第18話 悪魔の顔
朝目が覚めたら、隣で眠る白鳥の姿に一瞬びっくりする。
昨夜の出来事を思い返して変な気分になってくるので慌ててベッドを出た。時計を見たら時刻は9時前だった。
「……随分寝たな。」
朝に弱い白鳥を置いて下に降りた。固定電話の受話器を取って俺は記憶にある番号を押す。
『はい。藤城です。』
「ご無沙汰してます。黒井です。」
俺からの電話を取った藤城は随分驚いた様子だった。
『黒井さん。お久しぶりです。お元気ですか?』
「まぁ…なんとか。藤城さんの方は?」
『相変わらずです。寝不足で参ってます。』
「ご苦労さまです。」
『それからどうですか?なにか思い出したこととか……』
「その事でお電話しました。折り入って頼みがありまして……」
俺は緊張に高鳴る心臓を抑えてから深呼吸した。
「俺の母校……愛染高校の卒業アルバムって、手に入りますか?」
『卒業アルバム?』
「はい…警察ならもしかしたら捜査で入手してるかなって……」
『いや…仮に持っていたとしてもそれをお見せすることは出来ません。』
藤城の返答は大方の予想通りだった。落胆が胸中を埋めていく。
「……ですよね。」
『卒業アルバムが、なにか…?』
「いえ、なにか思い出せるかなって思って…」
昨日犬山と会って話したことを話そうかと思ったが、彼女のことを考えてやめた。前を向いて歩く犬山の後ろ姿が俺の目に焼き付いていた。
「……それとですね。」
『他に、何か?』
「例の愛染高校の放火事件に関して…詳細をお聞きしてたくて……」
『それも、なにか手がかりになるかも、ということですか?』
「まぁ……」
『あの事件は黒井さんが溺れた翌日の出来事ですよ?』
「……どうやら、犯人と面識があるようで……」
こういうことを喋るのは、もしかしたら不都合なことがあるのかもしれない。妙な疑いを持たれる可能性がある。
そう思ったけど、警察ならそれくらいの調べはとっくについてるだろう。もしかしたら藤城の話から俺と事件の関与についてなにか分かるかもと思った。
『……分かりました。お話できる範囲なら。』
「助かります。」
『明日なら時間が取れるのですが…』
「でしたら、もしよろしければ自分の働いてる店に来てください。交通の便が悪いところですけど……」
俺が『杜の隠れ家』の所在地を教えると藤城は了承してくれた。
電話を終えた頃、白鳥が起きてきて階段を降りてきた。あくび混じりに受話器を置く俺を見つめて首を傾げる。
「おはようございます。」
「おはよ。」
「こんな早くからお電話ですか?」
「別に早くないけど…もう9時だし…」
「おやおや、熟睡してしまってました。昨夜はよく眠れたので。」
「お前はいっつもこれくらいの時間じゃん。」
俺が言うと白鳥はニッコリと笑った。
「--明日店にお客さん呼んだんだけど、良かった?」
「お客さん?」
「刑事さん。」
「ケイジさん?」
「うん。桜署の刑事…ちょっと聞きたいことあって……」
「……ああ、ケイジって刑事ね…え?女の人?」
「なんで?男だけど。」
「ならいいですよ。」
婦警だったらなにか問題があるというのか…
白鳥の発言に俺は引っかかるものを感じた。
昨晩、俺たちはアレをアレしてああなった訳だが…俺らの関係はどういうものなんだろうか?
恋人……?
