ロングハースト家②
「ったく、いきなり来て何なんだ一体。クラリス、大丈夫だった?」
レイの腕が緩んで顔が上げられた。大変だったのはレイの力が強かったことだ。
レイの両親は私達と同じく学園に入る成人前に婚約し、一つ年下のお義母様が卒業すると同時に結婚したらしい。私の両親は学園内で初めて出会った。お父様が一目惚れし次の日にはプロポーズしたと言っていた。公爵家を継いで20歳の時に結婚したそうだ。
「どうして二人はすぐ仲が悪くなるの?」
「同族嫌悪だね」
……二人は似ているってことだけど、よく分からない。いやなところが似ているって、どこだろう。そもそも二人にいやなところなんてないわよね?
「…………クラリスって嫉妬深いことはいやなところだと思わないの?」
「ああ、そう言ってたわね。……んー、世間一般ではいやなところかもしれないけど、私レイの嫉妬深いところも好きよ? 全然いやなところじゃないわ」
「結婚してください」
「二年後にするわよ?」
いきなりどうしたの? レイは「そういうことじゃないんだ」と首を横に振っていた。
「まあいいや、二年後を楽しみにしているよ」
ちゅ、と頬にキスしてくると今度は不機嫌そうに吐き捨てた。
「本音を言うと母上ともあまり話してほしくない。さっさと領に行けばいいのに」
「そんなこと言わないで。優しいお義母様よ?」
「母上は娘も欲しかったみたいだから。クラリスのこと大好きだよね」
義理の母親に好かれているのは嬉しいわ。にこにこ笑うとレイが頭を撫でてくれる。
「可愛い。クラリスの笑顔はやっぱりいいね、元気になる。今日だけの辛抱だ。ああ、父上にお義父様なんて言ったら泣いて喜ぶんじゃない?」
泣いて……? レイのお父様が泣いているところなんて見たことないわよ。
「レイ、父親に厳しいの?」
「僕は別に? あんまり話さないだけ」
「それを寂しがっているから泣くんじゃ……」
「父親と息子なんてこんなもんでしょ。クラリスの家は使用人含めてすごく仲がいいけど」
ロングハースト家もそうじゃないの? うちが普通じゃないの?
「お義父様もお義母様も優しい記憶しかないわ」
「クラリスに対しては優しかったと思うよ。僕がこんなだから純粋で素直なクラリスのこと気に入っているもの」
こんな?
「レイはすごく優しいわよね?」
「クラリスにはね」
…………? 嬉しいけど……レイは家族にも厳しいの? 自然と首が傾いていく。レイが笑いながら私と同じように首を傾けていた。
「皆私に優しくしてくれるのはとても嬉しいけど、レイは大丈夫?」
「大丈夫だよ。普通はこんなものさ」
こういうのが普通なんだ。普通って難しい。私は恵まれてるのね。
「この後はどうしようか? スイーツは夕飯後だし、ヴァイオリンも予定は夕飯後だし……」
ヴァイオリン? レイの誕生日なのに? レイはふわりと優しく笑った。
「もちろんクラリスのために練習したよ。クラリスが僕のすることで喜んで笑ってくれるならそれが一番幸せだから。それに、クラリスの誕生日に僕すごく幸せにしてもらったからね」
頬を撫でながら思い出すようにうっとりとした表情になる。でも、それを言うなら。
「じゃあ私は毎日レイに幸せにしてもらっているから。私も何かしたいわ」
「その言葉だけでお釣りが来るよ」
そこまで言うほどのことかしら。レイの幸せの基準って低すぎない? 何をしたほうがいいのかと考えていると視線を合わせるように頭をレイの方へ向けられる。
「ねえクラリス、そう言ってくれるなら一つ試してみたいことがあるんだけど。いい?」
「なあに?」
私にできることなら何でもいいわよ、と答える前に唇が合わさった。最初から激しく情熱的なキスをされる。すぐ舌が中に滑り込んできて、唾液が混ざり合う。くちゅ、という音が聞こえて恥ずかしいと思ったらレイが両手を使って私の両耳を塞いできた。
「ふっ……! んっ、ぁ、っ……!」
あ、だめ、これ。
塞がれるの、無理。
こもった音のほうがいやらしい。目も瞑っているから感覚が敏感になって、ざらざらとした舌の動きについていけなくなる。ああ、なのに気持ちがいい。意識が朦朧としていく。体が、熱い。とろけて溶けてしまいそう。裾を引っ張っても離してくれない。も、もう……。
「ふ、ぅ……」
やっと唇を離されたかと思うときつく抱きしめられた。体が火照ってどうしようもないのに、レイと離れたいとは思わない。
