モデルの告白
「私のヒロインを演じてくれませんか」
私は、サザンカちゃんをディナーに誘い、ヴィーガンビュッフェ――なお、どちらもヴィーガンではない。サザンカちゃんのお友達の薦めというわけだ――を味わった後、スタッフの人が片付けていくのを見届けてから、満を持して、そう言った。
大事なことなので彼女が年下であろうと敬語である。
そもそも若手女優としての彼女を尊敬しているから、本当に敬う気持ちがあったりもするのだけどね。
若手女優の松本山茶花(愛称でサザンカちゃんと呼ばれる)はとても魅力的な女の子だった。
世間からの評価が高いのも頷ける。猫被りだとか、ぶりっ子だとか言って嫌う奴は、彼女の真の魅力を分かっていない。
お人形のような可愛さ。
引き込まれる演技力。
等身大の女の子としての魅力。
時偶にみせる抜けた言動。
それらに私もすっかり虜になってしまったというわけだ。
もちろん、それだけではない。
彼女に対して、私は恋愛感情を抱いてしまった。
だから今、こうして呼び出して、『私のヒロインを演じてくれませんか』と言ってしまった。
そう、これは遠回しな告白だ。
まっすぐに告げても断られてしまうことを恐れた私は、彼女の女優としての意識の高さを利用して受けさせようとしている卑怯ものだ。
それほどまでに、彼女と付き合いたかった。
抑えきれない思いがあった。
「お願いします」
頭を下げる。
彼女は面食らったような顔をした。
女優の彼女がそんな表情を見せるのは珍しいことだ。
別に彼女よりお姉さんである私が頭を下げたことに対して驚いているのではなかろう。
それほどに私の言ったことは突拍子もなく、意味を理解するのが難しい。
取り澄ました後、顎に指をあて、真面目な表情で沈黙する彼女は、一生懸命、噛み砕こうとしている。
やがて、私を見返した彼女は、首をこてんと傾げて、
「それは女優としての私に対する挑戦でしょうか?」
予想通りの返答に、にやりとしそうになるのを堪えて、真面目な表情を保つ。
そして、私は不敵な笑みを浮かべ、
「女優のあなたなら出来るでしょ?」
プロとしてのプライドに火を付けるため、挑発的に言う。
「出来ますとも」
胸をポンと即答が返ってきた。
頼もしい返事だ。
気が変わらないうちに、畳み掛ける。
「ならお願い。演技で真剣に交際しましょう」
「はい。女優として磨きをかけるために頑張ります」
そう言われると、モヤっとしてしまう。
だけど、私はここで満足するべきだろう。二兎追う者は一兎も得ず、欲張りすぎはいけない。
こうしてサザンカちゃんは私の恋人を演じることになった。
真面目で少し天然の入っている――本人は決して認めないけれど――サザンカちゃんは、チョロかった。
――ここに至る経緯を思い返す。
私はモデルをやっていて、つい先日ドラマ初出演を果たした。深夜ドラマだったけど。
私は劇団所属の遠山彰介君が演じる主人公のヒロイン役だった。
始めの頃は、大役であるから、私でいいのかな。とか思ったりもしたけれど、自分の全力を出して頑張った。
それなのに、私の名前、本庄莉子で検索すると、
『モデル風情が私の彰介君と……』
『モデルだけあって顔だけはいい。けど演技が残念。ただ顔だけの人だったって印象』
『そもそも誰?』
『サザンカちゃんがメインヒロインの方がよかった』
パンドラの箱とされているSNSを見てしまったら散々な評価だった。
私の知名度なんてそれほどないから、知られていないのは別にいい。
サザンカちゃんのがメインヒロイン向きだったというのもごもっともだ。年齢を除けば。
――問題は演技だった。
理由はもちろん分かっている。
私は彼に全く惹かれなかった。
彼が悪いわけではない。
これまでの人生で男性にときめいた事なんてなかったから。
演技であろうとも恋する乙女の役なんて私にとっては無理難題だったのだ。
むしろ、私は、共演したサザンカちゃんを意識してしまっていた。
オフで彼女と撮った写真が如実に物語ってしまったのか、それは世間にもある程度はバレてしまっている。
ゆえに、
「サザンカちゃんとのオフショットへの反響がすごいわよ! 向こうの事務所から是非ともコラボ配信がしたいって打診があったの」
と、マネージャーから告げられる。
「喜んで、とお伝えください」
無論、私は快諾するに決まっている。
というわけで、サザンカちゃんとコラボ配信した。
それからプライベートでも度々交流し親交を深めていった。
世間では百合営業と呼ばれるんだろうけれど、百合は百合でも半分ガチだった。
なぜなら、彼女と関わっていくうちに私に恋心が芽生えてしまったから。
私は本気だった。