白鳥から尋ねられた時の俺の返答は『まだ好きか分かんない』だから、恋人では…ないのか。
向かい合って朝食を摂る白鳥をちらりと見る。
「ん?」
「いや……」
なんだか訊くのも野暮な気がして、俺はそのまま視線を伏せた。しばらくは、この曖昧なままの関係でいい……
「……そういえば。」
「ん?」
「昨日会ってきた人、なんて人なんですか?」
「え?昨日会った人って……俺の知り合い?」
「他に誰かとあってたんですか?」
「いや……それ知ってどうすんの?言っても分かんないでしょ…」
「まぁいいじゃないですか。ただの興味本位ですから…私もね、憐ちゃんのお手伝い、したいなって思って……」
どこまで本心か分からない白鳥の笑顔に俺は少し胸が苦しくなった。犬山から言われたこと、知ったことをまだ白鳥には話す気になれなかった。
「……手伝わなくていいよ。分かったことは、教える……と思うから。」
「む。言えないような人ですか?さては女か。」
「いちいち発想がそっちばっかだね。」
「昔の女ですね?」
「ハイハイ女性ではあったけど。」
「うわぁ浮気だぁ!」
茶化すみたいに笑う白鳥に俺も呆れた笑みを返した。気づいたら白鳥への対応が少しだけ軟化してる気がする。自覚のなかった自らの変化に不思議な気分だ。
「そういうお前は誰と会ってたんだ?」
「お友達ですよ。この店を開業する時に色々手伝ってくれた人です。」
「へぇ……じゃあ俺もお礼言いに行こ。」
「え?なぜに?ダメ。」
「なんで?男か?」
「女だからですぅ。」
にーっと歯を見せて笑う白鳥が食器を片ずける。その様子を見ながら開店の準備の為に台所を出る。
「憐ちゃん。」
「ん?」
「その刑事さんから、何を聞くんですか?」
「……昔のこと。」
白鳥の視線がちらりとこちらを見た。俺は心配するなという意味を込めた笑みを作って返してた。
「……笑うようになりましたね。」
「え?」
「嬉しいです。もっと憐ちゃんが笑って過ごせるように、頑張りますね?」
「頑張んなくていいよ。頑張るもんでもなくない?」
白鳥も小さく笑ってた。
「…明後日携帯、買いに行きましょ?」
「…うん。」
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翌日、約束の時間に藤城は来店した。
ねずみ色のコートを来てうっすらと剃り残した髭を生やした藤城は、なんかいかにも刑事って感じの装いだった。
「いらっしゃいませ。」
「どうも。」
ドアベルと共に来店した藤城にお辞儀すると、彼は愛想よく笑った。
カウンター席に着いた彼はモカを注文した。
「…初めまして。店主の白鳥です。黒井がお世話になったと聞いています。本日はご来店ありがとうございます。」
「……ああ、どうも。藤城です。」
コーヒーを差し出しながら丁寧に挨拶する白鳥に藤城は数拍遅れて反応した。
「…?どうかしました?」
「いや、凄い美人さんだから見とれてしまいました。」
首を傾げる俺に藤城は誤魔化すような笑いをあげた。
「お上手ですね。コーヒー、サービスにしちゃおうかな?」
「ああいやいや、とんでもない。」
お行儀よく笑う白鳥に藤城も慌てて辞退する。なんだか大人なやり取りに俺はちょっと疎外感を覚えた。接客業をするならこれくらいのコミュニケーション能力は嗜みみたいなのだろうか?俺には無理だ。
久しぶりに会った藤城は少しやつれているようだった。目の下にもうっすら隈ができて、電話で話したように寝不足らしい。
「どうも最近忙しくて……」
「お忙しい中及びだて申し訳ないです。白鳥が言ったように、コーヒーはご馳走させてください。」
「いやいや、大丈夫ですから。」
善意を押し出す俺に彼は頑なに辞退した。
しばらく雑談をしながらコーヒーを楽しんだ藤城は問題の話しを切り出した。
「…さて、放火事件についての詳細でしたね。」
「……はい。」
「犯人……望月海斗くんと面識があったと、仰ってましたが……」
「覚えてはいないんですけど…どうやらそうらしく……気になって…」
「もう解決済みのした事件ではありますけどね……」
藤城は持参した鞄からファイルを取り出して、カウンターの上に置いた。
「なにか分かることがあればと思いまして…不明な点も多い事件ですから。」
「はぁ。」
藤城はファイルを開いて、写真を見せてくれた。
