ロングハースト家①
夕方学園から帰り、必要な荷物を持った瞬間バンッと勢い良く扉が開いた。
「クラリス、迎えに来たよ! さあ行こう、今すぐ行こう! あ、荷物持つよ」
レイ、今日は派手な登場ね。私が持つ、と言う間もなく持たれて荷物を持っていた手はレイのもう一方の手に繋がれる。
「王城での仕事は良かったの?」
「昨日までに片付けたよ。今日のはディーンに押し付け……じゃない、代わってもらったから」
「…………レイ」
「今日だけだから。許して」
呆れた視線を送れば眉を下げて手を前に出す。許してって言うべきは私じゃなくてディーンによね。そう伝えたら明日謝るよ、と答えた。
今日はレイの誕生日の前日。約束していた、ロングハースト家に泊まる日である。
馬車に乗ってレイの屋敷に着く。出迎えてくれた使用人の方々に挨拶を……したかったが、レイがすたすたと歩みを止めないためそのまま二階に上がることになってしまった。だんだん皆との距離が遠くなっていくけど「今日はよろしくお願いします」って最後まで聞こえたかしら?
「この客室を使って」
案内されたのはレイの自室とは少し遠い部屋だ。隣だと思っていたが「僕の理性を考えて」と真顔で言われとりあえず頷いた。ホテルでは隣だったのに?
「ここは僕の屋敷だから勝手に魔法で鍵を開けられるし閉められるんだよ。危ないでしょ?」
何が? でも質問してはいけない雰囲気だった。
鍵を開ける魔法は、あらかじめ屋敷の設定として人物を登録しておく必要がある。私も自分の屋敷なら両親や使用人の自室以外は鍵を使わず魔法で開けられる。
それと理性と何の関係が?
……ああ、前言っていた身の安全に関係しているのかな。
でも魔法を使えるのはレイよね? レイが勝手に部屋に入ってきても、婚約者だし咎めたりしないわよ?
レイが疲れた顔で「君はそういう子だよね……」とぼそり呟いていた。
私何も言ってないけど。
夕飯までは退屈しないようにと、荷物を置いたらレイの部屋に行きソファーで話をすることになった。
旅行から帰ってきてレイは忙しかったから、そんな中私との時間を取ってくれたことには感謝しかない。
「ワイズ領のことは順調に進んでいるよ。元々職員の怠慢が原因だからね、二年後には十分婚約できるほど裕福な領になれるさ」
「そうなのね、ありがとう」
リリーの担任教師も生物の教師も無事ハミルトン先生の続投が決まった。
レイが卒業してからリリーは私と一緒にお昼を取ってくれようとしたけど、週に二日は先生とお昼も二人きりになれる数少ない時間なのだからと遠慮した。
クラス内に友人はいるし、彼女らも私がレイと食べていたことは知っていたため一緒に食べたいとお願いしたら快く了承してくれた。
残りの三日は以前のようにリリーとだけで食べている。一緒に、と友人は言ってくれて一度共にしたがリリーは公爵と侯爵令嬢に緊張しまくって硬くなってしまっていた。私がリリーを優先することも友人達は知っていたので二人きりで食べることになった。
「ご、ごめんね」
リリーは何故か謝った。首を横に振って答える。
「皆はクラスが同じだったり、選択授業で会えたりするからその時に話せるもの。リリーとたくさん話せる時間はここしかないから大事にしたいの」
私はリリーに緊張されずに済んで良かった。最初はしていたかもしれないけれど今は大丈夫だと信じたい。
私の学園生活も平穏だし、リリーもそうならいい。二年後が楽しみだ。
「レイ、大好き」
感謝の気持ちを込めて頬にキスをするとぎゅっと抱きしめられた。
「可愛い。ああ、帰したくない」
……? 今日は泊まりよね? せっかくのレイの誕生日なのに。顔を上げてレイを見つめる。
「帰さないで。帰りたくないわ」
「…………お、落ち着け僕。クラリスが言ったのは今日のことだ。……さっさと改装しよう」
「改装?」
レイの発言を繰り返せば失言したとばかりに唇を嚙んだ。けれど観念したのか口を開いてくれる。
「うん。まあいつか言うつもりだったけど、クラリスとの結婚前には屋敷を大幅に改装する予定だよ」
「どうして? そんなことしなくていいのに……」
「でも今の僕の部屋では小さくて一緒に二人で暮らせないでしょ?」
「え?」
レイの部屋? 普通夫婦は別室だ。うちは寝室が真ん中に繋がっているような形だが他はそうでもないと聞いた。レイの部屋は狭いわけではない。それでも貴族なら一人用の大きさである。
「クラリスは自室欲しい? 僕としてはいつも一緒にいたいから部屋は一つがいい。同じ屋敷でクラリスと離れているなんていやだ。もちろん私物を置くスペースは取るけど、壁があるのはいやなんだ」