今回の事もマネージャーに相談してある。
「サザンカちゃんと付き合いたいんですが……。というか、上手いこと話を持っていって付き合います!」
「ぶっ込んでくるわね……」
マネージャーは考える素振りをみせた。
けれど、長考に入ることもなく、すぐに答えをくれた。
「いいわよ」
マネージャーは私が同性愛者だということを認識して理解を示してくれている。
そんなマネージャーだからこそ、私は不安を口にした。
「でも、もしお付き合いが週刊誌にすっぱ抜かれたらと思うと……、どう言われるか不安で……」
「それなら名目上は百合営業の延長とでもしましょう。内容は練る必要があるけれど恋人宣言をすれば勝手にそういうネタだと思い込んでくれるでしょ」
「マネージャー、あなた天才ですか!」
マネージャーは一瞬照れた様子だったけれど、すぐに取り澄まして、
「けどね。サザンカちゃんを騙すの?」
「お見通しでしたか……」
「そりゃあ、あなたのマネージャーですから」
「ええ、まあ、騙すことにはなりますね……。私が同性愛者だと告げるのがどうしても怖くて」
「苦しいのはわかるわ。でもね、いつかは告げなきゃいけないのよ」
「はい、心得ています。ただ、いきなり告げるのはちょっと難しいので、擬似的にでも付き合ってお互いの関係性が安定してきた時にでも告げたいなぁ……と」
「……そう。私はあまりあなたの恋愛のことは口出しできないけど、後悔しないようにね」
「……はい」
私は肝に銘じた。
彼女を欺き続けるようなことはしてはいけない。
いつかは私が同性愛者なのだと告げねばならない。
たとえどんな結果に終わろうとも。
――という決意のもと。
私はサザンカちゃんに改めて言った。
「これから恋人としての設定でよろしくね」
設定。あくまで設定なのだ。
言ってて自身へとダメージが入る。つらい。
けどすぐに、
「はい。よろしくお願いします」
サザンカちゃんの屈託のない笑みに癒される。
緩みかける頬を必死に抑え、思考を巡らした。
恋人関係の成立ではない。
だって、相互ではなく一方通行なのだ。
これで満足してはいけない。
あくまで、道のりを阻む障害物を一つ飛び越えただけなのだから。
私にとっては結構大きいその進みも、サザンカちゃんにとってはあくまで演技の練習の一環くらいの認識だろう。
この意識の差が悩ましい。
それでも演技を本気にさせるのは不可能ではないはずだ。
受けてくれたからには全く脈がないというわけではないと思いたい。
それに、役者同士が共演でくっついたという実例もあるし。
思考に耽りつつ、ウーロン茶を飲み喉を潤す。
――あら?
飲み干してしまった。
一世一代の大勝負の心持ちだったからか、思いの外、緊張していたようだ。
すると、サザンカちゃんが目敏く気づいた。
「注いできますね」
「ありがと」
素直にグラスを渡した。
ぼんやりと、サザンカちゃんの後ろ姿を見届ける。
『――♪』
すると空気を読まずに、LINEの着信音が鳴った。
サイレントにしておけばよかった。サザンカちゃんにも気づかれただろうし、見ないと不思議に思われるだろう。
せっかくいい気分になっているのに。とLINEのメッセージを見てみると、
『大事な話がある』
彰介君からだった。
大事な話ぃ?
「怖い顔してますけど、どうしたんですか?」
と、グラスを持って戻ってきたサザンカちゃんに声を掛けられる。
「えっ、あはは。なんでもないよ。ちょーっとLINEがね」
「ああ、どうぞ。お気遣いなく」
「うん。ありがと。大した用件じゃないんだ。すぐ済ますから」
言って、再度画面に目を落とす。
『大事な話がある』
という彰介君からのメッセージ。
今まさにサザンカちゃんと大事な話をしているんだけど……、既読になってしまったので仕方ない。
私は『どうしたの?』と返信する。
すると、
『とても大事な話だ』
溜められてイラッときた私は、『今忙しいんだけど』と返して、切ろうとした。
けど、すぐに返事が来て、既読してしまう。
『俺、莉子のことが好きだ』
『俺と付き合え』
告白されてしまった。
二十九歳らしい(Wikipediaに載っていた)彼は、もう少しで三十路だから焦ってしまっているのだろう。
気持ちはわからなくもない。
でも、私はそれどころじゃなかった。
サザンカちゃんとの(擬似的な)恋人生活が始まるとなるとウキウキしてしまう。
――私はずるい女だ。
サザンカちゃんを自らと同じ同性愛の道へと誘導しようとしている。
それでも。
絶対にサザンカちゃんを本気にさせてみせる。
と、決意をした私は、彰介君のLINEを『LINEで告白とかあり得ないから』と告げて、ブロックした。