ペットと婚約破棄
「ミドル・ブリュー! 貴方にはうんざりです!! 今日、この時をもって婚約を破棄します!!!」
頭がキーンとなりそうな高音を携えて、俺の婚約者があほうな事をのたまっている。
何事かとこちらに近づく者と、また姫かとそそくさと移動を始める者とで通路が膠着しだす。
半眼で見やると、婚約者の周りを固めていた者達が、俺の視線を遮るように前に進み出た。
そして進行方向がドレスの膨らみたちで封鎖される。
後ろから左肩をポンと叩かれるのと、左後ろの気配が消えて行くのが同時だった。
分家兼将来の左腕は危機察知能力が高い。そして離脱も速い。
右肩もポポンと叩かれたが、逃げそびれたようで舌打ちが聞こえた。
いつの間にか婚約者の取り巻きその2部隊が後方も封鎖していたらしい。
‐‐‐時を置かず、右下ろからザザザッという樹の葉擦れの音が聞こえる。
舌打ちの主兼分家兼将来の右腕は躊躇なく3階から飛び降りたようだ。向こうの奨学生用校舎からキャーという黄色い悲鳴が聞こえる。
あれ? 俺の親族が薄情すぎない? 撤退早すぎない? 実は分家と仲悪かったっけ?
悩む俺に、蔑みつつガンを飛ばすという高等技を披露するのは、多数の取り巻きの中心で、煌びやかなドレスに身を包んだ女の子だ。
修飾語を付け加えるとすれば、誉れ高きスノーラビット王国5王女の筆頭であり、王位継承権第2位の麗しき白雪の姫といったところか。
白い髪に紅瞳という雪うさぎの精の化身といわれる王族の特徴が強く出た姫だ。
多数対俺一人という完全な孤立無援状態ではさすがに姫様にガン返しをしたくなったりしていると、視界が赤くなった。
違った。よく見ると赤い頭の奨学生用制服である。ちんちくりんが災いしてぶかぶかの制服が本体のように見える。名前なんだっけ? ファイア・ストーム? キャンプ・ファイヤ?
「姫様に対してあんまりです!」
「バーン! いけません!」
「姫様!」
あー、そうだった。パン屋のバーンって奴が作るパンが、全部どうやってもパンの形の炭にしかならないってんで、魔力持ちと判明したって言ってたな。一番最初に逃げた薄情なライトが。
「聞いているのですか!!」
ライトにこめかみグリグリの刑とデコピンのどちらが相応しいか悩んでいたら話が進んでいたっぽい。キレた姫に怒られた。
「……………なにか?」
聞いてませんでしたーとか言えそうな雰囲気じゃない。あと女子の密度が高いせいで香水の匂いが混じりに混じって止揚した壮絶な臭気に中てられて頭が痛い。
「いつもいつもそうやって姫様をないがしろにし!」
「冷たい表情と義務的な事を隠そうともしない態度!」
「身分を弁えず姫様と競いあまつさえ首位に立つその厚顔!」
「「「許せませんわ!!!」」」
頭痛にキーンと響いたが、それよりも全力で筆頭王女を侮辱する取り巻きに、思わず憐れみの表情を浮かべてしまった。
こう、何ていうか、姫様の取り巻きって思った事を素直に言っちゃう子が多いよね。実は人望が無いんじゃないかと少しだけ可哀相になる。俺も人のこと言えないが。
案の定ぷるぷる震える姫様にパン、、じゃなくて、バーンが何かを囁いている。姫様がパン屋の息子と仲良し疑惑は真実だったのか。
俺一応婚約者なんだけど目の前でいちゃつかれるとさすがにどう反応すればいいのか分からん。
「と、とにかく! わたくしは貴方との婚約を破棄します!!」
何とか持ち直した姫様が宣言してくださる。
出会い頭から情報量が殆ど増えていないのだが、これいつ終わるんだろ。
開いた窓の隙間から思わず空を見上げる。気分転換とか気が遠くなりそうなときって思わず空みちゃうよね。何故だろーね? と埒もないことを考えていると黒い大鳥が近づいてきていた。
気づいた生徒が騒ぎ出す。
「あの黒鳥! ブリュー家の使い魔ですわ!!」
「嫌だ! 呪われる!」
「ブリュー家はあの黒鳥と契約して不吉な紫の髪色になったとか」
黒い鳥なんてそこらの森に沢山いるし、髪色は厄介な魔法のせいだよバーカと思いながら腕を掲げる。
大鳥は俺が差し出した手にピタッと着地した。重い。
「姫様の御前で何と無礼な!!」
姫様無視した的になっちゃってそれは確かに申し訳ないんだが、こいつ腕上げないと頭に着地するんだよ。糞とかされたら最悪だし。
ぎゃーぎゃー喚く取り巻きに負けない音量で、伝書鳥はギュエーとか言いながら右足を上げて黒い足環を外せと催促する。
足環に入っていた用件は簡潔で、大姉様が亡くなられたので可能なら悲願を果たせとの連絡だった。
伝書鳥の足環を”了解”の意味で白い色に魔法で染める。
「では、婚約の魔法は今ここで破壊します。レフト、ライト、戻って来い」
いつもなら姫の我儘で、お互い状況は変わらないし変えられないのだが、今は違う。
伝書鳥が飛び立ち、困惑顔とニヒル顔の側近候補が戻ってくる。
天井から認識阻害魔法を解いて戻ってきた方はいいとして、俺の影から出てきた奴! お前! こめかみグリグリとデコピンにしっぺもつけるからな! 覚悟しとけよ!!
