いつかの未来に(リリー視点)
クラリスに相談して間もなく、彼女はワイズ領の観光地化を促進するための準備にその地に行くことを教えてくれて、さらにその旅行に私を誘ってくれた。旅行可能な日付を確認され、そのすぐ後に行き方とホテルの名前が書かれた手紙をくれる。それをお養父様に見せたら簡単に承諾を得ることができた。公爵家の二人に加えて将来の領主が同行するということが大きかったと思う。ワイズ領であることには疑問を持たれたけど私は関係ないと思ったのか何も聞かれることなく、二泊三日のため付くメイドも一人だけになった。
先生が生まれ育ったところ。クラリスからは観光地化については必ずと約束できないと言われたが、そこに先生と一緒に行けるだけでも嬉しい。
ただ、リオンはそれで分かってしまったようだった。
「お義姉様が好きな人って、その旅行先の領の先生?」
とある日お茶に誘われて二人きりの時にぽつりと聞かれた。私は何も答えなかったけど感付いたようでふっと自虐するように笑う。
「なるほどね。僕に何も言わなかったのも納得したよ。ううん、言えなかったんだね。……そっか、お義姉様は先生が好きだったんだ。それにクラリス様の婚約者はレイモンド様だったね。彼が味方するならどっちみち成人もしていない僕なんかじゃ敵わないや」
最後のほうは小声で聞き取れなかった。リオンは言葉を飲み込むように紅茶を一口飲む。浮かない顔に見えて気にかかったものの紅茶をテーブルに置いて顔を上げた時の表情はいつも通りだった。
「僕は何もできないけど、応援していることは覚えておいて。お義姉様が結婚しても時々は王都に遊びに来てくれると嬉しいよ」
「ありがとう、リオン」
なんだか質問するのは躊躇われたので私は感謝の言葉だけを口にした。
* * *
ワイズ領。もう三月末だから雪はほとんどない。冬は厳しく雪が激しく積もるらしいのでその時に来られなくて残念だ、見てみたかった。「田舎だろ」と先生は言ったけど何も気にならない。私は平民だって言ってるのに。
先生の父親に会うのは緊張した。敬語だったからますます緊張した。私はお礼をするだけで話せなかった。クラリスも同じだが、理由は婚約者さんの嫉妬だと思う。
早速お花畑に向かう。見えた景色に圧倒された。
すごい。広いお花畑だ。種類が多い。先生が空間魔法で見せてくれたのは本当にごく一部だったのだと今なら分かる。本で勉強したはずなのに分からない花もあって、先生が説明してくれた。魔法植物はないそうだけど、これだけ花があったら十分だ。いろいろな色があるのに雑然としていないように思われるのは何故だろう。自然はすごい。
回る時、差し出してくる先生の手に手を重ねた。誰も見ていないし、エスコートならいいよね。嬉しい。初めて握った先生の手は大きくて、日々植物を扱っているからか所々切り傷の痕があった。大人の男の人の手だ。手汗が気になったものの、いつの間にか植物と先生の説明に集中してしまった。
クラリス達は腰に手を回して密着している。あの二人は外でもラブラブだ。先生は最初見慣れていないようで呆然と二人を見ていた。
「……レイモンドさんって婚約者相手だとあんな感じなのか」
「クラリスの言葉を聞く限りはそうみたいです」
「クラリスさんは貴女といる時を見ていたからまだ驚かないで済んでるな。噂って本当だったんだ」
噂って、溺愛しているというやつかな? 先生は婚約者さんがあんなに笑顔なことに驚いたらしい。
頬を赤く染めて婚約者さんを見上げるクラリスはまさに乙女という言葉がぴったりなほど可愛らしい。それを見つめる婚約者さんの瞳もどこまでも甘い。使用人がいないことには驚いたし逃げないように、とかものすごく怖い言葉もあったけどクラリスの顔を見ると安心する。むしろ婚約者さんはどうしてあんなに不安がっているんだろう。クラリスだって婚約者さんしか見ていないのに。幼い頃から独占していたっていうからかな。クラリスからも本来なら他の選択肢があったと言われた、と言っていた。でもそれが理由なら安心できる日って過去を変えない限り来ないよね。食べさせたいのもスイーツを作るのも独占欲の表れだろうが大変だ。
