10.前人未達
もし遠い未来に、ロボットが野球を始めたとすると、そこには流れなんてものはないのかもしれない。打率3割に設定されたロボットは、サイコロを振るかのように確率に応じたバッティングをするのかもしれない。しかし現代、野球は人間がやるものだ。人間は何かが起こるとその原因を探そうと過去を振り返り、そしてこの後何が起こるかを予想、あるいは予感し、そしてそれらは感情を左右する。だから人間は試合の流れを感じ、勢いを作りだし、互いに影響しあう。時として野球選手はそれに乗り、時にはそれに抗わなければならない。
なぜ幸矩がそんなことを考えているかというと、現在高校野球の準々決勝試合が行われており、まさに今、流れが変わりつつあることが実感されるからだ。幸矩はその渦中にいた。
6回までは5対0という素晴らしい展開。しかし7回裏に犠牲フライと2ランホームランを打たれて2点差に追い上げられる。これまでおとなしかった3塁側相手のスタンドが生き返ったように騒がしくなる。8回表の賢静学園の攻撃は3者凡退。球場そのものが逆転を期待しているかのように幸矩には感じられた。
8回裏、相手のラストバッターに代打が出てライト前ヒット。それだけで3塁側アルプスは大盛り上がりだ。楽しそうに応援してるな。幸矩がもし中立的な高校野球ファンなら、正直相手チームを応援するだろうと思う。続くトップバッター、3球目にエンドランを掛けられ、流し打ちで12塁間を割られてしまう。ノーアウト13塁。
ここでタイムをかけて内野陣が集まる。ピッチャーは赤倉。前の回、ユーキがツーランを浴びてからマウンドに上がった。まだ落ち着いているように見える。今のところは。
「次は2番か。ノーアウトだし普通に打つ、スクイズ、ダブルスチール、なんでもできるな」
「できれば1点で抑えたいですね」
1点だけならまだこちらが勝っている。球場の雰囲気は守備陣にも影響していて、口には出さないが全員が頭の中に悪い予感を抱えこんでいる。とはいえあまりできることがない。できるのは守備の確認ぐらい。あちらの吹奏楽部はもうちょっとボリューム調節してほしい、そう思いながら幸矩は皆に指示する。延長に入らない限りこれがこの試合最後の守備側のタイム。言えることは全部言ってしまわないといけない。
「今は極端なことはできない。スクイズはさせちまえ。1塁でアウト取るぞ。ダブルスチールは赤倉でカットしてホームインを阻止。12塁も23塁もそうは変わらない。もし満塁や同点になったら、その時は思いっきり前進守備。正念場だ、ここ抑えて勝つぞ」
応!
流れに抵抗するためにはまず気合からだ。チームメイトもそれがわかっている。気持ちのよい声を上げポジションに散る。戻る途中、幸矩は1塁側のスタンドを見た。まだ賢静が勝っているのに、こちらはもうお祈り状態になってしまっている。
審判がプレーをかけて初球、バッターがバントの構え、ランナーがスタート。投球が逸れる、バッターはバットを引き、ランナーは塁に戻る。ワンボール。
気にせずバッター勝負ってさっきは言ったけど、バントの構えされたら気になるのはわかる。
「赤倉、気にするな。打たせていけ」
2球目、またバントの構え、ランナーは1塁ランナーだけが走る。セーフティスクイズ?