「最初から素直にそうやって了承すれば良いのです」
姫様は「あれっ? いいの?」って顔をしてから力強く仰った。やっとわたくしの威光が身に沁みましたかとか何とかのたまってらっしゃる。
困惑顔のレフトは「本当に宜しいのですか」と俺に確認してくるが、何故か姫様が許可を出していた。
姫様取り巻き部隊の端っこ数人だけは酷く顔色が悪いが、残念ながら中核人物達は姫様にお喜びを申し上げている。
クスクス笑いながら婚約破壊の術を組み始めるライトと俺の顔色を伺いつつも術式を補助するレフト。
婚約の証である取れない指輪を術に触れさせると硬質な見た目のままトロッと液体のように指から離れていく。姫様も嬉々として術に指輪を触れさせた。
床に落ちた2つの指輪であった液体は、1つに混ざり合うとパシンという軽い音を立てて硬質な見た目に戻った。
2つとも元の形状が分からない程粉々に破壊されている。
「あっ」
声をあげたのは誰だったか。
俺は自分の前髪をつまむと色の変化を確認した。
長きにわたりブリュー家の不吉の象徴とされた紫色の髪は、海のような蒼い髪色に戻っていた。
めちゃくちゃいい笑顔のライトと思案顔のレフトの襟首と袖口を持って深く息を吐く。
転移術で視界がブレる一瞬前、目を見開いていた姫様は綺麗な赤色の髪をしていた。
*********
「いやー、まさか大姉様がお亡くなりになるとは」
「ほんそれな。あの方お幾つだったっけ?」
「俺の25倍程って昔仰ってたけど」
ブリュー家親戚一同緊急会議は老いも若いも男も女も全員がもれなく集合できた。
誰か一人でも捉まっていたら終了だったので本当に僥倖である。
「大姉様は今の王の祖父の兄君の奥様だったからなぁ。いったい御幾つだったのやら」
本家家長がお出ましになったところで全員が会話を止める。
家長の腕、肩、頭にとまっている伝書鳥の足環は全て白色をしていた。
「契約違反無しっ! 後腐れなしっ! さくっと天上に帰るので集まるヨロシっっ!」
「合点承知の助ww」
家長サマが発した軽い言葉に嬉々として乗っかる親戚連中。
物理的に家々が我が家に近づくと家長様が転移術で家屋ごと天上に移動させた。俺、あと何十年でコレができるようになるかなぁ。
見上げた空は雲にまみれて真っ白だった。
*********
「ミドル様、何やってんすか?」
ぼんやりしながら椅子をキコキコ揺らしていたら、バランスを崩して椅子ごと倒れそうなのを魔法で留めた状態でやっぱりぼんやりしている俺にライトが問う。
普通に空中浮遊してる方が楽じゃないっすかとか建設的な事を言ってくる。
「ライトが常識人でキモい」
無言で圧縮魔法を撃ってくるので黙って反射しつつ複写魔法と増幅魔法をかけて『威力そのままどんどん弾が増えるぜゲーム』をして遊んでいたらレフトが入室してきた。
無言で圧をかけられて弾が散った。
ついでに俺と椅子とライトも散った。
「嘆かわしい。天上に戻られてからというものミドル様は…………」
お説教が長い。
地べた座りさせられてる俺とライトの横に、脚が4本ともいい感じで折れた椅子がまるで並んでいるかのように鎮座していてシュール。
「……ミドル様、全然聞いてらっしゃいませんね?」
「聞いてます!」
多分、きっと、聞こえてるけど流してて頭に入ってないだけです。すみません。
素直に白状するとレフトが大きな溜め息をついた。
「はぁ、もういいです。どうせ雪うさぎの成り損ないが気になるのでしょ?」
………図星である。
スノーラビット王国は雪うさぎの精霊が人に恋をして造った国だ。
元々は雪深い湿地だった土地を、精霊の力で人が生活するのに支障がない程度に”持ち上げて”いた。
