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06.母が子に語る夫の歴史

憧れの甲子園、賢静学園けんせいがくえんは2回戦から登場。幸矩ゆきのりの初打席は2回の裏ツーアウトランナーなしで回ってきた。守備はやや前目。幸矩に飛ばす力がないことは予選を見ればわかる。


草刈監督くさかりかんとくの選手選考は守備重視だ。だから幸矩のような選手がレギュラーになれる。そして守備だけでなくて攻撃もできるよ、というすごい選手が上位打線、守備は上手いよね、という選手が下位打線。攻撃力の差は歴然だ。8番のキャッチャー真司しんじのバッティングは壊滅的、9番に入るピッチャー陣のほうが当たれば飛ぶだけマシかもしれない。投手陣はバッティング練習少ないから全然当たらないけどな。7番の幸矩は打率はあそこまでは悪くない。決して口には出さないが、幸矩はそう自分を慰めている。


ピッチャーからも賢静の下位打線はカモだと分析されているのだろう。ここまで上位陣にもヒットを許していないので、遊び玉を交えない強気のピッチングでドンドンストライクを入れてくる。見分けのつかない投球フォームで、真っ直ぐと複数の変化球を投げ分けてくるのだ。たった2球で追い込まれる。ファール1つが精一杯で4球目で空振り三振、チェンジ。いいとこなしである。


そんな自分の不甲斐ない結果に目をつぶり、キャプテンだからと自分に言い聞かせて、幸矩はマウンドに向かうユーキの肩を叩く。


「我慢比べになるな。頼むぜエース」


まかしとけ、ユーキの言葉を聞きながらセカンドのポジションにつく。


4回、2順目に入ると1順目はおとなしかった双方の打線に火が付き始める。表に1点失うが、その裏にハジメのタイムリーで同点、さらにチャンスを広げてワンアウト1、2塁でまだ緊張が取れない6番木沢きざわ


「木沢、気楽に打ってけよ」


声をかけるが聞こえていないようだ。俺まで回るかな? 幸矩がネクストバッターズサークルで考えていると、木沢が変化球を引っ掛けてダブルプレー。チェンジ。


「ドンマイドンマイ、切り替えてこうぜ」


5回表、ツーアウト満塁のピンチを無失点でしのぐと、その裏に幸矩の初ヒットが出た。カーブを上手く三遊間に打ち返す。1打席目の手も足も出ない雰囲気がなくなっている。疲れやすいのか、やる気にムラがあるタイプなのか。 


先頭打者で塁に出るが、後ろは打てない下位打線。真司の初球で送りバントの指示があったが小フライとなり幸矩は慌てて1塁に戻る。真司はちゃんと走っていたので、わざとワンバウンドさせるということもなかった。


その後はベンチからの指示はなく、後続も振るわず1塁に釘付けでチェンジ。先輩達から監督は試合中よく動くと聞いていたが、今に限らず予選から通してもあまり指示は出していない。今年は選手に任せる方針なのかもしれない。


「ドンマイドンマイ、切り替えてこうぜ」


残塁は仕方がない。だがしかし、こう見えても俺甲子園でヒット打った事があるんですよね、って将来職場のオッサンに言うことができるようになった。


続く6回裏、賢静はまたしても先頭打者、2番コーイチローが出塁する。ちょっともったいないが3番桜井さくらいがきっちり送って、先程タイムリーを打った4番ハジメは敬遠気味の四球


「ここで一気に畳み掛けたいな」


監督は指示を出さずヒロシに任せるようだ。今度は俺まで回るかな。幸矩がそう思った時にバットが快音を鳴らす。レフトに大きく飛んだ打球は惜しくも切れてファール。切れてなければ今日のヒーローはヒロシだった。その後ヒロシにはいい球は来ず、フルカウントの後の投球がそれて四球。二者連続のフォアボール。上位打線はかなり警戒されているようだ。ランナーがそれぞれ進塁し、ワンアウト満塁で6番木沢。


木沢には何も考えずにバットを振らせるのが1番だ。とても満塁でスクイズなんてやらせられない。最高はホームラン、せめて外野フライ。


「レッツゴー、ケンセイ」


3塁側からの声援が逆に木沢の表情を固くしている気がする


「木沢、リラックス、リラックス」


ネクストバッターズサークルからの幸矩の声援も虚しく木沢はあえなく三振。スタンドからのため息がここまで聞こえてくるようだ。


「木沢、タイミングは合ってたぞ」


すれ違いざまに声をかけてバッターボックスに向かう。これで1点も入らなければ嫌な流れだとみんな思うよね。なんとか1点入れるためにどうしようか?