ひとつは人物の写真--学校で撮った写真だろう。学生服を着た角刈りの少年が、厳つい顔つきでこちらを睨んでいた。浅黒い肌が特徴的で僅かに写った肩も幅が広くガタイが良さそうだ。
写真の下には『望月海斗』の名前があった。
犬山は『仲良し』と称した彼だが、顔を見ても何も思い出さなかった。
「……彼が。」
「事件の犯人です。」
俺の肩に顎を乗せながら白鳥も後ろから覗き込んでくる。邪魔だったけど、気にせず他の写真に目を向けた。
彼の他に数人の少年たちの写真があった。
「……彼らは?」
「望月くんと交流のあった地元の不良グループです。事件にも関与していますが、全員が火災に巻き込まれ亡くなってます。」
単独犯だとばかり思っていたが共犯がいたとは……しかも、みな未成年……
他には燃えた体育館、校舎の一部、犯行に使われたバイク、ガソリンの入っていたポリタンク等の写真がファイルされていた。
「彼らは事件当時、二学期終業式に自宅を出て、待ち合わせ場所のガソリンスタンドでガソリンを強奪後、所有していたバイクで学校に向かい式の行われていた体育館にガソリンを散布、火をつけています。」
「わぁ悪い子。」
白鳥が気楽な感じで言った。
「体育館は全焼、隣接する校舎も放火による爆発で一部損壊、死者は犯人、生徒、教職員含め111人、重軽傷者は200人近く出ています。」
「200…」
「現場の体育館には1000人近い全校生徒が集まっていましたから。特に体育館入口付近の後列の生徒と教員はモロに火を浴びて、遺体の損壊も激しく身元の確認も困難な状況でした。犯人たちは四つある入口をそれぞれ塞ぐ形で侵入しガソリンを散布しており、明確な殺意を感じさせます。」
……殺す気で、それも、皆殺しにするつもりで火をかけたのか。その所業を行ったのが、まだ成人していない子供だ。
--私の事、殺そうとしたんだって思った。
犬山の焼けた腕と言葉を思い返す。
「……動機は、分からないんですよね?」
「被疑者は全員死亡してますから……」
「他の不良仲間が関わってるってことは……?」
「調査しましたが確認出来ませんでした。ただ、ガソリンスタンドを襲った時目出し帽を被っていたこと、バイクを敷地内に乗り入れ体育館のすぐ側に停めていたこと等から、犯人たちが火災に巻き込まれたのは想定外の事態だったようです。」
「逃げる準備はしてたってことですね。」
「犯人たちについても、自殺するような人物では無いらしく、金銭トラブル等も確認出来ませんでした。動機は不明です。」
「誰か一人を狙った犯行だったのでは?」
隣から呟く白鳥の声にドキリとする。藤城もそれに頷いていた。
「……我々も生徒や職員の中に、彼らと親密だった人物が居たかは調査しました…」
「……それで?」
「一人だけ……」
藤城はファイルから別の写真を取り出して見せた。
そこには白いセーラー服姿の少女が映っていた。
濡れたような艶を帯びる黒い長髪に、漆黒の髪に映える白い肌、彫刻家が丹精込めて作り上げた彫刻のような、妖艶な魅力を放つ美少女。
那雪菜月とは異なった異彩を放つ少女が、潤んだ瞳で俺を見つめる。
何かが……
引っかかるような……
直感に似た感覚が火花のように散る。俺は『悪魔』の顔を見た。
この、嘘みたいな美貌を持つ少女が、犬山の言った『悪魔』だと--
「……如月桂花。警察の調べで愛染高校の生徒……事件の被害者の中で彼らと繋がりらしいものを持っていたのは彼女のみです。」
「……桂花。」
やはり、犬山の口にした名だ。
「繋がりと言っても、特に事件に関わりそうなものは見つかってません。ただ、ほぼ不登校だった望月くんと校外で会っているという証言が出たという程度で、その関係性については不明瞭なままです。」
「……この子を、殺そうと?」
「分かりません。はっきり言って事件との関連性は低いかと…」
「彼女…望月海斗以外の交流は?」
「……同校の女生徒との関わりが主です。生徒会長でして、望月くん達との関係も、生徒会役員として不登校の彼らに連絡事項や登校するよう働きかけていただけ、という可能性もあります。」
「……彼女は、今は…」
如月桂花に熱心に関心を寄せる俺に白鳥も藤城も少し怪訝そうな表情を見せた。藤城は事実をありのまま伝えてくれた。
「彼女はこの放火事件で亡くなっています。」