぱり相手が刑事だと断れない。
鍛冶山区は駅周辺に電気屋や映画館、カラオケ店やレストラン街やホテルなどが集中してる。さほど大規模では無いというところも、田舎の商業地域っぽさが出ている。
「…人が少なくて静かで自然もあって……少しづつだけどこの町が好きになってきた。」
「良かったです。私は別に好きじゃないけど…」
「なんで?田舎が好きなんでしょ?喫茶店を田舎に開きたかったって言ってた。」
「そうでしたっけ?」
「このやり取り前もあった。」
「狭くて何にもなくて……いいところといえば静かなところだけ……」
「そっか……」
窓の外から流れる町並みを眺めながら俺はそう呟いた。
目的の電気屋の携帯キャリア窓口で契約手続きを行った。
白鳥がこれにしろと言うので最新のモデルにしたが本体だけで14万もする。それでも俺が知ってる二年前の機種と比べて色んなスペックは上昇してるが普段使いで劇的な変化はなさそう。元々がもう高スペックだからぶっちゃけ変化が分かりにくい。毎年向上するカメラの性能だけが唯一の変化の実感だった。
「いえーい。おそろーい。」
俺が契約を終えたとほぼ同時に、隣で機種変更してた白鳥が新しいスマホを見せびらかして来る。機種も色も同じだった。
「……ちょっとやだなぁ。」
「何が?」
「お揃いって…なんか嫌だ。」
「もう買っちゃったので手遅れです♡」
時刻は10時を過ぎていた。随分時間がかかった。
せっかく電気屋に来たからと色々見て回る。俺は買いたいものがあるのを忘れてた。
「白鳥。USBの変換アダプタってどれかな?」
「これ。」
棚に並んだ商品を手に取る。こんなちっこいのに2000円近くする。たまげた。
「……金欠。」
「買ってあげますよォ。」
「…ごめんお金必ず返すから。」
「ないでしょ収入。」
雇い主とは思えない発言。白鳥はケラケラ笑ってた。
必要なものを買い揃えて俺たちは電気屋を後にする。
そのまま歩いて仕入れに向かう。店に出すコーヒー豆や食材は、この近辺の業者から買ってるらしい。
「届けて貰えないの?」
「送料かかりますもん。それに、知らない人うちにあげたくない。」
「ええ…自宅兼店なのに…?」
いかにも地元の小さな専門店って感じの店に入っていく。店に入ったらすぐに中年のおばちゃんが愛想良く挨拶してきた。
「ああいらっしゃい。久しぶりねぇ。」
「こんにちは。旦那さんは?」
「今配達。こちらは?」
「ああ、旦那です。」
「違います。従業員の黒井と言います。」
俺が戯言を否定しつつ頭を下げると、おばちゃんは「まぁ」と大層驚いた様子だった。
「新人さん?入れたんだぁ。よかったねぇ柊奈ちゃん。」
「ええ。お給料未払いですけど、よく働いてくれますよ?」
白鳥の冗談におばちゃんは豪華に笑ってた。
代金は振込済みとのことで、両手で抱えきれない程の荷物を白鳥と二人で何度も車まで運んでいく。駐車場が近くてよかった。
仕入れが終わり挨拶をして店を出る。
「今後もご贔屓に。」
「どうも。結婚式の招待状、送りますね。」
白鳥の冗談も慣れっこなのか、おばちゃんはまた豪快に笑い飛ばして俺たちを見送った。
「……恥ずかしいからやめて。」
「どうして?いずれはそうなりますよ?」
いきなり引っ付いて腕を絡めてくる白鳥から俺は無理矢理距離を取る。
最初に言っていた「私は面倒臭い」という言葉をここ最近嫌という程実感してきた。
「お昼どうしましょ?」
「……ちょっと、行きたいところあるんだけど。」
「ん?」
「……区役所。」
俺が言うと白鳥は一瞬笑みを消して、またすぐに笑った。その表情の移り変わりを俺は見逃さなかった。
「いいけど、ご飯が先--」
車まで歩きながら白鳥はそう言ってなんとなしに視線を辺りに向けていた。
場所は駅の前。駅周辺でも最も活気があり、田舎町とはいえ多くの人たちで溢れかえっていた。
俺たちが駐車場に向かう為に歩いていたのは、駅前のバス停のちょうど前。バスを待つ人たちの列の後ろをちらりと覗いた白鳥が、言いかけた言葉を途切れさせた。
「うん、ご飯の後で…ん?どした?」
白鳥の微かな感情の機微に俺は白鳥の方を向こうとした。
そんな俺に体当たりするように白鳥はまた俺に密着して腕を絡めてくる。背伸びして顔を近づける白鳥が笑ってた。
「別に?何食べます?」
「……なんかあった?」
「べーつに?ささ、お腹すきました。ご飯にしましょ?食べたいものないなら私が決めていいですか?」
なんだか取り繕うような白鳥の態度に違和感を覚えたけど、ベタベタしてくる彼女の表情や仕草はいつものそれだ。
……知り合いでもいたんだろうか?
白鳥に引っ張られながら駅前を後にする俺がちらりと振り返った。
さっき通過したバス停にはバスが到着し、並んでいた人たちがゾロゾロと乗り込んでいく。
「……どうでもいいけど、歩きにくい。」
「ええ?いいじゃないですかデートなんだから♡」