チーズケーキ
「ん……?」
あれ……何かいつもと枕や毛布の感じが違うような。なんでだっけ……と目を開けて、最初に視界に入ったのは私が大好きな人の顔だった。
……え?
レイが私と目を合わせ顔をほころばせる。
「おはよう」
「お、おはよう」
掠れた声にどきりとする。どうしてか眠たそうな顔をしていた。レイも起きたばかりなのかしら。
……あ、そうだ。ワイズ領に来てたんだった。えっと、それで昨夜……レイが部屋に来て、話をして、キスをして……嘘。私、まさかの寝落ち? そして朝までぐっすり?
レイの手が私の頬に伸びる。
「ごめんね、びっくりしたでしょ? クラリスを置いて鍵をかけるのもどうかなと思って」
「う、ううん。あ、ありがとう……」
謝るのは私のほうだ。レイは自分の部屋に帰れなかったんだ。謝ろうと口を開いたら謝る必要ないよ、と言われた。
「元々僕が夜にこっちに来たのが悪かったんだ」
「そんなことないわ。私もレイと話せて嬉しかった」
「そう。ありがとう」
レイが目を細める。髪を縛っていないレイを見るのは久しぶりだ。かっこいい。
けれどよく見ると、目の下にわずかにクマが見える。
「……もしかして、レイあんまり寝てない?」
私の寝相が悪かった? それともいびきがうるさかった? レイにがっかりされたらどうしよう。
レイはぱちぱちゆっくり瞬きすると小さく息を吐いた。
「あのね、僕はもうすぐ18になるんだよ。好きな女の子と一緒のベッドでぐーぐー眠れるわけがないでしょ」
そう言われると、私は一体何だろう。恥ずかしい。寝られないと思っていたのに。これだから子ども扱いされるんだわ。
「クラリスは疲れていたんでしょう? ぐっすり眠れたなら良かったよ」
ゆっくり頭を撫でられる。ううっ、優しい。
「レイ、大好き」
と言ってぎゅっと抱きついたら頭の手がぴたりと止まった。
「……嘘でしょ、一夜我慢した僕にこの仕打ち?」
ぼそぼそとくぐもってよく聞こえない。離れようと思ってもレイに抱きしめ返される。
「クラリス、あまり僕を誘惑しないで」
???
した覚えがない。私寝てただけよね? がっかりされていないなら良かった。
「……もう。今度一緒になったら寝かさないからね。覚悟しておいてね」
頭にキスされる。甘い声に背筋が震えた。寝かさないって何?
「レイ、大丈夫?」
「ん? ああ、徹夜ならしたことがあるから大丈夫だよ。クラリスが不安なら後で回復魔法をかけるから、心配しないで」
私を慰めるように背中を優しく撫でられる。
「それに、結婚したらこういう日が増えるからね」
どういうこと? 顔を上げてレイと顔を合わせた。
「子作りって眠れないの?」
「まあ……うん……」
「レイ。私もう成人したのだから、詳しく教えてほしいんだけど」
「……今言うと僕の理性が危ないから、もうちょっと後でいい?」
レイの視線が決まり悪そうに逸らされる。話に理性が関係あるの? 後っていつかな。
「楽しみにしてるわね」
「楽しみにされても困る……。クラリスの発言が今から怖い」
……? 私そんなに怖い発言したことある? いつかしら。気を付けないと。
「いやさっきもしてたけどね? あー、幸せと生殺しって同時に来るんだ」
ははは、と乾いた笑いが聞こえる。……ま、まったく分からない。レイの顔を見る限り幸せには思えない。徹夜で思考力が落ちているのかしら。早く回復魔法をかけたほうがいいわ。
* * *
次の日はお花畑から遠くの場所を見てみる。食事についてはお花畑で売る物、王都などに流通させる物といろいろ選別していく。自然の景色だけでなく古い建物とかもあった。何に使われていたのか分からないそうだが、だからこそ研究者が喜んで来るだろうとレイは言っていた。
移動には短い距離でも馬車を使うことになった。どうやら馬車を一日貸し切りにしたらしい。私が寝落ちしてしまったことをよっぽど気にしているみたい。
「回復魔法をかけてもらったんだから……」
「ダメ。クラリスが倒れたら悔やみきれない」
日光も危ないからとつばの広い大きな帽子を渡された。いつの間にかホテルの売店で買ったと聞いた。レイの心配性に拍車がかかっている。寝てしまったことが悪かったのね。
「それは肝が冷えたけど、疲れているのに無理をさせた僕が悪いよ。ごめんね。今日はゆっくり休んでね」
ちゅ、と頬にキスされる。
……馬車を二つ借りて、リリー達と別の馬車で良かった。結構広めなのに密着して座っている。
「昨夜思ったけど、結婚したらクラリスには僕より早く寝て遅く起きてほしいな。僕の帰りを待つ必要はないから。帰ってきたらクラリスがソファーで寝ているなんて風邪を引くかもしれないからいやだ」
レイ、甘やかしすぎよ。私はどれだけ子どもだと思われているの。ショックだわ。
「私はレイに行ってらっしゃいとかお帰りなさいって言いたい」
「その時だけ目を覚ませばいいじゃん」
どこまで甘やかすつもりだ。
「際限なく、だよ」
今度は唇に口づけされる。もう、レイったら。朝の寝かさない発言はどこにいったのよ。
でも、ということは今日の夜はレイが来ないんだ。キスもなしってこと? ちょっと残念ね。
「……分かりやすすぎるのも問題だよね。ああ、可愛い。好き。じゃあ二人きりの今いっぱいしようか」
「え?」
さっき次の場所までそんなに時間がかからないって言ってなかったっけ?
「大丈夫、舌は入れないから」
何が大丈夫なの?
質問しようとした言葉はレイによって塞がれた。
リリーが食べたことがあるというチーズケーキの店で午後のお茶をする。結構回ったけど、昨日と比べたら全然歩いていないから元気だ。
リリーもお薦めのチーズケーキはとても美味しかった。なるほど、とても紅茶に合う。バレンタインの試食でも思ったけど、ハミルトン先生ってほんのりと甘い物が好きなのね。香りも良くて見た目も上品で。先生の外見の雰囲気にも似合っている。窓辺で優雅に紅茶を飲む様は、この人が田舎の貧乏男爵家と言われても到底信じられないわね。
私も紅茶を飲む。何と先生がお店の人に頼んで淹れてくれたのだ。お店の人も気前良く二つ返事で了承してくれた。リリーが先生を上手だと言っていた理由も分かった。これは、オーウェンにぜひ会わせたいわ。先生は知識もあるようなのでものすごく話が盛り上がりそう。
レイも最初は「僕以外の……」とごちていたが紅茶を飲んだら静かになった。チーズケーキにも文句を言わず、レシピを聞こうかどうか迷っていたくらいだ。
「こういうのもいいね。クラリスも外見はシンプルなのが好きでしょ? クラリスのためにはもう少し甘さとまろやかさを足したいけど……残念だな、ここが個人でやっているところでなければ今すぐにでも王都に流通させたいのに。まずはお花畑に出店させてお土産として広めて、店舗が大きくなったら……」
お店の人は褒められて嬉しそうだ。ハミルトン先生も評判だと語っていたので華やかな笑顔を見せている。リリーがそれに見惚れつつにこにこ笑っていた。
素敵な雰囲気ね。
私の案ではこのチーズケーキを売ることはなかったから、本当、レイに感謝しなければならないわ。