雪うさぎは見事に恋焦がれた人の伴侶となり子を成し数を増やし、もはやどれが雪うさぎでどれが人か変わらない程時が流れ混ざりあった事で、力が弱まり王国が干潟に戻りつつある頃、そう、俺は、俺が雪うさぎを見つけてしまった。
何てことはない。そういえば最近ペットの大鳥しか見ねーなと、ふと気になってしまっただけである。気になって、探してしまっただけである。
そして、そういえば大姉様が雪うさぎを最近見かけなくて寂しいと仰っていたなと、そう思って言っちゃったんだ。雪うさぎ地上に居たよーと。
雪うさぎを見に行った当時家長の大姉様が、帰ってきて突然地上降臨宣言。
当時は暇つぶしになるかと皆ちょと楽しかったよね。
辛うじて飼い主の事を覚えていた雪うさぎが賢しげに愛とか恋を語る。
家庭とか愛とか恋とかさっぱり分からん俺達は、退屈しのぎになるかと安易に雪うさぎの話に乗った。
曰く、雪うさぎの子孫が俺達と結婚して愛や恋を教えるから、一人でも婚約や結婚している限りはスノーラビット王国を持ち上げて水浸しから助けて欲しいと。
今思えば雪うさぎマジで小賢しいんだが、きゅぃきゅぃ鳴きながら言うもんだから可愛さ爆発だった。
あざとい。しかし可愛い。
可愛いに負けた俺達は、スノーラビット王国を助けることにした。
雪うさぎの寿命と人の忘れっぽさを掛け合わせると、そう長い話でもないだろうと思ったのだが、予想以上に短くて拍子抜けである。
結婚していたのが大姉様と婚約中が3名いたのだが、どいつもこいつも赤髪の人間に惹かれて、他にも婚約している者がいるから自分が抜けても大丈夫だろうと気を抜いていたんだろう。
俺達もちょっと飽きてたし引き留める気もなかったけど。
思えば雪うさぎは、どうしてもどうしても赤っぽい人間を好いちゃうんだよね。最初に恋焦がれた人間は燃えるような赤髪だったらしい。雪なうさぎはそういえば火が好きだったなと、よく、溶けるギリギリの焚き火ジャンプを繰り広げていたなと思い出しはするのだが、可愛さ余って憎さ100倍である。
「スノーラビット王国の混ざりうさぎの声がここまで聞こえますね。きゅぅきゅぅきゅぅきゅぅ、五月蝿いことで。」
嘘です。可愛い。悪いことして絶対メッってされるのに鳴いたら許されると思ってこっち見上げてるの可愛い。呼んだらたまに来て可愛い。臆病で可愛い。活発でも可愛い。理屈とかなく可愛い。
「ミドル様?」
人様式の家をそのまま天上に持ち込んだことで、観光名所となっている騒がしい屋敷を抜けて外に出る。
見下ろした地上では、赤毛の雪うさぎが腰まで水に浸かっていた。
俯いて小さく弱く啜り鳴いている。
気が強くて群れの中でも孤立しがちだけど、いつも仲間を守ることに懸命だった小さなうさぎ。
少しおばかさんだったから、ブリューの呪いを王国から排除しようと頑張ったのだろう。
実際は呪いではなくて、雪うさぎから人の成分をブリューに移して精霊の力を増強していただけなのだが。
片手を広げて、はるか地上のスノーラビット王国が視界の中で掌に収まるように調整する。
可愛い雪うさぎ。人と混じって、もう雪うさぎとは呼べない小さなうさぎ。
お前は忘れてしまっただろうけど、手に乗るほど小さなお前を拾ったのは僕なんだ。
親もおらず、弱く鳴いていたお前を必ず幸せにするからと、拾ったのは僕なんだ。
片手を慎重に持ち上げる。短くはない間、存在していた場所だ。草の一本、花の一房すらどこにあるのか把握している。
「その角度でキープしとけよ、ミドル様」
こんな遠距離から持ち上げるなんてホント馬鹿だよなぁとか余計な事を言いながら阿呆のライトが滝のように汗を流して術を補助してくれる。
「あなたは優しすぎるんですよ、どうせうさぎはそんな恩覚えちゃいない」