ボールがまた逸れてバッターがまたバットを引く、1塁ランナーはそのまま2塁へ走る。真司が2塁に向って投げるやいなや3塁ランナーがスタート。幸矩は2塁ベースに入るが、ボールはあらかじめ決めていたように赤倉がカット。3塁ランナーも様子見だったらしい、走る振りだけで戻った。1塁ランナーは2塁へ。勢いにまかせて好き放題してきやがる。なんとかこの情勢を押しとどめたいところだ。
ノーアウト、ランナー23塁。カウントはツーボールでストライクは無し。ここまでくると塁を埋めたくなる。しかし歩かせたら次の3番は今日2安打で、前の7回には先頭バッターとして反撃の口火を切る3塁打を打っている。今日一番当たっているバッターだ。
3球目、またバントの構え、赤倉はナーバスになっているのかまたボールが逸れる、バットを引く。3ボール。今回はランナーが走る素振りはなし。
4球目、投げる前からバントの構え。ここでキャッチャーの真司が立った。ベンチには動きがないので真司の独断なのだろう。今年から申告敬遠のルールが高校野球にも導入されたが、ここはクラシックなわざとボールを投げる敬遠だ。赤倉も真司に従って四球。ノーアウト満塁。相手は今日当たっている3番。この準々決勝あたりになると、どのチームにも2、3人はいるプロ注目の選手の1人でもある。
大ピンチだ。ピンチはチャンス、なんて言葉があるがそれはピンチを乗り切ってからいえるセリフだ。ピンチをしのいだから、相手のチャンスを潰したから流れが変わるのだ。ピンチはやはりピンチなのだ。そう、大ピンチだ。この回まだ点は与えていないことが不思議なぐらい、強烈な濁流に身が置かれているのを感じる。しかしタイムはもう残っていない。このまま行くしか無い。
「赤倉! 打たせてけよ!」
赤倉の反応はない。相変わらず相手の吹奏楽のボリュームが壊れているので、声がちゃんと届いていないのかもしれない。初球、外角低めギリギリのいいところにボールが決まる。バッターは微動だにしない。正直この3番もバントの構えを続けるのかと思っていたがそんなことはなかった。
「ストライク!」
審判の判定に、幸矩は安堵する。あれがボールにされていると後が辛かった。だがバッターも判定に顔色一つ変えない。
2球目、セオリー通りのインハイへのボールを見た時、勝手に体が動き出した。快音が聞こえた瞬間には、幸矩の体は2塁ベースの方に動いていた。足が地面を蹴る。そして体を、そして手を伸ばす。ボールがこちらに来る、そう思った時には左手、グラブ越しにライナーの強烈な打球の衝撃を感じた。
体がそのまま倒れた。手を伸ばしたところに2塁ベースが見えたので、倒れたままベースにグラブが勝手にタッチする。体を起こしたところに1塁ランナーが駆けてきた。
ここまで自動的に動いていた幸矩の体に意思が戻った。目の前の男にタッグしなければならない。1塁ランナーは体に急ブレーキをかけようとしているが体が止まらない。それなのに彼の目線は幸矩ではなく自軍のベンチの方に向かっていた。どこ見てるんだ。そう思う間もなく幸矩はダッシュし、ようやく体を止め逃げようとする1塁ランナーへのタッグに成功した。
トリプルプレーである。それも一人三重殺。幸矩は力が抜けてへたりこんだ。一転して1塁側スタンドから拍手と狂喜の歓声が響き、バックネット裏や外野からも歓声が上がり、あれだけうるさかった3塁側スタンドだけが逆にお通夜のようにになった。
「花村さん、すごかったですよ!」
いつもは落ち着いている桜井も興奮した様子で近づいてきた。
「よお、できたやんトリプルプレー。もう何も思い残すことないなぁ」
ハジメもやってきて、よくわからないことを言いながら桜井と二人で幸矩を立たせる。もちろん幸矩も興奮が醒めない。
「後は9回か、なんとか勝ち切るぞ」
口ではそう言いながらも、顔は半笑いを抑えられない。
1塁ベンチに戻る前に、ボールをマウンドに戻さないといけない。普通はサードの仕事だがハジメはここに来ている。自分で置きに行くか。そう思った時、さっきタッグした1塁ランナーが何をみていたのかが気になった。
ランナーの彼が目の前のボールを持った野手より気になったものは何なのか? 自分のベンチの何を見ていたのか? それに気がついた幸矩は、マウンドに向かうのをやめて、3塁側に向かった。
「おーい、俺らのベンチ、こっちやぞ」
幸矩はそれに応えず3塁に向かう。あの時1塁ランナーが見ていたのは何か、いや誰か。バッターはセカンドライナーで刺殺、セカンドランナーはリタッチ違反で、2塁ベースでアピールアウト。そして1塁ランナーは2塁の手前でタッグアウト。しかしあの時、フィールドにはもう1人ランナーがいた。その3塁ランナーは今、どこにもいなくなっていた。彼はチェンジでベンチに戻ったのではない。ホームインしてベンチに戻ったのだ。
あの時、1塁ランナーはホームインする3塁ランナーを見ていたのだ。そして自分は少しでも遅くアウトになろうと体を止め、逃げようとしていた。なんてスゴい奴だ。自分のタッグアウトがホームインより遅ければ得点が認められる。
幸矩はそう考えながら3塁ベースを踏んだ。そして3塁塁審にアピールする。
「3塁ランナーがリタッチしていないとアピールします」
塁審は右手を振り上げ宣告した。
「アウト!!」
こうして3塁ランナーもアウトとなり得点は取り消された。記録的には3塁ランナーのアウトが、1塁ランナーのアウトに変えられる。とはいえ、バッターと3人のランナー全員が幸矩によって刺殺された。こうしてこれまでだれ一人成し遂げたことのない一人四重殺が完成した。
チャンスを潰したことで、試合の流れがまた変わった。賢静は9回表に追加点を加え、9回裏の相手の攻撃は3人で抑えた。