レイの部屋を見渡す。レイは不安気に眉を曇らせていたけど私は安心させるように微笑んだ。
「うん、いいわよ。レイがしたいようにして。あ、でも私子ども部屋はたくさん欲しいわ。レイとの子どもはたくさん欲しいから」
「……うん。その発言は二年後にもう一度言って」
これも言ったらダメなことなの? 私にとっては重要なことなのに。結婚したら最初に……いや、改装する時に改めて言おう。
その時、バーンと扉が勢いをつけて開いた。
「クラリス! 久しぶり! 会いたかったわ!」
大きな声で叫ぶように言葉を発しながら入ってきた女性の腕の中に閉じ込められる。と同時にレイの悲鳴が聞こえた。
「あ―――――! 僕のクラリスに触らないでください!」
女性の腕から奪うようにレイの腕の中に移動させられる。レイが相手をぎっと睨んだ。
「何なんですか母上!? 帰ってくるのが早すぎます!!」
「あら、いいじゃない。クラリスが来てくれるっていうからがんばって早く帰ってきたのよ」
「がんばらなくていいのに」
声と香水でそう思ったけど、やっぱりそうよね。突然のことで顔が見えなかったわ。レイの腕の中から頑張って振り返れば女性と目を合わせることができた。
「お久しぶりです、ヴァネッサさん」
レイは母親似なので二人の顔はよく似ている。髪の色は黒と同じでも瞳の色は蒲公英色だ。アップにまとめられた髪型も素敵。南エリアにある宝石店のオーナーで、私達の指輪は彼女のお店の職人さんが作ってくれた物。抱きしめられているためマナーは悪いが頭だけを下げる。
「まあ、婚約したのだから名前でなんて呼ばないで。お義母さんでいいのよ」
お義母様と言えば喜んでくれた。笑顔もレイに似ていて私まで嬉しくなる。
「母上なんて呼ぶことないよ」
レイの冷たい声が聞こえる。もう、レイったら。お義母様も眉をつり上げた。
「まあ。まったく、息子は可愛くないわ。この子ったら貴女を独り占めばかりして……大丈夫? 何か怖い思いはしていない?」
「何も。レイは優しいですよ」
何故か信じられないかのように薄目でレイを見る。
「優しい……。早く貴女にうちに来てほしいわ。貴女がいない時のこの子の不機嫌さといったら」
「母上、もういいですか」
言うなりレイがさらに私を閉じ込めようとするのでぱしぱしと腕を叩き何とか力を緩めてもらえた。お義母様の溜め息が聞こえる。頬に手を当てながら
「どうしてこんな子に育ったのかしら」
「さあ、誰かの育て方が悪かったんじゃないですか?」
「何ですって?」
険悪な雰囲気になってしまったお義母様とレイを交互に見る。え、なんで喧嘩が始まってるの。
この二人は昔から何かあるとすぐ言い争いをする。レイのお父様が止めればやめるけど、今は仕事中だ。どうしよう。
レイの服を掴めばお義母様に向けた表情とは打って変わって安心させるように微笑まれた。
「大丈夫だよ。僕達が結婚して爵位を継いだら両親は領地の屋敷に行くことになっているから。二人きりで楽しもうね」
言いながらこめかみにキスされる。それと今の状態とどこをどうしたら大丈夫なの? けれどお義母様はびっくりした顔になった。
「どうして貴方が知っているのよ」
「何故でしょうね。それに関しては感謝していますよ」
「……優秀すぎて本当いやになるわ。貴方がクラリスのために努力するのは知っているから何も心配はいらないけど」
「当然です。彼女に何不自由なくいてもらえるよう最善を尽くしますのでロングハースト家はお任せください」
私の頭を撫でながらにこにこ笑みを深める。一応喧嘩は回避できたのかなあ?
「で、早く出て行ってくれませんか? 夕飯までの間くらい二人きりにさせてくださいよ」
レイが扉に目をやる。そんなこと言わなくても、と言おうとしたのにレイがぎゅっと強く胸元に引き寄せて顔が埋もれてしまったせいで口が開けない。お義母様の呆れたような声音が頭上から聞こえた。
「貴方の嫉妬深さは一体誰に似たのかしら」
「貴女でしょ」
「失礼な! ここまでじゃないわよ!」
あ、嫉妬深いことは認めるんだ。お父様からもよく睨まれていたとは聞いていたけど。
「もう、サイモンに似てくれれば良かったのに。……黒髪と赤い瞳はいいわね」
お義母様……。
その後、レイのお父様が帰ってくるのは夕飯後になると教えてくれた。忙しいんだなあ。
「仕方がないわ、夕飯までよ。じゃあね、クラリス。楽しみにしているわ」
私にだけ挨拶をしてお義母様が去っていく気配がした。