それでもいいなあ、と思う。羨ましい。さすがに食べさせたり外で腰に手を回したり抱きしめたりするのは遠慮したいけど、周りからもラブラブだと思われることは憧れる。
先生と私がああなるのは、今はハードルが高い。先生を想う気持ちは誰にも負けないのに。学園では手を握ることさえできない。隣に立つので精一杯。でも、この人が好き。他の人なんていや。早く卒業したい。
次の日は短い距離でも馬車で移動することになった。多分婚約者さんがクラリスと二人きりでいたいからだと思うが私も先生と二人きりで嬉しい。先生は窓から見えるものをいろいろ説明してくれた。風景を見るために先生に近寄ったり先生が近寄ってくれたり、心が休まらないにも関わらずすごく幸せだ。
クラリスと、それから婚約者さんには感謝している。約束できないと言っていたのに婚約者さんが持っていたクラリスのお父様が調べたという資料は領について詳細に書かれていた。婚約者さんもクラリスのお父様もワイズ領のことを考えてくれている。二人はクラリスのためでも、私が最終的に幸せになってしまっている。クラリスが当然だと言ってくれることがものすごく嬉しい。
……結婚してからも仲良くしてね、と口にした言葉にクラリスが答える前に婚約者さんに連れ去られるようにお店から出て行ってしまったけど、婚約者さんなりにすごく我慢していたと思うので仕方がない。
やはり慣れていない先生はぽかーんと二人が消えた出口を見つめている。
「…………あの、クラリスさんは大丈夫なのか?」
皆が通る道なのね、これ。先生の言葉に首を縦に振った。
「大丈夫だと思います。クラリス、婚約者さんのこと大好きですから」
「リリーさんすまない……俺、あれほどの束縛は無理だ」
「しなくていいです!」
羨ましいの発言、違うって言ったのにー! 悩む必要ないです先生!?
私はクラリスほど度量が広くないので絶対窮屈に感じる。先生には今のままでいてほしい。
「だけど俺鈍いとか抜けてるとかよく言われるし……卒業式のこともあったし、何か不満があれば遠慮せず言ってくれ」
「そ、卒業式のことももういいです……」
あ、あれも思い出したくない。先生に花を贈っていた彼女達は告白しようとしていたわけではない。それでもあまりの人気ぶりに嫉妬してしまった。
卒業生でないのに花を渡す私も私だが、先生は周りに人がいないことを確認すると魔法でガーベラを紅色の薔薇に変えて、私に渡してくれた。
「リリーさんのほうが綺麗だな」
告白の時私が出した薔薇のことだと理解できても思い切り照れた。近くに人がいなくて良かったと思っている。
「そうか? 後……リリーさん、領主のことだけど……貴女が卒業して婚約できるなら俺はすぐなってもいいと思っている。20歳は婚約適齢期だけど三年も待たせてしまうことになる」
え? びっくりして先生の顔を凝視する。本気で考えている顔だ。私は急いで首を横に振った。
「い、いいえ、30まで教師を続けてください。私先生が教師をしている姿好きです!」
卒業したら婚約して、後三年の間に王都でデートができるかもしれない。それも楽しみにしているのだ。先生は学生の頃から教師になりたかったと言っていた。ただでさえ十年間だけなのに私の都合で三年も短くさせたくない。
「王都のデートスポットとかも行きたいですし……王都の庭園とか、先生が休日よく行っている美術館とか……」
欲望だだ漏れである。本音をぶちまけてしまった。
「じゃあまず近くから行くか?」
「え?」
「ここにも小さいけど美術館があるんだ。リリーさんが良ければ案内するよ。他に行きたいところは?」