「クラリス。愛してる」
「っ……」
吐息とともに耳の近くで囁かれた言葉にぴくり、と震えてしまいレイのふふっという笑い声が聞こえた。
「後二年だね」
ちゅ、と頬にキスされたときにはもうそんな雰囲気はない。ず、ずるい。その切り替えはどうやってするの。
二年。レイには短いのかもしれないが、私には長く感じてしまう。だって。もっと、したいって。唇以外も、と思ってしまったのに。
「どう? 気に入った? それともいやだった?」
「…………レ、レイもしてみれば分かるわ」
そう答えるので精一杯だった。
ちなみにレイの感想は「やばいねこれ。理性飛びそう。多用はできないね」だった。
* * *
ロングハースト家の食卓に案内される。すでにお義母様が座っていた。手を振られたので振り返す。お義母様の近くに座ろうとしたけど、レイによって話しにくい遠くの席になってしまった。
「…………レイモンド、貴方そんなことばかりしてクラリスに愛想尽かされても知らないわよ」
「余計なお世話ですよ。貴女に言われたくありません」
「本っ当、息子は可愛くないわ」
「はっ、そもそも貴女に可愛いなんて思ってもらいたくありませんし」
だからどうしてすぐ喧嘩をするのー!? 隣の席に座ったレイの手を握りながらお義母様を見つめる。
「お義母様、私がレイに愛想を尽かすことなんてありませんよ」
「クラリス……ありがとう。ほらね、余計なお世話でしょう?」
私を見ていたレイは私に対して喜色を浮かべるとお義母様にはまるで自慢話をするみたいにしたり顔を向けた。お義母様は苦々しい顔をしていた。
ああ、二人が仲良くなる日はいつ来るのだろうか。お義父様でも無理なものを私ができるとは思えない。お義父様早く帰ってきてくれないかしら。
一応、そこからの食事は何事もなく進んだ……というか、お義母様もレイも私に話しかけてきて二人は会話しようとしない。同族嫌悪って怖い。
レイには事前に食べさせないことの許可はもらった。もらうために何度口づけたことか……キス、いやじゃないからいいんだけど。
しかし、レイが次に食卓に出されたステーキのお皿を見てぎょっとした。手が止まりお皿を凝視している。
「……レイ?」
どうしたの、と言っても何も返ってこない。
「ああ。そういえば大好きなのよね、それ?」
お義母様が不自然なほどにこりと綺麗に笑いながらレイに話しかける。レイの顔が歪んだ。
一体何だろう。レイが大好きな食べ物は見当たらない。レイはお肉なら鶏肉が好きだ。だがこれは牛肉。私が不思議がっているとレイは小さく、けれどお義母様に聞こえるように
「厚化粧ババア」
「何ですって!」
えー、何いきなり。
普通のステーキなのに。……あ、もしかして。
「レイ、人参ダメ?」
「――っ! に、人参は大丈夫だよ。ただこういう物に添えてある甘めのがあんまりなだけで……!」
いきなり早口になった。人参のグラッセ、苦手なんだ。付け合わせの中で食べたところを見たことがなかった物はこれだけだった。
「私がかわりに食べようか?」
「っ……い、いや、それは……」
「ふふっ、今更かっこつけても遅いわよ」
「…………」
レイの小さな舌打ちが聞こえる。お義母様は人参のグラッセをフォークで口に運んで、食べ終えてから言葉を発した。
「言っておくけど私は何も言ってないわよ。偶然よ。クラリスが来る今日出てきたのは運が悪かったと同情するわね」
「貴女の同情なんかいりません」
「でしょうね」
お義母様はその後はレイに何も話さず、私に向かってだけ「美味しいわね」と話しかけてくる。それには頷いて返した。
レイも人参だけを睨みつけている。苦手なら食べなくてもいいと思うが、お皿を下げようとしたヴォルクさんに対して首を横に振っていた。そのままだと次のお皿に行けないのに。
レイは食べたいの? ふむ。
「ねえ、レイ。よく噛めばきっと大丈夫よ。はい、あーん」
レイのフォークを手に持つと、それを人参に刺してレイの口の近くに持って行った。私を見つめぽかんと口を開けているのでそこに入れる。入れればレイの口が閉じて、もぐもぐと動いた。そのうち喉がこくりと上下する。人参は三個あったので後二つ、同じようにした。レイは素直に口を開けたり閉じたりしてくれた。
「どうだった?」
「……ごめん、味何にも分からなかった」