「レッツゴー、ケンセイ」


気を取り直したようにスタンドの応援団が再度声を合わせる。あの中にはベンチに入れないチームメイト達が、吹奏楽部員達が、一般の生徒が、生徒の父兄が千葉から駆けつけてくれている。もちろん今年は幸矩の両親と弟も応援に来ている。佐吉もスタンドに来てくれているけど、茜さんはやっぱり予備校の夏期講習なんだよね。


まずベンチを見るが動きはない。さすがにここまで来てから代打は無い。そして指示がないのはできることが少ないからだろう。ツーアウト満塁というのはなかなかできる戦術は少ない。ここでホームスチールとかバントとか指示されるととても困ってしまう。


6回裏、1点差でツーアウト満塁、1塁2塁のランナーは四球て出塁、打順は7番、長打は無いバッター。ます怖いのは連続四球になることだ。だから初球は絶対にストライクがほしいはず、このピッチャーならストレートだ。俺は前の打席にカーブを打っている。さっきの木沢にもストレートから入って三振を取った。でもそろそろパターンを変えてくるかもしれない。


差し引き考えるとやはりストレート狙いだ。完ヤマをはって幸矩はバットを振り抜いた。


耳に甲高い打球音を、腕にはバットの芯にボールが当たった心地よさを感じる。これもしかしたらスタンドまで届いちゃうんじゃないの? 一瞬期待したが、ボールの弾道からスタンドは無理、ポールの根本のフェアゾーンに落ちるとわかる。視界の隅に走り出している各ランナーが映る。もちろん幸矩も1塁へダッシュ。レフトがポールの根本に向かって懸命に背走している。でも届かずに落ちるはずだ。


2塁は楽勝なので、1塁は小回りして距離を短くする。1塁側スタンドからの悲鳴に背を向けて2塁へ。レフトがフェンス際でボールを拾おうとしているのが見える。3点取れる。3塁行ける。


2塁はスピードを落とさず大きく膨らんで3塁に向かう。3塁コーチャーが腕を回している。3塁打なんてリトルリーグ以来じゃないか? 自分の呼吸がやけに大きく聞こえる。2塁を回ってからは守備側の状況がわからない。ボールはどこまで戻ってきてる? 3塁が近づいてくるのに、コーチャーは滑り込むべきかどうかを教えてくれず、腕を回し続けている。マジか。もう1つ行けるのか。幸矩は3塁ベースを駆け抜けた。


息が荒くなり、3塁スタンドの歓声が聞こえにくくなる。本塁ベースに向けて力を足に込める。本塁の脇にキャッチャーは立ったまま。あれはブラフか? ボールはどこだ? ホームベースの向こうにハジメがいる。コーイチローもヒロシもいる。息が苦しい。もう少しで奴らのところに行ける。その時ハジメが外側に滑りこむようにジェスチャーした。

もつれそうになる足に最後の力を込め、外側にへッドスライディングし左手をホームベースに伸ばす。


ホームベースの真ん中まで手が届いてから、頭上でキャッチャーミットにボールが収まる乾いた音がした。もう走らなくていい。息を大きく吐きながら幸矩はゆっくり立ち上がる。


「滑り込む必要なかったんじゃねぇの?」


バンバン背を肩を叩いてくる仲間達に文句を言う。


「これくらいええやん。ホームラン打ったんやし」


仲間たちと笑いながらベンチに向かう。吹奏楽部のファンファーレが高らかに鳴り響く。


「あん? 結構足りなかったぜ」


フェンスには5mは足りなかったと思う。


「ランニングホームランじゃん」

「ハナムランってか」

「花村選手、甲子園で満塁ホームランをかっ飛ばした気分はいかがですか?」


背中を叩かれながらベンチに戻るやいなや、次のバッターの真司があっさりアウトになったらしい。俺はベンチに入るところでグラブを渡された。


セカンドの守備位置に向かいながら、幸矩の妄想の中で茜さんが子どもたちに話すのだ。


「お父さんはね、ああ見えても高校球児でね、甲子園で満塁ホームランを打ったこともあるのよ」

「嘘だあ」


その後試合は2点ずつ取り合って7対3で賢静が勝った。なおこのランニングホームランが、今大会幸矩の唯一の長打となった。


最終話まで、毎日の予約投稿を設定しました。分割した箇所があるので、予定より長く全16話になりました。短い期間ですがお楽しみ頂ければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >「嘘だあ」 ありそうなシーンの妄想っていいですね。 [気になる点] 次の話にはフルネームが出てきますが、ここまでは苗字しか出てこない北風さんの名前が突然出てきても読者はついていけません。…
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