「い、いいんですか?」
先生は穏やかに微笑んで手を差し出してくれる。
「もちろん。俺はもう知り尽くしているから言ってくれれば大抵は案内できると思う。帰りまで楽しもう」
先生の手にそっと自分の手を乗せればきゅっと握りしめてくれた。領に来てからほとんど手を繋いでいる。幸せだ。
卒業するまで後二年、頑張れる。魔術師になるのも頑張ろう。そうすれば結婚した後でも彼の役に立てるはず。
これからの幸せを考えて頬が緩んだ。
「ああ、やはり先生のお相手はそちらのお嬢様でしたか」
お店の人が穏やかな笑顔とともに言葉を漏らした。あ、まだお店の中だった。一瞬硬直してしまったが好意的な笑顔に安堵する。
領民の皆も先生と呼んでいるらしい。一部反対している人には名前で呼ばれると言っていた。
お店の人――四十代くらいのおばさんにきゅっともう片方の手を握られる。
「どうか先生をよろしくお願いいたします。五年後、また貴女に会えるのを待ち望んでいますよ。ああいえ、五年の間に遊びに来てくださるのももちろん歓迎いたします」
かあああ、と顔を真っ赤にしてしまい俯くしかなかった。「可愛らしいお嬢様ですね」とお店の人が発言したのに対し先生が「でしょう」と肯定したためしばらく顔を上げることができなかった。
* * *
表に出たら馬車が二両ともあった。クラリス達は徒歩圏内の場所に移動したのだろうか。美術館の可能性もあるかな、と先生に聞いてみたら
「レイモンドさんが俺達が行く場所を選択肢に入れるとは思えないけど」
と言われ、私も同意した。担当していたからかもしれないけど先生この短い時間で婚約者さんの考えを正確に捉えている。夕飯までクラリス達に会えることはないと考えていいようだ。
結婚した後会えるとしたら私がクラリス達の住むお屋敷に行くことかな。クラリスは初めての旅行だと言っていた。これが最初で最後になるかもしれない。
それにしても、美術館も博物館もお金がかからなかった。私達は出そうとしたのだが
「デートなんですから」
と皆さんすごく気前が良かった。私達何も言ってないのに、そんなに分かりやすい?
「俺一人息子なのに結婚適齢期過ぎてるから、皆待ちわびているんだよ。リリーさんの負担になってないか?」
「いえ、あの、う、嬉しい、です」
王都では卒業するまでこんな表立って言えないと思う。それなのに先生が将来治める領に住んでいる人達に歓迎されているなんて、油断すると頬が緩んでしまう。むしろ先生こそこんな決定みたいな形で皆に言われてプレッシャーになったりしないかな、と心配する。でも、私は卒業した後迎えに来てもらうのは先生がいい。
暗くなる気持ちを振り切るように首を振る。先生に「どうした?」と不思議そうな顔をされたけど何でもないですと答えた。
美術館で絵画の説明を受けて、博物館や図書館で領の歴史や今の状態を教えてもらって、他に行きたいところは、と聞かれたので茶畑を答えた。少し遠いところらしく馬車も一緒に空間魔法で連れて行かれる。一瞬の出来事だった。
先生もすごいし目の前に見えた茶畑もすごかった。一面緑って、私初めて見る。お花畑に負けないほど壮大な景観だ。
「まだここだと茶摘みの時期には早いんだ。他の領や国なら茶摘み体験もできたかも。だけどここ多種多様な茶葉を輸入しているからいろいろ飲み比べができるよ。それと飲んだことがあるのはまだストレートティーだけだったよな。ミルクもレモンも美味しいからぜひ飲んでみてくれ」
お腹たぷたぷになりそう。夕飯入るかな。そう懸念を告げると
「大丈夫だよ、そしたら残りは俺がもらうから」
え。私が飲んだ物を、ってこと? 先生、分かって言ってる? ち、小さなカップにしよう。
夕飯までの時間、各種類のお茶を少しずつ飲みながら先生の話を聞いた。
いつかこれが日常になるのかな。そうだといいな。