吐き捨てるように言うレフトは、それでも徐々に隆起する王国の境目を不具合のないように調整してくれる。色白がもはや真っ青だ。
「持ち上げすぎです! 消滅するおつもりですか!!」
だってうさぎが濡れてるんだ。どうせならほんのちょっとじゃなくて、安全な住処をあげたいじゃないか。たとえ僕のことを忘れていても、転生の中で姿が変わっても、あんな悲しそうなうさぎは見たくないんだ。
*********
「チビっすね」
意識が閉じてから浮上する間に、スノーラビット王国は健やかに発展していたようだ。元婚約者殿も沢山の子うさぎを産み育てたらしく、立派な肖像画の中で微笑んでいる。
「ライト。いかにミドル様が赤子程にお小さくなられようが、お力がそこいらの精霊並であろうがミドル様なのですから敬語を使いなさい」
「いいじゃない! あたくしは小さいミドル大好きよ! また小さくて嬉しいわミドル」
うっかり消えそうになった俺に対してライトは相変わらずだし、レフトの当てこすりは痛いし、寝てる間に再誕された大姉様はちゃっかり成長してて俺より大人になってるし、世の中って案外変わらないよね。
「あー、不貞腐れてる。思ってることが顔に出ちゃってかわいー」
大姉様に抱き上げられて屋敷から外に出る。
観光ブームは終わっていたようで、屋敷も屋敷の周りも静かなものだ。
「ほら、ミドル見える? スノーラビット王国は蒼花を新たに国花にしたのよ。私達の髪色そっくりだわ」
知らない間にスノーラビット王国は蒼色に染まっていた。
赤い髪の人々と時々白髪。蒼い花に白い雪。
「野生の精霊は自然の中で暮らすのが一番いいんですよ」
雪うさぎを飼うのに猛反対したレフトだが、こっそり撫でまわしていたのを知っている。
「結局うさぎの一人勝ちかぁ」
不満そうな口調とは裏腹に、ライトはいつもの胡散臭い笑顔を引っ込めて優しく笑っている。
「生き物を飼うのは大変なんだから。もう拾っちゃだめよ?」
そう言いながら大姉様は、少し寂しそうにスノーラビット王国に手を振る。
ぼんやりとしか見えなくなった地上に、精霊の力は感じられなかった。
精霊の力を完全に無くした雪うさぎとは、もう会うことは出来ない。
その魂は人と同じく、まっさらに新しく上書きされるから。
「ほらミドル。高いたかーい!」
突如空に放り投げられる俺。
ギョエーとか鳴きながら俺をキャッチする今の俺よりでかい伝書鳥の大鳥。
この暴挙で俺の目に溜まっていた水分が吹き飛んだので、大姉様に文句を言うのはやめにした。
ブリュー家:海か何かの神様たち。暇してた。人化で疑似的に人生を設定。「これが死ぬということか!」と感動しつつ数年後に別人として再誕してた。なお、親愛は理解できても「一目で恋に落ちる」状態がどうやっても理解できなかった模様。
ミドル:神様的な何か。人化したときの偽名。本名は長々と長いので短くて気に入っている。ミドルに限らず力が強すぎて地上の一部分をほんの少しだけ持ち上げようとすると地底から何からがばっとラピュタ状態になってしまう為、遠回しに力を貸してあげていた。最終的にうさぎ可愛さに0.02の力でスノーラビット王国を持ち上げてあげた。ちなみに100(通常出力)の力だと揚げすぎなので、100で揚げつつ99.98の力で抑え込むという意味の分からない方法で成し遂げた。多分、小麦粒に「小麦」とペンで書く程度には頑張った。頑張りすぎて小さくなった。
雪うさぎ:神使。ミドル的に言うとペット。多分分霊してもへっちゃらなタイプだが、子供作成時に人に合わせて半分だけ自分の分霊を入れていた模様。王国民ほぼすべてはさすがに分けすぎです。
1個体あたりの精霊力が落ちすぎて神(大姉様)から神使の役目を剥奪された。でもうさぎさんたちは幸せでハッピッピー。